月〜金曜日 18時54分〜19時00分


京都のモダン建築 

 第二次世界大戦の戦災を免れた京都市には、古社寺だけでなく洋風のモダン建築が多く残っており、京都の町並みにうまく溶け込んで独特の風情を醸し出している。今回はその一部を訪ねて紹介する。


 
京都府庁旧本館  放送 6月6日(月)
 煉瓦造2階建て口の字型の威風堂々たる京都府庁旧本館は、明治34年(1901)から3年の歳月と、当時の金額で約36万6000円と言う破格の費用をかけて建てられ、全国の庁舎建築の手本とされた。現在も府庁舎として使用されており、都道府県庁舎としては最古のものである。設計は東大出の京都府職員の技師で若手建築家・松室重光が担当した。
 国の重要文化財に指定されている府庁舎だけに、今後どのように保存し、活用していくか現在、各方面の意見を聞きながら検討中である。府民に親しみが持たれる活用方法が考えられ、優れたデザインの建物内部の部屋などはいずれ一般公開されることになるかもしれない。

京都府庁旧本館

(写真は 京都府庁旧本館)

正庁

 南向きに建てられた本館の外観はルネサンス様式で、正面入口は車寄せの屋根の上に3連窓とその上部の円窓、角柱など、左右対称の建物の中心性が強調されている。1階正面の中央階段には京都白川の花崗岩を用い、手すりには草花の装飾を施した大理石を贅沢に用いている。
 この階段を上りきったところの正庁は、壁や高い天井に木材を多用し、和風のデザインも取り入れ丹精に造られており、昭和3年(1928)の御大典に際して閣議室としても使用された。2階の四隅には知事室、貴賓応接室、府議会議長室、参事会室の重要な部屋が配されている。内部の意匠は建築と言うより工芸品と言った趣さえ感じられる。

(写真は 正庁)

 この中でも南東隅の旧知事室は昭和46年(1971)まで使用されていた。
大理石の暖炉や重厚な廻り縁、格天井など、手の込んだ造りとなっており、東の窓からは比叡山、東山が望める。
 府議会の旧議場は本館北側に突き出すような形で建設され、2階までの吹き抜けの重厚な造りとなっており、2階周囲に傍聴席が設けられている。昭和44年(1969)まで使用され、現在は府政情報センターとして利用されている。
 正庁は格式ある儀式や会議場、表彰式場、コンサートなどの催事会場として活用、議場は明治時代の議場の雰囲気を生かしながら、府民が利用できる場として提供するなどの検討が重ねられている。

旧議事堂

(写真は 旧議事堂)


 
九条山浄水場ポンプ室  放送 6月7日(火)
 九条山山麓の琵琶湖疏水のほとりに、宮殿を思わせるような典雅なたたずまいの煉瓦造の洋風建築が九条山浄水場ポンプ室。建物の内部にはただポンプがあるだけなのに、なぜこのような凝った建物にしたのだろうかと誰しも不思議に思うのも当然。
 この建物の元の名称は「御所水道ポンプ室」と言い、京都御所へ防火用水を送るために明治45年(1912)に建てられた。ポンプ室と言えども設計は宮廷建築家で、京都国立博物館も手がけている片山東熊と山本直三郎が携わった言うから大変な力の入れようであった。

九条山浄水場ポンプ室

(写真は 九条山浄水場ポンプ室)

琵琶湖疏水

 この種の建物の中でも異例と言われるほど装飾的要素が強い。琵琶湖疏水から水を引き込む地下部分から石積みの基壇を設け、煉瓦と隅石の組み合わせで壁面を作っている。琵琶湖疏水の水路側の正面は、石段の上にペアコラムを建てるポーチを中心に左右対称のデザインになっている。
 こうした手の込んだ建物になった理由を探ると、大正天皇が皇太子時代に琵琶湖疏水を大津側から船で下ると言う計画があった。その際、ここが京都側で出迎える場所となったので豪華な装飾の建物にしたようだ。疏水側の玄関風のデザインは、ここに出迎えの高官が立ち並ぶためだったらしい。すぐそばの疏水トンネル出口には「美哉山河(うるわしきかなさんが)」の文字が刻まれた額もはまっている。

(写真は 琵琶湖疏水)

 琵琶湖疏水は明治維新で都が東京へ遷都し、沈滞ムードが漂う京都に、琵琶湖の水を引く京都市民の長年の夢を実現させ、京都に活力を取り戻すための大事業として明治18年(1885)始まった。当時の北垣国道・京都府知事は、この難工事を東京大学を卒業したばかりの新進気鋭の技術者・田辺朔郎に担当させた。外国技術者の力を一切借りず、日本人だけでこの大事業を完成させたことでも注目された。
 琵琶湖疏水の完成で、疏水を往き来する船を上下に移動させるインクラインや、南禅寺境内に煉瓦造のアーチ型橋の水路閣が出現し、今では観光スポットになっている。また京都市の水道水の97%は琵琶湖疏水の水が使われている。

インクライン(傾斜鉄道)

(写真は インクライン(傾斜鉄道))


 
京都府京都文化博物館  放送 6月8日(水)
 三条高倉に京都の歴史と文化をわかりやすく紹介する施設の京都文化博物館は、平安建都
1200年事業のひとつとして昭和63年(1988)に開館しており、現代建築の本館とクラシカルな煉瓦造の別館とから成っている。
 この別館は明治39年(1906)に完成した旧日本銀行京都支店の建物で、2階建一部地下1階で、外観は左右対称、赤煉瓦に白い花崗岩を装飾的に配している。
ルネサンス様式とゴシック様式が混在したようなデザインは、19世紀後半のイギリスの建築によく使われた様式と言われ、京都に残る明治時代の洋風建築として貴重な存在で、国の重要文化財に指定されている。

京都文化博物館別館(旧日本銀行京都支店)

(写真は 京都文化博物館別館
(旧日本銀行京都支店))

カウンター

 設計は明治時代の建築界の帝王とも言われ、煉瓦造の東京駅や日本銀行本店などを設計した辰野金吾とその弟子・長野宇平治が当たった。
 内部の旧営業室は2階までの吹抜けの大きな空間を作っており、今は残響の良さからしばしばコンサートが催される。営業窓口だったカウンターのスクリーンや壁面、天井の装飾、照明器具などに明治時代の雰囲気が伝わっている。建物の背後には別棟で金庫室があって渡り廊下でつながっていた。この旧金庫室は現在、博物館内の喫茶店として使われている。

(写真は カウンター)

 京都文化博物館本館では、模型や映像などで京都の歴史や文化を紹介したり、京都ゆかりの美術、工芸などの作家の作品を展示している。
 映像ホールでは日本映画発祥の地・京都が理解できるように、日本映画の歴史や映画監督らの作品を上映し、その映画に合わせて映画機材、スチール写真、ポスターなども展示する。ユニークなのは1階の「ろうじ(露地)店舗」で、江戸時代末期の京都の町並みを再現している。それぞれの職業の店に合わせた格子がはめられた町家の中で、食事をしたり、コーヒーを飲んだり、伝統工芸品の買い物ができる店が入っている。

旧営業室

(写真は 旧営業室)


 
同志社  放送 6月9日(木)
 今出川通に面した同志社大学のキャンパスには、新旧さまざまな学舎があるがすべて煉瓦建築で統一され、学問の場にふさわしい落ち着いた雰囲気を醸し出している。
 同志社は明治8年(1875)新島襄によって設立され、キャンパスには明治17年(1884)建設の彰栄館(国・重文)を最初に、礼拝堂、有終館(いずれも国・重文)の3棟が相次いで建てられた。同志社の校名は「我ら同志の者、わが国において文学の隆盛を望んで、社を結び英学校を開きこれを同志社とする」と開校時の規則に掲げているように「同志の社、あるいは結社」を意味する。

彰栄館

(写真は 彰栄館)

礼拝堂

 同志社の最初の校舎である煉瓦造の彰栄館は、同志社の歴史を語る上で最も重要な建物であり、京都市内に現存する煉瓦建築物では最古のものとなっている。
 宣教師のD・C・グリーンの設計で、建築費はアメリカン・ボードの寄付金7500ドルによる。外観は煉瓦造の完全な洋風だが、内部は小屋組など純和風の技法がとられている。実際に建設に携わった日本の大工の棟梁も洋風建築を手がけたことがなく、グリーンも専門の建築家でなかったので、内部の建築は棟梁にまかせるしかなかったのであろう。中央の時計塔と鐘塔を兼ねた塔屋には、明治20年
(1887)にアメリカ製の時計機械が取りつけられ、当時、時計塔の時報は現在のJR京都駅付近まで聞こえたと言う。

(写真は 礼拝堂)

 彰栄館に続いて建てられた礼拝堂もD・C・グリーンの設計による煉瓦造の建築物。新島襄が「我が同志社の基礎となり、また精神となる」と述べ、荘厳さよりもアメリカン・ゴシックとも言える簡素な美しさにあふれているのが特徴的である。
内部は彰栄館と同じ和風の小屋組で、日本に現存するプロテスタントの煉瓦造のチャペルとしては最古で、周囲の尖りアーチ窓には色ガラスをはめ込んだ素朴なステンドグラスが印象的である。
 新島襄の母校・アーモスト大学と同志社大学の交流のシンボルとして建てられたアーモスト館は、アーモスト大学の学生や卒業生、学生の母親たちの寄付金で建てられた。有終館は同志社初代の図書館で、これもD・C・グリーンの設計で、今は総長室、学長室などに使われている。

アーモスト館

(写真は アーモスト館)


 
藤井斉成会有鄰館  放送 6月10日(金)
 国立近代美術館や京都市立美術館などがある岡崎の疏水に沿ったところに、屋上に朱塗りの八角堂をいただく3階建ての洋館は藤井斉成会有鄰館(京都市登録文化財)。近江商人の血を引く五個荘出身の企業家で政財界で活躍した藤井善助が収集した、中国の殷から清時代までの貴重な美術品、文化財を展示するために大正15年(1926)に建設されたもので、建設当時のままの姿で残るわが国最古の私設美術館でもある。
 「有鄰館」の名は論語の「徳は孤ならず、必ず鄰有り」の言葉から、日中友好と善鄰を願って名付けられ、その意を汲み取って関西近代建築の父と言われた武田五一が設計した。

藤井斉成会有鄰館

(写真は 藤井斉成会有鄰館)

貴賓室

 有鄰館のシンボルともなっている屋上の八角堂は、建物ではなく展示物である。
元は北京の紫禁城の一角にあったもので、道路の拡幅工事で削り取られることになり引き受け手を探していた。その話を聞いた藤井が建設中の有鄰館の設計を変更して屋上に移転した。建物は中国の古材で造られ、屋根は乾隆年製の黄釉瓦で葺かれている。
 設計者の武田五一は展示品に合わせたデザインを展開しており、穏やかで簡素な外観も特徴的だ。有鄰館の2号館は、昭和天皇の御大典の際に加賀の横山男爵邸からその一部を移築したもので、フランス人の設計によるアール・ヌーボー様式の洗練された内部装飾が注目されている。

(写真は 貴賓室)

 藤井善助は東洋文化の誇りとも言うべき中国の宝物、名品が欧米などへ流出することを何とか防ごうと収集に努めた。殷代から清代までの約4000年間に生み出された芸術性の高い青銅器、陶磁器、仏像彫刻、書画、調度品、衣装などを精力的に集めた。
 収集品は多くの人に接したもらい、人の心に感銘を与え、美術の研究に活用してもらうために積極的に一般公開されている。展示品には明の太祖が使用していた螺鈿朱塗寝台や陶磁器、絵画、書の名品などがあり、日本に居ながらにして中国美術に身近に接し、その芸術性の高さに触れることができる。有鄰館は毎月第1・3日曜日の定時開館となっている。

明太祖帝使用 螺鈿寝台

(写真は 明太祖帝使用 螺鈿寝台)


◇あ    し◇
京都府庁旧本館地下鉄烏丸線丸太町駅下車徒歩10分。 
京都市バス京都府庁前下車徒歩5分。
九条山浄水場ポンプ室地下鉄東西線蹴上駅下車徒歩7分。       
京都府京都文化博物館地下鉄烏丸線烏丸御池駅下車徒歩3分。 
阪急電鉄京都線烏丸駅下車徒歩7分。
京阪電鉄三条駅下車徒歩15分。
同志社大学地下鉄烏丸線烏丸今出川駅下車すぐ。 
京阪電鉄出町柳駅下車徒歩15分。
京都市バス同志社前下車すぐ。
藤井斉成会有鄰館地下鉄東西線東山三条通駅下車徒歩3分。 
京都市バス神宮道下車徒歩3分。
◇問い合わせ先◇
京都府庁旧本館(京都府財産管理課)075−414−4044
九条山浄水場ポンプ室
(京都市水道部疏水事務所)
075−761−3171
京都府京都文化博物館075−222−0888 
同志社大学(企画室広報課)075−251−3120 
藤井斉成会有鄰館075−761−0638 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

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