月〜金曜日 21時54分〜22時00分


当麻寺・二上山

当麻(たいま)町は、奈良平野の西部、二上山の東麓に位置する。「たいま」という読みにくい地名は元、当岐麻と書いて「たぎま」とよばれていたが、岐の字を省略して当麻と表記されるようになったので、次第に「たいま」と変化していったと考えられる。
二上山はもと、「ふたかみやま」とよばれ、万葉集の時代から親しまれていたが、いつの間にか「にじょうさん」とよばれるようになった。平安時代には浄土の思想が流行したので、二上山は夕陽の入る西方浄土の山として特別視されるようになっていった。


 
当麻寺(たいまでら) 放送日 9月20日(月)

当麻寺は、野見宿禰と我が国初の相撲の試合をした当麻けはやの伝説で有名な当麻氏の氏寺として、奈良時代の前期685年に建設工事が完了、金堂(鎌倉時代ー重文)、講堂(鎌倉時代ー重文)、千手堂(曼荼羅堂のもとの建物)、少しおくれて東西の三重塔(国宝ー奈良時代)ができあがったと伝える。東西の塔を除いていずれも現在の建物は再建されたものだが、金堂に安置する白鳳時代の仏像の数々が、この伝記のほぼ正しいことを証明している。創建時は南から入る伽藍配置になっていたが、いつのまにか南大門がなくなり、平安時代に浄土信仰が盛んになると曼荼羅堂(平安時代後期ー国宝)が伽藍の西方、一段高いところに建てられて、当麻曼荼羅がまつられ、曼荼羅堂が本堂に変身した。東大門がつくられて現在は東から入るようになっっている。
金堂内には弥勒菩薩(白鳳時代=奈良前期ー国宝)、四天王(白鳳時代、鎌倉時代ー重文)、不動明王(鎌倉時代ー藤原時代=平安後期)などが安置され、白鳳の時代が仏像制作の隆盛期であったことをしのばせてくれる。また、金堂前にある石灯篭(白鳳時代ー重文)は日本最古のもので火袋の下、中台の蓮弁は豪快。
講堂内には阿弥陀如来像(藤原時代ー重文)妙幢菩薩像(貞観時代=平安前期ー重文)などがまつられている。
曼荼羅堂内にはこの寺を何より有名にしている当麻曼荼羅(室町時代ー重文)がまつられている。5月14日に境内で催される練供養は極楽への来迎の様を25菩薩の面をかぶり、装束をつけた人々の行列でしめすもので、平安 時代に恵信僧都が浄土信仰に導くために創始したとつたえている。
その他東大門の近くにある鐘楼には、銅鐘(白鳳時代ー国宝)がかかっている。我が国で最古の部類に属する名鐘である。

当麻寺三重東塔(国宝)

 

金堂内には弥勒菩薩(白鳳時代=奈良前期ー国宝)、四天王(白鳳時代、鎌倉時代ー重文)、不動明王(鎌倉時代ー藤原時代=平安後期)などが安置され、白鳳の時代が仏像制作の隆盛期であったことをしのばせてくれる。また、金堂前にある石灯篭(白鳳時代ー重文)は日本最古のもので火袋の下、中台の蓮弁は豪快。

当麻寺金堂前石灯篭(重文)

  


 
当麻曼荼羅(たいままんだら) 放送日 9月21日(火)

曼荼羅堂に現在まつられている当麻曼荼羅は、2度目(1502年)に模写されたもので、原本は天平時代のもので国宝。傷みが激しいので非公開となっている。この原本は根本曼荼羅とよばれ、中将姫が蓮の糸で織り上げたとの伝説をもち、そのことがこの曼荼羅を有名にしたと思われる 。

当麻曼荼羅(部分)

  

曼荼羅堂(国宝)

 


 
二上山(にじょうさん) 放送日 9月22日(水)

古来奈良盆地の西にある特異な姿の山として親しまれてきた二上山は、悲劇の皇子、大津の皇子が葬られているところとしても有名である。詩をよくした才人、大津が持統天皇の時代に皇統の跡継ぎ問題から謀略によって24歳で処刑された時、姉の大伯皇女(おおくのひめみこ)のよんだうた、「うつそみのひとにあるわれや 明日よりは二上山をいろせとわがみん」(万葉集2−165)は弟を失った妹の切ない心をうったった秀作。

二上山遠望

 

高い方の雄岳の頂上にある古墳が大津皇子墓として宮内庁で管理されているが、近年二上山の裾のほうで発掘された方墳の、鳥谷口古墳がそれではないかと考えられて注目されるところ。これは横口式石槨墳とよばれる造りで、石で石棺と石室を一体として彫り上げたもので終末期の古墳の特徴を備えている。また、古代日本文学や民俗学の碩学、折口信夫の書いた小説、「死者の書」には大津皇子と中将姫がモデルとしてとりあげられ、時空を超えた不思議な物語を構成し、傑作とされている。

大津皇子墓

  


 
ふたかみ信仰 放送日 9月23日(木)
二上山は古来聖なる山として特別視されて来た。その頂上には二上神社、裾には当麻寺のほかに石光寺、高雄寺、当麻山口神社、鹿谷寺跡などが点在するが、珍しいものに傘堂がある。
当麻山口神社の鳥居の北に、一本足の柱に立派な屋根をかけた建物がある。江戸初期の1674年に大和郡山の城主本多政勝の死を悼んだこの地の郡奉行、吉弘統家が菩提を弔うために建てたもの。 これは後の世の人たちには別のものとして信仰され、安楽往生を願ってこの柱の周りをまわるとご利益があるとされている。

傘堂  

二上山の夕映え

 


 
竹内街道(たけのうちかいどう) 放送日 9月24日(金)

 難波(なにわ)の港や難波の宮から南河内の太子町をぬけ、二上山の南、竹内峠を通って大和の竹ノ内から飛鳥にいたる竹内街道は、古代の国道1号線といえるもので、推古帝の時代に開かれたものである。竹ノ内峠(鶯の関)を越え大和側にはいって最初の村が竹ノ内の集落である。かつては峠に宿屋、茶屋などがあったといわれる。竹ノ内には立派な民家が多く、古い大和棟の家や屋根の棟に趣向を凝らした家を散見する

竹内街道竹之内の集落

  
この村は作家の故司馬遼太郎の出身地であり、古くは松尾芭蕉が門人の千里(ちり)が竹ノ内の住人であったので、何度もこの地を訪れ、千里宅に滞在したことが「野ざらし紀行」に記されている。「綿弓や琵琶になぐさむ竹の奥」が有名な句で千里宅跡の近くに綿弓塚(江戸時代1809年)がたてられた。

芭蕉句碑(綿弓塚)

 


あ し
当麻寺へは近鉄南大阪線、当麻寺駅から西へ徒歩20分。二上山へは近鉄二上山駅から徒歩2時間、当麻寺から石光寺をへて徒歩1時間30分、途中に傘堂がある。竹ノ内集落へは近鉄南大阪線磐城駅から西へ徒歩30分。竹ノ内街道の竹内峠へは竹内の集落から徒歩30分。


みどころ
当麻寺 仏像、建物、石灯篭、当麻曼荼羅図、塔頭中の坊庭園と茶室など。練供養は5月14日午後。
石光寺 寒ボタン、塔芯礎(白鳳時代)。
二上山頂上 大津皇子墓(ただし、二上神社境内を通るので有料)。
二上山博物館 香芝市にあり、近鉄下田駅下車、西北。旧石器の原料であるサヌカイトや旧石器を展示。
当麻町相撲館「けはや座」 当麻寺駅すぐ西。相撲発祥の地に建てられた全国的にも珍らしい相撲に関する博物館。土俵や観客席が設けられ、相撲に関する歴史の資料も展示。隣には当麻けはやの塚といわれる五輪塔(鎌倉時代)がある。


味・土産
当麻寺中の坊・精進料理(要予約・0745−48−2001)


問い合わせ先
当麻町役場 0745−48−2811
當麻寺 0745−48−2008
相撲館 0745−48−4611
二上山博物館 0745−77−1700