月〜金曜日 18時54分〜19時00分


橿原市 

 橿原市は古代の都があった飛鳥の北に位置し、持統天皇が藤原宮を造営したところでもある。
市内には多くの古墳や天皇陵、宮跡のほか、大和三山など古代の遺跡や文化財、旧跡が多い。今回はその一部を探訪した。


 
今井町・伝統の町並  放送 1月22日(月)
 東西約600m、南北約400mの今井町は、天文年間(1532〜55)に一向宗(浄土真宗)本願寺の一族、今井兵部が開いた称念寺を中心に寺内町を形成した。自衛のための武力を持ち、敵の襲撃に備えて環濠と土居を巡らした町で、大和への一向宗布教の拠点でもあった。
 織田信長の一向宗弾圧には今井町も力で対抗したが、天正3年(1575)本願寺の降伏によって今井町も武装解除した。その後も自治経済の町として栄え「海の堺」「陸の今井」と言われるほどになった。

今井町

(写真は 今井町)

音村家住宅

 今井町のような寺内町は真宗寺院を中心に発達した町で、越前国吉崎御坊がその先駆とされている。山城国山科本願寺が本格的な寺内町の始まりで、次いで大坂の石山本願寺に生まれた。ほかに近畿地方では富田林、貝塚、八尾、久宝寺、枚方などに寺内町が生まれた。
 江戸時代の今井町には大商人が集まり、大名に金を貸すほどの金融業者、両替商のほかに、酒造、味噌、醤油、油、肥料、木綿など、あらゆる商品を扱う商店が軒を連ねていた。藩札と同じ価値がある今井札と呼ばれた紙幣を発行するなど、その信用度は高く「大和の金は今井に七分」と言われるほど繁栄した。

(写真は 音村家住宅)

 現在、今井町は約700軒の民家があり、その大半の町家が江戸時代の姿を残し、国の重要文化財指定の町家8軒、奈良県指定文化財の町家3軒がある。近世の町並みがこれほど整って残っているのは全国的にも珍しく、平成5年(1993)には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。
 その中のひとつ、音村家(国・重文)は江戸時代「細九」の屋号で金物問屋を営み、江戸時代には庄屋も務めていた。主屋は17世紀後半期の建造と考えられ、土間にはドッカリと大きなかまどがあり、かまどの上の屋根裏には煙出しがある。

カマド

(写真は カマド)


 
今井町・時が醸す風景  放送 1月23日(火)
 一向宗の拠点・称念寺を中心に発展した今井町の名は、戦国時代にこの寺を開いた今井兵部の名に由来し、その子孫が称念寺の住職を代々受け継いでいる。
 称念寺の豪壮な本堂をはじめ鐘楼、太鼓楼、客殿、庫裡などの諸堂宇は、天正年間末から文禄年間(1592〜96)の再建。本堂は大型真宗寺院の典型である10間四方の入母屋造の堂々たるもので、江戸時代初期の寛永14年(1637)に建立されたと見られている。また明治10年(1877)神武天皇陵を参拝された明治天皇の行在所となり、今も客殿に天皇の玉座が残されている。

称念寺

(写真は 称念寺)

本尊 阿弥陀如来像

 江戸時代の今井町は戸数約1000余軒、人口約4000人を超すと言う繁栄ぶりで、今もその当時の町家が数多く建ち並んでいる。その家々には屋根の煙出し、鬼瓦、虫籠(むしこ)窓、壁面の意匠、様々な格子戸などに、当時の町民が生み出した個性的な建築デザインが残っている。
 現在も今井町には日常生活を支える様々な商店が商いを続けているが、商店の外観は古いたたずまいの町家風にするなど、町の景観保持に気が配られている。春日神社脇には環濠の一部が復元され、環濠に守られた寺内町の様子がうかがえる。

(写真は 本尊 阿弥陀如来像)

 町家茶屋「古伊」は江戸時代に古着や古物を商っていた古手屋(ふるてや)からスタートし、両替商、材木商、酒造業と家業を替えていった商家で、当時の建物や民具がほどんどそのまま残された心休まる空間となっている。店名の「古伊」は、江戸時代の当主・古手屋伊兵衛から取ってつけられた。吹き抜けの土間の空間を生かしたスペースには、黒光りする太い柱や梁、箱階段、壺、銭箱など江戸時代の匂いがする品々が目にとまる。
 「古伊」を訪れるのは日本人ばかりでなく、外国の人たちも多い。古い町家「古伊」で心休まるひとときを過ごした人たちは「また今井町へ来たい」と行って帰っていくと言う。

町家茶屋 古伊

(写真は 町家茶屋 古伊)


 
今井まちなみ交流センター・華甍  放送 1月24日(水)
 今井町の東南隅に全体が和風でその中に洋風が折衷され、不思議な魅力を放っている建物は「今井まちなみセンター・華甍(はないらか)」。平成7年(1995)にオープンして今井町に関する資料を展示している。
 1階の展示コーナには今井町の歴史や町並の移り変わり、町民の生活、町の文化などをパネルや模型で紹介。映像シアターでは今井町を代表する伝統的な町家の外観や内部、暮らしなどが映像で見られる。図書閲覧室には今井町の歴史全般にわたる書籍、雑誌、写真などが保存され、閲覧できる。

今井まちなみ交流センター 華甍

(写真は 今井まちなみ交流センター 華甍)

町並みの模型

 華甍は称念寺前の今井まつづくりセンターと共に今井町のガイド的役割を果たしており、今井町を散策する前にここで予備知識を得てから見学すると、今井町を理解するのに役立つ。
 この建物は明治36年(1903)大正天皇が御成婚に際し、神武天皇陵を参拝された時の御下賜金によって建設され、高市郡教育博物館として開館した。その後、昭和4年から今井町が昭和31年(1956)に橿原市に合併するまでは今井町役場として使用されていた。

(写真は 町並みの模型)

 建物は2階建ての本館を挟んで平屋の両翼部がついた左右対称形となっている。石段を上り中央の入り口を入ると正面に重厚なデザインの階段が、明治建築独特の美しさを見せている。複雑なデザインの飾り窓や天井の照明器具などが美しい。2階部分の正面中央には高欄のついた回廊があり、入母屋造、正面上部の切妻造などの屋根瓦が美しいたたずまいを見せている。
 白漆喰壁の重厚な堂々とした明治時代の木造建築は、江戸時代の町家が多い今井町にもすんなりと溶け込み、今井町の建物群のアクセントにもなっている。

飾り窓

(写真は 飾り窓)


 
新沢千塚古墳群  放送 1月25日(木)
 大和三山のひとつ、畝傍山の南西にある低い丘陵一帯に総数約600基もの古墳が群集している。昭和51年(1976)に国の史跡に指定された古墳群は、大きく南北に分かれた丘陵地帯に点在しており、史跡公園として整備されている。古墳の間を縫うようにつけられた遊歩道をたどりながらの古墳巡りができる。
 いずれの古墳も直径10?30mまでの円墳がほとんど。築造されたのは4世紀終わりころから7世紀ころまでの200年以上にわる期間で、古墳の数の多さから新沢千塚古墳群と呼ばれるようになった。

126号墳

(写真は 126号墳)

金製竜文透彫冠飾(復元)

 新沢千塚古墳群の中で代表的な126号墳は、5世紀後半に築かれた東西22m、南北16mの長方形墳。木棺を直接埋めた木棺直葬墳で、被葬者は不明だが木棺の内外に豪華な副葬品が多く納められていた。
 新沢千塚古墳群築造の発端となったと見られる500号墳は、古墳群から少し南に離れた山の尾根筋に独立して築造された全長62mの前方後円墳。発掘調査で八ツ手葉形銅製品と呼ばれる懸垂鏡や三角縁神獣鏡のほか銅器、石製腕飾、勾玉、武器、農耕具などが出土している。

(写真は 金製竜文透彫冠飾(復元))

 昭和37年(1962)から数回にわたって130基ほどの古墳の発掘調査が行われ、多種多様な副葬品などが出土した。
 これらの出土品は新沢千塚古墳群に隣接している橿原市千塚資料館に展示されている。出土品の中で特に目を引くのは、126号墳から出土した金製竜文透彫冠飾や金製垂飾付耳環、ペルシャからシルクロードを経て到来したガラス器をはじめ装身具で、被葬者の豊かな財力がうかがえる。このほか資料館には橿原市内から出土した縄文時代から江戸時代までの遺物も展示されている。

ガラス碗(復元)

(写真は ガラス碗(復元))


 
神武天皇陵  放送 1月26日(金)
 畝傍山の北東の麓に日本の第1代天皇とされる神武天皇の御陵がある。正式には畝傍山東北陵と呼ばれる御陵は直径約33m、高さ約5.5mの八陵円形で広い植え込みと周濠が巡らされている。御陵の規模は正式な調査が行われていないため諸説がある。
 自動車の往来が多い県道161号線から西へ入り、玉砂利の敷き詰められた長い参道を進み始めると、たちまちあたりは森閑とした空気に包まれ、神話の時代へと引き込まれてゆく心地がする。

畝傍山

(写真は 畝傍山)

古事記絵詞(山辺神宮 所蔵)

 古事記、日本書紀の記紀伝承によれば、神武天皇は日向の高千穂宮を出て東へ進む東征に出た。
途中で幾多の困難と各地に割拠していた豪族に遭遇し、これらを平定しながら大和へ入り国内を統一した。紀元前660年ごろ大和の畝傍山の麓で即位して第1代天皇となりこの地に橿原宮を建てた。
 神武天皇即位が太陽暦で2月11日にあたり、現在、この日が建国記念の日となっている。神武天皇は在位76年、127歳(古事記では137歳)で崩御し、現在の神武天皇陵に葬られたとされている。

(写真は 古事記絵詞(山辺神宮 所蔵))

 神武天皇の皇居だった橿原宮跡には小さな祠があったと伝えられ、明治23年(1890)この跡地に橿原神宮が創建され、神武天皇と皇后の媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)を祀った。橿原神宮創建に当たって明治天皇が、京都御所の賢所と神嘉殿を下賜されて本殿などが造営された。
 畝傍山周辺には古墳が多く、その中で天皇陵に指定されているのが神武天皇陵のほかに綏靖(すいぜい)天皇陵、懿徳(いとく)天皇陵、安寧(あんねい)天皇陵がある。橿原市内にはほかに孝元天皇陵、宣化天皇陵や多くの天皇の宮跡が点在している。

神武天皇陵

(写真は 神武天皇陵)


◇あ    し◇
今井町
(音村家、称念寺、古伊、華甍)
近鉄橿原線八木西口駅下車徒歩5分。
JR桜井線畝傍駅下車徒歩8分。
新沢千塚古墳群
橿原市千塚資料館
近鉄橿原線、南大阪線橿原神宮前駅からバスで
川西下車すぐ。
近鉄橿原線、南大阪線橿原神宮前駅下車徒歩20分。
神武天皇陵近鉄橿原線畝傍御陵前駅下車徒歩5分。
近鉄南大阪線橿原神宮前駅下車徒歩10分。 
◇問い合わせ先◇
橿原市商工観光課0744−22−4001 
橿原市観光協会0744−28−0201 
音村家住宅0744−23−0089 
称念寺0744−22−5509 
お休みどころ・古伊0744−22−2135 
今井まちなみ交流センター・華甍0744−24−8719 
橿原市千塚資料館0744−27−9681 
宮内庁畝傍陵墓監区事務所0744−22−3338 

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    関西は「歴史・文化の宝庫」として世界に誇れる地域です。歴史街道では、日本の歴史文化の魅力を楽しく体験し、実感できる旅のルートとエリアを設定しました。伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸といった主要歴史都市を時代の流れに沿ってたどる「メインルート」と各地域の特徴をテーマとして活かした3つの「ネットワーク」です。

 

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  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

    の3つの目標を掲げ、その実現を目指しています。

 

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