月〜金曜日 21時54分〜22時00分


 大津は琵琶湖の湖上交通を一手に引き受ける交通の要衝であったが、多くの文化財を抱える社寺も多い。中でも三井寺、日吉大社、延暦寺は特別に大きな社寺で、日本の歴史に果たした役割も無視できないものがある。
 日吉神社は末社が全国で3800社あるといわれるが、その総本社である日吉大社は、頂上に三角を2分割したようなもの(山の字を伏せたものといわれる)を乗せた山王鳥居(さんのうとりい)で親しまれている。日吉神社は比叡山延暦寺が最澄によって785年に開かれたた当時から、その鎮守になっていたようである。
 比叡山延暦寺と一体となった日吉神社は、延暦寺の領地や荘園には必ず祀られるようになったので、全国に広がったのも頷ける。
 坂本の比叡山麓に鎮座する日吉大社の境内は、深山幽谷の
趣を呈し、春の新緑、秋の紅葉とまことに優れた景観を見せてくれる。背後の牛尾山に原始の信仰形態を残し、門前町や里坊のたたずまいまいもしっとりとして、愛すべき地区である。


 
日吉大社 放送日 12月27日(月)
日吉大社の山王神輿 日吉神社は坂本の地の地主神として崇められていた。形のよい三角錐型の牛尾山(八王子山、小比叡峰)頂上近くに今もある、磐境(いわさか)に取り巻かれた牛尾宮と三宮(さんぐう)が日吉信仰の原始形態を残している。この神社は5世紀頃には出来上がっていたようで、麓には横穴古墳が散在する。
 最澄は東大寺で修行して戒を受けたがそれに満足できず、19歳で比叡の山の虚空蔵尾の小堂に篭って、修行を始めたのは延暦4年(785年)のことであった。788年に最澄はこの小堂を一乗止観院と名ずけた。これは後日、最澄が唐より帰国した805年に根本中堂(1640年、国宝)と改められ、大きく発展して行く。823年には寺の名を延暦寺と改めた。年号を寺名にする嚆矢である。
 延暦寺の発展につれて寺領も大きくなり、寺領には延暦寺の鎮守として日吉神社が分祀されたので、全国に日吉神社(山王さん)が広まっていった。日吉大社は全国で3800余もあったという末社の総本宮として君臨し、寺領内の人民の精神的支柱の役割を果たしたと思われる。
 坂本の山麓に鎮座する日吉大社は入り口に流れる大宮川にかかる二宮橋、走井橋、大宮橋の三つの石橋が重文で、秀吉寄進と伝える。これらの石橋は、木造の架橋法をそのまま豪快な石に置き換えた造りで、江戸後期に各地で造られた西洋式石橋の技術が未だなかった時代の遺構である。
 
 

東本宮の拝殿(左)と本殿(右) 境内西奥の、回廊を回らした一郭の中央に、棟木に猿の彫刻を施した楼門(重文)がある。ここから入ると、西本宮の拝殿(重文)と本殿(桃山時代1586年、国宝)があり、本殿の造りは前から見ると入母屋造りになっているが後ろから見ると左右の屋根を別につけた「すがる破風」形の屋根で、聖帝造り(しようたいづくり・日吉造り)といわれている。祭神は近江朝の時に大和の三輪より招かれたといわれる勧請神で、大巳貴(おおなむち)神である。
 西本宮を出ると宇佐宮本殿(重文)と拝殿がある。さらに東側に白山比咋(しらやまひめ)神社本殿(桃山時代1598年、重文)が並び、つづいて比叡山僧徒の強訴に使われたことで有名な、山王神輿(江戸時代、重文)が保管されている、神輿庫がある。これらの神輿は、信長の兵火に焼けた後のもので、金銅装できらびやかな装いをこらした江戸時代のものである。山王七社といわれる日吉の各神社の神輿が豪華な様相を呈して7基揃ったところは見ものである。
 ここから東寄りの道を北に入ると日吉神社信仰の起こりである牛尾山に至る。牛尾山(八王子山、小比叡)は三角錐型の甘南備山で、農耕の始まった時代の地主神を祀る、降雨祈願の山である。山頂近くまで登ると、磐境(いわさか)があって、其の前に牛尾神社の本・拝殿と三宮神社の本・拝殿がある。共に重文である。これらの神は後世に麓に移され、牛尾社は東本宮に、三宮社は樹下神社になったといわれている。
 山を下りて東方向に行くと回廊に囲まれ、楼門を備えた東本宮の一郭がある。中に入ると左手に樹下神社(牛尾山の三宮社を里に移したもの。桃山時代1595年、重文)があり、右手に本殿(桃山時代1595年、国宝)、が鎮座する。西本殿と同じ聖帝造りで,元からの地主神で、背後の牛尾山に祀っているのを麓に迎えたものものである。拝殿は重文となっている。


 
大戸開き・日吉東照宮 放送日 12月28日(火)
西本宮楼門四隅の棟木の神猿 大戸開きとは年初に神社の扉を開けることを云い、元旦の早朝に日吉神社の禰宜が牛の舌餅を供えながら、山王7社を次々に詣でて行く。本殿の内陣を開いて蝋燭に火をつけ、御簾をあげる。鉦を鳴らし鰐口を叩いて祝詞を唱える。現在は拝殿で片山社中が能を奉納する慣わしになっている。
 西本宮では直面(ひためん)で神歌を謡い、東本宮では四海波を舞う。猿楽の発祥にも関係があるとされている。 
 
 

日吉東照宮の斗拱 現在は日吉神社の末社となっている日吉東照宮(江戸時代初期、1634年、重文)は、信長に焼かれた日吉大社の復興に功績のあった、家康のブレーン天海僧正によって建てられ、徳川家康と日吉大神、豊臣秀吉を祀っている。
 日光の東照宮よりも1年早く建てられたが、軒下の斗拱や柱などを黒漆や極彩色や彫刻で飾った点は似ているので、日光の雛型をここで造ったのだと云われている。銅板葺きで拝殿と本殿をつないだ権現造りになっている。


 
延暦寺・新年への灯り 放送日 12月29日(水)
延暦寺の根本中堂 比叡山延暦寺、東塔の根本中堂(1642年、国宝)は最澄が創建した最古の一乗止観院以来の伝統を持ち、銅板葺きの大きな建物で、内陣が一段低い土間になっており、最澄が刻んだと伝えられる薬師如来が祀られている。 
 

根本中堂内陣の不滅の法灯 この前に三基の法灯が創建以来1200年間、絶えることなく灯し続けられている。この不滅の法灯は仏法の光が後々の世にまで届くようにとの最澄の願いを表し、光を送り続けている。


 
延暦寺・越年の思い 放送日 12月30日(木)
鬼追いの赤鬼 延暦寺では年末の大晦日から新年の1月3日まで修正会の「鬼追い」と、それに続く儀式で国家鎮護、天下泰平を祈願する。これは奈良時代の768年に大極殿で行なわれた正月の御斎会(ごさいえ)に起源をもつといわれる。大晦日の夜、根本中堂では護摩が焚かれ、梵唄が流れる中、僧が薬師如来の真言を唱え、ほら貝、錫杖、鰐口が一斉に鳴らされると、内陣の中の宮殿背後から鬼が追われて出てくる。
 

坂本の老舗鶴喜そばのそば打ち 鬼は中堂から中庭へ逃げ、打棒師と呼ばれる役僧が追う。こうして災いを追い払い、福を招く仕草が見物人の前で演じられる。鬼は人間の煩悩を表していると云われ、僧の読経によってこれが追い払われることを象徴する行事である。
 僧によって額に押してもらう牛王宝印は厄除けのお守りと云われている。
 麓の町坂本には、創業250年のそばの老舗、「鶴喜そば」があり、この「そば」で年越しを祝う人々が多い。この店の味は日本一という説もあるくらいで、歴代延暦寺の僧に愛され、明治帝にも喜ばれたという。店の建物は唐破風を2階正面に乗せたもので、文化庁の登録文化財になっている。


 
放送休止 放送日 12月31日(金)
12月31日の歴史街道は年末の特別番組のため、放送は休止しました。


あ   し


 日吉大社へはJR比叡坂本駅より西方へ徒歩15分、または京阪坂本線坂本下車、西方へ徒歩7分
 日吉東照宮へはJR比叡坂本駅より西方へ15分、日吉大社から徒歩5分慈眼堂へは日吉大社から南へ徒歩5分
 比叡山・延暦寺はは、坂本日吉大社から徒歩7分の坂本ケーブルで坂本から延暦寺駅まで行き、下車後徒歩5分、または八瀬遊園からケーブルで比叡山上まで行き、徒歩10分
見どころ
 坂本地区
   日吉大社(東本宮、西本宮、樹下神社、牛尾神社、日吉三石橋、)
   延暦寺里坊、滋賀院門跡、日吉東照宮、慈眼堂、慈眼堂庭内の鵜川四十八体仏、穴太積   石垣、鶴喜そばの老舗建物、生源寺(伝教大師誕生地)
   西教寺、安楽律院、聖衆来迎寺
 比叡山上
   延暦寺東塔{根本中堂(江戸時代、国宝)戒壇院(重文)、大講堂(重文)宝物館}、西塔{釈   迦堂(転宝輪堂、鎌倉時代末、重文)、にない堂(重文)、相輪とう(1895年改修)、弥勒石   仏:鎌倉初)}
  瑠璃堂(重文)、玉体杉(皇居遥拝所)
  横川(よかわ)の中堂
 
   
   
味・土産


 鶴喜そば、そばまんじゅう、そば茶


問い合わせ先


 大津市観光物産課             0775−23−1234
 日吉大社                   0775−78−0009
 比叡山延暦寺                0775−78−0001
 本家 鶴喜そば               0775−78−0002
 生源寺                    0775−78−0205
 日吉東照宮                 0775−78−0317
 旧竹林院(日吉大社前)          0775−78−0955
 西教寺                    0775−78−0013


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 日吉大社                   0775−78−0009
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 本家 鶴喜そば               0775−78−0002
 生源寺                    0775−78−0205
 日吉東照宮                 0775−78−0317
 旧竹林院(日吉大社前)          0775−78−0955
 西教寺                    0775−78−0013


◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

@・・・ひょうごシンボルルート   
A・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
B・・・越前戦国ルート              
C・・・近江戦国ルート              
D・・・お伊勢まいりルート         
E・・・修験者秘境ルート           
F・・・高野・熊野詣ルート         
G・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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