月〜金曜日 18時54分〜19時00分


大阪市・なにわ探検クルーズ 

 水の都・大阪にふさわしい観光に落語家と一緒にまわる「なにわ探検クルーズ(2500円)」が2004年7月から9月にかけて運行される。クルーズ船で大阪の川を一周する「川の環状線コース」とクルーズ船から大阪城を眺めたり、中之島周辺の景観を楽しむ「中之島・大阪城コース」の2コースが設定されている。


 
水の都・ぐるり一周  放送 7月19日(月)
 定員40人のクルーズ船での水の都・大阪主要観光スポット巡りができると、なにわ探検クルーズは今、大阪観光の中で人気が高まっている。予約しておけば「太閤弁当」やビールの「太閤エール」も販売しており、太閤気分で船遊びが楽しめる。なにわ生まれのなにわ育ちの・なにわっ子・でも「そんなのあったの」と言い、暑い夏のこの季節、夕涼みがてらのクルーズも風情がある。
 乗船場は難波の道頓堀川べりに平成14年(2002)にオープンした音楽の情報発信拠点「湊町リバープレイス」のそば。

太閤エール

(写真は 太閤エール)

湊町船着場

 大阪市の中心部を一周する「川の環状線コース(7月中)」は、湊町リバープレイス前の道頓堀川船着場をスタートし、西へ向けて時計回りに道頓堀川を進み、木津川に出てから堂島川に入り天満橋までさかのぼる。そこから東横堀川に入って阪神高速道路の下の東横堀川を南下し、再び道頓堀川に入ってリバープレイスへと戻ってくる。この間1時間半の船旅である。
 もうひとつの「中之島・大阪城コース(8月1日〜9月26日)」は、天満橋までは環状線コースと同じで、そこから東横堀川に入らず、土佐堀川を下り道頓堀川へ戻る1時間40分のコース。

(写真は 湊町船着場)

 道頓堀川から木津川に入るとまず左手に大阪ドームが見え、堂島川に進むと川沿いに高層ビルが林立するビル街。大阪国際会議場を過ぎ中之島の北側を進み、日本銀行大阪支店、大阪市庁舎から大阪市中央公会堂と馴染みの建物が目に飛び込んでくる。
 中之島、本町のビジネス街のビルやホテル、道頓堀と見慣れているはずの街の風景も、眺める視点が川面からに変わるとガラッと趣が異なり新鮮に映るから不思議なものだ。
要所、要所では船がストップし、船の屋根も開いてゆっくり景色を堪能できるのがこのクルージングのよさである。

大阪ドーム

(写真は 大阪ドーム)


 
水門の仕組み  放送 7月20日(火)
 湊町リバープレイス前の道頓堀川船着場を出発して西に向かったクルーズ船は、間もなくストップして「道頓堀川水門」に入る。陸から見ると高速道路の料金所のように見える水門の建物だが、それにしては道路は通っていないし「この建物はいったいなんやろ?」と思っている人も多いに違いない。
 道頓堀川が木津川より水位が高いため、船が水門に入ると水を抜き、木津川の水位にまで下げてから船を送り出す仕組みになっている。「川の環状線コース」にはもうひとつ東横堀川水門があり、今度は東横堀川の水位まで上げて船を通過させる。

道頓堀川

(写真は 道頓堀川)

クルーズ船

 こんな働きをする水門があったことを知らない“なにわっ子”も多いのではないだろうか。これも大阪の川をクルージングした収穫のひとつかもしれない。
 大阪は豊臣時代から江戸時代にかけて掘られた道頓堀、長堀、立売堀、阿波座堀、京町堀、江戸堀、東横堀、西横堀など、多くの堀川が縦横に走り「水の都」と形容されていた。しかし、水質悪化のなどを理由に次々に埋め立てられ、道頓堀川と東横堀川だけになってしまった。この両堀川の水質の浄化と水位の調整、高潮を防ぐ防潮のために二つの水門が建設された。

(写真は クルーズ船)

 道頓堀川と東横堀川の水位は大阪湾の水位と比べ干潮時には1.7〜2m高く保たれている。従ってこの水位を水門で調整しなければ船は航行できない。干潮時には水を抜いたり入れたりするのに最大で20分ほどかかる時もある。満潮時は5分ほどですむこともあるが、この間、水門を通過する船は待たなければならない。
 水質浄化には満潮時に東横堀川の水門を開けて、大川の比較的きれいな水を東横堀川から道頓堀川へ流し込む。干潮時に道頓堀川の水門を開けて木津川へ汚れた水を放水する。こうして大阪を代表する道頓堀川の水がきれいに保たれている。最近はバクテリアによる水質浄化なども進められ、魚の泳ぐ姿も見られるようになってきた。

道頓堀川水門

(写真は 道頓堀川水門)


 
水の都・橋めぐり  放送 7月21日(水)
 水の都・大阪は「杭だおれの橋の都」とも言われている。俗に大阪八百八橋と言うが、現在、大阪市内の橋は790で、なにわ探検クルーズがくぐる橋は全部で58。
満潮時には橋桁と水面との間がわずかしかなく「ぶつからずにくぐり抜けられるのか?」と、乗客をハラハラさせる橋がいくつもあり、水面すれすれに架かる橋自体が、名所になっている橋も少なくない。
 橋が架けられたいきさつ、橋の名の由来、その橋が果たした役割など、くぐり抜ける橋のパンフレットを片手に、橋を下から眺めるのは貴重な体験となる。ここでは一部の橋のほんのさわりだけを紹介するが、それぞれの橋の架橋のいきさつや由来、故事来歴などを探訪するのも面白い。

昭和橋

(写真は 昭和橋)

大江橋

 湊町リバープレイス前の道頓堀川船着場を出発した船は、道頓堀川に架かる6つの橋をくぐり、道頓堀川水門を抜けて木津川に出る。木津川にも多くの橋が架かり次々と通り抜ける。明治時代初めに松島遊廓への通じる橋として架けられた松島橋、堂島川と土佐堀川が合流し安治川となる地点の端建蔵(はたてくら)橋の名は、中之島の西端にあった蔵に由来するとか。
 堂島川に入るとよく知られた名橋が続く。大阪市庁舎北側の大江橋の名称は、万葉歌人の歌にも詠まれた地名に由来し堂島川五橋のひとつ。次はその名も姿も優雅な水晶橋は、昭和初めに可動堰として建設されたもので、歩行者専用の橋でアーチ型のデザインが美しい。鉾流橋は天神祭の時に行われる鉾流しの神事に由来してこの名がついた。

(写真は 大江橋)

 次ぎには浪華三大橋の難波橋、天神橋、天満橋が続く。難波橋は奈良時代の僧・行基が架けたのが始まりとも言われる橋で、堂島川と土佐堀川の二つの川に架かる大きな橋で、南北の橋詰めに4頭のライオン像があることから別名・ライオン橋とも呼ばれる。天神橋は豊臣時代に架けられ、大阪天満宮が管理していたことからこの名になった。天満橋は京都から淀川を下ってくる船の船着場が橋のそばにありにぎわった所。
 船は東横堀川に架かる多くの橋をくぐり、再び道頓堀川に戻ってくる。日本橋を過ぎると見えてくる相合(あいあう)橋は、北の遊女町と南の芝居町を結び、芸者と役者が相合う場所から相合傘ならぬ相合橋。道頓堀川に架かる橋で一番にぎわうのが戎橋。道頓堀が開削されると同時に架けられ、今宮戎神社の参道にあることからこの名がつけられた。

水晶橋

(写真は 水晶橋)


 
中之島名建築ウォッチング  放送 7月22日(木)
 なにわ探検クルーズ「川の環状線コース」で、最も絵になる美しい風景が展開するのは中之島界隈。堂島川を西から東へ進む船から左側を見ると高層オフィスビルが林立するかと思えば、右側の中之島にはレトロな名建築が建ち並ぶ。暑い夏の大阪の最大のイベント・天神祭の渡御船やその供奉船が行き交い、夜空を花火が彩り、なにわっ子が一年で最も燃えるのもこの堂島川界隈。
 堂島川、土佐堀川に囲まれた中之島周辺は、銀行、証券会社、商社など集まり、大阪の経済、ビジネスの中心街で、現代の水の都・大阪を象徴する場所かもしれない。

日本銀行大阪支店

(写真は 日本銀行大阪支店)

大阪府立中之島図書館

 明治36年(1903)完成の日本銀行大阪支店、明治37年(1904)の建築で正面玄関の円柱が、ギリシャの神殿を思わせる大阪府立中之島図書館は、中之島に重厚さを醸し出している。
 府立中之島図書館は、住友家15代当主・住友吉左衛門氏の建物寄付の申し出を受けて開館した、大阪で最初の本格的図書館。設計は住友家の建築技師があたり、ネオ・バロック様式の建物で、中央ホールは教会を思わせる造りとなっている。さらに大正11年(1922)住友家からの寄付で、左右両翼の建物が完成し現在の形となり、本館と両翼の建物は国の重要文化財に指定されている

(写真は 大阪府立中之島図書館)

 大正期のネオ・ルネッサンス様式の建築として、優美な外観と格調高いデザインを誇る赤レンガ造りの大阪市中央公会堂は、明治44年(1911)株式仲買人の岩本栄之助氏が申し出た寄付金(100万円・現在換算50億円)で建設され、大正7年(1918)に完成した。老朽化した公会堂を後世に残すため、平成11年(1999)から保存・再生工事が始まり、平成14年(2002)建設当時の姿を市民らの前に甦らせた。
 中之島の東端にある中之島公園は市民や近くのビジネス街の人たちの憩いの場となっている。特にバラ園に色とりどりのバラが咲き競う時期は、その香りと鮮やかな色は、人びとに心和む憩いのひとときを与えてくれる。

中之島バラ園

(写真は 中之島バラ園)


 
道頓堀夜景  放送 7月23日(金)
 なにわ探検クルーズの最終便となる第4便はナイトクルーズとなり、黄昏の午後6時45分出発。夏なら西の空に日が沈みかけるころ。冬なら暗くなりネオンがきらめいている。
 この便に限り追加オプション1000円で、ビール、チューハイ、ソフトドリンクが飲み放題で、太閤弁当でも予約しておけば一層盛り上がる。暑い夏なら川面の涼風を受け、大阪中心街の川べりの夜景を楽しみながらビールと太閤弁当で太閤気分にひたれ、お客さんは上機嫌。

夜の道頓堀川

(写真は 夜の道頓堀川)

戎橋

 湊町リバープレイス前を出発して市内をほぼ一周、再び道頓堀川へ帰って来て相合(あいあう)橋から戎橋へかかるころには、とっぷり日が暮れて道頓堀名物のネオンサインも花盛り。
 道頓堀川に映るネオンが美しい道頓堀界隈だが、その川面からネオンを見上げるのもなかなかオツなものである。道頓堀の名物「グリコ」のネオン看板もひときわ鮮やかに見える。クルーズ船の乗客もご機嫌なら、戎橋の上の人びともご機嫌さん。どちらからともなく手を振りあいながらひとときの親しさを楽しむ。

(写真は 戎橋)

 両岸にネオンの輝く川、川沿いに高層ビル群のそそり建つ夜の川を往きながら、大阪の夜を楽しめるのはクルーズ船の醍醐味と言える。ともかく昼であれ、夜であれ、船で大阪の中心街を巡れば、これまで知らなかった新しい大阪を発見し、趣向の異なった楽しみ方ができる。
 豊臣秀吉に命じられ道頓堀を開削した安井道頓も、21世紀に生きる人びとから道頓堀がこんなに愛されるとは思いも寄らなかったことであろう。きれいな水の道頓堀川を甦らせ、水の都・大阪の憩いの場として後世に残したいものである。

道頓堀夜景

(写真は 道頓堀夜景)


◇あ    し◇
湊町リバープレイス船着場 JR関西線難波駅下車徒歩2分。
近鉄、地下鉄難波駅下車徒歩5分。
南海電鉄難波駅下車徒歩7分。
◇問い合わせ先◇
なにわ探検クルーズ・
一本松海運会社
06−6441−0532
※前日までの乗船申込はJR西日本主要駅のみどりの窓口まで。季節によって運航コース、運航時間、便数が変わる。

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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