月〜金曜日 21時54分〜22時00分


篠山

 丹波の篠山はデカンショ節の故郷として全国に知られた地方都市である。1999年に篠山町と周辺の今田(こんだ)町、丹南町の3つの町が合併して篠山市が誕生した。
 篠山の町は京街道の宿場町であったが、徳川家康がこの地の重要性を見抜いて、1609年、子の松平康重を領主に据え、西国の大名に命じて各大名の分担による天下普請で城を築かせ、西国大名への抑えとしたのが始まりといわれる。江戸時代には当初5万石、後に6万石の城下町として栄え、京から播磨や山陰地方への交通の要衝、また、丹波地方の産物の集散地として機能してきた。
 明治維新になって城は取り壊されたが、明治40年には第4師団、歩兵第70連隊が誘致され、800人余の兵が入営したのを町をあげて歓迎したということである。
 大正2年(1913年)には篠山口駅から篠山東新町まで軽便鉄道が設置され、小型の蒸気機関車が引く客車は愛らしいものであった。連隊設置後は篠山町には人々が行き交い、自動車、バスなどで表通りは賑やかなものであったという。
 篠山周辺では今田(こんだ)の立杭焼(古丹波焼)は天下の6古窯の一として名が高い。
 丹南一帯は丹波茶の産地であり、大国寺や文保寺など古刹も多い。1999年市制を布いて更なる発展が期待されている。


 
篠山城・大書院  放送 12月6日(月)
篠山城・石垣 京、大坂から丹波、播磨、山陰への交通の要として篠山を重視した徳川家康は、常陸国笠間にいた実子の松平康重をここに移して、天下普請で城を築かせた。城造りに参加させられた大名は取り高で合計400万石に及んだといわれる。池田輝政が普請総奉行、福島正則、毛利輝元、浅野幸長、藤堂高虎など名だたる武将が参加して笹山と呼ばれた小山の上に城は築かれた。一名桐が城といい、堅固な石垣を回らした城の周囲は400m四方でそれほど大きくはない。天守閣は用材まで準備された段階で、幕府の指示があり、天守は敵のねらい目にもなるとの理由で遂に建てる事は許されなかった。

篠山城・大書院 計画では、三隅に小天守を設けて渡り櫓で連結した連立式天守で、実現はしなかったが城郭史研究の上で重要であるといわれている。本丸には大書院、小書院、広間、城主居館、奥御殿などがあった。城の完成は1609年である。松平康重は1619年には岸和田へ転封となり、以後松平康信に受け継がれ、1748年に丹波亀山城の青山忠朝と処変えとなり、明治に至った。 5万石の城下であった篠山は幕末には6万石となっていた。城下は外堀の周辺に侍屋敷、街道筋に町屋を配置し更にその外側に侍屋敷を配置していた。
 城内に青山神社、復元大書院、場外の大手馬出しの近くに青山歴史村があり、旧沢井家長屋門が移されている。城の東馬出し(城の出入り口の堀の対岸に広場と道の屈曲を利用した橋頭堡で人や馬の出入りを敵に知られないように土塁を築いた)はほぼ旧態を残し、南の馬出しも土塁がほぼ完全に残っているのは、全国的にも珍しいといわれている。
 明治の世となってからは、城は城郭取り払い令により取り壊されたが、大書院だけは費用の点で莫大な予算を要する為に見送られて残った。しかし、昭和19年に失火で惜しくも焼失してしまった。
 現在、経費12億円で大書院の再建が進んでおり、2000年春に城跡に大書院の威容が見られる。


 
武家屋敷 放送 12月7日(火)
篠山城下・武家屋敷長屋門 篠山藩は5万石で、江戸末期には6万石に加増された。大名の石高はさほどでもないが、下級の武士の住居が割合多く(十数戸)残っている。
 

篠山城下・武家屋敷安間家 外堀の西側に面した西新町に残る、藁葺きで武者窓をつけた武家屋敷の長屋門は小林家のもの。その更に西側に残る通りは藩主の警護に当たった御徒士(おかち)衆の町。一般公開されているのは安間家住宅(市重文)で、やはり茅葺の門を備えた茅葺き入母屋造りの曲がり家で、土蔵を備えた造りである。1830年にこの辺が火事で焼けたので、その後の再建と思われる。安間家は12石3人扶持の士で、その住居は資料館になっている。土塀に囲まれた土蔵のある家や、展示されている古文書、食器などの日用品、家具、武具などが当時の武士の生活を偲ばせてくれる。


 
能楽 放送 12月8日(水)
春日神社・能舞台床下の壷 篠山の二階町にある春日神社は平安時代初期に奈良の春日大社の霊を勧請したもので、元は城のある笹山にあったので、築城時に現在地に移された。

能樂資料館の能面 春日神社の能楽殿(能舞台)は幕末の1861年に藩主の青山忠良が寄進したもので、当時は箱根より西で一番立派な能舞台といわれた。柱と框が松で出来ており、床は桧張り、床下には共鳴用の壷(大甕)が幾つか埋めてある。
 この能舞台で正月には「翁」の神事、「篠山春日能」(春季)「丹波夜能」(秋季)の3回の能会が催される。
 河原町の妻入り商家近くにある能楽資料館には、能面、能衣装、楽器など貴重な品が展示されている。これらの能面などの蔵品は春日神社の能樂殿の演能に使用される。


 
商家 放送 12月9日(木)
篠山市河原町妻入り商家群 篠山の城から東南、旧街道筋に当たる河原町には、全国的に珍しい妻入り商家群がある。5−8mと狭い間口の妻側を表に向けた造りで、奥が深い構造になっている。奥行きは40mにも及ぶ。伊勢の町にも妻入り商家はあるが、全国的に見ると非常に少ない造りである。
 表の格子には千本格子、荒格子、蔀戸、中二階には虫籠窓、出格子などが見られる。この商家群を通り抜けて東にゆくと京口に至る街道筋である。
 土産品を商う店先には、柿、栗、枝豆、つるし柿と丹波の土地が生み出した産物が並ぶ。  

丹波古陶館 
 この河原町に丹波古陶館があり、古丹波の初期から江戸末期までの作品に接することが出来る。

 赤土部釉の燃えるような輝き、魚紋や葉紋をつけた壷、鉄絵の徳利、塩壷など昔の庶民が使用した丹波焼きの陶器に、素朴な美を見つけることが出来るだろう。


 
酒造・猪鍋 放送 12月10日(金)
丹波杜氏酒造記念館の酒造り道具 丹波にはおいしい酒が多い。また、丹波は灘や伊丹をはじめ全国へ出稼ぎに行く杜氏の故郷でもある。戦前は中国や満州までも出かけて行ったという。
 自然の厳しい土地柄だけに米以外の裏作を作り難い事情があった。それ故、農民の収入を安定させるのはむずかしく、自然と近郷へ出稼ぎに行く風習が生まれて来た、と考えられる。
 城跡の北東角(東新町)に丹波杜氏酒造博物館があり、酒造りの道具や資料が展示されている。これらの品は、昔の杜氏達が勘を頼りに酒造りに励んだ時代の様を偲ばせてくれる。
 

牡丹(猪)鍋 一方、丹波は自然の恵みによる農産物や果物が多いところで、おいしい食べ物が豊富に取れる、味覚の宝庫でもある。松茸、黒大豆(枝豆)、丹波茶、丹波栗、各種栗菓子、柿、地酒、栗酒、山の芋、山椒、山椒漬、牡丹鍋(猪)。篠山肉等である。
 篠山の町には冬場に猪肉を商う店、ぼたん(猪肉)鍋を食べさせる料亭も幾つかある。猪肉は体が温まり、さっぱりした味を愛好する人が多い。冬の味覚の王者の一つである。


あ    し


 丹波篠山へはJR福知山線篠山口下車、バス15分
 車で行く人は、舞鶴道丹南篠山口インターで下りて東方へ10分
 篠山城(大書院も)「北新町」へはJR篠山口からバス15分
 春日神社(能楽殿も)へは城の北、5分
 篠山歴史美術館(旧篠山地方裁判所跡、青山家所蔵の美術品、埋蔵文化財、篠山藩窯のやきもの等を展示)へは春日神社の東方すぐ(城の東北) 
 大正ロマン館(元町役場)へは城跡の北すぐ
 西新町の御徒士町(おかちまち)武家屋敷、小林家、安間家住宅(資料館)へは城の外堀西側すぐ
 能楽資料館へは城の東南10分の河原町にある
 丹波古陶館へも城の東南10分の河原町にある 
 丹波杜氏酒造記念館は城の東北角、東新町にある
 青山歴史村へは北新町、城の西北角近く、徒歩5分
 河原町妻入り商家群へは城の東南東へ10分
 波々伯部神社(ほうかべじんじゃ)へは篠山の町から東方へ8km国道372号線沿い、宮ノ前にある
 櫛岩窓神社へは篠山の町から東方へ15k、国道173号線沿い福井にある
 文保寺
 大国寺


見どころ


 篠山城跡と大書院
 青山歴史村
 篠山歴史美術館(旧裁判所)
 春日神社能楽堂と床下の甕
 大正ロマン館(旧町役場)
 御徒士町旧武家屋敷、市立安間家資料館
 能楽資料館(能面、能に関する資料を展示)
 丹波古陶館(丹波古陶展示)
 妻入り商家群(河原町)
 丹波杜氏酒造記念館
 波々伯部神社(丹波の祇園さん)
 櫛岩窓神社(多紀一の宮で式内社、名神大社)
 雲部車塚(県下2位の大きさ、5世紀の前方後円墳)


味・土産


 丹波の地酒
 黒豆、及び黒豆製品
 立杭焼陶器

 猪肉


問い合わせ先


 篠山観光案内所(大正ロマン館)        0795−52−3380
 篠山市産業経済部商工観光課         0795−52−0003
 篠山市教育委員会、篠山城大書院復元室  0795−94−1131
 市立安間家資料館                0795−52−6933
 春日神社                      0795−52−0074
 能楽資料館                     0795−52−3513
 篠山歴史美術館                  0795−52−0601
 丹波古陶館                     0795−52−2524
 青山歴史村                     0795−52−0056
 丹波杜氏酒造記念館               0795−52−0003
 特産館ささやま (黒岡)              0795−52−3386
 おおみや(猪肉)二階町              0795−52−0352
 料亭奥栄(ぼたん鍋)藤岡奥           0795−52−4441
 料理旅館近又楼(ぼたん鍋)二階町       0795−52−2191
 割烹こけし(ぼたん鍋)誓願寺前バス停北入る 0795−52ー0651
 
 
        


◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

@・・・ひょうごシンボルルート   
A・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
B・・・越前戦国ルート              
C・・・近江戦国ルート              
D・・・お伊勢まいりルート         
E・・・修験者秘境ルート           
F・・・高野・熊野詣ルート         
G・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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