月〜金曜日 18時54分〜19時00分


篠山市 

 デカンショ節、ボタン鍋、丹波の黒豆、最近では篠山ABCマラソンで有名な篠山市は、古くは篠山街道の宿場町として繁栄し、江戸時代に入り徳川幕府が西国大名の抑えとして篠山城を築き、城下町として発展した。京都との交流が盛んだったことから文化豊かな町でもあり、その風情が町のあちこちで感じられる。


 
篠山街道  放送 5月21日(月)
 丹波篠山は古くから京都と山陰、山陽を結ぶ交通の要衝で、東の京都・亀岡から峠を越えてきた篠山街道が篠山川に沿って西へ、さらに但馬国へと延びている。
 所どころで国道372号と重なる旧街道沿いには、茅葺きの重厚な民家や白壁の土蔵が軒を連ね、宿場町の風情を残す風景が見られる福住へ入る。福住の宿は江戸時代には参勤交代の宿場としても使われたことから、本陣跡の石柱が立っている。明治時代以降は旅人の取り締まりをする関所が廃止され、商人、出稼ぎ者、霊場巡りの巡礼者、物見遊山などの旅が自由になり、福住の宿場も大変にぎわった。

安田の大杉

(写真は 安田の大杉)

小野駅跡

 ところが明治32年(1899)に現在のJR山陰線とJR福知山線が、福住の東と西に相次いで開通し、篠山街道を通行する旅人は激減した。さらに大正時代に入り自動車が普及し始め、篠山街道の宿場町・福住は通過町となり、各地の宿場町と同様に宿場町の機能はなくなった。
 本陣跡の少し西に樹齢800年以上と言われ、遠くからは森のように見える巨木・安田の大杉(兵庫県指定天然記念物)が悠然と四方に枝を伸ばしている。さらに西へ進むと平安時代に制定去れた延喜式による古代の山陰道の駅があった小野駅跡がある。当時の30里(16km)ごとに駅が置かれ、馬などが用意されていた所。

(写真は 小野駅跡)

 小野駅跡を後にして西へ進むと波々伯部(ほほかべ)神社の森が見えてくる。この地方の人が平安時代後期に京都の祇園社に土地を寄進し、祇園社から素戔嗚命(すさのおのみこと)を勧進して祀ったのが始まりで、地元の人たちは「丹波の祇園さん」と呼び親しんでいた。
 この神社の「デコノボウ」と呼ばれる操り人形の奉納芸能は名高い。毎年8月の第1土、日曜日に行われる例祭の時、3年に一度「キウリヤマ」と言う2基の山車(だし)が出て、山車の上でデコノボウと呼ばれる12体の操り人形が謡曲にあわせて舞う。この人形は木偶(でく)と呼ばれるもので、文楽人形の祖型をなすものとされる。2007年はキウリヤマが出る年で、8月4、5日にデコノボウが演じられる。

波々伯部神社

(写真は 波々伯部神社)


 
磯の宮八幡神社  放送 5月22日(火)
 篠山街道沿いに鎮座する磯の宮八幡神社は、承平3年(933)京都の石清水八幡宮を勧進した。その時、末社50社を従えたところから五十宮(いそみや)とか、水辺の守護神と言うことで磯の宮とも呼ばれている。
 この神社の境内に「裸カヤ」と呼ばれる国の天然記念物に指定されている、樹齢700年以上と言う珍しい巨木のカヤの木がある。境内には3本のカヤの木があるが、中央の1本だけが固い殻のない、渋皮だけの実をつけるところから裸カヤと言われている。この神社のこの木だけが殻のない実をつけ、この実を他の場所で育てると殻のある普通の実をつけるそうだ。

磯の宮八幡神社

(写真は 磯の宮八幡神社)

多聞天立像

 この裸カヤには足利尊氏にまつわる伝説がある。建武2年(1335)足利尊氏がこの地を通った時、磯の宮八幡神社で戦勝祈願をした。
 この時、勝心と言う社僧がカヤの実を茶菓子として出した。尊氏はこのカヤの実の皮を取り、神前に捧げて「吾、大敵を退け、天下平定、武運長久、願望成就ならしむると共に、このカヤ成育し無皮の実を得しめ」と誓願して、カヤの実を地中に埋めた。その後、尊氏は天下を平定して室町幕府を開き、尊氏が地中に埋めたカヤの実は成育して皮のない実を結んだと伝えられている。

(写真は 多聞天立像)

 磯の宮八幡神社の宝物殿内の持国天、多聞天の二立像(国・重文)は、平安時代後期の作で桧の一木造りの力強くたくましい神像である。彩色像ながらどことなく素朴さがあり、それが力強さを一層強調している。堂々とした体躯に比べ、顔がやや小ぶりで穏やかな表情が特徴である。
 この社から篠山街道を西へ向かうと播磨街道への分岐点に、かつては多くの旅人に利用された重兵衛茶屋が残っている。京から来た旅人は篠山を目前にして一服し、播磨や京へ向かう旅人はここで鋭気を養って、次の宿場へと足を運んだのであろう。

重兵衛茶屋

(写真は 重兵衛茶屋)


 
城下町の面影  放送 5月23日(水)
 関ヶ原の戦に勝利し江戸幕府を開いた徳川家康にとって篠山は、大坂城の豊臣氏と豊臣家恩顧の西国大名に対する抑え、交通の要衝として格好の地であった。慶長14年(1609)実子・松平康重に命じて篠山城を築かせた。
 築城の普請奉行は姫路城主・池田輝政、設計担当の縄張り役は築城の名手と言われた津城主・藤堂高虎が当たり、近畿、中国、四国の15カ国、20の大名が築城工事を担当、延べ20万人が動員され、1年もかけずに完成させた。篠山城の石垣には工事を担当した大名の刻印が刻まれた石が、ところどころに積まれている。

篠山城跡

(写真は 篠山城跡)

大書院

 平成12年(2000)復元された大書院は、同様の木造建築物の中では京都二条城の二の丸御殿に匹敵する大規模な建物。二条城二の丸御殿は将軍が上洛したときの宿舎に充てられた建物だが、篠山城大書院は一大名の書院としては破格の規模と言える。
 大書院の上段の間は最も格式の高い部屋で、大床を挟んで付書院、違棚、帳台構が設けられている。江戸時代初期の狩野派の絵師が描いた屏風絵を障壁画に転用して、往時の雰囲気を再現した。大書院では江戸時代の篠山藩の歴史をパネルで紹介したり、篠山城の模型、ビデオによる「篠山城物語」などを紹介している。

(写真は 大書院)

 城下の河原町通りには千本格子、荒格子、虫籠窓(むしこまど)、袖壁、卯建(うだつ)などを備えた特徴的な町家が建ち並ぶ妻入商家群は、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
 これらの町家は間口がわずか3間(約10m)前後のものが多く、奥行が20間(約66m)もあるいわゆる"ウナギの寝床?と言われる敷地に建築したので、このような妻入の建物になったようだ。この通りの商店には丹波の黒豆をはじめ特産品の土産物や民芸品、古美術品、竹細工品などの品が並び、観光客らが土産物の品選びをする姿が見られ、民芸品を扱う「あめや」にも観光客が足を運び、丹波焼などを手に取っている。

丹波焼

(写真は 丹波焼)


 
篠山春日能  放送 5月24日(木)
 篠山は古くから京都との往来が盛んで、京都の風習、文化の影響を色濃く受けていた。田園地帯の生活を守るための自然信仰心が篤く、自然神の鎮魂のために生まれた田楽や丹波猿楽が民衆の間に広まった。篠山はこれらの芸事が盛んになり、篠山藩主をはじめ武家たちの間では演能が盛んに行われ、北政所観能之図屏風が伝わっているほどである。
 こうした幽玄の世界に浸る雰囲気が醸成され、篠山城の城下町には奈良・春日大社から勧請した春日神社があり、境内の野外能舞台は幕末の文久元年(1861)当時の篠山藩主・青山忠良が建立、寄進したものである。

春日神社

(写真は 春日神社)

北政所観能之図屏風(能楽資料館 蔵)

 この能舞台は建設当時は箱根より西では最も立派な能舞台であると言われ、150年後の今も元旦には丹波猿楽の流れをくむ梅若万三郎家、小鼓の大蔵流宗家による「翁」、春には「篠山春日能」の能会が催されている。
 能舞台の床と鏡板は桧の上材、柱、框(かまち)は松が用いられている。能舞台は床板が生命であるが、専門家は申し分のない床板と太鼓判を押している。床下には7個の丹波焼の大甕(おおかめ)が埋め込まれ、舞台前面の岩山と相和して素晴らしい音響効果をあげる。この大甕のひとつに「立杭釜屋村源助作」の銘が刻まれている。

(写真は 北政所観能之図屏風(能楽資料館 蔵))

 舞台の鏡板に漆塗りの框が使われているのも、能舞台を高級なものにしようとの現れである。この鏡板に描かれている老松の絵には丹念な筆のタッチが見られ、神社の記録に絵師・松岡曽右衛門の名が記されている。
 こうした篠山能楽の資料を展示しているのが、妻入商家が建ち並ぶ河原町の能楽資料館。中世から近世にかけての能面、装束、楽器などの能楽資料の貴重品が見られる。小鼓の胴に描かれた蒔絵(まきえ)に洒落っ気を表現した面白い鼓がある。斧(よき)と鼠(ね)を描き「良き音」の鼓。錠前の錠と果物の蔕(へた)と梨を描き「上手下手なし」の鼓。作者の発想が心憎い。

能楽殿

(写真は 能楽殿)


 
多紀連山  放送 5月25日(金)
 多紀連山は篠山盆地の北方、篠山市の最高峰で主峰の御嶽(793m)を中心に東の小金ヶ嶽(726m)、西の西ヶ嶽(727m)が連なり、標高600〜800mの峰々が約20kmにわたり、北西の丹波市春日町の妙高山まで続いている。
 別名「多紀アルプス」とも呼ばれるこの連山全体が、兵庫県立自然公園に指定されており、京阪神のハイカーやキャンパーたちでにぎわう。特に多紀連山は男性的な山容で急峻な岩場が多く、格好のロッククライミングのトレーニングの場となっている。

小金ヶ嶽

(写真は 小金ヶ嶽)

筱見四十八滝

 主峰の御嶽は古くは藍婆ヶ峰と呼ばれ、頂上は東西二つの峰からなり、西側が最高峰で三角点があり、東側の峰には石室がある。南側直下に修験道場の本山・新金峰山大伽藍大岳寺跡がある。頂上からの眺めは素晴らしい。小金ヶ嶽は展望がよく視界が広がり、シャクナゲの自生地としても知られている。西ヶ嶽は山容が雄大で、北面は山頂から絶壁で大小の岩場が無数にある。
 多紀連山への登山口は4ヵ所あり、全山縦走コースは約8〜9時間の健脚向き。ほかに3時間から6時間のファミリー向きや一般向きのコースもあり、いずれも登山口までバス便がある。

(写真は 筱見四十八滝)

 多紀連山の東端の筱見(ささみ)四十八滝は、始終水が涸れることのない滝が八つあるところから四十八滝の名がついた。弁財天を祀る弁天滝や四十八滝の中で最大の高さ28mの大滝、高さ22mの長滝など八つの滝があり、今は近くまで車で行ける。かつては修験道の行者たちがこの滝で水行をしてから連山を巡った。
 鎌倉時代から室町時代の修験道では、東の大和大峰山に対し西の御嶽山と言って、多紀連山の峰々が丹波修験道の中心となっていた。主峰・御嶽の南側に大岳寺、小金ヶ嶽の頂上には蔵王堂、その南側には福泉寺などの寺があった。今もなお急峻な多紀連山の山道のいたる所に、修験道の行場跡が残っている。

長滝

(写真は 長滝)


◇あ    し◇
福住宿JR福知山線篠山口駅からバス(篠山営業所乗り換え)で
福住下車。 
安田の大杉JR福知山線篠山口駅からバス(篠山営業所乗り換え)で
上の山下車徒歩3分。 
小野駅跡JR福知山線篠山口駅からバス(篠山営業所乗り換え)で
福住小野下車徒歩5分。 
波々伯部神社JR福知山線篠山口駅からバス(篠山営業所乗り換え)で
波々伯部前下車。 
磯の宮八幡神社JR福知山線篠山口駅からバス(篠山営業所乗り換え)で
城東日置下車3分。 
重兵衛茶屋JR福知山線篠山口駅からバス(篠山営業所乗り換え)で
重兵衛茶屋下車。 
篠山城跡JR福知山線篠山口駅からバスで二階町下車徒歩5分。 
河原町妻入商家群JR福知山線篠山口駅からバスで本篠山下車すぐ。 
春日神社JR福知山線篠山口駅からバスで春日神社前下車すぐ。 
能楽資料館JR福知山線篠山口駅からバスで本篠山下車徒歩2分。
多紀連山登山口JR福知山線篠山口駅からバス(篠山営業所乗り換え)で
それぞれの4ヵ所の登山口停留所で下車。            
筱見四十八滝JR福知山線篠山口駅からバスで丹波東雲下車
徒歩45分。 
◇問い合わせ先◇
篠山市商工観光課・観光協会079−552−1111
篠山観光案内所079−552−3380 
波々伯部神社079−556−3217 
磯の宮八幡神社079−556−2163 
篠山城大書院079−552−4500 
あめや(河原町妻入商家群 内)079−552−4638
春日神社079−552−0816 
能楽資料館079−552−3513 

◆歴史街道とは

    関西は「歴史・文化の宝庫」として世界に誇れる地域です。歴史街道では、日本の歴史文化の魅力を楽しく体験し、実感できる旅のルートとエリアを設定しました。伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸といった主要歴史都市を時代の流れに沿ってたどる「メインルート」と各地域の特徴をテーマとして活かした3つの「ネットワーク」です。

 

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

    の3つの目標を掲げ、その実現を目指しています。

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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歴史街道推進協議会