月〜金曜日 18時54分〜19時00分


和歌山・那智勝浦町 

 那智勝浦町は東征に向かう神武天皇が上陸した地とも伝えられ、平安時代以降は熊野詣の宿場町として栄えた。近代は紀南を代表する温泉町、生鮮マグロの水揚げ日本一を誇る遠洋マグロ漁業の町として知られている。こうした那智勝浦町を熊野信仰を中心に探訪したみた。


 
熊野那智大社  放送 7月24日(月)
 平安時代から熊野詣をした天皇、上皇、法皇や貴族、武士、庶民らが踏みしめた熊野那智大社への参道で、日本三大古道の一つと言われているのが熊野古道大門坂。鎌倉時代に積まれた苔むした石畳の両側に、樹齢800年の夫婦杉をはじめ老杉の林が続き、うっそうとした雰囲気を醸し出す熊野古道を代表する風景である。
 この大門坂を登り、石段の参道を登り詰めると熊野那智大社の本殿前にたどり着く。その主祭神・夫須美(ふすみ)神は伊邪那美命(いざなみのみこと)のことで、熊野本宮大社、熊野速玉大社と共に熊野三山と呼ばれ、平安時代から多くの皇族、貴族が訪れた。鎌倉時代以降は「蟻の熊野詣」と言われるほど大勢の人々が参詣した。

熊野那智大社

(写真は 熊野那智大社)

那智参詣曼茶羅

 那智大社の創建には諸説があり、そのひとつに那智の滝の入り口にあった鎮守社を仁徳天皇5年(317)に現在地へ遷座したとの伝えがあり、那智の滝を神体とした自然崇拝から起こったと考えられる。
 熊野詣の中でも熊野御幸(くまのごこう)と呼ばれる朝廷関係の参詣が平安時代に盛んだった。延喜7年(907)宇多法皇が御幸したのが始まりで、以後、白河上皇、鳥羽法皇、崇徳上皇、後白河法皇、後鳥羽上皇、後嵯峨天皇、亀山天皇らの参詣記録がある。中でも後白河法皇の御幸は33回を数えている。鎌倉時代には武士、江戸時代に入って庶民らの参詣も増え「蟻の熊野詣」の盛況を呈した。

(写真は 那智参詣曼茶羅)

 熊野の神の使いは三本足の八咫烏(やたがらす)。東征する神武天皇を熊野から大和へ案内した八咫烏は、那智に戻って石になったと伝えられ、那智大社本殿敷地の一角に黒い烏石がある。最近はサッカーの守り神として八咫烏のお守りを買い求める選手やファンが多い。
 高さ133m、幅13mで日本一を誇る那智の滝の前にある那智大社の末社・飛瀧(ひろう)神社は、那智の滝を御神体としている。滝の水は延命長寿の霊水とされ、流れ落ちる滝のしぶきに触れたり、飲むと霊験があるとされ、参拝者ののどを潤している。

那智の滝

(写真は 那智の滝)


 
西国三十三カ所第1番札所・
青岸渡寺 
放送 7月25日(火)
 観音菩薩は33通りの姿に化身してこの世に現れて衆生を救うとされ、それに基づいて西国三十三カ所の寺を巡礼する観音信仰が盛んになった。
 平安時代、わずか19歳で天皇の位を退き出家した花山法皇は、播磨国の書写山円教寺で修行した後、那智山でも3年間修行した。その後、観音巡礼の旅を発願、深く感銘を受けた那智山の青岸渡寺を第1番札所と定めた。この花山法皇の観音巡礼が発端となり、貴族から庶民までの西国三十三カ所観音巡礼が盛んになった。

那智山 青岸渡寺

(写真は 那智山 青岸渡寺)

裸形上人像

 仁徳天皇の時代に熊野浦に漂着したと伝えられるインド僧の裸形(らぎょう)上人が、那智の滝で苦行の末に観音菩薩を感得し、金八寸(約28cm)の如意輪観音像を安置する庵を結んだのが青岸渡寺の始まりと言われる。寺号は青い海の果てに観音の浄土があると言う意を表している。
 その後、推古天皇の勅願で大和国の生仏(しょうぶつ)上人が、現在地に堂宇を建立、現本尊の如意輪観音像を刻み、その胎内に裸形上人の感得観音像を納めたと寺伝にある。西国三十三カ所巡礼や熊野三山に参拝する熊野詣が盛んになり、第1番札所の青岸渡寺は隆盛を極めた。

(写真は 裸形上人像)

 織田信長の軍勢の兵火で焼失した本堂を、天正15年(1587)豊臣秀吉が弟の秀長に命じて再建させたのが現在の本堂(国・重文)である。その後、明治維新の排仏毀釈(はいぶつきしゃく)令で青岸渡寺は荒廃したが、明治7年(1874)以降、徐々に復興し現在の盛観を取り戻した。
 本堂付近から三重塔を近景に眺める那智の滝も素晴らしいが、眼前にさえぎるもののない三重塔からの那智の滝の眺めには、しばしこの世の憂さを忘れさせてくれる。
 御詠歌は「ふだらくや きしうつなみは みくまのの なちのおやまに ひびくたきつせ」。

本尊 如意輪観世音菩薩(お前立ち)

(写真は 本尊 如意輪観世音菩薩(お前立ち))


 
補陀洛渡海  放送 7月26日(水)
 東征に向かう神武天皇の上陸を示す石碑が立ち、熊野詣の浜の宮王子跡の隣にある補陀洛山寺(ふだらくさんじ)は、那智の滝で修行したインド僧・裸形上人の開基で、年に3回だけ開帳される秘仏の十一面千手千眼観世音像(国・重文)を本尊とする。
 飛鳥時代の斉明天皇の代から歴代天皇の勅願所となり、那智七本願の一寺として寺運は隆盛した。文武天皇から「日本第一補陀洛山寺」の勅額が贈られ、宸筆と言われる額が本堂に掲げられている。

補陀洛山寺

(写真は 補陀洛山寺)

本尊 十一面千手千眼観世音

 この地方には古くから海の彼方に観音菩薩の補陀洛浄土が存在すると言う観音信仰が伝わっており、補陀洛山寺が浄土への旅の出発地であった。補陀洛渡海はこの寺の住職のみに勅許が与えられ、渡海して入定した僧には「渡海○○上人」の僧位が贈られた。
 平安時代から始まった補陀洛渡海は、死期が迫った住職が小さな舟に数日分の水と食料を積み、戸は外から釘付けされ、南海の浄土を目指して船出した。

(写真は 本尊 十一面千手千眼観世音)

 熊野年代記には平安時代初期の貞観10年(868)の慶龍上人に始まり、平安時代に3回、室町時代に10回、江戸時代に6回の補陀洛渡海があったと記されており、境内にはこれらの渡海上人たちの墓所がある。室町時代に描かれた「那智参詣曼荼羅」には四方に鳥居をめぐらせ、白帆をあげた小舟が描かれており、寺にはこうした補陀洛渡海に使われた舟を復元して展示している。
 近世に入ってからは生きながら渡海する慣習はなくなり、僧の亡骸を舟に乗せて船出させる水葬の儀式に変わってきた。

渡海船

(写真は 渡海船)


 
勝浦温泉  放送 7月28日(金)
 那智勝浦町の勝浦港周辺に大小130もの島々と複雑な海岸線が形作る景観は、日本三景の松島に勝るとも劣らず「紀の松島」と呼ばれている。
 さまざまな空想をかき立ててくれる奇岩、奇礁にはラクダ島、ライオン島、鶴島、筆島、カブト島や一枚岩、千畳敷、海金剛など、それぞれの形にちなんで名前が付けられている。これらの奇岩、奇礁をシャチやイルカ、クジラの形をした紀の松島巡り遊覧船で一巡することができる。

紀の松島めぐり

(写真は 紀の松島めぐり)

イルカたちの訓練

 沖に浮かぶ山成島には、源平合戦・屋島の戦いで敗れた平維盛が入水した島との伝説が残る。また、遊覧船からは日本各地の水族館に引き渡される前のかわいいイルカたちが、イルカショーのジャンプなどの訓練を受けている風景を見ることもできる。
 生鮮マグロの水揚げ量日本一を誇る勝浦漁港へ朝早く行くと、威勢の良いマグロのセリの風景が見られる。町内には刺し身はもちろん、マグロの頭をそのまま焼いた「かぶと焼」や「マグロ汁」などのマグロ料理が味わえる店もある。

(写真は イルカたちの訓練)

 勝浦温泉は古くは熊野詣の湯垢離(ゆごり)場として栄えた所。泉質や温度が微妙に異なる170以上の泉源から豊富な温泉がが湧き出ており、白浜と並ぶ南紀の代表的な温泉地である。海に臨む露天風呂も多いが、かつうら御苑の「滝見の湯」は、その名の通り青い海のみならず、那智山、那智の滝まで望める贅沢な湯である。
 勝浦温泉は温泉と新鮮な海の幸、熊野那智大社や西国三十三カ所第1番札所・青岸渡寺、熊野川上流の瀞峡(どろきょう)など、社寺や自然を楽しむ観光客で年間を通じてにぎわっている。

かつうら御苑

(写真は かつうら御苑)


◇あ    し◇
熊野那智大社、青岸渡寺JR紀勢線紀伊勝浦駅からバスで那智山下車徒歩10分。 
補陀洛山寺JR紀勢線那智駅下車徒歩3分。 
勝浦温泉JR紀勢線紀伊勝浦駅下車。 
◇問い合わせ先◇
那智勝浦町役場産業課0735−52−0555 
那智勝浦町観光協会0735−52−5311 
熊野那智大社0735−55−0321 
青岸渡寺0735−55−0404 
補陀洛山寺0735−52−2523 
紀の松島観光
(紀の松島めぐり遊覧船)
0735−52−8188
勝浦温泉・かつうら御苑0735−52−0333 

◆歴史街道とは

    関西は「歴史・文化の宝庫」として世界に誇れる地域です。歴史街道では、日本の歴史文化の魅力を楽しく体験し、実感できる旅のルートとエリアを設定しました。伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸といった主要歴史都市を時代の流れに沿ってたどる「メインルート」と各地域の特徴をテーマとして活かした3つの「ネットワーク」です。

 

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

    の3つの目標を掲げ、その実現を目指しています。

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

    あなたも「関西の歴史や文化を楽しみながら探求する」歴史街道倶楽部に参加しませんか?
    歴史街道倶楽部では、関西各地の様々な情報のご提供や、ウォーキング、歴史講演会など楽しいイベントを企画しています。
   倶楽部入会の資料をご希望の方は、
 ハガキにあなたのご住所、お名前を明記の上、
          郵便番号 530−6691
          大阪市北区中之島センタービル内郵便局私書箱19号
                  「 A係 」
へお送り下さい。
   歴史街道倶楽部の概要を解説したパンフレットと申込み用紙をご送付いたします。
       FAXでも受け付けております。FAX番号:06−6448−8698   

歴史街道推進協議会