月〜金曜日 18時54分〜19時00分


米原市 

 近江国は京の都へ入る東の玄関口としての位置を占め、その地の利を生かして栄えた。伊吹山の麓に広がった町は、東西をつなぐ交通の要衝を占め、県境を超えた岐阜県側の伊吹山山麓には徳川方と豊臣方が戦った関ヶ原の古戦場があり、軍事上の重要拠点でもあった。この伊吹山南西の山麓に広がる米原町、山東町、伊吹町の3町が、2005年2月に合併して米原市が誕生した。この新しい市を訪れ歴史探訪してみた。 


 
霊峰・伊吹山(伊吹町)  放送 6月13日(月)
 琵琶湖の北東、岐阜県と接する伊吹山地の南端の伊吹山は標高1377m、滋賀県下最高峰の山で、古くは「古事記」「日本書紀」に胆吹(いぶき)山、伊富岐山などと記され、修験道の山、日本武尊(やまとたけるのみこと)の伝説が残る霊峰として知られている。全山石灰岩で山麓は針葉樹におおわれ、どっしりと構えた山容は近江のシンボルとして親しまれている。
 豊かな自然が訪れる人に文字通り命の息吹を与えてくれる。伊吹山ドライブウエイを利用すれば山頂までバスや車で登れ、子供連れでも山頂がきわめられる。麓から登山道を登っても日帰りのできる手ごろな山として、近畿地方の登山者には人気がある。

伊吹山

(写真は 伊吹山)

オドリコソウ

 伊吹山は「伊吹もぐさ」に代表される薬草、高山植物の宝庫でもある。草花の種類は約1700種、そのうち薬草は約130余種を数えると言う。
 初夏から初秋にかけて、滋賀県側3合目付近の草原やなだらかな起伏の頂上のお花畑には、色とりどりの野草が花をつけて登山者を迎えてくれる。頂上付近のお花畑は滋賀県の天然記念物に指定して保護されている。晴れた日の伊吹山頂上からの雄大な眺めも素晴らしい。南西の眼下に琵琶湖、そして比良、比叡の山並み、南には鈴鹿山脈、南東には濃尾平野が広がっており、その先には日本アルプスが望める日もある。

(写真は オドリコソウ)

 伊吹山の薬草はすでに平安時代中期の「延喜式」に記されているが、後に織田信長がポルトガルの宣教師に薬草園を開かせたことから、伊吹の名が広く世に知られるようになった。
 古くから薬草の宝庫として知られている伊吹山に抱かれた旧伊吹町は、町づくりの拠点として平成6年(1994)に「伊吹薬草の里文化センター・ジョイいぶき」をオープンした。文化ホールや図書室、伊吹山の薬草や樹木を育てる薬草園がある。
その中でもジョイいぶきで人気が高いのが薬草風呂で、伊吹山から下山した登山者や行楽客がその疲れを薬草風呂で癒している。

伊吹薬草の里文化センター ジョイいぶき

(写真は 伊吹薬草の里文化センター 
ジョイいぶき)


 
中山道柏原宿(山東町)  放送 6月14日(火)
 滋賀県内のJR東海道線の駅で一番東になる柏原駅の周辺は、江戸時代には中山道六十九次の60番目の柏原宿として栄えた。江戸から木曽の山間を抜けた街道は、関ヶ原宿からこの柏原宿へと入る。柏原宿は最盛期には22軒の旅籠(はたご)や商店など、約400軒ほどの民家が軒を連ね東西約1.5kmにおよぶ大規模な宿場町を形成していた。今も街道沿いには宿場町特有の軒の低い家屋、格子戸の家並みや常夜燈が当時の面影を残している。
 徳川将軍が上洛する際の宿所となった御茶屋御殿が元和9年(1623)に建てられ、元禄2年(1689)まで使われた。このほか本陣1件、脇本陣1軒があり、徳川14代将軍・家茂に降嫁した皇女・和宮も柏原宿の本陣に宿泊している。

柏原宿歴史館

(写真は 柏原宿歴史館)

木曽街道六十九次「柏原」歌川広重筆

 街道文化や宿場町の史料を展示している柏原宿歴史館は、大正6年(1917)に建てられた旧家(国・登録有形文化財)の主屋と蔵を改築したもので、豪壮な屋根組みや贅沢な和室の造りが目を引く。
 江戸時代に描かれた御茶御殿や本陣の絵図や文書、和宮降嫁の際の関連文書、宿場町の歴史を綴った萬留帳(よろずとめちょう)、歌川広重の「木曽街道六十九次」の複製版画71枚、旅の持ち物、周辺の史跡、山東町の宝とも言えるホタルの資料などを展示しており、宿場町・柏原の様子がよくわかる。「ふれあいの間」「くつろぎの間」と名付けられた食事処もあり、宿場町散策のスポットになっている。

(写真は 木曽街道六十九次「柏原」
歌川広重筆)

 柏原宿の名物は伊吹山のヨモギで作る「もぐさ」で、江戸時代にはこのもぐさを商う商店が10数軒あった。長旅の体にお灸をすえて、旅人の疲労を回復させることが柏原宿の名物だった。
 今は創業以来340年の歴史を誇る老舗の「亀屋佐京商店」が1軒だけ残り、もぐさを商っている。亀屋佐京商店の現在の建物は、文化12年(1815)に建てられたもので、このもぐさ店は歌川広重の「木曽街道六十九次」にも描かれている。
この店の中興の祖と言われる6代目当主・七兵衛が、江戸で販売した伊吹もぐさが当たって繁盛し、現在の大店を建築した。今も広重が描いたままの姿の店先で、大きな福助の人形が客を迎えている。

亀屋佐京商店

(写真は 亀屋佐京商店)


 
清滝寺徳源院(山東町)  放送 6月15日(水)
 柏原宿の西、清滝山の麓にある清滝寺徳源院は、鎌倉時代中期の弘安9年(1286)この地を領していた佐々木京極氏の初代・京極氏信が建立した天台宗の寺院。寺号は氏信の法号・清滝寺殿から取った。京極家歴代の菩提寺となっており、本堂裏手の墓所(国・史跡)には始祖の氏信を筆頭に、南北朝時代に活躍した道誉ら歴代当主や分家の宝篋印塔(ほうきょういんとう)34基が上段と下段に分かれて並んでいる。
 京極家は鎌倉時代中期に近江を領していた近江源氏の佐々木氏から六角氏、京極氏、高島氏、大原氏に分かれたうちのひとつ。本家の六角氏は織田信長に滅ぼされたが、京極家は江戸時代まで大名家として続いた。

清瀧寺徳源院

(写真は 清瀧寺徳源院)

三重塔

 京極氏は21代・高和の時、讃岐の丸亀に転封となった。その子の21代・高豊が寛文12年(1672)領地の一部とこの地を交換して、衰微していた寺の復興をはかり、朱塗りの三重塔を建立、院号を高和の院号の徳源院に改めた。この時、近隣に散在していた歴代の宝篋印塔をここに集め、順序よく整備したのが現在に伝えられている京極家の墓所である。
 鎌倉時代から江戸時代までの宝篋印塔が一カ所に集められている例はあまりなく、各時代の流行や特徴を知る墓石研究の面からも貴重な資料である。

(写真は 三重塔)

 墓所に並ぶ墓石は大小さまざまだが、京極家の栄枯盛衰が墓石にそのまま表れ、風雪にさらされて容易に判読できない墓石に刻まれた文字が、その歴史の長さを語っている。
 5代・高氏(道誉)は能、狂言、茶道、華道などを愛し、派手好きで婆佐羅(ばさら)大名と言われていたが、足利尊氏と行動を共にし、乱世を生き抜いた卓越した武将で京極家の繁栄の基礎を築いた人物と言える。境内には道誉が植えたと言われる道誉桜がある。また18代・高吉は京極家衰亡の底にあり、国破れて山河ありの感に堪えず、しるしばかりの墓を立てよと遺命していた。

京極高次墓所

(写真は 京極高次墓所)


 
名水の町・醒井宿(米原町)  放送 6月16日(木)
 古くから交通の要衝である米原の醒井(さめがい)は、中山道六十九次を江戸から京へ向かうと柏原宿の次にあたる。中山道61番目の宿場町として本陣、脇本陣、旅籠(はたご)、問屋が地蔵川沿いに軒を連ねていた。醒井宿の特徴は問屋が7〜10軒もあったことで、他の宿場町に比べて多かった。
 今も江戸時代に旅人の食材や人足、馬などを手配した問屋場が昔のままの姿で残っており、こうした例は全国の宿場町でも珍しいと言う。問屋場を営んでいた川口家の住宅の一部を修理し、醒井宿資料館として保存している。

旧問屋場

(写真は 旧問屋場)

居醒の清水

 大正時代に建てられ昭和48年(1973)まで醒井郵便局(国・登録有形文化財)として使われていた、洋風建築の建物も醒井宿資料館として一般公開されている。ここでは醒井宿の庄屋に伝わっていた古文書や醒井宿の歴史を紹介している。
また、明治38年(1905)滋賀県立商業学校の英語教師として近江八幡市にやって来たアメリカ人で、この建物を設計したウイリアム・メレル・ヴォーリズに関する資料も展示されている。
 賀茂神社の境内に湧き出る「居醒(いざめ)の清水」は「古事記」「日本書紀」にも登場する名水。伊吹山の賊退治にやってきた日本武尊(やまとたけるのみこと)が熱病に倒れた時、体毒を洗い流した霊水として伝えられている。

(写真は 居醒の清水)

 醒井にはこのほか西行水、イボが取れると言われるイボ取り水、役行者の釜割水、十王水など醒井七湧水がある。居醒の清水は西行水、十王水などと合流して地蔵川となり、中山道沿いを流れて街道を往来した旅人ののどを潤し、宿場町の住民の暮らしの水となってきた。
 この季節、その清流の中に見られる梅に似た小さな花は、キンポウゲ科の水生多年草「梅花藻(ばいかも)」で、その流れには清流にしか生息しないハヨリと呼ばれるトゲウオ科の魚が泳いでいる。また、旧米原町内の清流・天野川、丹生川にはゲンジボタルが生息しており、夏の夜には幻想的なホタルの光の乱舞が見られる。 

梅花藻

(写真は 梅花藻)


 
滋賀県立醒井養鱒場(米原町)  放送 6月17日(金)
 醒井の集落から南へ4km、丹生川の上流・宗谷川をさかのぼると清流の両岸に崖が切り立つ景勝地の醒井渓谷へいたる。春の新緑、初夏の青葉、秋の紅葉と四季折々にその表情を宗谷川の水面に映し、行楽客の目を楽しませている。
 滋賀県立醒井養鱒(さめがいようそん)場はこの峡谷の清水と広い河川敷を利用して、明治11年(1878)日本で初めての滋賀県立のふ化場として作られた。

醒井渓谷

(写真は 醒井渓谷)

醒井養鱒場

 醒井養鱒場の広い敷地内には大小45の飼育池があり、池の中を100万尾のニジマスのほか、アマゴ、イワナがそれぞれの飼育池で群れ泳ぐ様子は圧巻だ。ほかに幻の魚と言われているイトウ、古代魚のチョウザメ、清流のシンボルとも言われるハヨリなども飼育している。
 展示コーナではこれらの魚が泳ぐ姿が身近で観察でき、ビデオコーナーでは養鱒場の仕事や魚の生態などが映像で見られる。場内のふれあい河川では子供たちがじかに魚と触れあうことができ、ここならではの得難い体験をして帰る子供たちが多い。

(写真は 醒井養鱒場)

 夏休み中には「親子魚教室」が開かれ、魚を「見る」「触れる」「学ぶ」の体験学習で、魚への理解と親しみを深めてもらう。6月下旬から7月下旬と10月から12月には、ニジマスの採卵、受精の様子が、ガラス越しながら間近で見学することができる。
 場内には資料館、研究室、さかな学習館、マス釣り池などがあり、釣り池では家族連れの行楽客がマス釣りを楽しみ、釣ったマスは買い取り式で持ち帰ることができる。養魚場そばにはニジマス料理店が並び、マスの洗い、刺し身、フライ、塩焼、甘露煮、すしなど、マスづくしの料理が堪能できる。

マス料理 美ます

(写真は マス料理 美ます)


◇あ    し◇
伊吹山JR東海道線近江長岡駅からバスで伊吹山登山口下車徒歩3時間30分〜4時間。登山口から3合目までゴンドラを利用すれば徒歩2時間〜2時間30分。
JR東海道線関ヶ原駅からバスで伊吹山ドライブウエイ経由伊吹山山頂駐車場下車徒歩20分。
ジョイいぶき(薬草風呂)JR東海道線近江長岡駅からバスでジョイいぶき前下車。
柏原宿歴史館、
亀屋佐京商店(もぐさ)
JR東海道線柏原駅下車徒歩10分。
清滝寺徳源院JR東海道線柏原駅下車徒歩20分。 
醒井宿資料館(問屋場)JR東海道線醒井駅下車徒歩3分。 
居醒の清水JR東海道線醒井駅下車徒歩10分。 
滋賀県立醒井養鱒場、
鱒料理美ます
JR東海道線醒井駅からバスで醒井養鱒場下車すぐ。
◇問い合わせ先◇
米原市伊吹観光協会0749−58−1121 
伊吹山ゴンドラ(近江鉄道)0749−58−0303 
ジョイいぶき(薬草風呂)0749−58−0105 
米原市山東観光協会0749−55−2040 
柏原宿歴史館0749−57−8020 
亀屋佐京商店本社(もぐさ)0749−57−0022 
清滝寺徳源院0749−57−0047 
米原市米原観光協会0749−52−1551 
醒井宿資料館(問屋場)0749−54−2163 
滋賀県立醒井養鱒場0749−54−0301 
鱒料理美ます0749−54−0180 

◆歴史街道とは

     日本の歴史の舞台を尋ねながら、日本文化の魅力を楽しみながら体験できる
ルートのことです。
     伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸の歴史都市を時流れに沿ってたどるメインルートと地域の特徴を活かした8本のテーマルートが設定されています。

 

(1)・・・ひょうごシンボルルート   
(2)・・・丹後・丹波伝説の旅ルート
(3)・・・越前戦国ルート              
(4)・・・近江戦国ルート              
(5)・・・お伊勢まいりルート         
(6)・・・修験者秘境ルート           
(7)・・・高野・熊野詣ルート         
(8)・・・なにわ歴史ルート           

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」
を目指し,
    官民188団体によりソフト・ハード両面の事業が推進されています。

◆歴史街道テレフォンガイド

     テレビ番組「歴史街道〜ロマンへの扉〜」と連合した各地の歴史文化情報を提供しています。
                  TEL:0180−996688    約3分 (通話料は有料)

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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歴史街道推進協議会