月〜金曜日 18時54分〜19時00分


奈良・吉野町 

 吉野山の桜、大峯修験道の根本道場・金峯山寺蔵王堂、吉野川の清流、良質の杉、桧を産出する美林の山並み。吉野町には、豊かな自然に育まれたこうした数多くの歴史と文化があり、時代の変遷とともに現代にアレンジされ、今なお吉野の地に息吹いている。


 
万葉の山里  放送 7月25日(月)
 万葉集4500余首のうち、吉野を詠んだ歌は約
100余首で奈良、飛鳥に次いで多い。万葉歌人にとって吉野の自然は非常に魅力的で、歌に詠まずにはいられなかったのであろう。だが、吉野山の桜を詠んだ歌はなく、吉野川流域の自然や水、川を題材に取り上げたものがほとんどで、飛鳥ののどかな自然と比べ、吉野の山や川の険しさ、奥深さ、神秘さが万葉歌人の心を揺さぶったのであろうか。
 万葉人たちがよく訪れたのが吉野川沿いの宮滝。両岸に巨岩、奇岩が連なり、流れる水はエメラルド色によどみむ所があれば、ほとばしるように流れる所もある風光明媚な景勝地である。

宮滝

(写真は 宮滝)

深鉢(宮滝式土器)

 飛鳥時代に斉明天皇が吉野宮を造営し、壬申の乱の前に大津京から吉野へ逃れてきた大海人皇子は、この吉野宮でしばらく過ごしている。壬申の乱で勝利し大海人皇子は天武天皇として即位し、後に持統天皇となった皇后とこの宮滝に吉野離宮を置き、思い出深いこの地で静かで神秘的な自然を楽しんでいる。殊に持統天皇はこの宮滝がことのほか気に入ったのか、33回も訪れている。
 この宮滝の地では3000年前の縄文時代前期から人びとが生活していたことをを物語る木の実を調理する石皿と敲石(たたきいし)、宮滝式土器と呼ばれる深鉢など、多くの遺物が出土している。

(写真は 深鉢(宮滝式土器))

 宮滝遺跡から出土した縄文時代から弥生、飛鳥時代にかけての出土品は、遺跡近くの吉野歴史資料館に展示されており、吉野宮の復元模型もある。
 宮滝の少し下流で吉野川左岸に流れ込んでいる小川を象(さき)の小川と言う。
その近くの朱塗りの社殿が緑に映えている桜木神社の境内に、山部赤人が詠んだ歌碑が立っている。万葉の秀歌と言われ、「み吉野の 象山(さきやま)の際(ま)の 木末(こぬれ)には ここだも騒ぐ 鳥の声かも」と静寂の中に鳥の声を見出している。大伴旅人も「昔見し 象の小川を いま見れば いよよさやけく なりにけるかも」と象の小川のすがすがしさを詠んでいる。

桜木神社

(写真は 桜木神社)


 
蓮如創建・本善寺  放送 7月26日(火)
 近鉄吉野線大和上市駅から吉野川の流れを隔てた南の対岸を望むと、飯貝の地に城郭を思わせるような堂々たる伽藍(がらん)群の甍(いらか)の波を見せているのが本善寺。本願寺第八世蓮如上人(1415〜99)が文明8年(1476)に建立した浄土真宗の大和布教の拠点となった飯貝御坊である。
 この地方はもともと吉野山の修験道や南都仏教の勢力が強い所だったので、他宗との争いを好まなかった上人は、初めのうちは寺院建立の意志はなかった。上人が民衆の間に親しく阿弥陀如来の教えを説いた布教の結果、浄土真宗に帰依する人が増え、寺の建立が望まれた。

阿弥陀如来像

(写真は 阿弥陀如来像)

蓮如上人

 こうした門徒衆の熱望に動かされて上人は、飯貝の地に一宇を建立することを決断した。この地が仏法を広める有縁の地と思い、堂宇建立を決断した心境を蓮如は「み吉野の 心とどまる川面に すみてもみやばや ここに飯貝」と詠み、本善寺境内にその歌碑が立っている。
 本願寺の一字「本」と取り寺号を「本善寺」として飯貝御坊と呼び、、吉野川下流の下市町の道場を本願寺の「願」の字を取り「願行寺」として下市御坊と呼んだ。
本善寺は以後、大和の中本山と言われ大和地方の浄土真宗の信仰と布教の中心となった。

(写真は 蓮如上人)

 蓮如上人の遺命で上人の遺骨は本善寺に納められ、境内に上人の御廟があり、上人とのかかわりの深い本善寺には、上人の文書や名号などが残っている。上人が松に柿を接ぎ木した「松柿」があったが、昭和47年(1972)の台風で倒れてなくなってしまった。
 本願寺は織田信長と対立していたため、本善寺も天正8年(1580)信長の命を受けた筒井順慶に攻められて、諸堂宇はすべて焼き払われた。現在の本堂は江戸時代初期の寛文年間(1661〜73)に再建されたもので、西本願寺の刻印のある柱が使われている。また、開基堂(蓮如堂)と拝堂は江戸時代中期の延享4年(1747)の再建である。

蓮如上人御廟

(写真は 蓮如上人御廟)


 
吉野山散策  放送 7月27日(水)
 吉野山の尾根筋にある金峯山寺蔵王堂への参道の両側には、桜の名所・吉野ならではの桜の花をあしらった産物や工芸品などを並べた土産物店や味処、骨董品店、漢方薬店、食堂、山伏用法具店、観光旅館、宿坊などが軒を連ねている。
 谷崎潤一郎の小説「吉野葛」でよく知られている、吉野特産の吉野葛や葛粉で作られた菓子、葛切りを売る店が目立つ。冬の寒い時期に葛の根をつぶし、冷水で何度もさらして沈殿させた澱粉を乾燥させたのが、きめの細かい純白の吉野葛。昔は山岳修行の修験者が、この葛粉を携帯食品として持ち歩いた時代もあり、葛の根の皮は葛根(かっこん)として薬用に用いられた。

葛の千葉子(横矢芳泉堂)

(写真は 葛の干菓子(横矢芳泉堂))

葛切り(横矢芳泉堂)

 この葛粉に砂糖を加えて練り、花の形などの木枠で抜いて炭火で乾燥させたのが吉野葛の干菓子。見た目にも愛らしく、口に含むと淡雪のように溶けてほのかな甘味が広がる。高級菓子して茶席にも出される。一般家庭でよく目にするのが、鍋物に入れても煮崩れしない吉野葛の葛切り。夏に涼を呼ぶのが、冷やした葛切りに黒蜜を入れていただく水菓子で、ほかに葛餅などもある。最近はコーヒー風味などにアレンジした葛湯もある。
 吉野地方を代表する郷土食の柿の葉すしを売る店も多い。もともとは夏祭りのご馳走として各家庭で作られていたものだったが、今ではすっかり吉野名物のメジャー商品となり、土産品としても喜ばれ大阪などでも販売されるようになった。

(写真は 葛切り(横矢芳泉堂))

 酢と砂糖で味つけしたすし飯を一口大の大きさににぎり、塩でしめたサバを薄く切って乗せ、柿の葉でくるんで木箱に入れ重石を乗せて一日寝かせる。すし飯とサバの味、柿の葉の芳香がほどよくマッチして、柿の葉すし独特の微妙な味を醸し出すのが仕込んで2日目。この時が最もうまい。昔は修験者たちの保存食として重宝がられ、各家庭でも「わが家の柿の葉すしが一番」と、主婦が腕によりをかけて受け継いだ自慢の味を競ったものだった。
 吉野山に温泉があることは案外知られていない。温泉のある旅館は少ないが、江戸時代中ごろに発見されたもので、文人墨客も投宿して作品を執筆したりしていた。
露天風呂から眺める吉野山の桜は絶品で、大名気分だといわれている。

柿の葉すし(ひょうたろう)

(写真は 柿の葉すし(ひょうたろう))


 
緑深き木々の温もり  放送 7月28日(木)
 温暖多雨の吉野地方は秋田、木曽とともに、古代から良質の杉、桧を多く産出する日本三大美林のひとつとして知られ、建築用材や木製容器などに利用されてきた。
 建築用材を取った後の外側の木皮(こわ)と呼ばれる端材を、有効利用して作られる特産の吉野割箸は、わが国の食文化を支え、環境に優しい一品と言える。一時、使い捨ての割箸が森林資源保護の観点から批判の対象になったが、森林を荒廃させたのは雑木を利用した割箸で、吉野割箸は廃材となる木皮を利用するもので、資源の有効利用として高く評価されている。

吉野割箸

(写真は 吉野割箸)

楮(こうぞ)

 14世紀の南北朝時代、吉野に皇居を定めた後醍醐天皇に里人が杉箸を献上したところ、天皇はその美しい木目と芳香を喜び、朝夕愛用した。それが公卿や僧侶らにも伝わり、吉野割箸が普及したと言われている。
 江戸時代には利休箸をはじめいろいろな形の吉野割箸が考案され、吉野割箸の名が一躍高まった。明治維新後は全国に販路が広がり、太平洋戦争前はハワイやアメリカにまで輸出していた。割箸に使う杉や桧には、抗菌作用を持つフィトンチッドが含まれており、防虫、防カビ剤を使っていないので安心して口に入れられる。目に涼やかな日本食は、木目のきれいな割箸でいただくのが一番ぴったりする。

(写真は 楮(こうぞ))

 吉野の木を原料にしたもうひとつの特産品が、手漉き吉野和紙。最近はこの和紙と吉野の杉や桧などの木材を組み合わせ、柔らかな陰影の灯りの照明器具が人気を呼んでいる。
 吉野和紙は壬申の乱の兵を挙げる前に吉野に潜んでいた大海人皇子が、耕地の少ない吉野の国栖の里人に養蚕とともに紙すきを教えたのが始まりと伝えられている。コウゾの皮を冬の寒い時期に吉野川の清流で何度も洗いながらさらして不純物を取る。この皮をたたいて繊維を細かくし、水の中にとかしてすきあげる。和紙の原料と言えばコウゾ、ミツマタだが、最近は産業廃棄物として捨てられていた、杉の皮を利用した和紙作りを奈良県林業試験場が開発して注目されている。

吉野手漉き和紙

(写真は 吉野手漉き和紙)


 
山灯り  放送 7月29日(金)
 吉野の自然が育んだ杉や桧、そして伝統技術が生む手漉き和紙など、吉野の素材で作られたオリジナルな照明器具は、柔らかな風合いの光を放ち心を和ませてくれる。
 あかり工房・吉野の桧あかり作家・坂本尚世さんは、桧を透過した光の色や質が心を癒すあかり「ライトテラピー」に適していると、地元産の桧素材にこだわりながら独創的な照明器具作りに取り組んでいる。坂本さんは心を癒すのは夕日が沈むころのような「オレンジ色、暗め、低位置からの光」だと言う。

あかり工房

(写真は あかり工房)

山灯り

 人間には太陽の光に反応しながら動く生体リズムがある。日の出とともに明るくなると活動的になり、日が沈み暗くなると静的になり眠る。夜遅くまで明るい蛍光灯の光を浴びていたり、夜更かしが過ぎるとストレスが溜まることは、医学的にも証明されている。
 坂本さんはこの点に着目して桧材や和紙などを使って、暗めのオレンジ色のあかりを作り出す。これらの光には自然素材の持つゆらぎ、手触り、不均質さがあり、癒しの効果を高めている。

(写真は 山灯り)

 吉野町は平成10年(1998)から毎年夏に「吉野・山灯り展」を開催している。今年も7月30日、31日の両夜、独創的な山灯りの作品群が、大和上市の旧伊勢街道沿いの古い町並みを幻想的に彩る。
 この「吉野・山灯り展」には、一般の人たちが杉や桧材、割箸、和紙などを使って、ユニークなデザインの灯り作りに挑戦した独創的な作品が展示される。2005年で7回目を迎える「吉野・山灯り展」に、独創的で斬新な発想によるどんな灯りが出展されるのだろうかと、楽しみにしている人も多い。

大和上市

(写真は 大和上市)


◇あ    し◇
宮滝遺跡、吉野歴史資料館近鉄吉野線大和上市駅からバスで宮滝下車
徒歩5分。
桜木神社近鉄吉野線大和上市駅からバスで宮滝下車
徒歩20分。
本善寺近鉄吉野線吉野神宮駅下車徒歩15分。 
金峯山寺蔵王堂、吉野葛・横矢芳泉堂、柿の葉すし・ひょうたろう、旅館・宝の家近鉄吉野線吉野駅下車、吉野ロープウェイに乗り換え吉野山駅下車徒歩10分。
福西和紙本舗近鉄吉野線大和上市駅からバスで窪垣内下車
徒歩5分。
あかり工房・吉野近鉄吉野線六田駅下車徒歩10分。 
◇問い合わせ先◇
吉野町役場文化観光商工課07463−2−3081 
吉野歴史資料館07463−2−1349 
飯貝御坊・本善寺07463−2−2675 
吉野葛・横矢芳泉堂07463−2−3108 
柿の葉すし・ひょうたろう07463−2−3070 
旅館・宝の家07463−2−5121 
吉野製箸工業協同組合07463−6−6838 
福西和紙本舗07463−6−6513 
あかり工房・吉野07463−2−5282 
吉野町商工会(山灯り展運営)07463−2−3244 

◆歴史街道とは

    関西は「歴史・文化の宝庫」として世界に誇れる地域です。歴史街道では、日本の歴史文化の魅力を楽しく体験し、実感できる旅のルートとエリアを設定しました。伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸といった主要歴史都市を時代の流れに沿ってたどる「メインルート」と各地域の特徴をテーマとして活かした3つの「ネットワーク」です。

 

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

    の3つの目標を掲げ、その実現を目指しています。

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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