月〜金曜日 18時54分〜19時00分


大和郡山市 

 大和郡山市は都が平城京へ遷都してから都の隣接地として開けた。戦国時代からは郡山城の城下町として商工業が発展し、そのひとつとして金魚の養殖が盛んになり、金魚の町としても知られるようになった。今も城下町の面影を残し、郊外には金魚の養殖池が点在する大和郡山市を訪ねた。


 
智将・秀長の町  放送 8月16日(月)
 郡山城は本能寺の変後の山崎の合戦で、洞ケ峠に陣を張った明智光秀の誘いに応ぜず、郡山城に籠城して両者の動静を見極めていたことから"洞ケ峠の筒井順慶"として知られる戦国時代の武将・筒井順慶が築いた。順慶の後を継いだ定次は、豊臣秀吉によって伊賀へ国替えさせられ、天正13年(1585)秀吉の弟・秀長が郡山城に入った。
 秀長は城郭の大規模な増築工事、城下町の建設を行い、また強力な商業保護政策で町の繁栄をはかった。今も大和郡山市内には魚町、紺屋町、雑穀町、豆腐町、奈良町など、秀長の城下町づくりの名残を示す町名が残っており、秀長は郡山の大恩人として今も大和郡山市民や商人らから崇敬されている。

郡山城跡

(写真は 郡山城跡)

御朱院箱

 秀長が本格的な城郭として築いた郡山城跡には天守閣は残っていないが、城跡の石垣の上に立てば町全体が見渡せ、秀長の時代がしのばれる。また、城跡は高校用地として利用されているほか、公園として整備され、市民らの憩いの場となっている。
 秀長が紀伊、和泉、大和の三国・100万石にふさわしい城にする際、石の少ない大和で石垣用の石を確保に苦労した。春日奥山や生駒山から石を切り出したほか、近隣の寺院の礎石や石仏まで駆り集めた。石垣には平城京の羅城門の礎石や寺院の五輪塔、石地蔵などが積み込まれている。秀吉の強大な権力のもとでは、こうした強引な築城に奈良の寺院も抗しきれなかったようだ。

(写真は 御朱院箱)

 秀吉をよく補佐していた秀長は、郡山城へ入ってからわずか5年後の天正18年(1590)城中で死去、51歳だった。郡山城のすぐ東にある秀長の菩提寺・春岳院には秀長の木像が安置されている。寺には城下町の自治活動を示す「御朱印箱」が残っており、中に自治活動の「箱本制度」と呼ばれる活動内容を記した文書がある。
 毎年4月22日に春岳院で行われる「大納言祭」は、秀長の遺徳をしのぶ人たちでにぎわう。秀長の墓は春岳院にはなく、近鉄郡山駅の南西の大納言塚にある。秀長が当時、大納言に叙され「大和大納言」呼ばれていたので、墓所を大納言塚と呼ぶようになった。荒廃していた大納言塚を春岳院が長年の歳月をかけ、土壇の上の五輪塔を白壁の土塀で囲む現在の姿に江戸時代中ごろ修復した。

大納言塚

(写真は 大納言塚)


 
日本一の金魚の町 放送 8月17日(火)
 大和郡山市と言えば金魚の町として知られ、現在も20数品種、年間約8000万尾の金魚を生産している。ほかに錦鯉200万尾も生産され、観賞魚の主産地として全国でも有数のシェアを占めている。
 大和郡山の金魚飼育は、江戸時代中期の享保9年(1724)徳川5代将軍・綱吉の側用人だった柳沢吉保の子・吉里が甲斐から大和郡山に転封された際、家臣が観賞用に持参したのが始まり。その後、藩士の中に金魚飼育に情熱を注ぐ者が現れ、その指導を受けた武士が内職として飼育するようになり、藩内に広まった。美しい色彩と可憐な姿の金魚の人気は高まり、京都や大坂方面にまで売り歩く金魚行商人の姿があった。

水泡眼

(写真は 水泡眼)

やまと錦魚園

 江戸時代は百姓、町人には、金魚の飼育は許されなかったが、明治維新以降は金魚養殖を本業とする士族とともに、一般農家にも金魚飼育が広まった。大和郡山には数多くのため池があり、池には金魚のえさになるミジンコが豊富だったことなど、水質、水利に恵まれ日本の主要金魚産地へと発展した。
 金魚は約2000年前、中国南部で発見された野生の赤いフナが、品種改良され今日の金魚の姿になった。中国から蘭鋳(らんちゅう)など珍しい品種の金魚も輸入され、大和郡山で中国の金魚が日本式養殖法で多量生産されるようになった。水泡眼、サバ尾、頂点眼など高級金魚は日本国内だけでなく、欧米諸国や東南アジアなど海外にも輸出されるている。

(写真は やまと錦魚園)

 大和郡山の金魚養殖に尽力したのが故嶋田正治氏。金魚養殖地のやまと錦魚園内に「郡山金魚資料館」を自費で建設した。館内には"泳ぐ図鑑"と言われる金魚の水族館を作り、金魚の原種から高級金魚を飼育・展示し、子供たちから喜ばれている。
また、稀少品種の保存にも努め、絶滅から守っている。ほかに古い金魚の養殖器具などの民俗資料の保存、金魚に関わる錦絵や江戸時代に発刊された日本初の金魚の飼育法の本、品評会による金魚番付など、金魚に関する資料が数多く展示されている。
 金魚の町ならではの土産店「こちくや」には、金魚のグッズや菓子などが所狭しと並んでいる。店頭では年中、金魚すくいが楽しめ、ちびっ子たちが腕を競いながら楽しんでいる。

おみやげ処こちくや

(写真は おみやげ処こちくや)


放送8月18日(水) 放送休止


 
紺屋町の技  放送 8月19日(木)
 豊臣秀長は天正13年(1585)郡山城へ入り、城を強固なものにすると同時に城下町の繁栄にも力を入れた。商工業の保護政策として、同業者を同一地区に集め、営業上の独占権を与えた。こうした商工業者の特権を書き記した文書を「御朱印箱」に納め、封印をしていた。
 城下町のうち「内町十三町」と呼ばれる、外堀の内側にある13町の自治組織を「箱本制度」と言い、各町が月替わりでその当番を務めた。御朱印箱を町内の会所に置き、紺地に白文字で「箱本」と染め抜いた旗を会所の玄関に立てた。箱本の仕事は治安、消火、伝馬から課税の徴収、訴訟の処理、変死体の処理まで広範囲におよんでいた。

箱本館「紺屋」

(写真は 箱本館「紺屋」)

奥御殿泉遊覧の図

 「内町十三町」のひとつ、紺屋町は藍染めを職業とする家が集まった職人町で、江戸時代に藍染めをした布をさらしていたと言われる、細い紺屋川が町の中心を流れている。
 この紺屋町に江戸時代中期の享保13年(1728)に始まる染物業の奥野家住宅を大和郡山市が改修、展示スペースとして公開している箱本館「紺屋」がある。館内には昔、奥野家で使われていた紺壺置き場が復元され、地中に埋め込まれた紺壺が並んでいる。土間には家族や藍染め職人の食事を賄ったかまども復元され、当時の職人たちの息吹が感じられる。展示資料室には藍染めの道具や箱本制度の古文書などが展示されている。

(写真は 奥御殿泉遊覧の図)

 館内の藍染体験工房では入館者が藍染めの体験できる。ハンカチやパンダナを熟練したスタッフの指導で染め、自分だけのオリジナル作品が作れる。費用として染める布代など500〜1000円が必要。予約しておけば確実に藍染め体験ができる。
 箱本館「紺屋」は大和郡山市の金魚研究家・故石田貞雄氏による、金魚をテーマとした美術工芸品や生活用具など、金魚コレクション約1000点を所蔵している。約400年前の金魚鉢や金魚が描かれた茶碗など珍しいものが多く、随時、収蔵品を「金魚ミュージアム」で展示しており、大和郡山と金魚の関わりの深さをここでも実感できる。

約400年前の金魚鉢

(写真は 約400年前の金魚鉢)


放送日8月20日(金) 放送休止


◇あ    し◇
郡山城近鉄橿原線郡山駅下車徒歩10分。 
JR関西線郡山駅下車徒歩20分。
春岳院近鉄橿原線郡山駅下車徒歩10分。 
JR関西線郡山駅下車徒歩15分。
大納言塚、金魚資料館・やまと錦魚園近鉄橿原線郡山駅下車徒歩10分。
JR関西線郡山駅下車徒歩25分。
こちくや(おみやげ・金魚すくい)、箱本館「紺屋」近鉄橿原線郡山駅下車徒歩5分。
JR関西線郡山駅下車徒歩10分。
◇問い合わせ先◇
大和郡山市役所商工観光課0743−53−1151 
大和郡山市観光協会0743−52−2010 
春岳院0743−53−1255 
金魚資料館・やまと錦魚園0743−52−2056 
こちくや(おみやげ・金魚すくい)0743−55−7770 
箱本館「紺屋」0743−58−5531 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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