月〜金曜日 18時54分〜19時00分


京丹後市

 京都府北端の丹後半島の峰山町、大宮町、網野町、丹後町、弥栄町、久美浜町の六つの町が合併して、今年4月1日に京丹後市が誕生した。古くから開け古い歴史を持つ丹後半島に誕生した京丹後市は、リアス式海岸とその美しい海岸美、山間地の豊かな自然の景勝地のほかに、多くの文化財や遺跡、歴史に彩られた伝承や伝説などが多い。今回は新しく誕生した京丹後市の観光スポットを訪ねた。


 
丹後の海(丹後エリア) 放送 7月26日(月)
 丹後半島最北端にある丹後エリアの海岸線は若狭湾国定公園内で、経ヶ岬灯台、丹後松島、柱状節理の大岩の立岩など美しい海岸美を背景にした多くの観光ポイントがある。
 丹後半島の最北端の経ヶ岬の140mの断崖の上に建つ白亜の経ヶ岬灯台は、日本三大灯台のひとつともいわれ、明治31年(1898)の発点灯以来、1世紀以上も日本海を航行する船の安全を見守り続けている。この灯台のレンズは全国で6灯台にしかないと言う最高級のレンズが使用されている。映画「新・喜びも悲しみも幾年月」の舞台にもなっていて、視界がよければここから能登半島を望むこともできる。

経ヶ岬灯台

(写真は 経ヶ岬灯台)

丹後松島

 日本三景の宮城県の松島にも勝るとも劣らないのが丹後松島。朝日を受けてシルエット状に浮かぶ島々、真っ赤に染まる夕焼けの海に浮かぶ島々、一日のうちに何度もその趣を変える丹後松島の眺めは素晴らしく、京都百景にも選ばれている。丹後松島は近くから眺めるのもよいが、犬ヶ岬の東に設けられている丹後松島展望所からの眺めがベストポジションだと言う。
 袖志(そでし)の棚田は、半農半漁の袖志の人たちが、その美しい風景を今日まで大切に守り伝えてきたもので、日本棚田100選にも選ばれている。

(写真は 丹後松島)

 リアス式海岸で奇岩の多い丹後エリアのシンボル的な存在とも言えるのが立岩。周囲が約1kmもあると言われる柱状節理の岩礁が、竹野川河口近くの海に横たわっている日本でも数少ない自然岩のひとつ。
 立岩のすぐ前は丹後エリアの中心地の間人(たいざ)。地名の由来となった穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇女とその子・聖徳太子の石像がたたずんでいる。仏教の受け入れをめぐって蘇我氏と物部氏が激しく対立、用明天皇の皇后・穴穂部間人は乱を逃れてこの地に避難した。蘇我氏の勝利で争いは終わり、皇后は大和へ帰ることになり、自分の名の「間人」をこの地の地名にした。しかし、里人は皇后の名をそのまま口にするのは恐れ多いとして、この地を退座されたことにちなみ「たいざ」と呼ぶようにした。

袖志の棚田

(写真は 袖志の棚田)


 
静御前(網野エリア) 放送 7月27日(火)
 丹後地方は歴史や伝説に名高いヒロインたちを多く生んでいる。丹後半島の西側に位置する京丹後市網野エリアは、丹後ちりめんの主産地として知られ、京都府下トップの生産高を誇っている。その網野エリアの磯と言う小さな集落は、源義経の愛を受けた静御前生誕の地であり、屋敷跡には「静御前生誕の地」の石碑が立っている。
 悲劇の女性・静御前は生まれ故郷で、その短い生涯を終えたとされているが、里人たちは集落の西の外れのリアス式海岸の切り立った崖の上に、静神社を建て彼女の木像を祀っている。

磯の集落

(写真は 磯の集落)

静御前生誕の地

 静御前は磯の善次の娘として生まれたが6歳で父を亡くした。静は故郷に別れを告げ母と京都に上り、その美貌と巧みな舞で京でも指折りの白拍子に成長した。寿永元年(1182)後白河上皇が、御所の神泉苑で雨乞いの神事を行った際、静御前は召されて舞い、その直後に大雨が降り上皇からお褒めにあずかったとの伝えもある。
 源義経に見染められて側室となった。源平の戦で平家を滅ぼした後、義経は兄頼朝と不仲になり追われる身となり、静を連れて京から吉野山へ逃れた。雪の吉野山で別れ別れになり、身重の静は捕らわれ鎌倉へ送られた。静は義経の子を生んだが、男児だったためその子は由比ヶ浜に沈められた。

(写真は 静御前生誕の地)

 悲嘆にくれる静は母とともに生まれ故郷の丹後半島の磯に帰り、生家跡に小さな庵を作った。義経の無事と愛児の冥福を祈る毎日だったが、この地で20余歳で亡くなり短い生涯を閉じたと伝えられている。
 義経が磯の惣太と言う豪族に送ったと言う手紙が、静神社に残っていたとの記録があるが、天明2年(1782)の大火で、静の遺品と共にすべて焼失した。
 網野町には夕日ヶ浦の景勝を眺めながら、旅の疲れを癒す夕日ヶ浦温泉がある。湯上がりには丹後の海の幸が食卓をにぎわし、その美味が満喫できる。

夕日ヶ浦海岸

(写真は 夕日ヶ浦海岸)


 
豪商稲葉本家(久美浜エリア) 放送 7月28日(水)
 久美浜の豪商だった稲葉家の住宅を14代当主・稲葉昭次氏から旧久美浜町が土地を購入、家財、文書を含む建物の提供を受け、平成13年(2001)「豪商稲葉本家」として開館、一般公開している。この建物は明治18年(1885)から
5年間をかけて建て直されたもので、主家の居間と土間を一体として吹き抜ける大空間の壮観さが一番の見どころ。
 歴史的建造物を公開するだけでなく、陶芸教室や香を楽しむ場所を提供し、地元民だけでなく網野町を訪れる人たちとの交流の場としての役目も果たしている。

稲葉家住宅

(写真は 稲葉家住宅)

第十三代稲葉市郎右衛門像

 稲葉家初代当主・稲葉喜兵衛は織田信長の家臣。美濃国の武将・稲葉一鉄の分家の次男として生まれ、武田信玄に抵抗して敗れ、約400年前にこの地に移り住んだと言われている。喜兵衛はこの地で糀屋を営み、後には近在の諸藩の金融を引き受ける豪商となった。7代目から市郎右衛門を名乗るようになり、明治時代以降の当主たちは、地元の産業振興に尽力した。鉄道の敷設にも力をそそぎ、丹後半島の発展に寄与し、衆議院議員や京都府議会議員なども務めた。
 稲葉家は明治維新後、山陰道鎮撫総督・西園寺公望の本陣となり、数百人の関係者が宿泊したとの記録も残っている。

(写真は 第十三代稲葉市郎右衛門像)

 明治23年(1890)完成した現在の稲葉家の建物は、広い敷地に豪壮な主屋や蔵などが建ち並ぶ豪商の屋敷にふさわしいたたずまいを見せている。
 主屋は規模が大きく、建物の用材も柱にケヤキを多く使い、松の太い梁を井桁状に組み上げる豪壮な木組みで、上質で堅牢な造りとなっている。土間と居間を一体化した吹き抜けの空間は、この建物を象徴する構造であり見る者を圧倒する。但馬地方の建築形式をよく示す事例としても貴重な存在でもある。ほかに奥座敷の吟松舎や長屋門の雛御門、宝蔵、土蔵など見るべき建造物が多い。

郷土料理 ばら寿司

(写真は 郷土料理 ばら寿司)


 
天女伝説(峰山エリア) 放送 7月29日(木)
 羽衣天女の伝説は静岡県の三保の松原、滋賀県の余呉をはじめ全国に分布しているが、峰山エリアに伝わる天女伝説が最も古く、羽衣伝説の原型と言われている。峰山エリアの磯砂(いさなご)山の頂上のてんてん広場には「日本最古の羽衣伝説発祥の地」のモニュメントがあり“本家”を強調している。
 峰山エリアに伝わる羽衣伝説は二つある。そのひとつは磯砂山の天女伝説、もうひとつは安達家に伝わる七夕伝説である。いずれも早くから開けた丹後地方の古代史と密接な関係がある伝説で、丹後王国の信仰の象徴が天女伝説に変化したようだ。

磯砂山

(写真は 磯砂山)

安達家家紋

 磯砂山の頂上近くの女池で8人の天女が水浴びをして楽しんでいた。通りかかった比治の里の若い狩人・三右衛門が木にかけられていた羽衣のひとつを持ち帰り、大黒柱に穴を開けその中に隠した。羽衣を持ち去られ天に帰れなくなった天女は、三右衛門を訪ね「羽衣を返して欲しい」と頼みましたが断られ、三右衛門と結婚し3人の美しい娘を生んだ。
 天女は農業、養蚕、機織り、酒造りなどの優れた技を持ち、その技術を里人たちにも教え比治の里は豊になった。ある日天女は、隠されていた羽衣を見つけ天へ帰ることができた。天女の娘のひとりを祀ったのが乙女神社で、この神社にお参りすると美しい女の子を授かると言われている。

(写真は 安達家家紋)

 もうひとつの七夕伝説は、天女の子孫と言われる安達家に伝わるものである。安達家の家紋は○に七夕の二字が入った日本唯一のもので、安達家は代々三右衛門を襲名している。七夕の日に安達家に伝わる「牽牛・織女の図」の掛軸や古い猟具の矢筒、矢尻などを床の間に飾り、近在の人たちがお参りする。
 この地方では古くから七夕の日には、サトイモの葉の露を集め、その露で墨をすって色紙や短冊に歌や願いごとを書いて竹の枝に結びつけ、手習や手芸の上達を願った。
この竹は翌日、川に流されるが、これを「七夕送り」と言う。この風習が全国に広まり、現代の七夕飾りに発展した。

乙女神社

(写真は 乙女神社)


 
美女哀歌
(大宮エリア、弥栄エリア)
放送 7月30日(金)
 丹後半島には美女にまつわる伝承が多いが、大宮エリアには小野小町、弥栄エリアにはガラシャ夫人にかかわる言い伝えが残っている。
 平安時代の六歌仙の一人で日本を代表する絶世の美女・小野小町は、多くの男性から求婚されていた。中でも深草少将は熱心にその愛を伝え、深草少将の百日通いとして有名だ。その執拗な求婚に耐えかねて都を逃れ、丹後路をたどった。小野一族の荘園があった現在の大宮エリア、五十河(いかが)の里に移り住み、ここでその生涯を閉じたと言われている。

小野小町像(妙性寺)

(写真は 小野小町像(妙性寺))

小町の舎

 五十河の里の小町が開基したと言う妙性寺には、小町の木像と位牌が安置されている。境内には小町の墓もあり、小町のことを記した妙性寺縁起や小町が使っていた蓬莱鏡、漆塗りのお椀が残っている。
 旧大宮町はこの小町の里に小町公園を作り、寝殿造りをイメージした小町の舎(やかた)を建設した。舎内には小町に関する資料を展示し、エントランスホールには小町のブロンズ像が置かれている。小町の舎の近くに茅葺きの建物の蕎麦処「歌仙」があり、地元産そば100%のひきたて、打ちたて、ゆがきたてのおいしいそばが味わえる。

(写真は 小町の舎)

 この小町の里から山ひとつ隔てた弥栄エリア味土野の小高い丘の上に「細川忠興夫人隠棲地」と刻まれた石碑が立っており、戦国時代の悲劇の女性・ガラシャ夫人にまつわる悲話を伝えている。
 明智光秀の娘・玉は16歳で細川忠興の元へ嫁いだ。天正10年(1582)本能寺の変で光秀は主君・織田信長を倒した。忠興は逆臣の娘として妻に災難が及ぶのを恐れ、山深いこの地に3年間幽閉した。この幽閉中にキリスト教に目覚め、洗礼を受けガラシャと名乗った。豊臣秀吉に許されて忠興の元へ帰ったが、その後、関ヶ原の戦の時、石田三成はガラシャ夫人を徳川についた忠興の人質にしようとしたが、夫人はこれを拒み屋敷に火を放ち波乱の生涯を閉じた。

細川ガラシャ夫人の碑

(写真は 細川ガラシャ夫人の碑)


◇あ    し◇
経ヶ岬灯台北近畿タンゴ鉄道峰山駅からバスで経ヶ岬下車
徒歩15分。
丹後松島北近畿タンゴ鉄道峰山駅からバスで此代下車
徒歩5分。
袖志の棚田北近畿タンゴ鉄道峰山駅からバスで袖志下車
徒歩10分。
間人皇后・聖徳太子母子像北近畿タンゴ鉄道峰山駅からバスで丹後庁舎前下車
徒歩10分。
静神社北近畿タンゴ鉄道網野駅からバスで浅茂川下車
徒歩20分。
夕日ヶ浦温泉・あおき橘風苑北近畿タンゴ鉄道木津温泉駅下車徒歩15分。
豪商稲葉本家北近畿タンゴ鉄道久美浜駅下車徒歩10分。
磯砂山
(日本最古の天女伝説発祥の地)
北近畿タンゴ鉄道峰山駅からバスで大師口下車 
徒歩1時間。
乙女神社、天女の里北近畿タンゴ鉄道峰山駅からバスで大呂口下車
徒歩30分。
小町公園、小町の舎(やかた)、
妙性寺
北近畿タンゴ鉄道丹後大宮駅からバスで延利下車
徒歩20分。
ガラシャ夫人の碑北近畿タンゴ鉄道峰山駅からバスで須川下車
徒歩1時間。
◇問い合わせ先◇
京丹後市役所観光振興課0772−69−0450
丹後町観光協会0772−75−0437
網野町観光協会0772−72−0900
夕日ヶ浦温泉・あおき橘風苑0772−74−0555
久美浜町観光総合案内所0772−82−1781
豪商稲葉本家0772−82−2356
峰山町観光協会0772−62−0342
大宮町観光協会0772−68−0038
妙性寺0772−68−0827
小町公園・小町の舎(やかた)0772−64−5533
弥栄町観光協会0772−65−3137

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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歴史街道推進協議会