月〜金曜日 18時54分〜19時00分


神戸市・六甲〜有馬 

 豊かな自然の六甲山は関西の人たちにとっては、身近でハイキングや登山が楽しめ、夏場は涼と神戸の夜景が楽しめるリゾート地として人気が高い。六甲山北側山麓の温泉地・有馬温泉は、関西の奥座敷として親しまれ、歴史ある温泉を楽しむ人が多い。
今回はこのふたつのリゾート地を訪ねてみた。


 
六甲山牧場  放送 6月7日(月)
 六甲山のリゾート地開発のきっかけを作ったのは、六甲山の自然に強く心をひかれ、その眺望の素晴らしさが気に入った、イギリス人貿易商のアーサー・ヘスケス・グルームだった。居留地に住んでいたグルームは明治28年(1895)三国池付近に約3万3000平方m(約1万坪)の土地を借り、別荘を建てた。この別荘が六甲山に初めて建った人家で、居留地のグルームの商館番号101番にちなみ「101番邸」と呼ばれていた。
 グルームは快適な六甲山上の良さをPRするとともに、住み心地のよさそうな土地に家を建て、友人たちに勧めた。こうして赤い屋根の洋館がひとつ、ふたつと増え、夏場だけの「異人村」が形成された。

三国池

(写真は 三国池)

六甲山牧場

 六甲山上の別荘で友人たちと週末を過ごしながらの団らんの中で、グルームは「六甲山にゴルフ場を作ってみよう」と思いついた。鎌で笹や雑草を刈り、木の根を掘り起こし、大きな石は穴を掘って埋めるなど、すべて手作業でのコース作りを進め、明治34年(1901)4ホールがオープンした。2年後の明治36年(1903)9ホールとなり、日本初のゴルフ場「神戸ゴルフ倶楽部」も創立された。
 ゴルフ倶楽部の開場式には当時の服部一三・兵庫県知事が始球式を行い、そのボールが今も倶楽部に保存されている。オープン当初はプレーするのは外国人ばかりだったが、そのうち日本人も加わるようになり、日本人女性もプレーを楽しむようになった。

(写真は 六甲山牧場)

 赤レンガのサイロや北欧風の牛舎が建ち並び、ヒツジや乳牛、ヤギ、馬などが草を食む光景は、まるでアルプス・チロル地方を思わせる。家族連れやカップルが大勢訪れ、動物たちとの触れ合いを楽しんでいる神戸市立六甲山牧場は、昭和31年(1956)にオープンした。
 126haの牧場にはヒツジや乳牛が放牧されているほか、ヤギ、ポニー、木曽馬、与那国馬、ロバ、ミニブタ、アヒルなどが飼育されている。馬場ではポニーに乗って乗馬を楽しむこともでき、動物たちに餌をやったり、触れたりすることもできる。搾りたての牛乳からのチーズ作りや羊毛の手つむぎやマスコット作りの体験もでき、牧場内の神戸チーズ館ではチーズの製造、展示、販売をしている。

動物ふれあい広場

(写真は 動物ふれあい広場)


 
ロマンティック六甲  放送 6月8日(火)
 いつでも、どこでも、好きな音楽を聴きたいと言う人びとの夢は、200年ほど前にオルゴールとなって実現した。現代はラジオで,CDで、良質の音楽を楽しむことができるが、蓄音機やラジオが発明されるまでは、それは夢のようなことだった。
 こうした人びとの願いが自動演奏楽器の発明へとつながり、そのひとつがオルゴールとなった。オルゴールには筒に曲を記録するシリンダー・オルゴールと円盤に曲を記録するディスク・オルゴールの2種類がある。六甲山上の「ホール・オブ・ホールズ六甲」には、19世紀末から20世紀初めに最盛期を迎えたオルゴールや、各時代、各国の自動演奏楽器が多数集められている。

ホール・オブ・ホールズ六甲

(写真は ホール・オブ・ホールズ六甲)

オルゴール

 シリンダー・オルゴールは1860年から1880年ごろが最盛期、ディスク・オルゴールは1900年ごろから約30年間が最盛期だった。オルゴールから流れ出る美しい音色とメロディーには、うっとりさせられる。また、不思議な自動人形の動きが、心を引きつけ目と耳で楽しませてくれる。
 ホール・オブ・ホールズ六甲にはオルゴールのほかに、20世紀前半にもてはやされた自動演奏ピアノ、オルガン、バイオリン、アコーデオン、バンジョーや自動人形が多数展示され、楽団さながらの演奏や手回しオルガンが楽しめる。

(写真は オルゴール)

 館内のミュージアムショップでは珍しいオルゴールやアンティークオルゴールなどを販売しているほか、オルゴール製作スタジオでは、ガラス越しにオルゴールの製作過程が見学できる。このスタジオではシリンダー・オルゴールの注文製作に応じており、オリジナルなオルゴールが作ってもらえる。
 摩耶ロープウエイ星の駅近くにある南欧風のリゾートホテル「オテル・ド・摩耶」では、神戸の100万ドルの夜景を楽しみながらの食事は格別。標高700mの野外にあるジャグジー(泡風呂)では、神戸の夜景や星空、月を眺め、時には幻想的な霧に包まれての風呂が楽しめ、リラックスした気分に浸れる。

オテル・ド・麻耶エルベッタ

(写真は オテル・ド・麻耶エルベッタ)


 
有馬のいで湯  放送 6月9日(水)
 京阪神の奥座敷と言われる有馬温泉は、神代の昔、温泉で傷を癒すカラスを見て温泉を発見したとの伝説が残る。日本書紀には飛鳥時代に舒明天皇や孝徳天皇が有馬へ行幸し、入湯したとの記録があるほど有馬温泉の歴史は古い。その後、衰微していた温泉を奈良時代の神亀元年(724)行基が温泉寺を建立、これ以後、有馬の湯は広く世に知られるようになった。
 有馬温泉はたび重なる火災や地震、洪水などの災害で盛衰を繰り返すが、赤湯と呼ばれる含鉄強塩泉の「金泉」、炭酸泉やラジウム泉の「銀泉」の2種類の異なったお湯で、さまざまな温泉の効果が得られ、これが有馬温泉のセールスポイントであり魅力である。

行基像(温泉寺)

(写真は 行基像(温泉寺))

天神泉源

 行基自らが丈六の薬師如来像を刻み、本尊として安置したとされている温泉寺は、有馬温泉を襲った承徳元年(1097)の大洪水、山津波で温泉街と共に大被害を受けさびれた。
100年後の建久2年(1191)大和の僧・仁西が、温泉寺を再興するとともに温泉も修復した。この時、薬師如来を守る十二神将になぞらえて12の坊舎を建てたのが、今も有馬温泉に坊の名のつく温泉旅館のある由来。
 鎌倉、室町時代にかけてにぎわった有馬温泉は、戦国時代の享禄元年(1528)と天正4年(1576)の2度にわたる大火で荒廃し、すっかり寂れてしまった。

(写真は 天神泉源)

 寂れた温泉街を天正13年(1585)温泉好きで知られていた豊臣秀吉が再興したが、慶長元年(1596)の大地震でまたしても大きな被害を受け、温泉が熱湯になってしまったが、秀吉は再び家臣に泉源の修復などを命じた。この時以来、大きな泉源の改修工事は行われておらず、当時の土木技術の高さがうかがわれる。
 今日の有馬温泉があるのは、行基、仁西、秀吉の尽力によるもので、この3人を「有馬温泉三恩人」と呼んでいる。銀水荘別館・兆楽では金泉、銀泉の二つの湯を楽しむことができる。クヌギの木立の中で朝日を浴びながら湯に浸る「櫟(くぬぎ)の湯」。
櫟の湯とは異なる泉源から引いた金泉、銀泉の「あたごの湯」「ひぐらしの湯」では、夕日に染まる森を眺めながらゆったりとした気分にひたれる。

銀水荘別館 兆楽

(写真は 銀水荘別館 兆楽)


 
豊太閤ゆかりの湯  放送 6月10日(木)
 豊臣秀吉は有馬の湯がたいそうお気に入りで、最初に有馬温泉を訪れた天正11年(1583)以降、この世を去る慶長3年(1598)までの15年間に、記録に残るだけでも9回も有馬を訪れている。
 秀吉は正室・ねねの北政所や側室・淀殿のほか、千利休らをともなって有馬で湯治、たびたび茶会を催したり花見を楽しんだりした。特に盛大だった茶会は天正18年(1590)有馬大茶会で、現在も秀吉をしのぶ行事として、毎年11月2、3日に瑞宝寺公園で有馬大茶会が行われている。この公園には秀吉が利休と碁を楽しんだと言われる石の碁盤が残る。秀吉が茶会に用いたゆかりの茶釜が善福寺に伝わっている。

石の碁盤(瑞宝寺跡)

(写真は 石の碁盤(瑞宝寺跡))

阿弥陀堂釜(善福寺)

 秀吉が有馬温泉をたびたび訪れているのは、飛鳥時代に孝徳天皇が皇后と共に有馬で湯治、子宝に恵まれたことから「子宝の湯」との伝承が残る。子宝に恵まれなかった秀吉もこれにあやかろうと正室・ねねや側室・淀殿をともなって有馬の湯に行ったのではないかと推測されている。
 秀吉は戦国時代の2度にわたる大火や、慶長元年(1596)の大地震で大きな被害を被った有馬温泉を修理、復興させたほか、泉源や河川改修などを行い江戸時代の繁栄の基礎を築き、有馬温泉にとっては大恩人とされている。温泉街には太閤像と太閤橋、ねね像とねね橋、太閤通など太閤、秀吉の文字がそこかしこにある。

(写真は 阿弥陀堂釜(善福寺))

 秀吉が有馬温泉に湯殿を建設させたとの記録があり、地元では「極楽寺に太閤さんの湯殿がある」と言い伝えられていたが、詳細は不明だった。
 ところが平成7年(1995)1月の阪神淡路大震災で極楽寺の庫裏が壊れ、その下から秀吉の湯山御殿の一部と見られる湯ぶねや庭園の遺構、瓦や茶器などが発見された。発掘調査の結果、蒸し風呂跡や岩風呂跡などが確認され、言い伝えが実証された。これらの遺構や出土品を展示するため、極楽寺庫裏の1階を資料館として整備し「太閤の湯殿館」として平成11年(1999)にオープン、温泉客らは温泉好きの太閤をしのびながら風呂跡などに興味を示している。

岩風呂遺構(太閤の湯殿館)

(写真は 岩風呂遺構(太閤の湯殿館))


 
有馬みやげ  放送 6月11日(金)
 有馬温泉みやげと言えば炭酸せんべいが定番とも言える。有馬温泉から湧き出す天然炭酸水を利用して、独特の製法で作られた菓子で、素朴な風味と歯ざわりのよさで人気を保っている。
 明治40年(1907)ごろ三津森本舗の創業者・三津繁松さんが炭酸泉を使って考案したもので、固くならないように薄く仕上げることがポイントの1〜2ミリほどの薄焼きせんべい。せんべいの図柄は炭酸泉源公園の東屋で、昔は備長炭で1枚、1枚焼いていたが、今は一度に9枚焼ける機械で手焼きしており、この手作業が店先で見られる。炭酸水を使った「ありまサイダー・てっぽう水」も夏場の温泉客には人気。

三津森本舗 炭酸煎餅

(写真は 三津森本舗 炭酸煎餅)

有馬籠 くつわ

 有馬温泉で作り続けられている趣のある伝統工芸品もみやげとして見逃せない。
そのひとつ、有馬籠は千利休の求めによって茶道具として作り始められた。450年の歴史を持つ繊細な竹細工は、茶華道用品から趣味の品、家庭用品までとその製品の幅は広い。浄土真宗本願寺11世門主となった顕如が有馬温泉に入湯した折、有馬籠を求め豊臣秀吉の夫人・ねねに贈ったとの記録もある。
 有馬温泉で唯一有馬籠を製造販売している「有馬籠・くつわ」の当主で籠師・轡(くつわ)昭竹斎さんは、薄く割いた竹を見る見る籠に形作っていく。六角形に編んでいく六つ目編みが基本で、目が大きいほど編み方が難しい。轡さんは店先で製造実演をしたり、希望者には竹芸教室を開いて竹籠作りを教えている。

(写真は 有馬籠 くつわ)

 カラフルな絹糸が織り出す美しい柄が軸を彩る有馬人形筆は、字を書こうと筆を垂直に立てると軸の中から小さな人形がピョコンと飛び出し、倒すと軸の中に隠れる。
この様子がとても可愛いと買い求める客が多い。
 飛鳥時代、子供ができないと悩んでいた孝徳天皇と皇后が、有馬で入湯して有間皇子を授かったとの話をヒントに、神戸の筆職人が赤ん坊に見立てて人形が飛び出す仕掛けを室町時代末期に考案したと伝えられている。有馬人形筆の西田筆店6代目当主・西田光子さんは、絹糸を筆軸に巻きつけ色鮮やかな模様を作り出す。その手先の動きは80歳を過ぎているとはとても思えない。基本の柄は市松、矢がすり、青海波、うろこの4種で、この基本柄をアレンジしていろいろ模様を生み出す。

有馬人形筆(西田筆店)

(写真は 有馬人形筆(西田筆店))


◇あ    し◇
神戸市立六甲山牧場阪急電鉄阪急六甲駅からバスで六甲山牧場下車。
六甲ケーブル山上駅下車、六甲山上シャトルバスで
六甲山牧場下車。
摩耶ケーブル、摩耶ロープウエイを乗り継ぎ星の駅下車、
六甲山上シャトルバスで六甲山牧場下車。
オルゴールミュージアム・
ホール・オブ・ホールズ六甲
六甲ケーブル山上駅下車、六甲山上シャトルバスで
オルゴール館前下車。
摩耶ケーブル、摩耶ロープウエイを乗り継ぎ星の駅下車、
六甲山上シャトルバスでオルゴール館前下車。
ホテル・ド・摩耶摩耶ケーブル、摩耶ロープウエイを乗り継ぎ星の駅下車
徒歩7分。
有馬温泉神戸電鉄有馬温泉駅下車。他に大阪・梅田、神戸・三宮から
それぞれ有馬温泉行バスの便有。
電車、バス下車後は温泉寺、善福寺、金の湯、銀の湯、
太閤の湯殿館などへはそれぞれ徒歩5〜15分。
他に温泉街を周遊するループバスもある。
◇問い合わせ先◇
神戸市立六甲山牧場078−891−0280 
オルゴールミュージアム・
ホール・オブ・ホールズ六甲
078−891−1284
ホテル・ド・摩耶078−862−0008 
有馬温泉観光総合案内所078−904−0708 
温泉寺078−904−0650 
銀水荘別館・兆楽078−904−3656 
善福寺078−904−0127 
太閤の湯殿館078−904−4304
炭酸煎餅・三津森本舗078−903−0101 
有馬籠・くつわ078−904−0364 
有馬人形筆・西田筆店078−904−0761 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

    あなたも「関西の歴史や文化を楽しみながら探求する」歴史街道倶楽部に参加しませんか?
    歴史街道倶楽部では、関西各地の様々な情報のご提供や、ウォーキング、歴史講演会など楽しいイベントを企画しています。
   倶楽部入会の資料をご希望の方は、
 ハガキにあなたのご住所、お名前を明記の上、
          郵便番号 530−6691
          大阪市北区中之島センタービル内郵便局私書箱19号
                  「テレホンサービス係」
へお送り下さい。
   歴史街道倶楽部の概要を解説したパンフレットと申込み用紙をご送付いたします。
       FAXでも受け付けております。FAX番号:06−6448−8698   

歴史街道推進協議会