月〜金曜日 18時54分〜19時00分


京都市・伏見 

 関西の初詣参拝者の数では大阪の住吉大社と並んでトップクラスの伏見稲荷大社。商売繁盛の神様とあって、さい銭もかなりの額になり、銀行員がさい銭を勘定する風景が、毎年テレビで伝えられるのもおなじみである。初詣の参拝者でにぎわった伏見稲荷大社を点描してみた。


 
伏見稲荷大社  放送 1月4日(水)
 京都・東山連峰の南端、稲荷山の西麓に鎮座する伏見稲荷大社は、全国に3万社を数えるお稲荷さんの総本社。和銅4年(711)にこの地方の豪族・秦氏が、稲荷山(伊奈利山)三ヶ峰に稲荷大神を祀ったのが伏見稲荷の始まりと「山城国風土記」に記されている。
 一の鳥居の先にそびえる桃山様式の壮麗な楼門は、天正17年(1589)に豊臣秀吉が母・大政所の大病平癒の祈願をして、その願いが成就したので建立した。その時に「祈願がかなえば1万石を寄進する」と記した秀吉の願文も残っている。

楼門

(写真は 楼門)

本殿

 現在の本殿(国・重文)は、室町時代の応仁の乱の兵火で焼失した後、明応3年(1495)に再建が始まり、明応8年(1499)に完成して仮殿から新しい本殿へ祭神が遷宮した。稲荷造とも言われる五間社流造の優美な本殿だが、その細部の装飾彫刻や蟇股(かえるまた)などは、牡丹に唐獅子や唐草を配した華麗なもので、これらの装飾は壮麗な本殿によく調和している。
 本殿前の拝殿の軒先に吊されている12個の鉄製釣り灯籠は、黄道の12の星座を表す12宮が描かれている。法隆寺、大原三千院、東寺の星曼荼羅(ほしまんだら)には釈迦像と一緒に12宮を描いているが、黄道12宮だけを独立させて工芸化したものは伏見稲荷大社のものだけと言う。

(写真は 本殿)

 稲荷は「イネナリ」「イネニナル」がつまって「イナリ」になったことから、古くから五穀豊穰を祈る農業の神様として信仰されてきた。商工業が盛んになってきた中世から近世にかけて産業振興、商売繁盛の神へと信仰の幅が広がった。
 一年の商売繁盛などを願うの参拝者らでにぎわう初詣の際、伏見稲荷大社で、床の間や玄関に飾ると家が栄えると言われる御神木の「しるしの杉」を授かる人が多い。年が明けた伏見稲荷大社では伝統の年中行事が始まる。1月5日には稲荷山の神蹟に注連縄(しめなわ)を張る大山祭から始まり、
12日には神矢で邪気をはらう奉射祭、6月には田植祭、10月には稲を刈る抜穂祭、11月には五穀豊穰を感謝する火焚祭など、毎月のように神事が目白押しとなっている。

験の杉

(写真は 験の杉)


 
伏見稲荷大社・奥の院  放送 1月5日(木)
 伏見稲荷大社の本殿からさらに奥へ進むと、鮮やかな朱塗りの鳥居がびっしりと続くいわゆる「千本鳥居」が目に飛び込んでくる。この鳥居はそれぞれの願いを込めて奉納されたもので、稲荷山へかけて建ち並んでいる。そのおびただしい数から千本鳥居と呼ばれるようなり、伏見稲荷ならではの独特の光景を描き出している。
 鳥居はくぐると清新の気を呼び起こすという。鳥居の朱の色は本殿や楼門と同じ稲荷塗りと呼ばれるもので、稲荷大明神の御霊による生命、生産の力を表す。これらの鳥居は、稲荷大明神への祈願と願いがかなえられた感謝を表して献じられたもの。鳥居を献じることによってその願いが「通る」とか、願いが「通った」と言うが、信仰の素朴な気持ちの表れといえよう。

千本鳥居

(写真は 千本鳥居)

おもかる石

 千本鳥居のトンネルを抜けると奥の院と呼ばれる奥社奉拝所に出る。この奉拝所は背後の稲荷山の三ツ峰の神々を遥拝する拝殿である。また稲荷山には鳥居の立ったおびただしい数の塚があり、塚のひとつひとつに「○○大神」と記されている。これら三ツ峰の塚を巡拝することを「お山する」と言い、稲荷信仰の信者たちのお参りが続いている。
 奥の院の手水舎のそばに2基の石灯籠がある。石灯籠の頭の部分の空輪は、灯籠の前で祈願した後、願いを込めて持ち上げ、思ったより軽ければ願いがかない、重ければかなわないと言う「おもかる石」。恋の行方が気になる様子の女性が持ち上げていたが、果たして軽かったのだろうか、重かったのだろうか。

(写真は おもかる石)

 本殿南にあるお茶屋(国・重文)は、江戸時代初めの寛永18年(1641)に仙洞御所の建物を後水尾上皇から下賜された建物。入母屋造りで火灯窓のある書院を構えた7畳の上の間と、菱格子の欄間を境にした8畳の下の間からなっている。
 にじり口を持たないので純粋な茶屋ではなく、書院造りの格調を保ちながら貴人好みの茶趣味を濃くした茶室、書院式茶室と言える建物で、書院造りから数寄屋造りに変化していく過程を示す貴重な資料でもある。普段は非公開となっているが春と秋の大祭の日に一般公開される。

お茶屋

(写真は お茶屋)


 
伏見の名物  放送 1月6日(金)
 京阪電鉄伏見稲荷駅、JR奈良線稲荷駅から稲荷大社裏参道、拝殿にいたるまでの沿道には、さまざまな土産物店、料理店などが軒を連ねて参詣者を楽しませてくれる。
 稲荷神社と言えばすぐキツネを連想するほど、稲荷とキツネは切っても切れないほど強い結びつきであるが、その由来は諸説が多くよくわからない。油揚げはキツネの好物と言われているが、本当にキツネが好きなのかどうかはキツネに聞いてみなければ分からない。いずれにしてもこのキツネの好物とされる油揚げに味つけして、すし飯を詰めたのが稲荷寿司。大阪の信太の森の稲荷神社で売られたのが初めとか。

雀の焼鳥(袮ざめ家)

(写真は 雀の焼鳥(祢ざめ家))

きつね煎餅(宝玉堂)

 このほか伏見稲荷の参道筋には、稲作には天敵となるスズメの焼鳥、キツネのお面に焼きあげたキツネせんべいなど、伏見稲荷ならではの味わいの食べ物が並んでいる。ほかに神棚に祀るキツネの神具なども売られており、参道筋はキツネづくしと言える。
 稲荷山の良質の粘土で作られる伏見人形は全国で90種以上もある土人形の元祖と言われている。神殿用の土器を作っていた職人が、江戸時代初めの元和年間(1615〜24)ごろに土人形を作ったのが起こりとされている。伏見稲荷大社ゆかりのキツネを題材にした人形を中心に、奇抜で明るくユーモアに富んだ人形が多く、庶民的な素朴さに親しみを覚える人が多い。

(写真は きつね煎餅(宝玉堂))

 代表的な布袋(ほてい)さんの人形をはじめ、そのデザインや彩色が素朴で愛らしい人形が多い。その中でも「父と母のどちらが好きか?」と尋ねられた童子が、二つに割った饅頭(まんじゅう)を示して「どちらがおいしいか?」と、問い返した問答から生まれた人形の「饅頭食い」が有名。稲荷詣の土産物として参拝者が全国に持ち帰り、各地で同じような人形が作られるようになった。
 江戸時代には伏見街道沿いに50余りの伏見人形の窯元と多くの伏見人形を売る店があったが、現在、伏見人形発祥の地で伏見人形を作り続けている窯元は「丹嘉(たんか)」だけになってしまった。

伏見人形「饅頭喰い」(伏見人形窯元 丹嘉)

(写真は 伏見人形「饅頭喰い」
      (伏見人形窯元 丹嘉))


◇あ    し◇
伏見稲荷大社京阪電鉄伏見稲荷駅下車徒歩5分。 
JR奈良線稲荷駅下車徒歩3分。
丹嘉(伏見人形)京阪電鉄伏見稲荷駅、JR奈良線稲荷駅下車徒歩5分。 
◇問い合わせ先◇
伏見稲荷大社075−641−7331 
祢ざめ家(雀の焼鳥)075−641−0802 
宝玉堂(稲荷煎餅)075−641−1141 
丹嘉(伏見人形)075−561−1627 

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