月〜金曜日 18時54分〜19時00分


豊中市、池田市 

 大阪のベッドタウンとして著しい発展をしたのが豊中市や池田市。特に高度経済成長時代に千里丘陵が切り開かれ、千里ニュータウンや大阪万博会場となった時の変貌ぶりには目を見張った。しかし、開発の波に洗われた土地にも、昔から伝わる文化遺産が今も残されており、今週はこうした文化財を訪ねた。


 
日本民家集落博物館
(豊中市) 
放送 4月11日(月)
 昭和25年(1950)に開設された服部緑地は、豊中市と吹田市にまたがる126.3haの広大な自然公園で、大阪4大緑地のひとつ。
 その服部緑地の一角に3万6000平方mの敷地を持つ日本民家集落博物館は、昭和31年(1956)に日本で最初にオープンした野外博物館で、全国各地から代表的な民家11棟を移築、復元して展示している。いずれも江戸時代の17〜19世紀に建築された建物で、
50年ほど前まで人びとが生活していた家屋である。それぞれの家屋には生活の痕跡が残り、地域の風土、習慣、気候に合わせた生活の知恵がうかがえる。

日本民家集落博物館

(写真は 日本民家集落博物館)

飛騨白川の民家

 近世までの民家は一般的に茅葺きの入母屋造りが全国的に主流であった。山間部では傾斜地に合わせた切妻造りのこけら葺きであったりした。養蚕の発達で蚕を飼うためのスペースを確保するための合掌造り、農耕馬の馬を厳冬期に家の中で飼うため主家と馬屋をかぎ形で連ねた曲家など、それぞれの生活実態に合わせて建てられた。
 京都、奈良の古都で俗に「うなぎの寝床」と呼ばれる民家は、間口の大きさによって税金が課せられたため、税金対策として間口を狭くして奥行きを深くした商家や民家が多い。これらの民家の平均的な大きさは、間口3間(約5.4m)、奥行11間
(約20m)で、採光に配慮したり、中庭などを設けて開放感を出す工夫をしている。

(写真は 飛騨白川の民家)

 この博物館で最初に建てられたのが、ユネスコの世界遺産にも登録されている飛騨・白川郷の合掌造り。掌を合わせたような形からこの呼び名が生まれた3階建ての建物では、10人から20人の家族が暮らす。2階から上は蚕を飼う蚕室となっており、居住部分の1階のいろりの周りでは、冬には一家が暖を取りながら語り合う団欒の場であった。
 岩手・南部の曲家は同じ屋根の下に馬が住み、家族同様の扱いを受けていた。ほかに積雪対策が施された信濃・秋山の民家や越前・敦賀の民家、杉の産地にふさわしい杉板の屋根の大和・十津川の民家、この博物館では最も古い建物の摂津・能勢の民家、部屋が並列に並んでいる日向・椎葉の民家や小豆島の農村歌舞伎の舞台、奄美大島の高床式の穀物貯蔵庫などが、広い敷地内に建ち並んでいる。

信濃秋山の民家

(写真は 信濃秋山の民家)


 
上新田(豊中市)  放送 4月12日(火)
 北大阪急行と大阪モノレール線の千里中央駅の東側、マンションや住宅が建ち並ぶ上新田地区の一角に、大阪のみどり百選にも選ばれている千里の竹林がある。この竹林の中に上新田から千里中央駅へ通じる竹林道が延びている。小鳥のさえずりも聞こえる竹林道を抜けると、千里中央駅周辺のビル群が目に飛び込み、ハイウエイが走っている。
 こうした都市の間近にある竹林の中の小路は、うそのように静かで、落ち着いた雰囲気を行き来する人びとに与え、気持ちを癒してくれる。かつてはこの一帯には広大なモウソウ竹の竹林が広がっており、タケノコの名産地として知られていた。

竹林

(写真は 竹林)

旧家

 千里の丘陵地帯は近畿地方では京都の山城と並ぶタケノコの主産地で、その名も「銀だけ」と呼ばれた高級タケノコは料理店などでは珍重されていた。この広大な千里丘陵の竹林も千里ニュータウンの住宅開発や35年前の大阪万博会場への開発で竹林が激減し、タケノコの名産地としての影は薄れてしまった。
 生産量はグンと減っしまった今でも、アクの少ない淡泊なおいしいタケノコが採れ、農家の人たちが朝掘りの新鮮なタケノコを農協の集荷場や市場へ出荷している。「とても商売になるようなものではないが、タケノコをそのまま放置しておくと、竹が増えすぎて竹林が破壊してしまう。竹の間引きのつもりで掘っていますが重労働で割に合いません。採算度外視の小遣い稼ぎのつもりですわ」と、出荷に来た農家のお年寄りは話していた。

(写真は 旧家)

 上新田には江戸時代の面影を残す旧家が残っていて、立派な門構えの屋敷が点在する。江戸時代末の嘉永年間(1848〜54)ごろにこの地を新天地として、近くの旧山田村から開拓に来た人びとの子孫が住む由緒深い家で、その中には昔、庄屋を務めた家や元鍋島藩の屋敷の門を移築したと言われる門もある。
 上新田は寛永3年(1626)徳川3代将軍・家光の時、幕府の直轄地として開かれた。そのころに創建されたと伝わる天神社が竹林の中に鎮座している。菅原道真を祭神とするこの天神社は「千里の氏神」として、江戸時代から現代まで上新田の氏子たちの篤い崇敬を受け、守り継がれてきた。ニュータウンに住む新住民にとっても“ニュータウンの鎮守”として貴重な存在と言えよう。

千里の氏神 天神社

(写真は 千里の氏神 天神社)


 
岡町の安らぎどころ(豊中市)  放送 4月13日(水)
 阪急宝塚線岡町駅東側に下町情緒が残る岡町商店街がある。この商店街で昭和22年(1947)創業の「けやき昆布本舗」の店内には、その屋号を象徴するかのように樹齢400年、幹回り4m、しめ縄が張られたケヤキの大木が鎮座しており、上部は天井を突き抜けて高さ30mに達し、大空へ枝を広げている。
 間口2間(約3.6m)の狭い店内の空間に居座っており、店内スペースの半分近くを占拠している。このケヤキの大木を囲むように商品が並べられており、まさに店の主と言った感じだ。「初めて店を訪れてくれたお客さんは驚きの目で見られますが、私たちは何の違和感も感じません。ここにあるのが当たり前と言った存在です」とは店主の弁。

けやき昆布本舗(岡町商店街内)

(写真は けやき昆布本舗(岡町商店街内))

原田神社

 ここはもともと原田神社への参道で、ケヤキを囲むように店が建てられた。ケヤキは町のご神木として敬われてきており、店内では家族同様の扱いを受け、生活の中に息づいている。創業当時から幹は
50cmほど太くなった。ケヤキに気を配り、冷暖房は一切しない。
当然、夏は暑いし、冬は寒い。屋根と幹の間にパテを詰めて雨漏りを防いでいるが、時には雨漏りをすることもある。だが、木が与えてくれる安らぎを享受させてもらっている恩返しだと、店主らは言う。
 江戸時代から原田神社の門前町として栄えてきた岡町に息づく神木への畏敬の念、自然との共生していこうとする商店街の人たちの心意気でもある。

(写真は 原田神社)

 けやき昆布本舗の店の包装紙には、チョンマゲ時代の人物たちがレトロタッチで描かれているが、何とこの絵は豊中市岡町生まれの漫画家・故手塚治虫の筆になる作品。この包装紙からも生まれ故郷を愛し、そしてちっとも大家ぶらない気さくな手塚さんの人柄が伝わってくるようだ。
 岡町商店街の東、桜塚ショッピングセンター内に「手塚治虫生誕資料室」がある。若くして他界した長男が、手塚治虫の大ファンだったという木村勝さんが運営するもので、手塚治虫の作品や関連資料など約2000点が展示されている。子供たちに夢を抱かせた偉大な漫画家・手塚治虫が豊中生まれで、夫人も豊中出身だと言うことが以外に知られていないので、長男の遺志とPRを兼ねてオープンしたと言う。

手塚治虫生誕資料室

(写真は 手塚治虫生誕資料室)


 
呉春ゆかりの寺(池田市)  放送 4月14日(木)
 「呉春」と言えば池田の銘酒として名高いが、実はその名が江戸時代の画家・松村呉春(1752〜1811)に由来することを知る人は少ない。
 呉春は京都の金座の役人の家に生まれ、日本画の技法を習得後、与謝蕪村から画と俳諧を学んだ。呉春は松村月渓と名乗っていた天明元年
(1781)池田へ移り、本養寺に滞在して画道に精進した。その翌年この地・呉服(くれは)の里で30歳の春を迎えたことから、地名にちなんで呉春と改名した。本養寺には修行中に描いた呉春の屏風絵などが伝わっている。

本養寺

(写真は 本養寺)

屏風絵

 京に戻った呉春は円山応挙の影響を受け、南画の叙情性と応挙の写実性を融合して独自の画風を確立し、代表作には「柳鷺群禽図屏風」がある。京都・四条に住み、弟子たちも多く集まったのでその一派を四条派と呼び、呉春が四条派の祖となった。四条派は幕末から明治時代にかけて京都画壇の中心勢力となった。
 こうした呉春とのかかわりから「呉春の寺」とも呼ばれている本養寺は、鎌倉時代初期に日秀上人によって開かれた日蓮宗の法華経修行の道場として知られている。

(写真は 屏風絵)

 本養寺では今もこの創建当時の法華経修行の精神を受け継ぎ、題目を唱える唱題(しょうだい)会や法話、座談会などが開かれ、一般の人たちにも広く参加を呼びかけている。
本堂に安置されている日蓮上人像は、京都の日蓮宗大本山・本圀寺に安置されていた時、後小松天皇が日々礼拝したことから「厄除天拝の祖師」と呼ばれている。
 境内にある鬼子母神堂に安置されている鬼子母神像は、伝教大師・最澄の作とされている。日蓮上人が鎌倉・松葉ヶ谷の草庵で開眼供養したと伝えられ、安産子安に霊験があるとされている。

鬼子母神堂

(写真は 鬼子母神堂)


 
五月山(池田市)  放送 4月15日(金)
 池田市の北西部、標高315mの五月山の一帯は、広大な自然公園として整備されており、7つのハイキングコース、箕面公園まで続くドライブウエイ、山頂付近の市民の森がある。山頂の日の丸展望台からは大阪平野が一望でき、ハイキングコースはいずれも30〜40分で歩け、ゆっくりと自然を楽しみながら子供連れでも無理なく楽しめる。
 春の桜のシーズンには大阪市内など、遠方からの花見客も訪れてにぎわう。秋は紅葉が楽しめるなど、四季を通じて池田市民の緑のオアシス、憩いの場として親しまれている。

愛宕神社

(写真は 愛宕神社)

護摩用松の木

 五月山の山麓には昭和33年(1958)も開設された“日本一小さい”と言われる五月山動物園がある。平成2年(1990)池田市と友好姉妹都市提携を結ぶ、オーストラリア・タスマニア州ローンセストン市からやってきたウォンバットはじめ、有袋動物の小型のカンガルー・ワラビーやヒツジ、アライグマなどがいて、ふれあい動物園ではウサギなどの小動物とふれあえる。
 ウォンバットはアライグマに似た動きをする可愛い動物で、繁殖は大変難しいとされているが、五月山動物園に来た2年後と3年後にそれぞれ赤ちゃんが生まれて注目された。

(写真は 護摩用松の木)

 五月山の中腹に鎮座する愛宕神社は、池田をはじめ近郷からも火の用心の神として、古くから篤い信仰を集めている。毎年8月24日に行われる通称「がんがら火祭り」として知られる愛宕火祭りは、火事の厄除けに霊験がある祭として知られている。
 宵闇迫るころ神火から2基の大松明に火が移され、境内から急坂を駆け下りた大松明は街中を練り歩く。「池田丸焼け」と言われた大火事の時、この火祭りの神事を受け持っていた甲ヶ谷町(現城山町)だけが、類焼を免れたとの言い伝えが残っている。

がんがら火祭りの松明

(写真は がんがら火祭りの松明)


◇あ    し◇
日本民家集落博物館地下鉄御堂筋線緑地公園駅下車徒歩15分。 
上新田天神社地下鉄御堂筋線千里中央駅下車徒歩10分。 
けやき昆布本舗、原田神社阪急電鉄宝塚線岡町駅下車。 
手塚治虫生誕資料室阪急電鉄宝塚線岡町駅下車徒歩5分。 
本養寺(呉春の寺)阪急電鉄宝塚線池田駅下車徒歩10分。 
五月山公園総合案内所阪急電鉄宝塚線岡町駅下車徒歩15分。 
愛宕神社阪急電鉄宝塚線岡町駅下車徒歩25分。 
◇問い合わせ先◇
日本民家集落博物館06−6862−3137  
上新田天神社06−6834−5123 
けやき昆布本舗06−6853−0159 
手塚治虫生誕資料室06−6844−0155 
池田市観光協会072−750−3333 
本養寺(呉春の寺)072−751−2661 
池田市緑のセンター072−752−7082 
五月山公園総合案内所072−751−1005 
愛宕神社072−751−1019 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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