月〜金曜日 21時54分〜22時00分


書写山円教寺(しょしゃざんえんきょうじ)

姫路駅の西北8キロにある書写山は、西の比叡山といわれ、標高360メートル余の山上にひろがる伽藍は36万平方メートルの広大な寺地を占める。30余の建物がほぼ一列に並び、仁王門をはいってから奥の院(開山堂)まで東西の奥行きは2キロに及ぶ。創立は古く平安時代の966年 貴族のエリートであった性空上人(しょうくうしょうにん)が九州で20年の修行の後、この地に開いた草庵が起源と伝える。その後、播磨国司藤原季孝(ふじわらすえたか)の寄進や花山法皇の帰依と援助で次第に都の貴族にも崇められて大寺院に成長していった。鎌倉時代には多くの僧兵を擁し、伽藍は大講堂、食堂、常行堂、開山堂、五重塔、経蔵などの建物が整い、頼朝からは守護不入の特権を与えられていた。秀吉は三木城を攻めた折りの本陣をおいた。江戸時代になっても姫路藩の直轄支配で、寺社奉行の支配をうけず、寺領838石が与えられた。度々の落雷や失火などで伽藍は焼けたが、現在も摩尼殿(またの名は如意輪堂、観音堂、昭和8年の再建)、大講堂(室町時代初ー重文)食堂(じきどう、室町時代ー重文)、開山堂(江戸時代ー県重文)、仁王門(江戸時代1655年ー県重文)や塔頭(たっちゅう)寿宝院(江戸時代初ー重文)、十妙院(江戸時代ー県重文)妙光院などが再建され、山上に風格ある伽藍を構成している。
 現在は、西国33ケ所の27番札所。室町時代から明治維新までは女人禁制であったが、今は禁制もなく、山上へはロープウエーで一気にのぼれるようになった。山上では交通機関がないので乗合馬車が利用できる。


 
摩尼殿(まにでん) 放送日 9月27日(月)

 仁王門から古木の茂る参道を進むこと15分、いったんのぼった坂をまた下った先に見上げるような舞台造りの摩尼殿(如意輪堂、昭和8年再建)が目にはいる。斜面に堂々と建つこの堂は西国33ケ所27番の札所で、参拝の人々が絶えない。書写山の本堂にあたり、6本の手を持つ如意輪観音を本尊とする。ほかに四天王(重文)があるが共に秘仏。1月18日の鬼追いの日のみ一般に公開される。

摩尼殿

 

巡礼のご詠歌は「はるばると のぼれば書写の山おろし 松のひびきも み法(のり)なるらん」とうたわれ、はるばるやってきた巡礼に涼風が一時のさわやかな慰めとなることを歌っている。
 近くにははづき茶屋や宿泊も出来る円教寺会館もある。

四天王像(重文)

  


 
三つの堂 放送日 9月28日(火)

 摩尼殿から更に木立の下のみちを10分も進むと白砂の広場を囲んで右手(北側)に、重層屋根をもつ大講堂(室町時代初ー重文)が、正面(西側)に食堂(じきどう、室町時代ー重文)、左手に常行堂が建ち緊密な構成で宗教的な雰囲気をかもしだしている。これらの堂舎を総称して三つの堂と呼んでいる。
 
 食堂(じきどう、室町時代中期ー重文)は南北に細長い40メートルの建物で、別名長堂と呼ばれ、蔀戸(しとみど)をめぐらした住宅風の感じが強い建物である。修行僧の宿泊や、大法会のときの僧の食堂として使われたが、今は1階が写経道場に2階が文化財の展示場になっている。文殊菩薩、五大明王、普賢菩薩などの仏像のほかに少年時代の弁慶の使った机が展示されている。


食堂(重文)

 

大講堂の建て方は古来の和様建築に鎌倉時代に新しく伝わった唐様をミックスしたもので、内部には釈迦如来と文殊菩薩、普賢菩薩の3尊(藤原時代ー共に重文)をまつる。
 常行堂(室町時代1453年ー重文)は常行念仏(ひたすら阿弥陀の名を唱えつづける常行三昧の行、時には90日に及ぶ)のための堂で、阿弥陀如来(藤原時代)がまつられている。この建物の北側部分に舞台がしつらえられ、大講堂にむかって舞楽を奉納できるようになっている。

大講堂本尊釈迦如来像(重文)

  


 
寿量院 放送日 9月29日(水)

 塔頭のなかでも寿量院は、元は無量寿院と呼ばれ、平安時代末の1174年には後白河法皇が7日間参篭されたという由緒をもつもので、現在の建物は江戸時代の1688年の再建になるもので重文。床の間や違い棚に室町時代風の古風を残し、書院造りと台所のある庫裏をつないだ珍らしい構成になっている。
 

書院内部(重文)

 

この塔頭に予約すれば、4−11月の土、日には精進料理も味わうことができる。平日でも5名以上ならうけいれてもらえる。

精進料理

  


 
常行堂 放送日 9月30日(木)

 平安時代に天台寺院で起こった浄土教の思想から、阿弥陀如来にひたすらすがり、阿弥陀の名を念じつつ、阿弥陀仏のまわりを回り続ける常行念仏が考えられた。平安時代の創建時の建物は3間四方の堂であったと言われているが、現在のものは5間四方の常行堂に細長い楽屋と舞台がついた変わった建物で、舞台は大講堂にむかって舞楽を奉納する為の機能を合わせもつ。建物は室町時代の1453年に再建されたもので重文。屋根は入母屋風の大屋根に切り妻屋根、唐破風をダイナミックに組み合わせている。
 

常行堂(重文)

 

内部の常行堂部分には阿弥陀如来像がまつられ阿弥陀の浄土を念ずる修行の場としてふさわしく造られている。

常行堂本尊、阿弥陀如来像

  


 
書写山を歩く 放送日 10月1日(金)

 姫路駅から8キロの道のりを行くと、夢前川の西に書写の山がそびえる。頂上へはロープウエーがついているので簡単にのぼれるようになった。山上は広いので、覚悟して歩いてゆこう。摩尼殿へは馬車もかよっているので、仁王門の先で左手の馬車道をとることも出来る。ここでは歩いて行くコースをとる。山上駅から程なく仁王門(江戸時代1655年ー県重文)に到着する。仁王を安置する門をくぐって行くと高い木立の下をとおる。その先、右手高台に寿量院がある。山内随一の格式をほこる塔頭である。現在の建物は江戸時代の1688年の再建であるが、国の重文。頼めば精進料理も味わえる。室町時代の書院造りの風を残した床の間や違い棚を備えた書院に台所をもつ庫裏を繋げ書院造りの風変わりな建物である。ここから更に10分も進むと摩尼殿にいたる。このあたりの門前には茶店もあって一休みできる。下り坂が終わる右手に石の笠塔婆がある。石柱に笠を乗せたもので石柱の上部に阿弥陀が彫られている。鎌倉時代の1311年のものでこれも貴重な文化財である。
 摩尼殿へは高い階段をのぼる。お遍路さんもここにたどり着いてほっとする。摩尼殿は本堂に当たり、いつも参詣の人々が絶えない。舞台造りの豪壮な建物で風通しがよい。
 

  

大講堂(重文)

 

  

開山堂、性空上人像

なおも奥に進んで行くと三つの堂に至る。ここは山内で最もユニークな伽藍配置をもつ堂舎が並び壮観。ここからもう少し林の中を進むと、奥の院にたどり着く。ここには性空上人がはじめて草庵を開き書写山の基礎を築いた開山堂(江戸時代ー県重文)があり、中には性空上人の木像をまつる。また,軒の角、垂木を支える部分に左甚五郎作といわれる力士の彫刻がある。その他、奥の院には護法堂(室町時代ー重文)が建ち並び、乙天、若天(おとてん、わかてん=不動と毘沙門の化身)をまつる桧皮葺きの神社風の優雅な建物がある。開山堂を山側に回り込むと、和泉式部歌塚と称する石塔がある。一条天皇の中宮彰子(ちゅうぐうしょうし)のお供で書写山にやって来た和泉式部は、高名な性空上人に会いたがったが、上人は誇り高い女官に会うのをきらった。ついに会えずじまいの式部は、次のような歌を残した。
 「暗きより暗き道にぞ入りぬべき  遥かに照らせ山の端の月」
 この他には大講堂の南東隅に、姫路藩主本多家の墓所があり、廟屋と五輪塔の墓碑が並んでいる。これで山内はほぼ見終わった。帰りみちには、ケーブル山上駅の前から旧参道の坂を下ってもよい。石のたくさん露出した道は昔の巡礼者の苦労をしのばせてくれる。

  


あ   し
   JR姫路駅から市バスで約25分、書写ロープウエー下車。ここからロープ   ウエーで山上へ。山上には馬車が摩尼殿へ通じているので利用すること   も可能。
   車では山陽道姫路西インターをおりて東方へ15分。または中国道福崎   インターから30分。
     ロープウエー下駅前に駐車場あり。


みどころ
    姫路城、広峰神社、姫路文学館l、姫路歴史博物館、姫路市立美術館。


味覚。土産
    書写山上では円教寺会館で宿泊可。塔頭妙光院でも宿泊可。
      塔頭寿量院では予約すれば精進料理を味わえる。
    摩尼殿前には食事の出来るはづき茶屋。
    地酒灘菊の酒蔵見学と、酒蔵ホールで試飲と食事(むぎとろ等)。
    姫路駅前にある「じばさんびる」では、姫路をはじめ西播磨地区の名産    を展示、即売している。


問い合わせ先
    書写山円教寺     0792−66−3327
    円教寺会館      0792−66−3240
    塔頭寿量院      0792−66−3553
    塔頭妙光院      0792−66−1540
    はづき茶屋      0792−66−8797
    酒蔵ホール      0792−85−1737
    じばさんびる      0792−89−2835