月〜金曜日 18時54分〜19時00分


堺市 

 古い歴史を誇り、貿易都市、自由都市として栄えた堺市は2006年4月1日から政令指定都市となった。これによって大阪市と肩を並べ、大阪南部の中核都市として発展し、その存在感を増すことができるか注目されている。政令指定都市発足を契機に、堺市の歴史を振り返ってみた。


 
自由都市  放送 4月3日(月)
 堺の名は摂津、河内、和泉三国の境に位置するところからきている。摂津、和泉の境は堺市の中央を東西に走る道路・大小路で北を摂津堺北荘、南を和泉堺南荘と呼んでいた。
 西は海に面して中世には中国、東南アジアへ渡る人びとが出港し、ヨーロッパからの船も入港して国際貿易港として大いに栄えた。旧堺港の西の阪神高速湾岸線の下にある旧堺灯台は、明治10年(1877)に建設され、昭和43年(1968)の廃灯までほぼ1世紀の間、堺港に出入りする船の安全を見守ってきた。

旧堺港

(写真は 旧堺港)

土居川

 南北朝時代から戦国時代にかけて堺の町は戦乱に巻き込まれ、町は兵火で度々焼かれた。堺の人びとは戦乱から町を守るため、海に面した西側以外の町の南北と東側の三方に深くて広い堀を作り、敵襲に備えた。さらに36人の町の代表者・会合衆(えごうしゅう)の合議によって自分たちの町を自分たちで治め、政治的中立の立場を堅持した自由都市の観を呈していた。
 こうした堺の町をポルトガルの宣教師ガスパル・ビレラは、イタリアの自由都市・ベニスになぞらえ本国へ「堺は東洋のベニスの如し」と報告している。

(写真は 土居川)

 天下を統一した豊臣秀吉は、大坂城のひざ元で堺が自由都市であることを認めるはずがなく、堀を埋めた。大坂夏の陣の時には、堺の町が徳川方に味方するのを恐れ、町に火を放ちことごとく焼きつくされてしまった。だが、関ヶ原の戦に勝利した徳川家康は、堺の町を重視して秀吉が埋めた堀を掘り返して元に戻し、町を作り替えて徳川幕府の直轄地とし、堺町奉行を置いて堺の町を治めた。
 自由都市時代の堀の名残の土井川が流れる御陵通は、世界三大墳墓のひとつ、全長486mの仁徳天皇陵へ通じている。仁徳天皇陵のあたりは55にものぼる大小の古墳があり、百舌鳥古墳群と呼ばれている。

仁徳天皇陵

(写真は 仁徳天皇陵)


 
景勝の地・浜寺  放送 4月4日(火)
 南海電鉄の浜寺公園駅は、ひと夏100万人と言われた海水浴客に対応するため、明治40年(1907)難波〜浜寺公園間が電化されたのに併せて、東洋一の海水浴場の玄関口にふさわしい駅舎に建て替えられた。
 赤坂離宮や東京駅などの設計で知られ、近代建築の草分の辰野金吾の設計で、鹿鳴館を思わせる本格洋風デザインの風情ある駅舎として知られており、この明治の駅舎は現役として健在。正面の屋根に見える屋根窓(ドーマ)や柱の骨組みを壁に埋め込まずに装飾模様として生かすハーフ・チェインバー方式などが特徴で、当時の一等待合室はギャラリーとして使われている。国の登録有形文化財に指定され、近畿の駅百選にも選ばれている。

南海電鉄 浜寺公園駅舎

(写真は 南海電鉄 浜寺公園駅舎)

浜寺公園

 白砂青松の海水浴場としてにぎわっていた浜寺海水浴場は、昭和38年(1963)ごろから臨海工業用地造成のために埋め立てが始まり姿を消した。浜寺公園の約5000本の松林が、かつての白砂青松の渚の面影を伝えており、海水浴場はプールや野球場などの施設に生まれ変わっている。
 浜寺は高師(たかし)の浜と呼ばれていた昔から白砂青松の浜として愛され、枝ぶりのよい松、古木の松、面白い形の松がある「松の公園」として親しまれていた。
この松は防風林としての役目のほかに魚を集める松とも言われ、近隣の漁業にも一役買っていた。

(写真は 浜寺公園)

 万葉集にも詠まれた浜寺の松林は、幾度も災難に遭いながらこれを切り抜け今日に伝えられた。室町時代の応仁の乱や戦国時代の戦火で焼かれたり切られたりした。江戸時代にはこの地を治めていた田安藩が藩財政を救うために伐採したり、明治維新後の明治5年(1872)職を失った士族救済のため、1800本の松のうち848本が切り倒された。翌年、浜寺を訪れた明治政府の重鎮・大久保利通がこれを見て嘆き「おとにきく 高師の浜の はままつも 世のあだ波は のがれざりけり」の歌を詠んで伐採を中止させ、翌年の浜寺公園誕生へとつながった。大久保の歌を刻んだ歌碑「大久保利通惜松碑」が浜寺公園に立っている。

惜松碑

(写真は 惜松碑)


 
堺が始まり・線香  放送 4月5日(水)
 「ものの始まり、なんでも堺」と言われたほど、中世から貿易港として栄えた堺が発祥となった品物は数々あり、線香もそのひとつ。香は中国から朝鮮半島を経て6世紀中ごろ日本に仏教が伝来した時に、仏像、経典などとともにわが国にたらされた。周囲を清め邪気をはらい、荘厳な雰囲気を醸し出す宗教的な儀式に用いられて定着した。
 香のもとになる伽羅(きゃら)、白檀(びゃくだん)、沈香(じんこう)などの香木は日本にはなく、東南アジアの熱帯の植物で、すべて輸入に頼っていることが、堺で線香が作られることになった大きな要因となった。

白壇(左)・沈香(右)

(写真は 白壇(左)・沈香(右))

製粉

 香木は香りで心を安らげるだけでなく、元来はその大半が漢方薬や香辛料として使われていた。このため堺では漢方薬や香木を商う薬種問屋が多かったが、天文年間(1532〜55)に抹香の簡便な形として線香の手法が中国から伝わり、やがて薬種問屋が線香作りを始めた。
 室町時代創業の薬種問屋の梅栄堂は、江戸時代の明暦3年(1657)から線香、香類を専門に商うようになった老舗。香作りはそれぞれの店が、門外不出の秘伝の調合法で作っているが、最近は売り上げ高が低迷しており、線香業界では新製品の開発などに取り組んでいる。

(写真は 製粉)

 梅栄堂では最近、コーヒーの香りのする新製品を開発して話題を呼び、ヒット商品になっている。「コーヒー好きだった故人が喜ぶだろう」とか「部屋が線香臭くなるのが嫌だ」と言う人たちに受けている。線香の平均価格は1箱1600円ぐらいだが、ベトナム産の最高級の伽羅を配合した1箱10万円の超高級品線香を100箱限定で発売したところ2週間で売り切れたと言う。
 「いいものを出したり、アイデア商品を出せば、線香の香りに慣れ親しんできた日本人には売れるとの自信を得た」と梅栄堂16代目当主・中田信浩社長は言っている。

香道教室

(写真は 香道教室)


 
自転車博物館サイクルセンター  放送 4月6日(木)
 貿易港都市として栄えた堺には海外からいろいろな文物が入り、日本で初めて製造されたものが多く、その中のひとつが自転車。明治元年(1868)日本に初めて輸入され自転車が、普及しはじめたのは明治30年代(1897〜1906)のこと。刀鍛冶、鉄砲鍛冶の技術を持った堺の鍛冶職人が、自転車部品の修理や製造に当たった。
 今では堺市は日本の自転車産業の中心となり、自転車部品の3分の1が堺で生産されている。こうした堺市に平成4年(1992)に日本唯一の自転車専門の博物館「自転車博物館サイクルセンター」がオープン、自転車のすべてがわかる展示と地球に優しい自転車のPRに努めている。

最初の自転車・ドライジーネ

(写真は 最初の自転車・ドライジーネ)

オーディナリー

 自転車博物館には1818年にドイツのドライス男爵が発明した、足で地面を蹴って走る自転車「ドライジーネ」から、アテネオリンピックの自転車競技に使用された最新の自転車までが年代別に展示され、自転車の発達の歴史が実物を見ながら知ることができる。
 最初の自転車「ドライジーネ」は木製で、15kmほどのスピードが出たとの記録がある。自転車レースが盛んになるとスピードを出すため、ペダルのついた前輪を巨大化した自転車「オーディナリー」も登場した。現代の自転車に近い前後輪が同じ大きさで、チェーンのついた安全な自転車が1885年に登場している。

(写真は オーディナリー)

 自転車博物館ではこうした珍しい自転車が見学できるほか、変速機やブレーキの仕組みが体験できるコーナーや自転車の本がいっぱいの図書室もある。
 何と言っても一番楽しいのは、博物館近くの大仙公園の自転車ひろばで、クラシック自転車のレプリカに乗って走ることだろう。足で蹴って走るドライジーネ型自転車や前輪が巨大なオーディナリー型自転車、フランスで発明された2人乗り用三輪車などに乗れる。クラシック自転車体験試乗は第2,第4日曜日だけで料金は20分間で300円。

大仙公園自転車ひろば

(写真は 大仙公園自転車ひろば)


 
桜井神社  放送 4月7日(金)
 泉北ニュータウンの南・堺市片蔵の旧上神谷(にわだに)村に鎮座する桜井神社の拝殿は、堺市で唯一の国宝の建造物である。この拝殿は鎌倉時代前期の建築で、間口5間の中央に1間の「馬道(めどう)」と呼ばれる通り抜けの土間がある「割拝殿」と言う大変珍しい形式となっている。
 祭礼時には中央の通路に両側から蔀戸(しとみど)と呼ばれる建具を下ろして床にし、拝殿全体が床の間になる。このような古い形式の割拝殿は、全国に二つしか残っていないと言われ、これが国宝に指定された大きな理由とされている。

拝殿

(写真は 拝殿)

二重虹梁蟇股

 割拝殿は鎌倉時代の建築様式の特色をよく伝えている。屋根は簡素な造りだが、どっしりとした力強い感じを与えている。天井を張らない化粧屋根裏とし、その屋根を受けているのが二重虹梁蟇股(にじゅうこうりょうかえるまた)と言う形式になっている この神社の創建は古代にまで遡り定かでないが、このあたりに日本最古で最大の須恵器窯跡があるところから、須恵器を焼く技術を朝鮮から伝えた渡来系豪族・桜井氏が祖先・武内宿禰を祀った氏神と考えられる。

(写真は 二重虹梁蟇股)

 推古天皇5年(597)に八幡宮を合祀し、応神、仲哀天皇、神功皇后の三神を祭神として、今も地元では「にわ谷の八幡さん」と呼ばれている。
 桜井神社には国の無形民俗文化財指定の「こおどり」と言う雨乞いの踊りが伝わっており、毎年10月の第一日曜日の例祭に踊られる。元は桜井神社に合併された鉢ヶ峯の国(くに)神社の祭礼の踊りで、伝説では鉢ヶ峯の襲峰(おそいがみね)に天照大神が降臨した所に、国神社を建て雨乞いをしたところ雨が降り、村人が踊り喜んだことに始まると言う。

降臨石

(写真は 降臨石)


◇あ    し◇
旧堺港南海電鉄本線堺駅下車徒歩5分。 
仁徳天皇陵JR阪和線百舌鳥駅下車徒歩5分。 
南海電鉄高野線三国ケ丘駅下車徒歩10分。
浜寺公園南海電鉄本線浜寺公園駅下車すぐ。 
阪堺電気軌道阪堺線浜寺駅前駅下車すぐ。
梅栄堂南海電鉄本線堺駅下車徒歩15分。 
阪堺電気軌道阪堺線花田口駅下車すぐ。
自転車博物館サイクルセンターJR阪和線百舌鳥駅下車徒歩10分。 
南海電鉄高野線堺東駅からバスで大仙町下車徒歩3分。
桜井神社泉北高速鉄道泉ケ丘駅からバスで桜井神社前下車すぐ。
◇問い合わせ先◇
堺市観光部072−228−7493 
堺観光コンベンション協会072−233−5258 
南海電鉄営業企画課06−6644−7165 
浜寺公園管理事務所072−261−0936 
梅栄堂072−229−4545 
自転車博物館サイクルセンター072−243−3196 
桜井神社072−297−0043 

◆歴史街道とは

    関西は「歴史・文化の宝庫」として世界に誇れる地域です。歴史街道では、日本の歴史文化の魅力を楽しく体験し、実感できる旅のルートとエリアを設定しました。伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸といった主要歴史都市を時代の流れに沿ってたどる「メインルート」と各地域の特徴をテーマとして活かした3つの「ネットワーク」です。

 

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

    の3つの目標を掲げ、その実現を目指しています。

 

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