月〜金曜日 18時54分〜19時00分


兵庫・明石市〜淡路島

 明石海峡大橋が開通するまでは、明石と淡路島はフェリーで結ばれた紐帯のような間柄で、人の往き来も盛んだった。いずれも海の幸の恩恵を受け、おいしい魚が自慢で、関西のグルメたちの注目のスポットでもある。今回はこの明石と淡路島を訪ねた。


 
時の道(明石市) 放送 8月9日(月)
 明石市は東経135度の子午線が通る町として知られている。日本では明治時代初めまでは、太陽が真南に来た時に時計を12時に合わせていたが、それでは地方によってばらつきが出る。そこで明治21年(1888)東経135度子午線上で太陽が真南に来た時を12時とする日本標準時が定められた。
 明治17年(1884)アメリカで国際子午線会議が開かれ、イギリスのグリニッジ天文台を通る子午線上の時刻を世界標準時とし、経度が15度隔たる毎に1時間ずつ時差をつけることが決まった。グリニッジより9時間早い東経135度の子午線上の時刻を日本標準時にした。

水平日時計

(写真は 水平日時計)

上の丸教会

 子午線と言うのは昔、方位を中国にならって
十二支の「子・丑・寅・卯・辰・巳…」で表していたことからきている。真北が「子」で真南が「午」。ここから南北を結ぶ線を子午線と言った。しかし、東経
135度の子午線は、明石市を含め6市9町を通っているのに、なぜ明石市が子午線の町として特に有名なったのか。それは明石の人たちが、明治時代末から子午線を大切にしてきた歴史がある。
 明治時代末に明石の学校の先生たちが、明石の町に子午線標識を建てようと自分たちの月給の中から建設費を出しあった。こうした子午線に対する愛着心は現代へも脈々と続き、明石市内には子午線や時を知らせるモニュメントがたくさんあるからだ。

(写真は 上の丸教会)

 子午線の町を代表するのが、昭和35年(1960)の国際地球観測年を記念して、子午線上に建てられた明石市立天文科学館。子午線標識と展望台を兼ねた54mの塔には、日本標準時を示す大ネオン時計があり、明石市のシンボルとなっている。
館内には満天の星空が楽しめる大型プラネタリウム、太陽と地球、月の動きを知る三球儀や惑星の軌道、銀河系の構造など天体の謎を解く天文ギャラリー、いろいろな時計が展示された時のギャラリーのほか、展望室からは明石の町や明石海峡、明石海峡大橋、淡路島が一望できる。
 天文科学館から明石城までの約2km緑のプロムナード「時の道」には、赤とんぼの子午線標識や時を知らせるさまざまな日時計、ロボットの人形が時を知らせる「とき打ち太鼓櫓」などのモニュメントがいっぱいある。

明石市立天文科学館

(写真は 明石市立天文科学館)


 
明石の蛸(明石市) 放送 8月10日(火)
 明石海峡から播磨灘にかけての海は魚の宝庫。目の前の海で獲れた魚を水揚げする漁港や魚市場、魚の棚(うおんたな)商店街など、明石は魚の町としても知られている。その中でもタコは、弥生時代の遺跡からタコ壺が発見されたほどで、タイと並ぶ明石の名物である。戦国時代には羽柴秀吉が織田信長に明石タイを贈り、江戸時代には明石藩主が将軍家にイイダコのかす漬け、干しダコなどを毎年献上するのが習わしになっていたと言われている。
 このように弥生時代から明石のタコは、味のよさが自慢だったようだ。明石に水揚げされる新鮮なタコは、刺し身やタコしゃぶ、ゆでダコ、干しダコを使ったタコ飯、塩辛などさまざまに形で味わえる。

明石浦漁港

(写真は 明石浦漁港)

玉子焼(本家きむらや)

 明石の漁港に水揚げされた魚介類は、すぐその場で競りにかけられ市内の店頭に並ぶ。漁港と目と鼻の先の距離にあるのが魚の棚商店街。まだ店頭でピチピチはねる魚、トロ箱からはい出して逃げようとするタコ、威勢のよい呼び声が飛び交う魚の棚は、昼過ぎから買い物客でにぎわう。
 魚の棚商店街は江戸時代初めの明石城築城と前後して店が並んだ。この城下町づくりをしたのが、剣豪・宮本武蔵だったと言われている。奥までずらりと陳列の棚が並んでいるので魚の棚の名がつき、独特の「うおんたな」の呼び名で知られた。現在は魚屋のほかに塩干物、かまぼこ、天ぷら、味噌・醤油、衣料品、おもちゃ、家電品、飲食店など、さまざまな業種の店約100軒が並んでいる。

(写真は 玉子焼(本家きむらや))

 明石名物と言えば地元では「玉子焼」と呼ぶ「明石焼」もあげなければならない。
黄卵がたっぷり入った小麦粉の生地に、名物のタコの切り身を入れ、ふっくら焼き上げ薄味のだしに入れて食べると、口の中でトロリととけるようにおいしさが広がる。
明石焼の店は市内に70軒以上あり、それぞれの店に秘伝の味があり、明石焼の食べ歩きをする明石焼ファンもいるとか。
 明石市内の老舗料理旅館では、明石タコの味をさまざまな形で賞味できる「たこづくし会席」があり、タコの味を満喫させてくれる。この料理もタコが名物の町ならではの味。芭蕉も明石を訪れ「たこつぼや はかなき夢を 夏の月」と詠んでいる。

たこづくし会席(人丸花壇)

(写真は たこづくし会席(人丸花壇))


 
明石海峡大橋
(神戸市・淡路町)
放送 8月11日(水)
 平成10年(1998)神戸市垂水区東舞子町と淡路島・淡路町をつなぐ明石海峡大橋が開通し、本州と淡路島が橋で結ばれた。明石海峡をまたいだ橋の全長は3991m、ケーブルを支える2本の中央支塔の間隔は1991mと言う世界一長い吊橋が完成した。
 淡路島民の長年の夢だった本州との掛け橋が実現し、先に開通した大鳴門橋と合わせて四国・徳島県と結ばれ、本州〜淡路島〜四国の大動脈が開通し、産業振興、観光に大きな役割を果たすことになった。

明石海峡大橋

(写真は 明石海峡大橋)

主塔

 昭和63年(1988)5月に始まった現地での架橋工事は、毎秒4.5mの速い潮流、最も深い所で
110mもある大水深、さらに明石タイや明石タコで知られる好漁場での漁業への配慮、一日約
1400隻の船が航行する海峡の海上交通の安全と言った、難題をクリアしなければならない難工事であった。
 こうした難題を十分な調査と日本が誇る高度な架橋技術力で克服した。明石海峡大橋のいたる所に最先端の技術が駆使され、風速80mの暴風、マグニチュード8.5の大地震にも耐える橋が完成した。夜、明石海峡に鮮やかなイルミネーションを輝かせる優雅な姿の明石海峡大橋に、そのような強靱さはうかがえない。

(写真は 主塔)

 明石海峡大橋の模型やいろいろなデータ、資料を展示しているのが明石海峡大橋の神戸市側の舞子浜にある「橋の科学館」。また、橋の科学館では、東京タワーに匹敵する高さ約300mの主塔に昇り、その眺望を楽しむ「明石海峡大橋ブリッジワールド(参加費2100円)」を、2004年8月5日から11月28日まで毎週木曜日から日曜日と祝日に開催している。
 毎日午前と午後の2回、28人をその主塔の最上部に案内する。明石海峡上300mに身を置くその体感、そこからの眺めは絶景と言う言葉を越える貴重な体験になりそうだ。参加は申し込み先着順なので詳しくは橋の科学博物館へ。

主塔から明石海峡

(写真は 主塔から明石海峡)


 
高田屋嘉兵衛(五色町) 放送 8月12日(木)
 司馬遼太郎の小説「菜の花の沖」の主人公で江戸時代後期の海運業者・高田屋嘉兵衛は、明和6年(1769)五色町都志の農家の6人兄弟の長男として生まれた。
幼いころから海に親しみを持ち「この浜に千石船を並べる」との大望を抱いていた。
22歳で神戸に出て大坂と江戸を結ぶ樽廻船の水主(かこ)となり、船乗りとしてのスタートを切った。
 優秀な船乗りとして頭角を表した嘉兵衛は、廻船問屋として海運業に乗り出した。
着々とその実績をあげ、28歳で当時としては最大級の1500石積の船「辰悦丸(しんえつまる)」を建造、船持船頭として蝦夷(北海道)へ商圏を広げる。

高田屋嘉兵衛

(写真は 高田屋嘉兵衛)

都志高田屋屋敷想定復元模型(高田屋嘉兵衛記念館)

 当時は寂しい漁村にすぎなかった函館を拠点に、北海道各地をはじめクリシナ・エトロフ間の新航路を開設したり、新漁場の開拓など、北海道の開拓者として活躍、幕府の海上輸送を一手に引き受けるまでになった。
 当時、日露間では通商をめぐる紛争が起こっていた。そうした時、嘉兵衛はロシア艦艇にだ捕され、カムチャッカに抑留された。抑留中にロシア側との友好と信頼を深め、日本側に捕らえられていたロシアの艦長の釈放に尽力、日露外交にその名を残し、自らも釈放されて日本に戻った。晩年は故郷の淡路島に帰り、港や道路の建設など郷土のために尽力し、59歳で波乱の生涯を終えた。

(写真は 都志高田屋屋敷想定復元模型
(高田屋嘉兵衛記念館))

 淡路島・五色町の生家の周辺には、嘉兵衛を顕彰する記念館や公園などの施設がある。嘉兵衛が晩年を過ごした旧邸跡近くの高田屋嘉兵衛翁記念館には、嘉兵衛の活躍の足跡を示す資料や遺品約100点を展示している。
 嘉兵衛の偉業を顕彰し、後世へ伝えるために建設されたのが「高田屋嘉兵衛公園・ウェルネスパーク五色」。公園内の「菜の花ホール」には高田屋顕彰館があり、実物の半分の辰悦丸の模型やロシア艦長が捕らえられた時の図、ロシア人と話し合う嘉兵衛の像など資料が展示されている。このほか公園内には宿泊施設やオートキャンプ場、五色温泉ゆーゆーファイブなどの観光施設もあり、家族連れで楽しむこともできる。

辰悦丸

(写真は 辰悦丸)


 
おのころ島伝説(南淡町) 放送 8月13日(金)
 伊弉諾(いなざぎ)、伊弉冉(いざなみ)の二神が、天の浮橋から「天の沼矛(あめのぬぼこ)」で海中をかき回し、引き上げた矛の先からしたたり落ちた塩が固まってできたのが日本最初の島「おのころ島」。このおのころ島に降りた二神が初めに淡路島、次いで四国、本州とつぎつぎに日本列島を造ったとの国生み神話が、古事記、日本書紀に記されている。
 おのころ島が淡路のどこにあるかについては諸説あり、南淡町の沼島(ぬしま)、淡路町の絵島、三原町のおのころ神社付近、あるいは淡路島そのものがおのころ島との説もある。おのころ島伝説は淡路の海人(あま)族の島生み神話が朝廷に伝わり、大和朝廷の起源を語る古事記、日本書紀に取り入れられたのであろう。

イザナギイザナミの像(おのころ神社)

(写真は イザナギイザナミの像(おのころ神社))

上立神岩

 南淡町の南の沖合いに浮かぶ沼島の玄関口、沼島港のすぐそばの小高い山がおのころ山。山の斜面に沿って真っすぐな石段を上り詰めるとおのころ神社があり、伊弉諾、伊弉冉二神像がたたずんでいる。この山そのものが御神体で、島民たちは「おのころさん」と呼んで敬っている。
 沼島の海岸には奇岩や岩礁が数多い。その中でも島の南東の海岸にそびえ立つ上立神岩(かみたてがみいわ)は圧巻。垂直に立った岩は高さが
約30mもあり、竜宮の表門とも呼ばれており神秘的な岩と言える。沼島には島内を一周する遊歩道が整備されており、海人族の名残を留める山ノ大神社や沼島庭園などを訪ねるのもよい。

(写真は 上立神岩)

 沼島で最近、人気を集めているのが夏の味覚・ハモ料理。沼島周辺は古くからハモ漁の好漁場で、江戸時代から延縄漁法によるハモ漁が盛んだった。関西では京都の祇園祭、大阪の天神祭には欠かせないのがハモ料理だが、そのハモは沼島から出荷されている。
 沼島の猟師たちは夏の栄養補給に独自の調理法の「ハモ鍋」を食べている。この味のよい沼島の「ハモすき」を、地元で賞味しようと沼島を訪れる観光客が増えている。
淡路島特産のタマネギとハモのうま味が溶け合ったハモすきの味は地元ならではの“逸品”と言える。

鱧すき

(写真は 鱧すき)


◇あ    し◇
明石市立天文科学館JR山陽線明石駅下車徒歩15分。
山陽電鉄人丸前駅下車徒歩3分。
魚の棚商店街JR、山陽電鉄明石駅下車すぐ。
橋の科学館JR山陽線舞子駅、山陽電鉄舞子公園駅下車
徒歩5分。
ウェルネスパーク五色三宮又はJR舞子駅そばの高速舞子から高速バス・
五色バスセンター行を利用、バスセンターから
徒歩15分。
高田屋嘉兵衛翁記念館三宮又はJR舞子駅そばの高速舞子から高速バス・
五色バスセンター行を利用、バスセンターから
徒歩5分。
沼島三宮又はJR舞子駅そばの高速舞子から高速バスを利用、福良で下車、福良からバスで
土生汽船場前下車、沼島汽船で沼島へ。
◇問い合わせ先◇
明石市役所商工観光課078−918−5018
明石観光協会078−918−5425
明石市立天文科学館078−919−5000
魚の棚商店街078−911−9666
人丸花壇(料亭旅館)078−912−1717
本州四国連絡橋公団第一管理局078−782−5400
橋の科学館078−784−3396
淡路島観光連盟0799−72−0168
五色町観光協会0799−33−0160
ウェルネスパーク五色0799−33−1600
高田屋嘉兵衛翁記念館0799−33−0464
菜の花ホール0799−33−0354
南淡町観光協会0799−52−0426
木村屋(料理旅館・はもすき)0799−57−0010

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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歴史街道推進協議会