月〜金曜日 21時48分〜21時54分


京都・丹波路 

 京都からJR山陰線や山陰街道沿いの丹波路は、のどかな田園風景と由良川、大堰川の流れ、緑の山並みが続く豊かな自然が残る山村地帯。街道筋には宿場町の名残があり、民俗芸能や史跡なども多く残っている。


 
和知人形浄瑠璃(和知町)  放送 12月18日(月)
和知之楽発祥の地 和知町は京都府のほぼ中央に位置し、町域の90%以上が標高500〜600mの山地で占められている。この静かな山村に「和知人形浄瑠璃」「和知太鼓」「文七おどり」「小畑万歳」「田楽踊り」「天狗飛び」などの民俗芸能が継承され「民俗芸能の里」として知られている。その中でも和知人形浄瑠璃は伝統芸能として高く評価され、町民も和知民芸保存会を作り物心両面から人形浄瑠璃を支援、わが町自慢の民俗芸能を21世紀へ伝えようと努めている。
 和知人形浄瑠璃は毎月1回、第4土曜日に町内の伝統芸能常設館(道路情報センター内)で公演されている。入場料は300円で予約は教育委員会又は伝統芸能常設館。次回は1月27日。和知太鼓、小畑万歳も年4回ほど人形浄瑠璃の公演日に上演されている。
(写真は 和知之楽発祥の地)

人形の頭(天狗屋久吉作) 和知人形浄瑠璃は江戸時代末期に和知町大迫で起こったと伝えられている。当時は小型で粗末な張りぼて人形を操って、農閑期に楽しんでいたようだ。昭和時代初めに有志が集まって人形浄瑠璃を盛んにし、人形も本格的なものを取りそろえた。招きがあれば町外ヘも上演に出かけるようになった。
 戦後の昭和29年(1954)、現在使用している人形の頭(かしら)の大部分を購入した。約50個の頭の中には、頭作りの名工と言われた阿波の「天狗屋久吉(天狗久)」の作もあると言う。
 和知人形浄瑠璃は一人で人形を操るのが特徴で、素人が演ずる一人遣いの人形浄瑠璃としては数少ないもので、京都府無形文化財に指定されている。人形遣いの12、3人、数人づつの義太夫語り、三味線演奏者らはすべて和知町民で、仕事の合間に公演のための稽古を重ねると共に若い後継者を育成して後世への伝承に務めている。また、毎年、淡路島で開かれる全国人形芝居サミットに出演、PRにも力を入れている。
(写真は 人形の頭(天狗屋久吉作))


 
かやぶき音楽堂(日吉町)  放送 12月19日(火)
スプリングひよし 日吉町は標高500m前後の丹波高原にある町。町内の胡麻高原が分水嶺で西の由良川へそそいだ水は日本海へ、東は大堰川(保津川)へそそぎ桂川を経て淀川へ。 また、京都府の中央にあることから“京都のヘソ”を任じている。
 山の緑、きれいな水が流れる川、澄んだ空気が満喫でき、のどかな農村地帯のあちこちに茅ぶき屋根の家屋が点在している。その1軒の茅ぶき屋根の建物が世界的なピアノニストの演奏が聴ける「かやぶき音楽堂」。また、町はずれの日吉ダムのそばには、温水プールや温泉などが整ったレジャー施設「スプリングスひよし」があり、自然の中での心身のリフレッシュができる。
(写真は スプリングひよし)

かやぶき音楽堂 かやぶき音楽堂は日吉町に住むようになったドイツの音楽家・エルンスト・F・ザイラーさんの所有で、250人が入場できる。毎年春と秋にそれぞれ5日間ぐらい、ザイラーさんのピアノコンサートが開かれ、コンサートでは夫人のカズコ・M・ザイラーさんとの連弾演奏がある。この茅ぶきの建物は、元はお寺だったそうでコンサートでは座布団に座って聴く。
 ザイラーさんはドイツ・ミュンヘン生まれで世界各国の音楽大学などで、ピアノ教授として若手ピアニストの養成に努めている。カズコ夫人は京都市生まれでザイラー氏とともに世界各地で活躍中。日本滞在中は主に京都市に住み、日吉町に住むようになって25年になる。日吉町では泥田に入り田植も体験している。ピアノを弾くには日吉町の音楽堂が最適で練習に熱中できるそうだ。なお、かやぶき音楽堂はコンサート開催日以外は入場できない。
(写真は かやぶき音楽堂)


 
旧須知(しゅうち)小学校(丹波町)  放送 12月20日(水)
須知の町並み 丹波町は丹波高原のほぼ中央にあり、標高500〜600mの山に取り囲まれている。江戸時代は山陰街道の宿場町として栄え、須知には本陣、脇本陣があり、旅篭(はたご)や商家が建ち並んでいた。鉄道が町外に開通してからにぎわいはなくなったが、その後、町内を国道9号が通過、京都縦貫自動車道のインターチェンジができるなど交通の要所となった。今も旧山陰街道沿いには宿場町の面影を残す古い町並が残っている。
 宿場町の近くの須知小学校は、2000年3月まで、児童たちのはつらつとした姿が見られ、元気な声が聞こえた。だが、町内の高原小学校に統合され3月に閉校となった。
現在は、児童たちのいない校庭に歴史を刻んだ校舎だけが静かにたたずんでいる。
(写真は 須知の町並み)

旧須知小学校 須知小学校の前身は明治5年(1872)、この地方で最初に創立された学校で130年近い歴史を持つ小学校だった。校舎は明治以来、何度も建て替えられたが、現在の校舎は昭和8年(1933)から昭和10年(1935)にかけて建てられたもので65年の歴史がある。
 建築後、改修が行われているが全体的に保存状態はよく、外観や外壁、デザインなどは昭和初期の小学校建築の典型的な様式をよく伝えており、風雪に耐え歴史を刻んだ風格が備わっている。
 丹波町は閉校後の校舎の処置をまだ決めていないが、須知小学校の卒業生にとっては思いでの学舎でもあり、ふるさとの建築物遺産として保存、活用する方法を検討して欲しいとの声が出ている。
(写真は 旧須知小学校)


 
京都帝釈天(八木町)  放送 12月21日(木)
絵馬(天保三年奉納) 八木町は古代の地方豪族の古墳が多く、有力な荘園が発達した町。八木町北西にある京都帝釈天は、本堂へ向かう700mの参道に数珠のように連なる108個の「願いの鐘」が並んでいる。澄み切った自然の空気に包まれた中で、108の鐘ひとつひとつに願いを込めて打ち鳴らすと、その響きは山々にこだましながら願いが届くと言われ、参詣者は鐘を打ち鳴らしながら本堂へと登って行く。
 大みそかの夜には鐘の下に灯明がともされ、除夜の鐘として自分の手で108つの鐘が打ち鳴らせる。108つの除夜の鐘をひとりで打ち鳴らせられるのは、全国でも京都帝釈天だけではなかろうか。大みそかの夜にはこの願いの鐘を打ち鳴らそうと順番待ちの長い列ができる。願いの鐘108を打ち鳴らしながら本堂にたどり着き、最後に大きな梵鐘をついて除夜の鐘の締めくくりとなる。
(写真は 絵馬(天保三年奉納))

多聞天(毘沙門天)立像 京都帝釈天は宝亀11年(780)和気清麻呂が草創したと言われ、1220年の由緒ある古刹。現在の建物は江戸時代初期の貞享4年(1688)に再建されたもので、本堂内須弥壇上には本尊・帝釈天立像が安置され、脇侍(きょうじ)として増長天立像、多聞天(毘沙門天)立像が立っている。本尊は30〜40年に一度しか開帳されず、最近は平成4年(1992)に扉が開かれ拝観できたので、次の機会はかなり先になる。
 難病に霊験があるとして知られ、交通安全の神としても信仰され参詣者が多い。また、帝釈天を庚申(かのえさる)の日にまつったことから「庚申(こうしん)さん」として親しまれ、本堂前にはサルの木像が置かれている。
(写真は 多聞天(毘沙門天)立像)


 
湯の花温泉(亀岡市)  放送 12月22日(金)
明智光秀首塚(谷性寺) 亀岡市は明治になるまで丹波亀山と呼ばれ、戦国時代に明智光秀が亀山城を築いた城下町。江戸時代は5万石亀山藩として明治維新まで続いた。明治2年(1869)、三重・亀山との混同を避けるため亀岡と改称した。
 天正10年(1582)明智光秀が、本能寺で織田信長を倒す決意をした時、亀山城下の谷性寺の不動明王に「一殺多生の降魔の剣を授け給え」と祈願し、願い通りに本懐を遂げた。その後、羽柴秀吉軍に敗れて坂本城に向かう途中、農民に襲われ自刃して没した。光秀の首は谷性寺に葬られ「光秀首塚」として残っており、別名“光秀寺”とも呼ばれている。光秀は反逆の武将として非難されてきたが、亀山では善政を敷き、死後も名君として尊敬されていた。今も亀岡発展の基礎を築いた人物として市民の信望は高い。
(写真は 明智光秀首塚(谷性寺))

ぼたん鍋 戦国時代から武士たちが傷の湯治に利用したのが、閑静な山あいにある湯の花温泉。昭和30年代に市が本格的に開発に取り組み、京、大阪から近い自然あふれる温泉地として温泉客でにぎわうようになった。近くには古社寺や史跡なども多く、散歩がてらの文化財巡りもできる。また、春は山菜、夏はアユ、秋はマツタケ、冬はボタン鍋と四季折々の自然の味覚が食卓にのぼり、グルメ客も満足のようだ。これからの冬場は、地酒とボタン鍋で身も心も温まる季節。
(写真は ぼたん鍋)


◇あ    し◇
伝統芸能常設館JR山陰線和知駅から町営バス坂原下車。 
かやぶき音楽堂JR山陰線胡麻駅から徒歩15分。 
スプリングスひよしJR山陰線日吉駅から町営バススプリングスひよし下車。
旧須知小学校、旧山陰街道宿場町 JR山陰線園部駅からバス須知下車。
京都帝釈天JR山陰線八木駅からタクシー8分。  
谷性寺JR山陰線亀岡駅からバス猪倉下車徒歩5分。 
湯の花温泉JR山陰線亀岡駅からバス中湯の花下。 
◇問い合わせ先◇
和知町役場産業振興課0771−84−2207 
和知町教育委員会(人形浄瑠璃) 0771−84ー0028
伝統芸能常設館0771−84−1522 
日吉町役場観光係0771−72−1162 
かやぶき音楽堂(テレホンサービス) 075−781−9003
スプリングスひよし0771−72−1526 
丹波町役場0771−82−0200 
八木町役場0771−42−2300 
京都帝釈天0771−42−3315 
亀岡市観光協会0771−25−5034 
谷性寺(光秀寺)0771−26−2054 
湯の花温泉観光旅館協同組合0771−22−5645

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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    歴史街道倶楽部では、関西各地の様々な情報のご提供や、ウォーキング、歴史講演会など楽しいイベントを企画しています。
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          郵便番号 530−6691
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                  「テレホンサービス係」
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   歴史街道倶楽部の概要を解説したパンフレットと申込み用紙をご送付いたします。
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歴史街道推進協議会