月〜金曜日 18時54分〜19時00分


京都・庭園散策−岡崎− 

 2004年は平安遷都1210年にあたり、これを記念して平安遷都千二百年記念協会が、京都市内の社寺や庭園所有者の協力で「京都・庭園散策−岡崎−」をテーマに、日ごろは非公開の庭園を含め、岡崎周辺の名庭園の一般公開を2004年5月いっぱい行う。今回はその中から5ヵ所を紹介する。
 このほか期間中には次の庭園が公開される。清流亭(和服着用者のみ)、野村美術館と碧雲荘、金戒光明寺、永観堂禅林寺、天授庵、金地院、知恩院、平安神宮、無鄰庵、織寶苑、ウエスティン都ホテル、白河院。申し込み方法など詳しくは平安建都千二百年記念協会へ。


 
聖護院   放送 5月10日(月)
 聖護院は寛治4年(1090)白河上皇の勅願で創建された修験宗総本山の門跡寺院。この年、熊野権現へ参詣した白河上皇の先達を、修験僧として知られていた三井寺の増誉が務め、熊野三山へ案内して聖体護持の祈願をした。参詣後に上皇が現在地に一寺を建立、聖体護持から2字を取り「聖護院」の院号と共に増誉に与えたのが起こり。
 修験道は約1300年前、役行者(えんのぎょうじゃ)によって開かれた。那智の滝で千日間の参籠修行の後、大峰修行をした天台宗第5代座主の智証大師・円珍が、修験道を継承しその後、増誉がこの教えを引き継いでいた。

宸殿

(写真は 宸殿)

光格天皇親彫阿弥陀仏

 聖護院の現在の建物は延宝4年(1676)の再建で、宸殿、本堂、書院(国・重文)、北殿があり、書院は御所の一部を移築したものである。宸殿は140面の狩野派の障壁画で彩られており、これらの絵を眺めていると荘厳な雰囲気に包まれ、俗世界から隔絶された気分に浸れる。
 天明8年(1788)の大火で御所が炎上した時、光格天皇がここを仮皇居とし、3年間ここで政務を行った。宸殿には仮皇居当時の上段の間が残っており、ほかに一夜造りの御学問所、御茶室などの遺構が多く残されている。また、安政元年(1854)の御所炎上の時にも、孝明天皇が聖護院を仮皇居としたことから「聖護院旧仮皇居」として国の史跡に指定された。

(写真は 光格天皇親彫阿弥陀仏)

 宸殿の東側にある庭は美しい苔で埋められ、樹齢200年を超す馬酔木(あせび)がある。南の庭は白砂が敷き詰められており、ここは山伏の秘法「採燈大護摩供」が行われる修験道の道場でもある。
 明治時代まで聖護院の周囲はうっそうとした「聖護院の森」が広がっていたので、聖護院は「森御殿」とも呼ばれ、この一帯が大自然に包まれた庭でもあった。また、この森が紅葉すると錦の織物のように美しい景色を創り出すため「錦林(きんりん)」と呼ばれ、今も錦林小学校などの名前として残っている。聖護院の名も地名として残っていて、この付近で生産されていた大根を聖護院大根と言い、参道で売ったのが起こりの聖護院八ッ橋がある。

庭園

(写真は 庭園)


 
洛翠の庭園  放送 5月11日(火)
 料理旅館「洛翠」は、元は明治時代の実業家・藤田家の別邸で、約千坪(3300平方m)の庭園は、明治42年(1909)に造園の巨匠・7代目小川治兵衛(屋号・植治)によって作られた。
 関西財界の重鎮・藤田伝三郎は長州・萩の生まれで、幕末には高杉晋作が創設した奇兵隊に加わっていた。明治維新後は実業家に転身、岡山県児島湾の干拓事業、大阪紡績、阪堺、山陽鉄道などを開設したほか、琵琶湖の大津から長浜までの汽船を運航するなど、琵琶湖に関係の深い事業を手がけていた。この琵琶湖への思い入れが、別邸に伊能忠敬の地図を図面代わりに、琵琶湖の形を忠実に模した池を配した庭を作るきっかけになった。
庭園

(写真は 庭園)

くずれ組み

 洛翠の庭の池の水は琵琶湖疏水から直接引き入れられ、再び疏水に流れ出ており、池は琵琶湖疏水の支流とも言える。池に作られた島や橋も実物に見立てられており、瀬田の唐橋あたりには飛び石の沢渡で池が渡れる。現在の琵琶湖大橋の位置にも石の一文字橋が渡されており、55年も早くこの庭の池には「琵琶湖大橋」が架けられていたとも言える。竹生島に見立てた小島は、中国の蓬莱山を思わせるような島で、100年近くも経過している赤松が元気に育っている。
 植治の作庭の特徴である、山から崩れ落ちてきた石が自然に止まった形の積み方をした、くずれ組みの石組みが池のほとりにある。石臼の廃材を利用した臥龍橋は平安神宮の臥龍橋とよく似ているなど、数え上げればきりがないほど特徴的な庭である。

(写真は くずれ組み)

 池のほとりの庭園内にも趣向が凝らされている。賓客だけを通した不明(あかず)門は、伏見桃山城から移築したものとされていて、天井には龍が描かれていた痕跡が残っている。
 庭園の南東にある画仙堂は、中国・清から伝来したと伝えられる建物で、詩仙堂、歌仙堂とともに京都三仙堂に数えられ、琵琶湖・堅田の浮御堂に似ている。大正3年(1914)に作られた茶室・渓猿亭(けいえんてい)は、当時のお金で坪当り150円の建築費をかけて建てられたもので、各所に贅(ぜい)が尽くされている。洛翠では由緒ある画仙堂を結婚式場に提供している。琵琶湖を模した池の水面に花嫁衣装姿を映しながら、石臼の臥龍橋を渡って画仙堂に入る結婚式は、新郎、新婦にとってよき思い出の門出になっている。

画仙堂

(写真は 画仙堂)


 
南禅寺の大寧軒  放送 5月12日(水)
 南禅寺を創建した亀山法皇700年忌の平成16年(2004)、15万個のビーズをつないだ直径1m5cm、高さ1m28cmの八角形の瑠璃燈(るりとう)が修復され、美しい姿を取り戻した。南禅寺大寧軒庭園特別公開中の2004年5月10日から5月31日まで大寧軒で特別展示される。
 この瑠璃燈は宝永元年(1704)亀山法皇400年忌に天龍寺から南禅寺に寄贈されたもので、法皇の座像が安置されている塔頭・南禅院の御霊屋(みたまや)に祀られていた。損傷が激しかったが他に類例を見ない貴重なもので、入念な修理によって壊れていた個所も復元された。

瑠璃燈

(写真は 瑠璃燈)

庭園

 瑠璃燈は燈籠の一種で白、黄、青、緑、橙色などの透明や半透明のビーズを銅線でつなぎ、さまざまな模様状にして飾っている。瑠璃燈の中に灯りをともすと、多彩な色のビーズが内側から照らし出され、幻想的な光を放つことだろう。
 このような燈具はわが国では例がなく、明時代に中国で作られたのではないかと見られている。西ヨーロッパで生まれたビーズ工芸のひとつである、シャンデリアの技術を使った瑠璃燈が、300年の時を経て今、南禅寺でよみがえり、再びその輝きを取り戻したことに多くの人たちの注目が集まっている。
 

(写真は 庭園)

 この瑠璃燈が展示される大寧軒は、南禅寺の塔頭のひとつ大寧院の跡に明治時代末期の茶人・籔内紹智が作った庭園。数寄屋造の座敷正面には優雅な曲線を持つ池が作られ、池の奥に石造りの三つの鳥居が三角形に組み合わされた「三つ鳥居」が建てられている。この三つ鳥居は太秦の蚕の社と言われる、小島坐天照御魂神社(このしまにいますあまてるみたまのかみやしろ)にしかないとされる珍しい鳥居を模したもので、その下から湧き出る泉が疏水の水と一緒に池に注いでいる。
 池のほとりには玄武岩の庭石が置かれている。この玄武岩は豊岡市の玄武洞から運び込んだものと見られ、今は国の天然記念物に指定されおり搬出できない珍しい銘石と言える。

三つ鳥居

(写真は 三つ鳥居)


 
並河靖之七宝記念館  放送 5月13日(木)
 並河靖之七宝記念館は、明治、大正時代を代表する七宝作家・並河靖之(1845〜1927)の旧邸で、その作品130点余を所蔵し、制作過程を示す資料も数多く残されている。館内には並河の七宝作品のほかに下図、釉薬など、制作過程を示す資料が、制作に励んでいた当時のままの環境の中で展示されており、並河の制作の息吹が感じられる。
 記念館は明治27年(1894)に完成した京都の伝統的な構えの商家で、主屋の2階は御殿造となっており、京町家と書院造の二つの様式が同居している珍しい建物である。また縁側を囲むガラス障子は当時としてはモダンなものだった。

神社風景文蓋壷

(写真は 神社風景文小蓋壷)

藤草花文花瓶

 七宝の名は金、銀、瑪瑙(めのう)、瑠璃(るり)など七つの宝石に由来しており、作品の原型の金属に緑を発色する酸化銅、青を発色する酸化コバルト、赤を発色する鉛丹などを盛り、ガラス釉をかけて焼き付けたもので、その美しい色と輝きはまさに宝石と言える。七宝技法には有線七宝、無線七宝、象嵌七宝、省胎七宝などがあり、並河は有線七宝の第一人者だった。
 並河は幕末の弘化2年(1845)武士の家庭の三男として京都・柳馬場御池に生まれ、明治7年(1874)尾張の七宝作家から七宝の技術を学んだ。記念館のある現在地に工房を作り、独特の作風で数々の賞を受賞、明治時代の七宝界をリードした。
明治33年(1900)のパリ万国博覧会に「四季花鳥図花瓶一対」を出品、その作品は現在、宮内庁三の丸尚蔵館に収蔵されている。

(写真は 藤草花文花瓶)

 記念館に展示された素晴らしい七宝の作品に目を奪われ、時間の経つのも忘れてしまった後、外に目を転ずれば造園家の第一人者だった7代目・小川治兵衛が作庭した名庭園が広がっている。庭園には明治23年(1890)に完成したばかりの琵琶湖疏水の水を取り込み、躍動的な水の流れをデザインしている。この琵琶湖疏水の水は七宝の研磨にも利用された。
 旧邸内には工房や窯場も残っており、当時としては斬新なデザインの建物、庭園、そして七宝の美しさを追求した作品群など、この旧邸内の空間には並河靖之の芸術の奥深さがあふれている。

庭園

(写真は 庭園)


 
青蓮院  放送 5月14日(金)
 青蓮院は伝教大師・最澄が、比叡山に僧侶の坊、すなわち住居として建てた青蓮坊を起源とする、天台宗の京都五ヶ室門跡のひとつで、格式の高い門跡寺院で皇居との関わりが深い。天養元年(1144)第12世天台座主・行玄が粟田山の山裾のこの地に堂宇を建立し、青蓮院と称した。
 青蓮院は平安時代末から鎌倉時代初めの第3世門主慈円のころが最も栄えた。慈円は天台座主を4度も務め、名著「愚管抄」を残した名僧として知られている。当時、新興宗教だった浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞にも理解を示し、延暦寺の抑圧から庇護した心の広い僧でもあった。天明8年(1788)の大火で御所が炎上し、後桜町上皇が仮御所としたことから粟田御所とも呼ばれている。

親鸞上人御得度の間

(写真は 親鸞上人御得度の間)

小御所

 室町時代の相阿弥の作と伝える池泉回遊式の庭園は、粟田山を借景とした世俗を忘れさせる深く物静かな趣がある。小御所、客殿、好文亭の3つの建物に囲まれた池を中心にした庭で、粟田山の山裾には高い石組みの滝口を中心に、柔らかな曲線を描く築山が築かれている。その北側には茶室・好文亭が建っており、後桜町上皇が青蓮院を仮御所としていた時、御学問所として使われていた。
 この庭の池を龍心池と言い、池が狭まったところに架けられた反りの美しい石橋を跨龍橋と呼んでいる。この作られた庭に東山の自然の山麓が迫り、自然と人工の庭が巧みに融合している。
 

(写真は 小御所)

 江戸時代初期の小堀遠州作と言う庭が好文亭裏側にある。山裾の斜面一面に霧島ツツジが植えられ、4月から5月にかけてこのツツジの花が斜面を真っ赤に染め、霧島の庭とも呼ばれている。この庭は相阿弥の庭と比べると平面的だが、霧島ツツジの間にクチナシ、アセビを植えるなど、統一と調和を感じさせる庭と言われている。
 庭園内には豊臣秀吉の寄進とされる一文字手水鉢や神輿形燈籠が置かれたり、萩や楓などの紅葉樹が植えられており、四季折々の景観を楽しませてくれる。

庭園

(写真は 庭園)


◇あ    し◇
聖護院京阪電鉄丸太町駅下車徒歩5分。 
京都市バス熊野神社前下車徒歩1分。
洛翠地下鉄東西線蹴上駅下車徒歩10分。 
京都市バス法勝寺町下車徒歩2分。
南禅寺地下鉄東西線蹴上駅下車徒歩8分。 
京都市バス南禅寺・永観堂又は法勝寺町下車徒歩8分。
並河靖之七宝記念館地下鉄東西線東山駅下車徒歩3分。 
京都市バス東山三条又は神宮道下車徒歩2分。
青蓮院地下鉄東西線東山駅下車徒歩5分。 
京都市バス神宮道下車徒歩2分。
◇問い合わせ先◇
平安建都千二百年記念協会075−241−1200
聖護院075−771−1880 
洛翠075−771−3535 
南禅寺075−771−0365 
南禅寺ビーズアートジャパン展075−255−1436
並河靖之七宝記念館075−752−3277 
青蓮院075−561−2345 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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