月〜金曜日 18時54分〜19時00分


篠山市 

 デカンショ節とぼたん鍋が有名な篠山市。篠山城跡を中心に市街地が広がり、市内のあちこちに城下町の面影を残すたたずまいや史跡、文化財が残っている。丹波地方の政治、経済、文化の中心地として古い歴史を持つ篠山市を訪ねた。


 
篠山城  放送 12月16日(月)
 関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康だが、豊臣秀吉の後継者・秀頼の居城・大坂城から目が離せなかった。大坂城を包囲するような形で近畿地方の重要拠点に、信頼できる武将を大名として配置した。また、豊臣家とゆかりの深い西国大名をおさえる交通の要衝のひとつとして最重要地点の丹波国・篠山に、家康は慶長14年(1609)庶子・松平康重に命じて築かせたのが篠山城である。
 築城の普請奉行は姫路城主・池田輝政、城の設計担当の縄張り役は築城の名手と言われた津城主・藤堂高虎に命じた。築城工事は近畿、中国、四国の15カ国、20の西国大名が担当し、総勢8万人が動員され200余日で完成させた。篠山城の石垣にはこれら大名の刻印が刻また石がところどころに積まれている。また、敵を防ぐための馬出と言う城への出入り口が、東西と南の3カ所に設けられていた。その内のひとつ、南の馬出の土塁がほぼ完全な形で残っているのは、全国でも例がない言う。

馬出し

(写真は 馬出し)

大書院・上段の間

 篠山城は明治維新後の廃城令で取り壊されたが、大書院だけは多くの人たちの願いがかなえられ、取り壊しをまぬがれて築城当時のまま残っていた。昭和19年(1944)に火災で焼失してしまったが、平成12年(2000)篠山藩当時に公式行事などに使用された建物と同じ豪華な造りに復元され、約50年ぶりにその美しい姿がよみがえった。
 大書院は京都二条城の二の丸御殿に匹敵する建物で、一大名の書院としては破格の規模と建築様式を供えたものだった。入母屋造り柿葺(こけらぶき)で面積は約739.3平方m、高さ約12.9mもある大きな建物で、中には部屋が8つある。復元後の大書院は隣接の資料館とともに有料で一般公開されており、屏風絵や篠山藩の出来事をパネル展示している。資料館では篠山城の模型や築城の様子、城下町の形成などをパネルや映像で紹介している。

(写真は 大書院・上段の間)


 
黒豆の里  放送 12月17日(火)
 丹波篠山と言えば「デカンショ節」とともに「黒豆」が有名。正月のおせち料理に欠かせない黒豆は「丹波黒」のブランド名で全国的にその名が知られている。昼間と夜間の温度差が大きい篠山盆地特有の気候と、粘土質の土壌が黒豆の栽培に適していた。この丹波の黒大豆は大粒でほんのり甘く、その黒い色つやは輝くように美しく「畑の肉」と呼ばれるほど栄養価も高い。
 黒豆の用途も煮豆だけでなく、最近はいろいろと工夫され、味噌や豆腐から黒豆茶、黒豆パン、黒豆ジュースなどの新商品が生まれている。白壁の民家や商家が軒を連ね城下町の面影を残している篠山市内の土産物店には、黒豆を使った商品が並べられている。レストランでは西洋風にアレンジされたパスタやコロッケ、フランス料理のフルコースにまで黒豆が登場する。

黒豆パン

(写真は 黒豆パン)

フランス料理 花の木

 丹波の黒豆の誕生には次のような伝説が伝えられている。昔、篠山市川北の大名主が病気で苦しんでいた旅の僧を助け、自宅で療養させていた。この年、田植え時期になっても一滴の雨も降らず村人は困り果てた。村人たちは「よそ者の坊主がいるからだ」と名主に談判した。坊さんは「名主を責めないでください。病も治ったので何か恩返しをしたい」と申し出た。村人のひとりが炒って黒くなった大豆を出し「この豆から芽を出してみろ」と言った。坊さんは大豆が発芽するよう願をかけて干上がった田を耕し、読経しながら炒り豆を植えて立ち去った。やがて豆は芽を出し、秋には普通の大豆ではなく黒くつやつやとした黒大豆が収穫された。
 江戸時代には篠山藩主が毎年、将軍に丹波の黒豆を献上し好評を得たとの話もある。今、この黒豆誕生の地に「黒豆の館」があり、黒豆の加工食品や黒豆など土地の食材をふんだんに使った料理をレストランで出している。

(写真は フランス料理 花の木)


 
丹波焼  放送 12月18日(水)
 丹波焼は平安時代初期の大同元年(806)に始ったと伝えられ、日本六古窯(丹波、瀬戸、常滑、信楽、備前、越前)のひとつでもある。丹波焼は窯が築かれた村の地名から立杭焼とも丹波立杭焼とも呼ばれている。篠山市と合併する以前の今田(こんだ)町は立杭焼で名をはせた焼物の里で、今も60軒ほどの窯元が軒を連ねている。
 丹波焼が始まった中世の穴窯(あながま)跡が、上立杭東方の三本峠周辺で10基近く発見された。その中で兵庫県の史跡に指定されている源兵衛山(げんべいやま)窯跡、三本峠窯跡が代表的な穴窯として知られている。穴窯を使用した丹波焼は江戸時代初期の慶長年間(1596〜1615)の作品を最後に姿を消す。その後の近世の丹波焼は、ロクロを使い釉薬(うわぐすり)を使用し、登窯で大量の作品を焼く方法に変わった。このように丹波焼の歴史は、1600年ごろを境に前半を穴窯時代、後半を登窯時代に分けている。

陶幸窯

(写真は 陶幸窯)

ガラスアトリエ 岡田

 丹波焼の特徴は灰や赤土部(あかどべ)と呼ばれる釉薬を器にかけ、素朴で野趣あふれる肌合いの湯のみ、皿、鉢、壺、花瓶などの生活用具を主に生み出している。その中でも酒や醤油を入れる徳利は、その品質、量ともに他の地域の窯には見られないものがある。
酒屋の号を記した字徳利や浮徳利、柑子口(かんすくち)徳利、蝋燭(ろうそく)徳利、傘(かさ)徳利などが代表的なものと言える。さらに釉薬や文様にも工夫が重ねられ、丹波焼の特徴を出して人気を高めた。最近ではこの丹波焼の陶芸の窯変技術がガラスの造形にも応用され、新しいガラス工芸作品が生み出されている。
 丹波焼の里・今田地区の丹波伝統工芸公園の中に「立杭・陶(すえ)の郷(さと)」があり、「古丹波」の名品の展示や現代の各窯元の作品を展示即売している。陶芸教室も開かれ、お気に入りのオリジナル丹波焼を作ることができる。篠山市街には「丹波古陶館」があり、丹波焼の創世期から江戸時代末期まで約700年間の代表的な作品を展示している。

(写真は ガラスアトリエ 岡田)


 
デカンショの酒  放送 12月19日(木)
 篠山は丹波杜氏のふるさとである。丹波は冬の気象条件の厳しい土地で江戸時代中期、裏作のできない農民たちは冬場の収入を求めて酒造りの出稼ぎをするようになった。これが丹波杜氏の始まりで、最盛期の明治時代には5000人もの杜氏や蔵人が、灘五郷をはじめ全国の酒蔵でおいしい酒造りにその技を発揮した。
 そんな丹波杜氏の活躍を伝えるのが、篠山市街地にある「丹波杜氏酒造記念館」である。
丹波杜氏の長年の勘やその創意工夫に頼っていた酒造りも近代化が進み、古くから使われてきた酒造りの道具類は姿を消しつつある。記念館にはこうした道具類が酒造工程に沿って展示されている。また丹波杜氏の酒造りの技を伝える資料なども展示され、全国の酒蔵で高く評価された丹波杜氏の技をふるさとの誇りにしてもらおうとしている。

鳳鳴酒造 ほろ酔い城下蔵

(写真は 鳳鳴酒造 ほろ酔い城下蔵)

音楽振動醸造酒 夢の扉

 こうした丹波杜氏を生んだ地元・篠山でも丹波ならではの酒造りが連綿と続いている。
その酒造りでハイテク時代にふさわしい独創的な手法とも言えるのが、江戸時代中期の寛政9年(1797)創業の老舗、鳳鳴酒造の仕込み蔵で取り入れられている音楽振動醸造。
 もろみを発酵させる樽の周囲に帯状にスピーカーをぐるりと取りつけ、ベートーベンやモーツアルトの交響曲、地元・篠山のデカンショ節を3〜4日流す。スピーカーを通じて細かい振動が樽に与えられ、もろみの発酵がうながされ通常より早く発酵すると杜氏さんは言う。特に腹に響くような低音の曲が発酵を促すのによいとか。この酒蔵では10年前からこの音楽振動醸造を行っているが、ベートーベンやデカンショ節を聞きながら生まれた酒は、サラッとした口当たりで二日酔いせず女性に人気があるそうだ。この酒造元では酒蔵の一部を開放した「ほろ酔い城下蔵」で酒造りの道具や醸造工程を展示したり、蔵の中の一部をイベント広場の「ほろ酔いホール」としてコンサートや寄席などを開いている。

(写真は 音楽振動醸造酒 夢の扉)


 
丹波の味処  放送 12月20日(金)
 丹波篠山は美味の宝庫と言える。味も香りも一級品と評価されている秋のマツタケをはじめ、全国ブランドの黒豆、明治維新までは京都御所に献上されていた大納言小豆、粒が大きく甘味が優れたクリ、きめ細かなヤマイモ、兵庫県下の40%の生産量を誇りすっきりした渋味が売り物の茶など、豊かな自然の中で育った山の幸、畑の幸があふれている。
 これらの丹波の特産品を提供する店や市場が篠山市内を通過する舞鶴自動車道のサービスエリアやインターチェンジ付近に目立つ。また、篠山市街地で城下町の雰囲気を伝える古い商家が残る河原町の土産店でもこれらの特産品が並べられている。

そば切り(そば処 一会庵)

(写真は そば切り(そば処 一会庵))

ぼたん鍋(いわや)

 食べ物にも工夫が凝らされている。自家栽培のそばを石臼でひいた自家製粉のそば粉を使った手作りのそばや自家栽培の丹波大納言小豆を使ったそばがきぜんざいなどを出すユニークな店もある。建物は茅ぶきの民家、食器は立杭焼の若手陶芸家のものを使っている。店の隣には野菜畑やそば畑が広がっており、責任の持てる自家製を売り物にしている。
 冬の丹波篠山の味覚といえばぼたん鍋をおいてほかにない。篠山の猪肉は煮込むほど柔らかくなるのが特徴と言われ、地元でとれた新鮮なシイタケ、野菜、黒豆豆腐などと一緒に味噌仕立てにした鍋は身も心も温めてくれる。篠山市内には多くのぼたん鍋料理店がある。こうしたぼたん鍋料理にも特徴を出そうとそれぞれの店がアイディアを凝らしている。
使用する水は山の湧き水、野菜やシイタケは自家栽培、もちろん黒豆豆腐、ヤマイモは地元産と言う店もある。

(写真は ぼたん鍋(いわや))


◇あ    し◇
篠山城跡・篠山城大書院JR福知山線篠山口駅からバス二階町下車徒歩5分。 
黒豆の館JR福知山線篠山口駅からバス上坂井下車徒歩5分。 
立杭陶の郷JR福知山線相野駅からバス立杭公会堂前車。 
丹波古陶館JR福知山線篠山口駅からバス本篠山下車徒歩3分。 
丹波杜氏酒造記念館JR福知山線篠山口駅からバス春日神社前下車
徒歩3分。
ほろ酔い城下蔵(鳳鳴酒造)JR福知山線篠山口駅からバス呉服町下車徒歩2分。 
◇問い合わせ先◇
篠山市役所商工観光課079−552−1111 
篠山城大書院079−552−4500 
黒豆の館079−590−8077
花の木(フランス料理)079−552−5100 
立杭陶の郷079−597−2034 
丹波古陶館079−552−2524 
ほろ酔い城下蔵079−552−6338
一会庵(そば処)079−552−1484 
いわや(ぼたん鍋)079−552−0702

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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