月〜金曜日 20時54分〜21時00分


落語「池田の猪買い」より 

 落語の「池田の猪買い」は上方落語特有の旅ネタと言われる噺(はなし)で、落語好きの人なら誰もが知っている筋書き。今回はこの落語の主人公が猪の肉を買いに大阪・丼池から池田(池田市)まで行く道中の噺に沿って旧跡などを探訪してみた。


 
丼池からお初天神(大阪市)  放送 12月17日(月)
銅座の跡 近代医学が進んおらず優れた薬もなかった時代には、民間療法とか食事療法などで病に対処していた。「池田の猪買い」の主人公はいたって気楽な男で、持病の“冷え気”に猪の肉を食べればよいと物知りの甚兵衛さんに教えてもらい、大阪・丼池から山深い池田までトコトコと歩いて行く。
 朝早く丼池を発った男は、北浜から淀屋橋、大江橋、蜆(しじみ)橋を渡りお初天神の前を通り、十三へと向かった。
(写真は 銅座の跡)

露天神社 淀屋橋、大江橋は大阪・中之島の御堂筋に現在も残っているが蜆橋はその姿がない。
現在の北新地の中ほどに堂島川から分流した蜆川と言う小さな川が流れていた。そこに架かっていた橋が蜆橋で今、蜆橋跡の石碑が建っている。
 近松門左衛門の「曾根崎心中」で一躍有名になったお初天神の本当の名称は「露天神社」。
曽根崎新地の遊女・お初と醤油屋の手代・徳兵衛が、元禄16年(1703)露天神社境内で心中した。近松がこれを題材に脚本を書き人形浄瑠璃として上演、大当たりした。ここから「お初天神」と呼ばれるようになった。
 社伝によると露天神社は当時、大阪湾に浮かぶ小島に祭られていた曽根の神だった。菅原道真が太宰府に左遷され赴任する途中、露天神社の近くにある太融寺へ参詣した際、道の露深いのを「露と散る 涙に袖は 朽ちにけり 都のことを 思ひ出ずれば」と詠んだ歌にちなみ道真公を祭り露天神社と称するようになった。
(写真は 露天神社)


 
十三の渡し(大阪市)  放送 12月18日(火)
十三大橋 落語の主人公はお初天神を過ぎ、さらに北へ進み淀川の十三の渡しに出る。現代は淀川には数多い橋や電車の鉄橋が架かっており、電車を利用すれば大阪から池田までは約20分ほどで行ける。徒歩で移動した昔は大阪〜池田間は旅と言える距離だった。明治11年(1878)に橋が架けられるまでの淀川は、渡し舟が唯一の交通機関。上流から13番目の渡しだったので十三の渡しと言われたとか……。この渡しは中山寺へ詣でる参詣者らでにぎわい、渡しの周辺には茶店も出ていた。
 落語の主人公も渡し舟に乗って淀川を渡り、現在の淀川区十三に足を踏み入れ、猪買いの旅もいよいよ佳境に入ってきた。
(写真は 十三大橋)

十三焼 十三と言えば昔から続いている十三名物のあん餅を焼いた十三焼がある。阪急十三駅西口前でこの十三焼を焼いているのが「今里屋久兵衛」。享保12年(1727)創業で、元は十三大橋の辺りの渡し場付近で商売をしていた。参勤交代の大名も休憩して食し、阪急電鉄の創業者・小林一三氏も時々立ち寄ったと言われている。
 米粉を練って作った皮にあんを包み蒸し上げ、鉄板で焼いたもので素朴な味が受けている。
餅の皮は何も入れない白色とヨモギの入れた緑色の2種類。焼きたてのホカホカがおいしいと思う人も多いが、冷ましてから食べると香ばしい十三焼の本当の味がするとも言われている。
現在、13代目と14代目を目指す母子で店を守っている。
(写真は 十三焼)


 
服部の天神さん(豊中)  放送 12月19日(水)
藤原朝臣魚名公の墓 淀川の十三の渡しを越え、さらに現在の三国橋付近の神崎川の三国の渡しを渡った落語の主人公の旅は豊中に入る。甚兵衛さんから「服部の天神さんと言うお宮さんをば横手に見て、岡町から池田じゃ」と教えられた通りに進む。豊中市内の能勢街道筋には往時をしのばせる古い町並みが残っている。江戸時代中期から末期にかけて旅籠(はたご)、料亭、茶店が軒を連ね、かなりのにぎわいを見せていたようだ。
 服部天神宮は医薬の神・少名彦命(すくなひこのみこと)祭った神社で「足の神様」としても知られている。この付近は大陸から渡来した機織(はたおり)の秦氏一族・機織部(はたおりべ)が住んでいたことから、服部の地名が生まれた。秦氏は医薬の祖神・少名彦命を祭り尊崇していた。
(写真は 藤原朝臣魚名公の墓)

絵馬 太宰府に左遷された菅原道真が太宰府に赴く途中、このあたりで持病の脚気に悩まされ、足がむくみ歩くことができなくなった。村人に勧められて医薬の神に祈願したところ、足の痛みやむくみも治り無事太宰府に着任することができた。菅原道真没後、天神信仰が全国的に盛んになり、医薬の神・少名彦命に合わせて道真の霊を祭り服部天神宮と称するようになった。その後、足の病を治してくれる神として全国的に知れ渡り、足が命の歌舞伎役者やサッカー、野球、陸上競技の選手らの参拝が多い。
 参詣が盛んだった江戸時代中期から末期にかけて、旅籠に泊まり込んで祈願する信者が多かった。神社にはその証と言える草履(ぞうり)を形取った古い絵馬などが残っている。
境内の草鞋(わらじ)堂には病気回復のお礼に奉納された草鞋が山のように積まれている。
(写真は 絵馬)


 
能勢街道・五月山(池田市)  放送 12月20日(木)
五月ヶ丘古墳 豊中を過ぎた落語の主人公は、いよいよ目的地の池田に入る。野良仕事をするお百姓さんの姿が見える野良に、綿をちぎって投げるような雪がチラー、チラー。「おっうっ、わおさぶ。池田ちゅうとこは寒いとこやとはきいてたけどなあ、こないいっぺんに寒うなるとは思わなんだ…」と男は嘆く。
 今は大阪のベッドタウンとなり、このようなのどかな田園風景はない。気温も大阪とそれほど変わらない。それでもあちこちに昔をしのばせるものが多い。第一、池田市の西部を能勢街道沿いに流れる川が猪名川。落語の猪買いにピッタリと言う感じだ。
(写真は 五月ヶ丘古墳)

池田炭(蔵田燃料店) 市民の憩いの場になっている五月山公園の五月山に登れば池田市街地が一望できる。
落語の猪撃ちのモデルになった山はこんなものではなかったであろう。
 古くから池田の特産品だったのが池田炭。炭の切り口が菊の花のようだったことから「菊炭」とも呼ばれている。豊臣秀吉が池田の寺で茶会を催した時にこの池田炭を使ったとの記録があった。また、当時は宮中での御茶用として池田炭を朝廷へ献上していた。火力が強く、香りが優れており茶の湯には最高の炭と言われている。炭の材料になるのはクヌギ。
池田炭は現在もわずかに生産されており、池田市内の燃料店には素晴らしい池田炭が並んでいる。しかし、生産者の高齢化と後継者不足でいつまで続くか心配されている。
(写真は 池田炭(蔵田燃料店))


 
猪鍋(池田市)  放送 12月21日(金)
五月山から猪名川を望む 目的地の池田に到着した落語の主人公は、猪撃ちの名人と言われている山猟師の六大夫さんを訪ねる。冷え気には新しい猪肉がよいと甚兵衛さんに言われていたので、雪の降る中を六大夫さんを無理やり引っ張り出して山へ猪撃ちに向かう。
 当時は人家からそれほど遠くない山でも猪が出没したのであろうか。現在は山奥まで開発が進み猪も住みにくくなったのか、あるいは残飯などのえさが豊富にあるせいか、猪が住宅街まで出没するようになり、人間が襲われるなどの被害も出ている所がある。
(写真は 五月山から猪名川を望む)

三浦牧場の猪 池田市の奥、能勢方面まで足を運べば、生け捕りにした猪をボタン鍋用に飼育している猪牧場がある。落語の主人公は、六大夫さんが仕留めた猪をすぐにネギと醤油、砂糖で煮て食うつもりだが、今は池田市内でも猪鍋を提供する料理旅館や料理屋がある。大きな皿にスライスして盛られたし猪肉は、大輪のボタンがパット咲いたように美しい。ここからボタン鍋の名称が生まれた。ボタン鍋の本場は丹波篠山から三田、能勢方面と言われており、雪がちらつく季節になるとグルメたちがボタン鍋の味に引き寄せられて訪れる。
歴史街道の旅人も、池田市内の料理旅館で見事なボタン鍋を賞味して満足したようだった。
(写真は 三浦牧場の猪)


◇あ    し◇
露天神(お初天神)JR大阪駅、阪急電鉄、阪神電鉄梅田駅下車 徒歩5分。
今里屋久兵衛(十三焼)阪急電鉄十三駅下車。
服部天神宮阪急電鉄宝塚線服部駅下車。
五月山公園阪急電鉄宝塚線池田駅下車 徒歩10分。
蔵田燃料店阪急電鉄宝塚線池田駅下車 徒歩5分。
不死王閣(ボタン鍋)阪急電鉄宝塚線服部駅からバス伏尾下車。
◇問い合わせ先◇
大阪観光協会06−6635−3110 
露天神(お初天神)06−6311−0895 
今里屋久兵衛(十三焼)06−6301−0198 
服部天神宮06−6862−5022 
池田市立歴史民俗資料館0727−51−3019 
蔵田燃料店0727−51ー3998 
不死王閣(ボタン鍋)0727−51ー3540 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

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  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
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