月〜金曜日 21時48分〜21時54分


三重・菰野(こもの)町 

 四日市市の北西に隣接、町の西部は鈴鹿国定公園内の鈴鹿山脈が連なる山地で、鈴鹿山脈の主峰・御在所岳など景勝地が多い。町内には古寺、史跡などの文化遺産や御在所岳の東麓には古い歴史を持つ湯の山温泉があり、関西、東海方面から多くの観光客、温泉客が訪れている。


 
御在所岳  放送 12月11日(月)
朝陽台 鈴鹿山系の最高峰・御在所岳(1212m)は、神のおわす山の意味からその名が付けられた。昭和34年(1959)に完成した御在所ロープウエイを利用するとわずか12分で山上公園駅に着く。さらに観光リフトを利用すると約8分で御在所岳頂上にたどり着く。
 頂上は360度の素晴らしい展望で、眼下に伊勢湾、知多半島から太平洋が望め、天候がよければ南アルプスや富士山が見える。西に目を転ずれば琵琶湖を臨むこともでき、観光客やハイカーらは秀峰・御在所岳の眺望に大満足。毎年、元日には早朝5時からロープウエイ、リフトが運転され、御在所岳頂上からの初日の出を拝むことができる。但しロープウエイ、リフトの乗車には近鉄への予約が必要。
(写真は 朝陽台)

御在所岳ロープウェイと大黒岩 御在所ロープウエイや観光リフトの空中散歩も素敵だ。ロープウエイのゴンドラから眺める御在所岳の四季の自然は素晴らしい。初夏の新緑、秋の紅葉、冬の樹氷や雪景色など四季折々に変わる景色が空中から眺められる。ゴンドラが最も高い所では地上から150mもある。
 また御在所岳名物の巨岩、奇岩も楽しめる。高さ13mと10mの2つの巨岩が重なり合うようにそびえ立つ「負れ岩(おばれいわ)」。この地方で「おんぶ」することを「おばれる」と言い、岩が岩をおんぶしているように見えることからこの名がついた。他に高さ5mの岩が岸壁に居座っている「大黒岩」、タカが羽を休めたように見える「鷹見岩」、人が座っているように見える「地蔵岩」など自然の造形に目を見張る ロープウエイ山上公園駅周辺は広大な自然公園で、日本カモシカセンター、自然科学博物館、山野草園やレストランなどの施設あり、冬はスキーが楽しめる。
(写真は 御在所岳ロープウェイと大黒岩)


 
カモシカの駆ける山  放送 12月12日(火)
日本カモシカセンター 御在所ロープウエイの山上公園駅近くにある日本カモシカセンターは、ニホンカモシカの飼育、繁殖、研究を行っている日本最大の施設で、世界で唯一のカモシカ専門動物園でもある。現在、センターでは世界の10種類のカモシカのうち6種類が飼育されている。ニホンカモシカ1頭、タイワンカモシカ4頭、アルプス山脈にいるシャモア8頭、ヒマラヤ、ミャンマー、中国西部にいるゴーラル8頭、ロッキー山脈にいるシロカモシカ5頭、カナダ北部、グリーンランド、北極圏の島々にいるジャコウウシ1頭。以前は中国南部、ミャンマー、スマトラ島にいるシーロー、ボルガ川流域、モンゴルにいるサイガも飼育していたが死亡した。
 愛くるしい表情を見せたり、岩場を身軽に走り回るカモシカは訪れた観光客らに大人気。手で触れられる種類のカモシカもおり、スキンシップを楽しんだり、一緒に写真を撮ったり子供たちは大喜び。
(写真は 日本カモシカセンター)

ニホンカモシカ(日本カモシカセンター) カモシカは動物分類学では牛の仲間で草食動物。牛と同じように胃袋が4つあり、角は生え変わらない。大きな泣き声はほとんど出さず、相手を威嚇する時などに声を出すことがある。
 ニホンカモシカは特別天然記念物に指定されており捕獲できない。日本のごく一部の山岳地帯に生息しており、三重県下には約1000頭、鈴鹿山系にいる約400頭のうち御在所岳周辺に20頭ほどがいるそうだ。運がよければロープウエイのゴンドラから野生のニホンカモシカを見ることができる。
 日本カモシカセンターのニホンカモシカはメス1頭になってしまい、来園者もさみしいと嘆いている。特別天然記念物なので捕獲することができず、けがをして保護されたカモシカや親からはぐれた迷い子の子供カモシカを引き取って飼育するしか頭数を増やす方法がないのが悩みだと言う。
(写真は ニホンカモシカ(日本カモシカセンター))


 
湯の山温泉  放送 12月13日(水)
浄薫碑 御在所岳の東の山麓にある湯の山温泉は、今から約1300年前の養老年間(717〜724)に僧・浄薫(じょうくん)が薬師如来の夢のお告げで発見したと伝えられている。また、傷ついたシカが温泉で傷を癒しているのを木こりが見つけ、これが温泉発見のきっかけになったとの説もあり、別名“鹿の湯”とも呼ばれている。一番古い湯元の近くに、温泉を発見した僧の塚(浄薫塚)と薬師如来像をまつった小さな堂がある。
 湯の山温泉は織田信長の伊勢侵攻で付近の寺などが焼き討ちされ一時さびれたが、江戸時代に入り菰野城の三代城主・土方雄豊(ひじかたかつとよ)が湯の山温泉の復興に力を入れ、再び湯治客でにぎわうようになった。現在、三滝川をはさんで温泉旅館が建ち並び、企業の保養所なども数多く、温泉客でにぎわっている。
(写真は 浄薫碑)

湯の山大石 温泉街を流れる三滝川上流では渓谷の自然美が楽しめる。大石公園には重さ900トン、広さ30畳の巨大御影石などがあり、川沿いの巨岩、奇岩に三滝川の清流と樹木が織りなす自然が美しい。元禄時代、吉良上野介を討つため江戸を目指していた赤穂藩家老・大石内蔵助が湯の山温泉に一泊し、この温泉地にあった自分の名前と同じ湯の山大石がえらく気に入ったとのエピソードも残っている。
 落差50m、幅15mのスケールを誇る蒼滝(あおたき)は、温泉街から徒歩20分の所にある。その名の通り青く澄んだ水をたたえる滝壷は夏でも冷気を感じ、東海自然歩道の通過地点にあり格好の休憩場所になっている。
(写真は 湯の山大石)


 
三岳寺(さんがくじ)  放送 12月14日(木)
三岳寺・薬師如来座像 中国から帰国し天台宗を興した伝教大師・最澄は、各地の山間部に山岳寺院を開いた。御在所岳中腹の三岳寺もそのひとつで、大同2年(807)に建立された。武家政治の横暴に対して寺院も僧兵で武装し対抗するようになった。比叡山延暦寺にも僧兵組織があったように、各地の天台宗の寺でも僧兵が生まれ、三岳寺にも約300人の僧兵がたむろしていたと言う。
 元亀元年(1570)織田信長の伊勢侵攻で、三岳寺も焼き討ちにあい約750年続いた法灯が消え廃寺となった。湯の山温泉から御在所岳へ登る裏登山道の途中の山腹に三岳寺跡があるが、今は当時をしのぶものは残っておらず、訪れる人もいないと言う。
(写真は 三岳寺・薬師如来座像)

僧兵鍋 温泉街近くにある現在の三岳寺は、江戸時代初期にこの地に再建されたと言われている。本尊の秘仏・薬師如来座像は元の三岳寺にあったものと言われており、毎年4月16日から20日まで厨子の扉が開けられ拝観することができる。
 湯の山温泉では三岳寺の僧兵の勇気、忍耐、正義感を讚え、毎年10月に僧兵まつりが繰り広げられる。3日間の祭り期間中に僧兵火炎みこし、僧兵太鼓、僧兵もちつき山車、かえでみこしなどが繰り出しにぎわう。
 温泉旅館の名物料理として僧兵鍋がある。僧兵がスタミナ源として食していたと言われるもので、鈴鹿山系で捕れたイノシシの肉と、旬の野菜をふんだんに入れた味噌味仕立ての鍋料理で「体が温まる」と好評のようだ。
(写真は 僧兵鍋)


 
石の里  放送 12月15日(金)
千草の大灯ろう 菰野町周辺は昔から花崗岩が豊富に産出された。この地方の花崗岩は風化が進んでおり、この石で作った石造物には早く苔がついて枯淡の味が出やすく、庭が作りやすいと珍重されてきた。「菰野の石灯ろう」として知られ、町内の社寺にも多くの石仏、地蔵、唐獅子、石灯ろうなどが残っている。
 最近は機械を使う石工が多くなってきたが、中には昔ながらのノミとハンマーを使ってコツコツと仕上げる手作り派の石工も健在で、菰野ならではの石灯ろうが作り続けられている。
(写真は 千草の大灯ろう)

竹成五百羅漢 竹成五百羅漢も菰野を代表する石造物のひとつ。大日堂境内の小高い土山の上に神仏混淆(しんぶつこんこう)の形で、神さまと仏さまの石像が仲良く並んでいる。
これは当時の素朴な庶民信仰の現れで神仏同居の五百羅漢は全国でも珍しい。竹成出身の照空上人が、嘉永5年(1852)に五百羅漢の建立を発願した。桑名の石工・石長こと藤原長兵衛に依頼、一門の石工を動員して約15年間の歳月を費やし慶応2年(1866)に完成した。照空上人は五百羅漢建立発願の3年後に完成を見ずに没した。
 469体の石像が並んだ竹成五百羅漢は壮観。釈迦三尊を中心とした羅漢群と大日如来を中心とした密教系の石仏群で構成され、それぞれの石像は違った表情をしている。恐い顔、笑っている顔、泣いているような顔など様々で、その中に父母の顔そっくりの石像や自分に似た石像を見つけることもできる。
(写真は 竹成五百羅漢)


◇あ    し◇
御在所岳近鉄湯の山線湯の山温泉駅からバスで湯の山温泉下車、さらにロープウエイ、観光リフトを乗り継ぎ頂上へ。登山者にはビギナーからプロ級までの登山コースが4ルートある。   
日本カモシカセンターロープウエイ山上公園駅下車徒歩5分。 
湯の山温泉近鉄湯の山線湯の山温泉駅からバスで湯の山温泉下車。 
三岳寺湯の山温泉から徒歩5分。 
竹成五百羅漢近鉄名古屋線四日市市駅からバス竹成下車徒歩1分。 
◇問い合わせ先◇
菰野町観光協会0593−93−1123 
御在所ロープウエイ0593−92−2261 
日本カモシカセンター0593−92−2028 
湯の山温泉協会0593−92−2115 
三岳寺0593−92ー2670 


◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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