月〜金曜日 18時54分〜19時00分


兵庫・猪名川町、川西市 

 大阪府と境を接する兵庫県東部の川西市、猪名川町は源氏の祖・多田源氏の本拠地で源氏発祥の地として知られている。この地域には源氏ゆかりの多田神社、満願寺、小童寺、頼光寺などの社寺や遺跡が多い。ベッドタウン化が進む中で、まだ田園風景が残る源氏ゆかりの地を訪ねた。


 
多田銀銅山・浪漫伝説
(猪名川町) 
放送 5月17日(月)
 猪名川町を中心に川西市、大阪府能勢町など約10km四方におよぶ多田銀銅山の歴史は古く、弥生時代の銅鐸の原料になったとの説もあり、奈良の大仏鋳造に銅を献じたとも言われている。その後、この地方を支配した多田源氏一族による採掘がが多田銀銅山の始まりとの伝えもある。
 今も山のあちこちに間歩(まぶ)と呼ばれる坑道の入り口がポッカリと口を開けており、金懸間歩(かながけまぶ)が多田源氏一族が採掘を始めた跡だと伝えれている。
古い坑道跡は落盤、落石などの危険があり、立ち入り禁止になっており、青木間歩だけは内部が見物できるように照明設備がある。

青木間歩

(写真は 青木間歩)

代官所の門

 多田銀銅山が記録として表れるのは、鎌倉時代の歴史書「百錬抄」で、平安時代後期の長暦元年(1073)銅が朝廷に献上されたとある。鎌倉時代中期の建暦元年(1211)の役所の文書に能勢に採銅所を設けたとの記事があるほか、戦国時代末期には銀山見物の記録がある。
 多田銀銅山は豊臣秀吉の時代に大規模な採掘が行われ、大変栄えておびただしい量の銀が産出された。間歩の入り口に千成瓢箪(せんなりひょうたん)を立てることを許された「瓢箪間歩」、大坂城の台所費用にあてられた「台所間歩」、月千石ずつ運上銀を上納した「千石間歩」などと言った名が坑道につけられた。

(写真は 代官所の門)

 江戸時代には徳川幕府の直轄となり、増産にともなって代官所が置かれた。最盛期には年間に銀2475kg、銅420トンを産出し、2802ヵ所の間歩、銀銅山周辺には3000戸の集落があった。明治時代には大企業による採掘に代わったが昭和48年(1973)に閉山、長い歴史を閉じた。当時のレンガ造りの製錬所跡が今も残っており、近くには銀銅山の守護神を祀る金山彦神社がある。
 多田銀銅山内に秀吉が4億5千万両の黄金を埋めたと言う黄金伝説のロマンが人びとを引きつけたこともあった。この埋蔵金を探し当てようと多くの人たちがお宝探しをする「ゴールドラッシュ」の様相を呈した時期があったが、今は下火になっている。

製錬所跡(明治時代)

(写真は 製錬所跡(明治時代))


 
民家の温もり(猪名川町)  放送 5月18日(火)
 のどかな田園が広がる猪名川町には、昔ながらの茅葺きや瓦屋根の民家があちこちに点在している。ビルと騒音の中で仕事をしたり、生活している人たちにとって、こんな環境にひたるとホッとする気持ちになる。
 町役場のすぐ隣にある旧冨田邸の「静思(せいし)館」は、町立民俗資料館として公開されている。美術商だった故冨田熊作氏が京都の宮大工と全国各地から集めた良材を使い、江戸時代の豪農の屋敷を模して昭和7年(1932)から3年をかけて建築した建物。約2500平方mの敷地に、茅葺き木造平屋建ての母屋のほかに、蔵や茶室など18棟がある。冨田氏はこの建物を客をもてなす迎賓館や別邸として使っていた。

静思館

(写真は 静思館)

給水塔(静思館)

 外見はこのあたりでよく見かける豪農の邸宅と変わりないが、建物には当時としては最先端の設備が備えられた。表門横の書斎蔵には中国式のオンドル床下暖房が取り入れられ、畳の下に厚さ1cmの鉄板を敷き、その下の地下室を炭火で暖めた。高さ8mの給水塔を設けて電動ポンプで井戸水を汲み上げて水道水にしたほか、この水を使い当時としては珍しい水洗トイレを作った。
 猪名川町はこの建物を昭和59年(1984)に冨田家から購入し、文化活動や交流の場として利用する文化施設「静思館」とした。館内には当時の生活の様子をうかがい知る家具や道具類が展示されている。また2004年3月、静思館のすべての建物18棟が、国の登録有形文化財に選ばれた。

(写真は 給水塔(静思館))

 茅葺きの屋根に大きな長屋門、300年前に建てられた江戸時代の武家屋敷の囲炉裏茶屋「里の家」は、古い建物の雰囲気を大切にした食事処。今はなかなか接することができない昔のままの囲炉裏端で、四季折々の山の幸、川の幸が味わえ、心の和む食事ができる場所と言える。
 黒光りのする廊下や柱、太い梁などがその歴史を物語っている。料理の食材は春にはワラビ、ゼンマイ、タラの芽などの山菜、夏はアユ、秋はマツタケ、冬はイノシシ肉。ほかに能勢の地鶏、キジ肉、自宅の畑でとれる野菜などを使ったぼたん鍋、キジ鍋、野武士焼などと多彩。青竹に入った酒を囲炉裏の炭火で暖めた酒の味が格別と言う左党。おいしい料理で満腹になり、もっとゆっくりしたい人はこの武家屋敷で泊まることもできる。

囲炉裏茶屋 里の家

(写真は 囲炉裏茶屋 里の家)


 
木喰仏(猪名川町)  放送 5月19日(水)
 聖武天皇の勅願によって建立されたと伝えられる古刹・東光寺に、江戸時代後期の僧・木喰明満(もくじきみょうまん)上人の手になる木造仏、いわゆる「木喰仏」が14体残っている。木喰とは五穀や煮炊きをしたものを絶ち、木の実や山菜、そば粉などを常食とする戒律のひとつで、この修行をした僧を木喰上人と呼ぶ。
 明満上人は45歳からこの木喰戒を守った僧で、60歳過ぎから北海道から鹿児島まで全国を歩き、各地で木喰仏を彫って奉納し、その数は千体以上になる。90歳で現在の猪名川町の地をを訪れ、約3ヵ月の間に精力的に仏像造りに取り組み、30体以上の木喰仏を残したと見られている。

木喰明満上人自刻像

(写真は 木喰明満上人自刻像)

葬頭河婆像

 最も多くの木喰仏が残っているのが東光寺。冥界で亡者を裁く閻魔(えんま)大王など「十王」の像は、本来は恐ろしいはずの像だが、東光寺の十王はユーモラスな表情を漂わせている。十王のほかに三途(さんず)の川で亡者の衣服をはぎ取る、恐ろしい老婆の葬頭河婆(そうずかのばば)座像や百鬼(びゃっき)立像、境内の樫の立木に刻んだ立木子安観音像と自分自身を彫った自刻像がある。いずれの像も微笑みかけるような表情やユーモラスな雰囲気をかもし出しており、明満上人の像は「微笑仏」とも呼ばれている。
 東光寺では少なくとも18体以上の木喰仏を彫ったと推定されているが、寺を去るとき上人自身が携えて行った像や他所へ流出したものもあり、現在は14体が残っている。

(写真は 葬頭河婆像)

 明満上人は東光寺のほかに猪名川町万善の天乳寺に自刻像と得大勢至大菩薩立像、聖観音大菩薩像の3体、同町上阿古谷の毘沙門堂に自刻像と七仏薬師像を残している。毘沙門堂の自刻像は上人最晩年の像で、完成度の高い微笑像と言われている。
毘沙門堂の木喰仏は1体が盗まれ、現在は自刻像と6体の薬師像が安置されている。
このほか2体の木喰仏を町内の個人が所有している。
 猪名川町には「彫刻の道」がある。能勢電鉄日生中央駅から松尾台を通って猪名川町役場に通じるコース、日生中央駅から北西へ5分のところから始まり伏見駅公園に伸びるコース、銀山公会堂から金山彦神社までのコースで、ユーモラスな表情の羅漢像や裸婦像など約170点が点在する。ニュータウン内には車止めや町名表示の道標の役目を果たしているものもあり、楽しく散策ができる。

白鬼像

(写真は 白鬼像)


 
多田神社(川西市)  放送 5月20日(木)
 川西市は源氏発祥の地で、市の中心部にある多田神社には源氏の祖、源満仲(912〜997)をはじめ、その子頼光、頼宣、頼宣の子頼義、頼義の子義家の五公を祭神として祀っている。満仲が境内に葬られ、本殿裏に満仲、頼光父子の廟所が設けられてから源氏一族郎党の信仰の中心となった。
 満仲は平安時代中期の清和天皇(850〜880)から出た清和源氏の発展の基礎を作った。満仲の子の頼光が摂津源氏、頼親が大和源氏、頼信が河内源氏を興した。
この河内源氏が関東地方で勢力を強め、八幡太郎義家で知られる武将や新田、足利などの武士集団を形成した。鎌倉幕府を開いた頼朝は満仲から数えて7代目にあたる。

源満仲

(写真は 源満仲)

源頼光

 平安時代後期、摂津守となった満仲は、現在の川西市の地に本拠を構え、田畑の開拓や河川の改修、港湾の整備、鉱山事業を興すなど、農業や産業の振興に力を注いだ。
猪名川町の多田銀銅山も源氏一族がその開発に力を尽くし、多田源氏の有力な財源となった。
 満仲は天禄元年(970)天台系寺院・多田院を創建した。平安時代末期の平氏政権の時代には荒廃したが、平氏滅亡後、頼朝の鎌倉幕府の時代になって隆盛を取り戻し、源氏の系統を名乗った足利、徳川氏らも篤い信仰を寄せた。足利尊氏の遺骨が多田院に納骨されてから、足利歴代将軍は全員が多田院に納骨するようになった。

(写真は 源頼光)

 この多田院が多田神社の前身で、明治維新の神仏分離令で寺を廃し多田神社となった。戦国時代の戦火で多田院の堂塔のほとんどが焼失し、現在の本殿、拝殿、随神門(いずれも国・重文)などの社殿は、寛文7年(1667)徳川幕府4代将軍・家綱が再建したもので、その荘厳な社殿から関西の日光と呼ばれるようになった。
 満仲の子・頼光は、大江山の鬼退治の武勇伝で知られた武将で、境内には鬼首洗池と名づけられた池がある。神社の宝物殿には源家の宝刀・鬼切丸や甲冑、刀剣、古文書などが収められており、源家の昔をしのぶことができる。

大江山鬼退治絵巻

(写真は 大江山鬼退治絵巻)


 
満願寺(川西市)  放送 5月21日(金)
 奈良時代の神亀年間(724〜29)に勝道上人が千手観音像を本尊として創建した満願寺は、多田に館を構えた源氏の祖・源満仲が深く帰依し、天禄年間(970〜73)に堂塔を造営して寄進、源氏一門の祈願所とし崇敬を集めるようになった。
 鎌倉時代以降、北条氏、足利氏の崇敬を集め寺運も栄え、49の塔頭や坊があった。
室町時代末に火災で堂塔を焼失したが、江戸時代に入って徳川4代将軍・家綱の援助によって焼失した堂塔が再興された。

仁王門

(写真は 仁王門)

秘仏千手観音菩薩像

 外国の様式が取り入れられた大変珍しい形の山門は、明治14年(1881)の建築で、門の左右を固める金剛力士像は、明治維新の神仏分離令の折に多田院(現多田神社)から移されたものである。昭和41年(1966)の解体修理の歳、仁王像の顔面内部や頭部の中から造立の墨書や納経された経1巻が見つかっている。
 本堂の前庭の東側にある観音堂に安置されている本尊の秘仏・千手観音菩薩像は年に一度、春の彼岸に開帳され拝観できる。観音堂天井には狩野派の天井画が描かれている。

(写真は 秘仏千手観音菩薩像)

 金堂内には聖観音菩薩立像や十一面観音菩薩像などが安置され、金堂東隣りの毘沙門堂の毘沙門天像は源満仲が自ら彫って奉納したと言われている。
 境内の高さ3.5mの九重の石塔(国・重文)は、源氏一族の法尼妙阿と言う尼僧が亡父の供養のために建立したもので、正応6年(1293)の刻銘があり、技法の優れた鎌倉時代の代表的な層塔とされている。ほかに源家ゆかりの塔や大江山の鬼退治をした源頼光の四天王の一人・坂田金時の墓が境内にある。

九重の石塔

(写真は 九重の石塔)


◇あ    し◇
多田銀銅山跡阪急電鉄川西能勢口駅からバスで銀山口下車徒歩20分。
静思館能勢電鉄日生中央駅からバスで上野下車徒歩3分。 
囲炉裏茶屋・里の家能勢電鉄日生中央駅からバスで杉生下車徒歩5分。 
東光寺能勢電鉄日生中央駅からバスで大井下車徒歩5分。 
天乳寺能勢電鉄日生中央駅からバスで川床口下車徒歩10分。 
毘沙門堂能勢電鉄日生中央駅からタクシーで10分。 
多田神社能勢電鉄多田駅下車徒歩15分。 
阪急電鉄宝塚線川西能勢口駅からバスで多田神社前下車。
満願寺阪急電鉄宝塚線雲雀丘花屋敷駅からバスで愛宕原ゴルフ場下車。
◇問い合わせ先◇
猪名川町役場産業課・猪名川町観光協会072−766−0001
静思館(町役場総務課)072−766−0001 
囲炉裏茶屋・里の家072−769−0275 
東光寺072−766−0831         
川西市役所政策室072−740−1120 
川西市教育委員会072−740−1244 
多田神社072−793−0001 
満願寺072−759−2452 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

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