月〜金曜日 18時54分〜19時00分


伊勢神宮・第62回式年遷宮 

 伊勢神宮最大の祭典である式年遷宮の行事が平成17年から始まった。新しい正殿が完成して、内宮の天照大御神、外宮の豊受(とようけ)大御神が新殿へ移る遷御の儀は、平成25年(2013)秋に執り行われる。この日まで、伊勢神宮を始め門前町の伊勢市では、数々の神事や行事が予定されており参拝者らでにぎわう。


 
心のふるさと  放送 6月5日(月)
 「お伊勢さん」と日本人の誰からも親しみを込めて呼ばれる伊勢神宮の正式の称号は「神宮」。神宮は内宮の皇大(こうたい)神宮と外宮の豊受(とようけ)大神宮の二つの正宮(しょうぐう)と別宮、摂社、末社、所管社を合わせて125の社からなっている。
 内宮は皇室の皇祖神の天照大御神を祀り、日本各地の神々の総氏神として尊ばれている。御神体は三種の神器のひとつ八咫鏡(やたのかがみ)。外宮に祀られている豊受大御神は、天照大御神の食事を守る御饌都神(みけつかみ)であるとともに、日本人の主食である米を中心とした衣食住すべてに恵みをもたらす産業の守護神である。

皇大神宮(内宮)

(写真は 皇大神宮(内宮))

御手洗場

 垂仁天皇の時代に五十鈴川のほとりに鎮座された天照大御神は、太陽の神として生命の源であり、日本人の心の原点である。初めは皇居に祀られていたが、神話時代の崇神天皇の時代に「天照大御神と同じところに住むのは畏れ多い」と大和の笠縫邑に移して祀った。さらに次の垂仁天皇の時代に天皇の皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)が、天照大御神の鎮座するところを探し求めて伊賀、近江、美濃などを巡幸した後、五十鈴川のほとりに着き、その上流が皇祖神を祀るのに最適の場所と定め、現在地に祀られることになったと伝えられている。豊受大御神は丹波国に祀られていたが、雄略天皇の時代に現在地に鎮座された。

(写真は 御手洗場)

 夏至の日前後には二見浦の夫婦岩の間から朝日が昇り、空気が澄んでいればはるかかなたの富士山からの日の出になるという。冬至のころには五十鈴川を渡って内宮へ向かう宇治橋の両方の鳥居の間から朝日が昇る。これらの自然現象も天照大御神が太陽の神と崇められる証のひとつとされている。
 伊勢神宮への参拝は外宮から内宮へと参るのが順序である。宇治橋を渡るとここからは内宮の神域。五十鈴川の御手洗場で手を清め、うっそうたる杉木立の参道を正宮に向かうとおのずと心身が引き締まる。参道から正宮へ向かう石段をのぼり、外玉垣南御門前で参拝する。

御正宮

(写真は 御正宮)


 
瑞穂の国  放送 6月6日(火)
 日本は豊葦原の瑞穂の国と神話で言われ、米は昔から日本人の主食であり、稲作の出来具合はそのまま国の繁栄を左右してきた。その米の守護神がお伊勢さんの外宮の神様の豊受(とようけ)大御神である。
 神宮では新年の歳旦祭から大晦日の大祓まで、年間に千数百回もの大小の祭典が行われる。これらの神事は稲作に基づく祭が多く、その中心となるのが10月の神嘗祭(かんなめさい)である。多くの稲作に関わる神事は豊作を祈願することであり、産業の守護神である外宮の豊受大御神に国民の繁栄を願うことにつながっている。

豊受大神宮

(写真は 豊受大神宮)

神宮神田

 神宮で最も重要な祭の神嘗祭は、その年に収穫された新米を神様に食べていただく祭である。神様の食事である大御饌(おおみけ)を整え、各地から献納された稲穂を神前に供える。神前に供える稲穂の中には、天皇自身が皇居内の水田でモミを播き、収穫された稲穂もある。
 神宮では神に供える米を作る神宮神田では、4月に種モミを播く神田下種祭(しんでんげしゅさい)に始まって、5月中旬に神田に早苗を植える御田植初式(おたうえはじめしき)、豊作を願う風日祈(かざひのみ)祭が5月と8月の2回行われる。そして稲穂が首を垂れる実りの秋の9月の抜穂(ぬいぼ)祭で稲が収穫される。

(写真は 神宮神田)

 収穫された稲は正殿と同じ建築様式の唯一神明造の御稲御倉(みしねのみくら)に納められ、神宮で執り行われる祭のたびに、この米が忌火屋殿(いみびやでん)で調理され、神に供える御饌(みけ)になる。こうした稲作に関わる神事は、各地の神社でも「御田植え神事」として今も行われているところが多い。
 科学文明が発達した現代になっても、天皇自らがモミを播いて稲を作り、その稲穂を神嘗祭に供える慣わしは、天孫降臨した神が、葦原の瑞穂の国で稲作を広めた神話に基づくものである。世界各地にも神話は伝えれているが、神話時代の慣わしが今も続いている例はあまりないと言う。

御稲御倉(内宮)

(写真は 御稲御倉(内宮))


 
日別朝夕大御饌祭  放送 6月7日(水)
 伊勢神宮の外宮に豊受(とようけ)大御神が鎮座されて以来、1500年余りにわたって一日も欠かさず、朝夕二度、天照大御神、豊受大御神をはじめとする六神にお食事の御饌(みけ)を奉る日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)が行われている。
 供えられる御饌は御飯三盛、御塩、御水、乾鰹、海藻類、季節の野菜、果物、清酒三献を唐櫃(からびつ)に納め、朝夕に烏帽子(えぼし)、直衣(のうし)姿の神職がかついで御饌殿へ運ぶ。御饌殿は神様の食堂で、ここに神々が集まって食事を召し上がる。

忌火屋殿

(写真は 忌火屋殿)

御塩浜

 前夜から参籠していた神職が潔斎した後、忌火屋殿(いみびやでん)でお供えの神饌を調理し、神々が召し上がる御饌殿へ運ぶ。まず調理に使う火おこしから始まる。毎朝、ヒノキ板にヤマビワの棒を激しく回転させ、その摩擦で発火させた忌火(いみび)を杉葉に移してかまどへ運ぶ。
 御饌の献立の材料は原則として自給自足。米は神宮神田で、野菜、果物は神宮御園で栽培、塩は御塩殿で製塩、鮮魚類は神宮直属の調製所であつらえられる。水は上御井神社でこんこんと湧き出ている水を、神職が自分の影が井戸に水に映らないようにする作法で汲む。

(写真は 御塩浜)

 食材のほかにお供え物を盛る食器である素焼きの土器も神宮の土器調製所で作られ、1回使った土器は、そのつど土中に埋めて土に戻すと言う決まりがある。
 塩は調理用のほかに清め用として神事には欠かせないものである。この塩は毎年土用に五十鈴川尻の御塩浜で濃い塩水を汲み、1kmほど離れた御塩焼所の釜で炊き、煮詰めて荒塩にする。この荒塩を御塩殿で三角形の土器に入れて焼き固めて堅塩にするが、この堅塩作りも神宮から神職が出向き、身を清めてから作業を始める。この御塩殿には守護神を祀る御塩神社があるほど重要な場所である。

御塩殿神社

(写真は 御塩殿神社)


 
式年遷宮  放送 6月8日(木)
 伊勢神宮では20年毎に内宮、外宮の正殿以下すべての神殿を新築し、神宝や装束も古式のままに新調して神様にお引っ越しを願う最も重要な祭典「式年遷宮」が行われる。
 この遷宮の制度は奈良時代に天武天皇が定め、持統天皇4年(690)に内宮で最初の遷宮が行われて以来、1300年以上にわたって継承されてきた世界に例を見ない祭である。遷宮によって伊勢神宮の神々はいよいよ若やいで力を増し、国も人々も共に若返ると言われる。この式年遷宮の祭典は、わが国の伝統文化のルーツを伝え、その伝統文化を守る技術の保存にも貢献している。

古殿地(内宮)

(写真は 古殿地(内宮))

御鏡

 第62回式年遷宮が平成17年からすでに始まり、8年間にわたって30にもおよぶ祭典、行事、そして造営工事が行われ、平成25年(2013)秋、内宮、外宮にお祀りしている大御神を新しい正殿へお迎えする遷御の儀が執り行われる。
 式年遷宮の行事は御用材を伐り出す木曽の御杣山(みそまやま)の神に安全を祈る山口祭から始まった。山口祭は平成17年(2005)5月、内宮の神路(かみじ)山と外宮は高倉山の麓で行われた。さらに御神体を納める御樋代(みひしろ)の用材を伐採する御杣始(みそまはじめ)祭などが平成17年のうちに終わった。

(写真は 御鏡)

 式年遷宮のクライマックスとなる遷御の儀は平成25年秋に行われる。午後8時、神域のすべての灯りが消された闇の中、本殿を出られた大御神は白い絹布の「絹垣」に囲まれて新殿へ向かわれる。100人を超す奉仕員が神宝などを手にして従う荘厳な行列が参道を進む。20年に一度のこの古代絵巻の行列を参道沿いの大勢の参拝者が見守る。
 式年遷宮は地元の伊勢市民にとっては最大のイベントで、8年間にわたるさまざまな行事で伊勢市は大変なにぎわいになる。御遷宮対策事務局を設け、神宮庁に協力しながら式年遷宮を滞りなく進める体勢を取っている。

須賀利御太刀

(写真は 須賀利御太刀)


 
お木曳  放送 6月9日(金)
 20年に一度の式年遷宮の数々の神事や行事の中で、一般市民が参加できる大きなイベントが「お木曳」である。木曽の山で切り出され、伊勢まで届いた御用材を内宮と外宮へ運び込む行事がお木曳で、陸路を外宮へ向かう陸曳(おかひき)と五十鈴川をのぼる川曳がある。すでに外宮へ用材を運ぶ第1次陸曳は、平成18年5月5日から6月4日にかけ15回にわけて行われた。
 内宮へ用材を運ぶ川曳は7月に行われる予定で、伊勢市民たちはこのお木曳が始まったことで、式年遷宮がいよいよ本番に迎えたことを実感している。

昭和四年度御遷宮絵巻(高取椎成 画)

(写真は 昭和四年度御遷宮絵巻(高取椎成 画))

どんでん場

 式年遷宮の御用材は、前回の遷宮では約1万5000本のヒノキが使われた。昔は長野県や岐阜県の御杣山(みそまやま)から切り出された御用材は、木曽川を下って桑名市の河口にたどり着き、そこで筏に組まれて伊勢湾を南下して伊勢市の大湊に着いた。ここから内宮へは五十鈴川をのぼる川曳で、外宮へは宮川をのぼって陸揚げされ、市街地を通る陸曳で外宮へ運ばれた。
 現在は御杣山からトラックで陸送されるが、伊勢市に着いてからは従来通りの古式にのっとって内宮へは川曳、外宮へは陸曳で運び込まれる。平成18年の第1次の陸曳は終わったが、平成19年に第2次陸曳が行われる。

(写真は どんでん場)

 御用材を内宮、外宮へ運ぶ「お木曳」は、お膝元に住む「神領民」と呼ばれる伊勢市の町衆が行う。町衆にとってこのお木曳は最大の誇りとなっており、各町内ごとに58の奉曳(ほうえい)団が組織され、各町がそれぞれ華やかに個性を競い合う。
 前々回の60回式年遷宮のお木曳から神領民のほかに全国の崇敬者が陸曳に限って参加できる「一日神領民」の制度が設けられた。参加者は揃いの法被姿、帯、鉢巻きをして木遣り唄に合わせて「エンヤ、エンヤ」の掛け声をかけながら奉曳車の綱を曳いて外宮へ向かう。平成19年の陸曳の参加申し込みは平成18年8月1日から「三重県観光販売システムズ」が電話で受け付けている。参加費として1人7500円が必要。

一日神領民のお木曳

(写真は 一日神領民のお木曳)


◇あ    し◇
伊勢神宮内宮JR参宮線、近鉄山田線伊勢市駅下車徒歩10分。 
伊勢神宮外宮JR参宮線、近鉄山田線伊勢市駅からバス内宮前下車。 
◇問い合わせ先◇
神宮司庁広報室0596−24−1111 
御遷宮対策事務局
(伊勢商工会議所内)
0596−25−5215
伊勢市観光協会0596−28−3705 
三重県観光販売システムズ
(お木曳参加申し込み)
052−589−2689

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