月〜金曜日 20時54分〜21時00分


奈良・京の名鐘 

 21世紀幕開けの2001年は米国での同時多発テロ事件、日本国内ではかつてない不況が続く多事多難な年だった。日本では108の煩悩を払う除夜の鐘で1年が締めくくられ、新しい年を迎える。心地よい鐘の音は心身をリラックスさせ、ストレスを癒す効果があることが心理学、精神医学的にも証明されている。こんな除夜の鐘に「来年こそは希望の持てる年に」と願いを込める人も多いことだろう。今回は奈良と京都の屈指の名刹の名鐘を訪ねてみた。


 
東大寺(奈良市)  放送 12月24日(月)
大鐘(奈良時代・国宝) 東大寺の大仏殿は木造建築としては世界最大、安置されている大仏も世界最大級。この東大寺で大仏の大鐘として知られる国宝の梵鐘は総高3.86m、口径2.71m、重量は26.3トンで慶長末年以前の現存のものでは日本一の大きさ。すべてがビッグな東大寺の大鐘が響く除夜の鐘で、今年の凶事を吹き払い、新しい年は大きな幸せが到来することを願う人が多いだろう。
 東大寺の大鐘は俗に奈良太郎とも呼ばれ、大仏の鋳造を終えた天平勝宝4年(752)に鋳造され、大仏開眼会の前日4月8日に鐘楼にかけられたと言い、今も変わらぬ天平の音色を響かせている。
(写真は 大鐘(奈良時代・国宝))

鐘楼(奈良時代・国宝) 東大寺を建立した聖武天皇は全国に国分寺を建立し、その総本山として巨大な大仏と大仏殿を建立した。巨大な寺院、仏像を造り、仏教を通じて国家の統制をより強固なものにしようとしたのであろう。
 大仏の大鐘が吊り下げられている鐘楼(国宝)は、第2代の東大寺大勧進職となった栄西が建永元年から承元4年(1206−10)ごろ再建したもので、最初の鐘楼は永祚元年(989)の台風で倒壊している。また、梵鐘も鐘楼の倒壊や地震などで鐘が落下するなどの災難に何度もあっている。
 大仏の大鐘をつく撞木(しゅもく)はケヤキ造りで長さ4.48m、直径30cm、この撞木が鐘にあたる所の撞座(つきざ)は直径50cmもある。だが、東大寺ではこの鐘をつく時は撞座の下をついている。不思議に思う人もいることだろう。これにはいろいろ伝説がある。鎌倉時代の力持ちの武将・朝比奈三郎がこの鐘をついたところ、三日三晩鳴りやまなかったので、その後、撞座の下をつくようになったと言う説や、国宝に指定されてから撞座の模様に傷がつかないように撞座の下をつくようになったとか…。
(写真は 鐘楼(奈良時代・国宝))


 
新薬師寺(奈良市)  放送 12月25日(火)
鐘楼(鎌倉時代・重文) 聖武天皇の眼病平癒を祈願して天平19年(747)光明皇后が創建したと伝えられている新薬師寺は、七堂伽藍が建ち並ぶ大きな寺だった。この寺の鐘(国・重文)は元は元興寺にあったもので、鐘の周囲には無数のすり傷がついている。
 この傷については面白い伝説がある。敏達天皇の御代(572〜585)、元興寺の鐘楼に毎夜鬼が出て人々を悩ませた。元興寺で修行中だった大力の小僧(後の道場法師)が鬼を退治しようと鐘楼の上で待ち受けていたところ、夜中に鬼が現れて大格闘となった。大力の小僧にかなわぬとみて鬼は逃げ去ったが、格闘の時に鬼の爪痕が鐘についたものだと言う。この鐘が吊り下げられている鐘楼(鎌倉時代・国・重文)には、弘安2年(1279)の棟札があり、珍しい漆喰塗りの袴腰がついている。
(写真は 鐘楼(鎌倉時代・重文))

伐折羅大将(奈良時代・国宝) 新薬師寺は大和では屈指の国宝を有する寺院で、創建当時の唯一の建物として残っている本堂(国宝)は、奈良時代の入母屋建築の生粋で、元は食堂であったと言われている。
 この本堂に安置されている本尊の薬師如来座像(国宝)は平安時代初期の代表作で、大きく見開いた切れ長の目は眼病平癒信仰の本尊にふさわしい仏像と言える。この本尊を円形に取り巻く塑像の守護神・十二神将像(奈良時代・国宝)は、わが国最古の十二支守護神として知られている。中でも伐折羅(ばさら)大将像は勇壮で動的な傑作とされており、500円郵便切手の図柄にも採用されている。
 大晦日の夜、奈良市街地に多くの寺院の鐘の音が鳴り響くが、奈良時代の鐘の音を響かせるのは東大寺と新薬師寺の鐘と言える。
(写真は 伐折羅大将(奈良時代・国宝))


 
妙心寺(京都市)  放送 12月26日(水)
妙心寺鐘(奈良時代・国宝) 日本に数ある名鐘の中でも随一とされるのが臨済宗妙心寺の国宝・黄鐘(おうじき)調の鐘である。兼好法師は徒然草に「およそ鐘の声は黄鐘調なるべし…。浄金剛院の鐘の声また黄鐘調なり」と記している。黄鐘調とは雅楽十二律の黄鐘に合うところから名づけられ、その音色は鐘の音の理想とされている。
 この鐘は、1300年前の文武天皇2年(698)現在の福岡県の糟屋で鋳造されたことが記されており、記年銘のあるものとして日本最古の鐘。今は廃寺となっている京都・嵯峨の浄金剛院に伝わっていたものと言われ、細身の秀麗な姿、流麗な唐草文様など日本三大名鐘に恥じない形をしている。撞座(つきざ)は12弁の蓮華形でその位置が高い所にあるのは古式の鐘の特徴。
(写真は 妙心寺鐘(奈良時代・国宝))

開山忌除夜大鐘打方図 寺院では修行や学習、食事などの時刻を告げるのに鐘や鳴り物を使う。黄鐘調の音色でその役目を果たし続けてきたこの名鐘は、昭和49年(1974)現役の役目を終え、保存のため法堂内に収蔵された。鐘楼には複製の鐘が代役を務めている。この複製の鐘も黄鐘調に近い音色を出すべく製作されており、大晦日には洛西にその音色を響かせることであろう。
 臨済宗妙心寺派の大本山妙心寺は、南北朝時代の建武4年(1337)、禅宗に深く帰依していた花園法皇がこの地にあった離宮を寄進して禅寺にし、大徳寺を開いた大灯国師の弟子・関山慧玄(かんざんえげん)を美濃国から招いて開いたのが始まり。開山以来、花園法皇の「報恩謝徳 興隆仏法」の志を今日まで伝える禅宗寺院として信仰されている。
慧玄は形式的な読経や規則にとらわれず、伽藍(がらん)の整備より学問、人材の育成に力を注ぎ、その指導は非常に厳しいものだったと伝えられている。
(写真は 開山忌除夜大鐘打方図)


 
知恩院(京都市)  放送 12月27日(木)
大鐘楼(江戸時代・重文) 大晦日から元旦にかけて日本中で鳴り響く除夜の鐘の中で、最も人々に知られる代表的なのが知恩院の大鐘である。寛永13年(1636)知恩院第32世霊巖(れいがん)上人の発願で鋳造されたこの大鐘は、高さ3.3m、口径2.7m、重さ70トン。鐘には開祖・法然上人の教え専修念仏の「南無阿弥陀仏」6文字が記されている。この大鐘をつくヒノキ造りの撞木(しゅもく)は、長さ4m、太さ45cm、親綱1本、小綱16本でつく。親綱を持つ僧の合図で「エーイ、ヒトーツ、ソーレッ」と17人の僧たちが息を合わせて鐘をつくのはなかなか難しく、毎年12月27日の試しつきの模様は暮れの京の風物詩となっている。
 知恩院の除夜の鐘は31日午後11時30分から元日午前2時までつかれる。除夜の鐘を聞きながら行く年振り返り、来る年に願いをかける参詣者のために、31日午後10時30分から三門わきの女人坂門を開門し、交通規制をしながら順番に参詣者を鐘楼へと導く。
(写真は 大鐘楼(江戸時代・重文))

大鐘(江戸時代) 鐘の最上部にある鐘を吊るす環を竜頭(りゅうず)と言う。知恩院の大鐘の竜頭は何度造ってもこの大鐘の重さに耐えきれず鐘を吊るすことができなかった。ある日、知恩院に参詣に来た刀匠の正宗、村正兄弟がこのこと聞き、2人が精魂込め力を合わせて鋳造した竜頭で、やっとこの大鐘を吊るすことができたとの伝えがある。
 知恩院の地は浄土宗の開祖・法然上人が草庵を結び浄土専修念仏を初めて布教した所。
法然上人は平安時代末期の長承2年(1133)美作国で生まれた。15歳で比叡山に登って修行、18歳の時、法然房源空となり「智恵第一の法然房」言われた。貴族のための仏教に不満を持ち比叡山を下り、ひたすら念仏を唱えることで救われると説く専修念仏の浄土宗を開いた。様々な弾圧を受けながらも、民衆救済に力をそそぎ80歳の生涯を知恩院のあるこの地で閉じた。遺骨は境内の御廟に眠っている。
(写真は 大鐘(江戸時代))


◇あ    し◇
東大寺近鉄奈良線奈良駅、JR関西線奈良駅から
 市内循環バス大仏殿・春日大社前下車。
近鉄奈良線奈良駅下車 徒歩15分。
JR関西線奈良駅下車  歩20分。
新薬師寺近鉄奈良線奈良駅、JR関西線奈良駅から
 市内循環バス破石町下車 徒歩10分。
妙心寺JR花園駅下車 徒歩10分。
京福電鉄妙心寺駅下車 徒歩5分。
JR京都、京阪電鉄三条駅、阪急電鉄烏丸駅、地下鉄四条駅から
 JRバス、京都市バス、京都バスで妙心寺前下車。 
知恩院京都市バス知恩院前下車。
阪急電鉄河原町駅、京阪電鉄四条駅下車 徒歩20分。 
◇問い合わせ先◇
東大寺0742−22−5511 
新薬師寺0742−22−3736 
妙心寺075−461−5226 
知恩院075−531−2111 

◆歴史街道とは

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