月〜金曜日 18時54分〜19時00分


和歌山・海南市、由良町 

 熊野詣の熊野街道が通り聖域・熊野への入口の町として平安時代に栄え、江戸時代には紀州漆器・黒江塗の一大産地となった海南市、美しいリアス式の海岸美を誇り、虚無僧の寺、金山寺味噌や醤油発祥の地として知られる由良町を訪れた。


 
藤白神社(海南市)  放送 9月5日(月)
 熊野への入口とされる藤白坂のかかりに建つ藤白神社は、熊野九十九王子社の中でも格式の高い五体王子のひとつ藤白王子跡の神社。創建は飛鳥時代の斉明天皇の時代に、天皇が現在の白浜温泉の牟婁の湯に御幸した際、小さな祠を建てたのが始まりと伝えられている。さらに古く記紀神話時代の景行天皇の時代に鎮座されたとの伝えもある。本殿脇の藤白王子権現本堂には、熊野三山の本地仏の薬師如来座像(熊野速玉本地仏)、阿弥陀如来座像(熊野本宮本地仏)、千手観音座像(熊野那智本地仏)が祀られている。
 平安時代には朝廷の崇敬が篤く、歴代の天皇、上皇が熊野行幸の際には必ずここで宿泊して、歌会を催したり、神楽、相撲などを奉納していた。

熊野那智本地仏 千手観音坐像

(写真は 熊野那智本地仏 千手観音坐像)

藤白王子本地仏 十一面観音立像

 建仁元年(1201)熊野御幸した後鳥羽上皇は数日間、ここ藤白王子に宿泊して歌会を催した。この時、上皇が詠んだ歌を納めたのが熊野懐紙で、当時の熊野行幸の様子を知る上で貴重な資料とされている。
 藤白神社の歴史の古さを物語るひとつが境内の樹齢1000年の楠の大樹。この大樹が楠神社とした祀られ、この神社に参って子供の名前に「楠」「熊」「藤」の字を授かると、その子は長命で出世すると信仰されている。2字をもらった南方熊楠はその好例である。また、飛鳥時代に皇位継承にからんでこの近くで謀殺された、悲劇の皇子・有間皇子
(640〜658)を祀る有間皇子神社も境内社として鎮座している。

(写真は 藤白王子本地仏 十一面観音立像)

 藤白神社の境内から熊野古道の坂を登りかかけると、有間皇子の墓と歌碑に出会う。有間皇子は中大兄皇子との皇位継承争いで、蘇我馬子の孫・蘇我赤兄にクーデターをそそのかされたが捕まってしまった。牟婁の湯に滞在していた斉明天皇のもとに護送されて尋問された後、大和への帰途、この地で処刑された。その際「家にあれば 笥(け)に盛る飯を草枕 旅にしあれば椎の葉に盛る」と詠んだ歌が歌碑に刻まれている。
 熊野古道の藤白坂を登りきったところが藤白峠。紀伊国名所図会に「熊野路第一の美景なり」と記され称賛されている眺めのよい所。ここからは和歌浦、雑賀崎、加太、友ケ島から淡路島、四国まで望める。峠には「御所の芝」と呼ばれる白河上皇が熊野行幸をした際の行宮跡があり、上皇もここからの眺めを楽しみ旅の疲れを癒したのであろう。

有間王子神社

(写真は 有間王子神社)


 
黒江・紀州漆器の町(海南市)  放送 9月6日(火)
 海南市黒江は黒江塗と呼ばれる紀州漆器の産地として知られている。黒江塗は室町時代から住みついた木地師が木椀塗を始め、さらに天正13年(1585)豊臣秀吉に根来寺を攻め落とされた根来塗の僧や職人が、この地に逃れてきて漆器作りを始めた。こうして江戸時代の寛永年間(1624〜1644)から盛んになり、紀州藩の保護を受け全国的に知られる漆器産地となり、紀伊国名所図会にも黒江漆器の繁盛ぶりが描かれている。
 最初は椀(わん)だけだったが、折敷(おしき)と呼ばれる春慶塗の盆のほか、膳、重箱などを作るようになった。さらに蒔絵(まきえ)による装飾性の高い漆器も生産されるなど、製品も多様化し幕末には会津塗(福島県)、山中塗、輪島塗(石川県)とともに全国の三大産地となった。

紀州漆器伝統産業会館

(写真は 黒江塗)

黒江塗

 漆器の町・黒江は川端通りを中心に紀州連子と呼ばれる高い連子格子の江戸時代の町家が軒を連ねている。表通りには問屋が店を並べ、裏通りには塗師や木地師の職人の家が多い。この裏通りの家々は道に平行でなく斜めに構えているので、ノコギリの歯のようにジグザグになった独特の家並みを形成している。
 これは道端にできる三角形の空地に資材などを置いて、狭い土地を有効に使った職人の智恵だと言われている。ほかに海岸に沿ってつけられた道路が、中央の排水路(現在の川端通り)と平行にならず、四角い家を建てると三角の空地ができたとの説や家相説などがある。

(写真は 紀州漆器伝統産業会館)

 紀州漆器伝統産業会館では江戸時代から最新の作品まで、多種多様な黒江塗が展示され、紀州漆器作りの歴史や技術を映像で紹介している。館内には漆器蒔絵体験コーナーがあり、予約すれば毎週土、日曜日に実費のみで、職人さんの指導を受けながらオリジナルな漆器作品を作ることができる。
 江戸時代の塗師の家をそのまま使った紀州漆器直販の店「黒江ぬりもの館」には、黒江の歴史や町並み、ぬりものの歴史、製造工程などの資料を展示している。黒塗りの下地を研ぎ出す紀州根来塗の体験コーナー(実費)もあり、オリジナルな根来塗椀ができる。館内では使いやすい実用的な黒江塗の椀、鉢類、皿、花瓶、花台、アクセサリー、民芸品などを販売している。

黒江ぬりもの館

(写真は 黒江ぬりもの館)


 
白崎海岸(由良町)  放送 9月7日(水)
 白崎海岸は紀伊山脈から西に延びる白馬山脈が、紀伊水道に没して形成された有田地方のリアス式海岸のひとつ。その名の通り白い石灰岩の巨岩、奇岩と海の青さの鮮やかコントラスがまぶしい。海の中に立つ岩門を思わせる立巌岩(たてごいわ)、氷山を思わす岬、日本の渚百選にも選ばれている白砂の海岸など、どれもダイナミックな自然造形美に圧倒される。
 ウミネコが飛び交い、海洋生物も豊富で、釣りの名所として知られ、四季を通じて釣りファンでにぎわう。夏にはハマユウ、早春にはスイセンが咲き乱れる景勝地である。

白崎海洋公園

(写真は 白崎海洋公園)

ログハウス

 この景勝地は万葉の昔から知られ、持統天皇が牟婁の湯(現在の白浜温泉)へ御幸する途中、この地の美しさを讚えて「朝びらき 漕ぎ出でて われは由良の崎 釣りする海人を 見て帰り来む」と詠んでおり、白崎万葉公園には白崎を詠んだ万葉の歌碑が立っている。
 多くのダイビングポイントがある白崎海岸の岬全体が白崎海洋公園となっており、スキューバーダイビングやオートキャンプ、またログハウスや展望台、新鮮な魚介を料理するレストランもあって夏の休日を満喫できる。

(写真は ログハウス)

 水深1.2m、2.5m、4mの3段式の本格的なダイビングプールを備え、ダイビングに必要な技術を身につけるさまざな設備が用意されている。室内昇温装置を備えているのでオールシーズン、天候に関係なくダイビングの指導が受けられる。
 白崎海岸の豊富な海洋生物の11カ所のダイビングポイントへの案内や、ライセンスを持たない人たちの体験ダイビングも行っており、エイやイサギなどいろいろな魚の泳ぐ姿が観察できる。展望台からは紀伊水道が眼前に広がり、淡路島や四国も望め、特に沈む夕日の白崎海岸の眺めは、幻想的でロマンチックな雰囲気が漂うひとときである。

カフェ&レストラン 白い岬

(写真は カフェ&レストラン 白い岬)


 
戸津井鍾乳洞(由良町)  放送 9月8日(木)
 夏の由良町の山間部のお勧め観光スポットは戸津井鍾乳洞。なにしろ洞内の温度は年間を通じて約15度と言うから夏は涼しく、長時間いると薄着では鳥肌がたってくるほど。反対に冬は暖かい。
 この鍾乳洞は2億9千万年から2億5千万年前の古生代ペルム紀の貴重な石灰洞穴で、その存在は古くから知られていた。

戸津井

(写真は 戸津井)

戸津井鍾乳洞

 この付近は大正2年(1913)から昭和20年
(1945)ごろまで、石灰石採石場として利用されていたので、石灰石採取事業に危険をおよぼし、支障をきたすとして洞穴は閉鎖され地下に眠ったままだった。
 地元の人たちからこの鍾乳洞を開発して観光資源にしようとの声が高まり、由良町は昭和55年
(1980)から和歌山県の補助を受け、鍾乳洞内が見学できるように整備を進め、平成元年(1989)にオープンした。戸津井鍾乳洞は全長100mと短いが、見どころは沢山ある。

(写真は 戸津井鍾乳洞)

 鍾乳洞の天井に数センチの鍾乳石がびっしりとついて、その先端の水滴が星のように輝いている「針天井の間」、蝋が流れるように見える「白蝋の滝」、つらら石ともカーテンとも見える鍾乳石が密生している「小銀河」、ハチの巣のように穴が開いた鍾乳石の「蜂の巣岩」などのほかに「天のカーテン」「仏石」「龍の腰掛」「大亀石」「小亀石」などの名がつけられた鍾乳石が、狭い洞内にいっぱいある。
横にならなければ通れない「カニの横穴」もあって、地底探検の気分も味わえる。

飛燕

(写真は 飛燕)


 
興国寺(由良町)  放送 9月9日(金)
 興国寺は鎌倉幕府3代将軍・源実朝の死を悼んだ家臣の葛山五郎景倫が、出家して願性と改め、主君の菩提を弔うため安貞元年(1227)に建立した真言宗西方寺を起源とする。今も、興国寺境内には源実朝の供養塔と歌碑ある。
 願性は中国・宋で禅の修行を積み、禅の印可を受けて建長6年(1254)帰国した法燈国師・覚心を、正嘉2年(1258)西方寺の住職に迎えた。寺号も興国寺と改め禅宗の寺院とし、堂塔伽藍(がらん)を整備し寺運も興隆した。願性は出家後、高野山で修行中に覚心の知遇を得て肝胆相照らす仲となり、覚心が入宋する際にも援助していた。

源 実朝の供養塔

(写真は 源 実朝の供養塔)

天狗堂

 天正13年(1585)の羽柴秀吉の紀州攻めで堂塔のほとんどが焼失、江戸時代にはいって紀州藩主・浅野幸長の援助を受けて復興、後の紀州藩主・徳川頼宣も引き続き復興に力を貸した。興国寺には寺を開いた願性像、開山の法燈国師像(国・重文)、法燈国師の宋での師・無門仏眼禅師像が安置されている。
 法燈国師が宋から尺八を得意とする居士たちを伴って帰ったことから、興国寺は今も普化尺八、虚無僧の寺として名高い。深編み笠をかぶり尺八を吹いて托鉢して回る虚無僧は興国寺から起こった。今も興国寺の法燈会や8月15日の火祭りの燈篭焼など、年中行事には虚無僧による普化尺八が吹奏される。

(写真は 天狗堂)

 天狗堂には縦2.4m、横2.7m、鼻の長さ1.5mもある大天狗が祀られている。何度も火災に遭った興国寺を赤城山の天狗が、一夜に七堂伽藍を復興してくれたとの伝説から天狗を祀るようになった。
 法燈国師は宋で金(径)山寺味噌の製法を学んで、ここ興国寺で製造を始めた。
味噌を製造中に桶の底に沈殿した副産物ともいえる汁を加工してできたのが醤油の始まりで、この地方で醤油の醸造が始まった。醤油発祥の地の興国寺門前で醤油、金山寺味噌の製造販売をしている檜屋では、興国寺の大天狗にあやかって「天狗しょうゆ」と名付けて販売している。

天狗金山寺味噌(檜屋)

(写真は 天狗金山寺味噌(檜屋))


◇あ    し◇
藤白神社JR紀勢線海南駅下車徒歩15分。 
JR紀勢線海南駅からバスで藤白下車徒歩5分。
紀州漆器伝統産業会館JR紀勢線黒江駅下車徒歩20分。 
黒江ぬりもの館JR紀勢線黒江駅下車徒歩15分。 
白崎海洋公園JR紀勢線紀伊由良駅からバスで白崎西下車徒歩20分。
戸津井鍾乳洞JR紀勢線紀伊由良駅からバスで戸津井下車徒歩20分。
興国寺JR紀勢線紀伊由良駅下車徒歩15分。 
檜屋(金山寺味噌、天狗醤油)JR紀勢線紀伊由良駅下車徒歩3分。 
◇問い合わせ先◇
海南市観光協会073−483−8460 
藤白神社073−482−1123 
紀州漆器伝統産業会館073−482−0322 
黒江ぬりもの館073−482−5321 
由良町役場産業課0738−65−1203 
由良町観光協会0738−65−0200 
白崎海洋公園0738−65−0655 
戸津井鍾乳洞0738−66−0406 
興国寺0738−65−0154 
檜屋(金山寺味噌、天狗醤油)0738−65−3007 

◆歴史街道とは

    関西は「歴史・文化の宝庫」として世界に誇れる地域です。歴史街道では、日本の歴史文化の魅力を楽しく体験し、実感できる旅のルートとエリアを設定しました。伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸といった主要歴史都市を時代の流れに沿ってたどる「メインルート」と各地域の特徴をテーマとして活かした3つの「ネットワーク」です。

 

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

    の3つの目標を掲げ、その実現を目指しています。

 

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