月〜金曜日 18時54分〜19時00分


特選“海景色”

 古来より海は海上交通の舞台であり、沿岸に住む人々のさまざまな暮らしをはぐくんできた。大陸文化の窓口であり、手付かずの自然が残る日本海。関西と九州を結ぶ水上交通の要として栄え、多くの島々が織り成す風景が美しい瀬戸内海。南国ムードにあふれ黒潮踊る太平洋。今回はそんな個性豊かな海の風景を訪ね歩く。


 
大王崎(志摩市) 放送 8月21日(月)
 志摩半島の志摩郡5町が2004年10月1日合併して志摩市が誕生した。その志摩市の東南端に位置する大王崎は、遠州灘と熊野灘の荒波を二分するように外洋に突き出ている。「伊勢の神崎(こうざき)、国崎(くざき)の鎧(よろい)、波切大王がなけりゃよい」と唄われたように、大王崎は船乗りたちには海の難所として恐れられていた。
 大王崎の断崖に砕ける黒潮の波しぶきの壮観な光景は、志摩随一と言われる。岬の先端に立つと右に白亜の大王埼灯台、左下に波切港、遠くには神島など遠方の島々を望むことができる。

波切港

(写真は 波切港)

大王埼灯台

 大王崎沖を航行する船の安全のため、この難所に早くから灯台の建設が望まれていたが、やっと昭和2年(1927)に建設されたのが白亜の大王埼灯台。80年近く海の安全を守り続けながら、今は灯台の上にまで上って360度の展望が楽しめる参観灯台として人気のスポット。沖の水平線上からやって来る船が、マストの先端から徐々に現れるのが実感でき、地球が丸いことがよく分かるようだといわれている。
 灯台の西に広がる高台は、南北朝時代に九鬼氏が築いた波切城跡。城跡は灯台付近を除いて宅地化されており、城の遺構はほとんど残っていない。

(写真は 大王埼灯台)

 大王埼灯台は映画の舞台としても度々登場してきた。最も有名なのは、灯台守の生活を描いた「喜びも悲しみも幾年月」である。今の大王埼灯台は完全に自動化され、灯台守は姿を消した。
 大王埼灯台下の波切港付近の漁師町は、海からの強い風を防ぐために石垣が高く積まれ、その中に民家がぎっしりと並んでいる。石畳の路地、石段、その道端にはイワシやアジの干物が並び、漁村独特の景観を創り出している。こうした漁村の風景と白亜の大王埼灯台などの景色が、スケッチのモチーフとして大変人気を集めており「絵描きの岬」として知られている。

魚武

(写真は 魚武)


 
丹後の海(丹後エリア) 放送 8月22日(火)
 丹後半島最北端にある丹後エリアの海岸線は若狭湾国定公園内で、経ヶ岬灯台、丹後松島、柱状節理の大岩の立岩など美しい海岸美を背景にした多くの観光ポイントがある。
 丹後半島の最北端の経ヶ岬の140mの断崖の上に建つ白亜の経ヶ岬灯台は、日本三大灯台のひとつともいわれ、明治31年(1898)の発点灯以来、1世紀以上も日本海を航行する船の安全を見守り続けている。この灯台のレンズは全国で6灯台にしかないと言う最高級のレンズが使用されている。映画「新・喜びも悲しみも幾年月」の舞台にもなっていて、視界がよければここから能登半島を望むこともできる。

経ヶ岬灯台

(写真は 経ヶ岬灯台)

丹後松島

 日本三景の宮城県の松島にも勝るとも劣らないのが丹後松島。朝日を受けてシルエット状に浮かぶ島々、真っ赤に染まる夕焼けの海に浮かぶ島々、一日のうちに何度もその趣を変える丹後松島の眺めは素晴らしく、京都百景にも選ばれている。丹後松島は近くから眺めるのもよいが、犬ヶ岬の東に設けられている丹後松島展望所からの眺めがベストポジションだと言う。
 袖志(そでし)の棚田は、半農半漁の袖志の人たちが、その美しい風景を今日まで大切に守り伝えてきたもので、日本棚田100選にも選ばれている。

(写真は 丹後松島)

 リアス式海岸で奇岩の多い丹後エリアのシンボル的な存在とも言えるのが立岩。周囲が約1kmもあると言われる柱状節理の岩礁が、竹野川河口近くの海に横たわっている日本でも数少ない自然岩のひとつ。
 立岩のすぐ前は丹後エリアの中心地の間人(たいざ)。地名の由来となった穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇女とその子・聖徳太子の石像がたたずんでいる。仏教の受け入れをめぐって蘇我氏と物部氏が激しく対立、用明天皇の皇后・穴穂部間人は乱を逃れてこの地に避難した。蘇我氏の勝利で争いは終わり、皇后は大和へ帰ることになり、自分の名の「間人」をこの地の地名にした。しかし、里人は皇后の名をそのまま口にするのは恐れ多いとして、この地を退座されたことにちなみ「たいざ」と呼ぶようにした。

袖志の棚田

(写真は 袖志の棚田)


 
明石海峡大橋
(神戸市・淡路町)
放送 8月23日(水)
 平成10年(1998)神戸市垂水区東舞子町と淡路島・淡路町をつなぐ明石海峡大橋が開通し、本州と淡路島が橋で結ばれた。明石海峡をまたいだ橋の全長は3991m、ケーブルを支える2本の中央支塔の間隔は1991mと言う世界一長い吊橋が完成した。
 淡路島民の長年の夢だった本州との掛け橋が実現し、先に開通した大鳴門橋と合わせて四国・徳島県と結ばれ、本州〜淡路島〜四国の大動脈が開通し、産業振興、観光に大きな役割を果たすことになった。

明石海峡大橋

(写真は 明石海峡大橋)

主塔

 昭和63年(1988)5月に始まった現地での架橋工事は、毎秒4.5mの速い潮流、最も深い所で110mもある大水深、さらに明石タイや明石タコで知られる好漁場での漁業への配慮、一日約1400隻の船が航行する海峡の海上交通の安全と言った、難題をクリアしなければならない難工事であった。
 こうした難題を十分な調査と日本が誇る高度な架橋技術力で克服した。明石海峡大橋のいたる所に最先端の技術が駆使され、風速80mの暴風、マグニチュード8.5の大地震にも耐える橋が完成した。夜、明石海峡に鮮やかなイルミネーションを輝かせる優雅な姿の明石海峡大橋に、そのような強靱さはうかがえない。

(写真は 主塔)

 明石海峡大橋の模型やいろいろなデータ、資料を展示しているのが明石海峡大橋の神戸市側の舞子浜にある「橋の科学館」。また、橋の科学館では、東京タワーに匹敵する高さ約300mの主塔に昇り、その眺望を楽しむ「明石海峡大橋ブリッジワールド」が開催されている。
 毎日午前と午後の2回、28人をその主塔の最上部に案内する。明石海峡上300mに身を置くその体感、そこからの眺めは絶景と言う言葉を越える貴重な体験になりそうだ。参加は申し込み先着順なので詳しくは橋の科学博物館へ。

主塔から明石海峡

(写真は 主塔から明石海峡)


 
番所庭園 放送 8月24日(木)
 和歌浦の西方、雑賀崎の西の突端は、番所(ばんどこ)の鼻と言う変わった地名でよばれている。まさに海に突き出た鼻と言った形の岬に立つと360度に近い眺望が楽しめる。
 紀州藩には海岸線十数ヶ所に海の防備見張り番所があった。この番所の鼻の見張り所は和歌山城に最も近い番所として重要な役目を負い、幕末には外国からの黒船来航を見張る番所となった。

番所庭園

(写真は 番所庭園)

「異船記」(和歌山県立図書館 蔵)

 飛鳥、奈良時代に天皇が和歌浦に行幸した折りには、宮廷人や公家たちがお供として訪れ、万葉歌人らが美しい和歌浦や片男波の海の景色を歌に詠んだ。この番所の鼻近くの雑賀の浦にも足を伸ばし、紀淡海峡に浮かぶ小島を眼下にした海の景観を詠んでいる。
 そのひとつに「紀の国の 狭日鹿(さひか)の浦に 出て見れば 海人の燈火(ともしび) 波の間ゆ見ゆ」という歌がある。都では見られない雄大な海の景色に感嘆したのであろう。

(写真は 「異船記」(和歌山県立図書館 蔵))

 今、番所の鼻一帯は番所庭園となっており、芝生の広場や四季折々の草花が植えれら、古くから海釣の名所としても名高い。白亜の雑賀崎灯台も望める潮騒と松風、紀淡海峡に沈む夕日の名所として人気の観光スポット。野外の家族団らんや撮影会、海釣り大会などを楽しむ観光客や家族連れの市民らで週末はにぎわう。
 雑賀崎は雑賀党の拠点で、石山本願寺の軍事、兵糧の基地の役割を果たした。織田信長に刃向かって織田軍をてこずらせた雑賀衆の勇猛さは有名である。

雑賀崎灯台

(写真は 雑賀崎灯台)


 
グランブルーの世界・
須磨海浜水族園 
放送 8月25日(金)
 万葉の昔から松林と白砂の美しさで知られた須磨の浜辺一帯はは須磨海浜公園となっている。夏は阪神間で最大の海水浴場として海水浴客で埋めつくされ、子供連れの家族たちで大にぎわいとなる。他の季節もヨットやウインドサーフィンなどのマリンスポーツを楽しむ人たちで年中にぎわっている。
 須磨海浜公園内には須磨海浜水族園、ヨットハーバー、野球場、国民宿舎などのレジャー施設が整っている。公園の西端には和田岬から移された日本最古の鉄骨造の和田岬灯台が、浜辺にアクセントをつけている。

須磨海浜水族園

(写真は 須磨海浜水族園)

ラッコ

 須磨海浜公園の東にある神戸市立須磨海浜水族園は、飼育水族約500種、2万点と言う日本最大級の水族園。
 2万4000平方mの敷地にサメやエイ、小魚の大群が泳ぐ「波の大水槽」の「世界のさかな館」、アマゾン川に棲む世界最大の淡水魚・ピラクルなど、アマゾン川に生息する魚類や両棲類など40種が水中トンネルで見られる「アマゾン館」、可愛い4頭のラッコが人気を集めている「ラッコ館」、この水族園で生まれた「スマイル」をはじめ4頭のイルカがいる「イルカ館」のほか、ひょうきんな仕草を見せるマゼランペンギンが泳ぐペンギンプールやウミガメプールなど楽しい見どころがいっぱい。

(写真は ラッコ)

 イルカライブ館では4頭のイルカがさまざまなパフォーマンスを見せてくれる。
 一番大きなオスのイルカは、おだてられるとご褒美の魚がもらえなくてもジャンプをする。
300kgもある体の側面を水面にたたきつけるスプラッシュジャンプで迫力ある水しぶきをあげ、観客にしぶきをかけるサービスをする。 もう1頭のオスのイルカはプールサイドを歩く人に「ねえ、遊ぼうよ」と胸びれを振ってアピールする。メスのイルカは演技中に「これでいいの?」とトレーナーの顔をチラチラと横目で見る。「大丈夫だよ」とうなずくと安心して演技を続けると言う。水族園生まれのオスのイルカ「スマイル」は、先輩イルカに演技の邪魔をされても、最後までやり抜く頑張り屋さんだ。自分たちの演技に盛んな拍手をしてくれた観客にプールサイドで握手のサービスもしてくれると言うから楽しみだ。

イルカライブ館

(写真は イルカライブ館)


◇問い合わせ先◇
大王埼灯台0599−72−1899
丹後町観光協会0772−75−0437
本州四国連絡高速道路株式会社078−291−1000
番所庭園073−444−6533
和歌山市観光協会073−433−8118
須磨海浜水族園078−731−5020

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