月〜金曜日 18時54分〜19時00分


小浜市 

 古くから大陸文化や都の文化が入ってきて海の玄関口だった小浜市には古寺名刹が多く「海のある奈良」と呼ばれていた。海の幸も豊富で、古代の朝廷へ海の幸をを納めた御食国(みけつくに)でもあり、その運搬ルートが鯖街道として今に伝わっている。こうした伝統文化が息づき、海の幸に恵まれた小浜市を訪ねた。


 
海に開けた町  放送 6月4日(月)
 日本海に面し、日本列島のほぼ中央に位置する小浜市は、平安時代から海上交通の要所として、中国、朝鮮の文化を受け入れる海の玄関口だった。これらの大陸文化や海路から入ってきた日本各地の文物は、後に鯖街道と言われたルートで京の都へ入り、反対に京の文化が伝わった小浜は日本海側の文化的な町として繁栄した。
 室町時代初めに入港した南蛮船から足利将軍への贈り物として、象やクジャク、オウム、ダチョウなど、珍奇な動物が日本に初めて上陸したのが小浜で、市内には「象つなぎ石」と呼ばれる石が残っている。当時、京の都に一番近い港として小浜が南蛮にも知られていたのであろう。

象つなぎ石

(写真は 象つなぎ石)

北前船屋敷

 江戸時代中期から明治時代後期にかけて、小浜は大坂(大阪)と北海道を往復する北前船の寄港地として栄え、その船主たちの豊かな暮らしぶりは、今に残る屋敷のたたずまいからうかがえる。
 廻船問屋・古河屋の船頭の屋敷「北前船屋敷」が伝わっている。2階建てで太い柱や梁を使った豪壮な建物には、船頭たちの気風がうかがえる。1階には北前船「嘉永丸」の模型や海に落ちても浮くと言う船箪笥(ふなたんす)、羅針盤、碇、船時計などの船具、道具類が展示されている。2階には廻船問屋の豪商が作らせたり集めた、若狭塗の工芸品や箪笥、屏風絵などが展示されている。

(写真は 北前船屋敷)

 北前船屋敷のすぐそばには廻船問屋の豪商・古河屋嘉太夫が江戸時代末期に建てた屋敷「千石荘」があり、ぜいを尽くした造りや襖絵、屏風絵、庭園などが伝わっている。北前船屋敷、千石荘とも旅館・福喜の所有となっており、旅館の利用者は内部を無料で見学できる。
 港が栄えれば色街が栄える。小浜市の花街「三丁町」は、幅3mほどの狭い通りに紅殻格子や千本格子の料亭が軒を並べ、中から三味線の音がもれ聞こえる。通りでは粋な着物姿の芸妓に出会うこともあり、芸妓の言葉も「おいでやす」と京言葉で、家並みとあわせて京都・祇園あたりを思わせる。

三丁町

(写真は 三丁町)


 
御食国  放送 6月5日(火)
 若狭湾は古くから魚介類の宝庫だったため、若狭国は1300年前の飛鳥、奈良時代から天皇家の食材である御贄(みにえ)を都へ送る御食国(みけつくに)として、重要な役割を果たしてきた。当時、若狭国のほかに志摩、紀伊、淡路が御食国になっていた。御贄を運んだルートが後に京都へ鯖を運んだ鯖街道となった。
 飛鳥京や藤原京、平城京から出土した木簡に「若狭国遠敷郡…」などと記され、若狭国から海産物や塩が朝廷に納められたことを証明している。朝廷に納められた海の幸は、タイやカレイ、イワシ、貝類などを発酵させたなれずしや干物が中心だった。

阿納地区

(写真は 阿納地区)

製塩土器(福井県立若狭歴史民俗資料館)

 こうした若狭と朝廷との関わりを知る資料を展示しているのが福井県立若狭歴史民俗資料館。平城京から出土した「若狭國…」や「調塩一斗」などと記された複製木簡や製塩土器、製塩風景のジオラマなどが展示されている。
 この若狭歴史民俗資料館は、若狭地方の約1万年前から現代までの歴史や民俗資料を展示し、若狭地方が古くから開けた海の玄関口であったことをわかりやすく見せている。若狭の祭や地蔵盆、精霊船など若狭地方に伝わる独特の伝統行事を紹介している「若狭の四季とくらし」の資料は豊富で面白い。

(写真は 製塩土器
(福井県立若狭歴史民俗資料館))

 出土した木簡から当時、都で使っていた塩のほとんどが若狭から納められていたものであったと考えられる。塩は調(ちょう)と言う税金とした納められていたもので、万葉集にも「藻塩焼く…」と歌われていたように、若狭の海岸でも盛んに製塩が行われていた。土器に入れた海水を煮詰めて塩を生産した土器製塩遺跡が、若狭に60ヶ所ほど確認されている。
 その中でも国の史跡に指定されている小浜市岡津の岡津製塩遺跡は、2回にわたる発掘調査の結果、保存状態が非常によく、石を敷き詰めた製塩炉跡が9基確認されている。このほか製塩工房跡と見られる遺構も出土している。

岡津製塩遺跡

(写真は 岡津製塩遺跡)


 
海の幸美味し国  放送 6月6日(水)
 海の幸に恵まれた小浜市では、御食国(みけつくに)若狭の伝統が今も脈々と生き続けている。浜辺の漁師町や魚屋の軒先にはカレイ、アジなどさまざまな干物がいっぱい吊り下げられている。魚店の店頭には焼きサバの香りが漂い、旅人の食欲と購買欲をそそる。
 特に「若狭カレイの一夜干し」や天然塩と酢でしめた「小鯛のささ漬け」などは、若狭ならではの特産品で観光客には人気がある。冬になれば越前ガニの水揚げで浜はにぎわう。こうした特産品の海の幸は町の魚屋さんや観光客向けの「若狭小浜お魚センター」で買い求められる。

鮮魚・加福

(写真は 鮮魚・加福)

鯖のへしこ(田村長商店)

 若狭独特の特産品と言えば何と言っても「へしこ」だろう。へしこはもともと若狭地方の越冬食で、春に獲れたサバをひと月ほど塩漬けした後、米ぬかに漬け込み80kgほどの重石をして9月まで眠らせる。梅雨と厳しい土用の暑さでぬかが発酵して甘味が増し、おいしいサバへしこができあがる。
 へしこは普通は軽く焼いていただく。かみしめると凝縮されたサバのうま味とぬかのこくがしみ出て、飯でも酒でもどんどん進む。へしこの語源はいろいろあるが、そのひとつに重石をして漬け込むことから「圧魚(へしこ)」となったと言う。

(写真は 鯖のへしこ(田村長商店))

 小浜市は全国でも珍しい「食のまちづくり条例」を制定している。また食文化を紹介する「御食国若狭おばま食文化館」が平成15年(2003)にオープン、奈良時代からの若狭の食文化の歴史を紹介している。郷土料理などを作り、味わうキッチンスタジオや伝統工芸の若狭瓦、若狭めのう、若狭塗、若狭和紙作りなどが体験できる若狭工房、医食同源の観点から心身の疲れを癒す温泉施設もあると言うユニークなミュージアムだ。
 小浜の老舗の旅館・福喜では鯖街道に因んでサバを主体にした「鯖懐石料理」を提供している。鯖の造り、浜焼き鯖、鯖の味噌煮、鯖寿司など鯖づくしの8品が膳にずらりと並ぶ。

鯖懐石(福喜)

(写真は 鯖懐石(福喜))


 
神宮寺  放送 6月7日(木)
 小浜市街地の東、JR東小浜駅前から南へ遠敷川(おにゅうがわ)を遡ると、奈良・東大寺の二月堂修二会のお水取りにつかう「お香水」を送るお水送りの寺・神宮寺がある。
 神宮寺は和銅7年(714)に創建され、当時は神願寺と称して神仏混淆(しんぶつこんこう)の色彩が強い寺だった。今もその名残が強く、本堂(国・重文)にはしめ縄が張られ、仏教での結界を示している。本尊の薬師如来像を中心に日光、月光両菩薩像などが並んでいるのは他の寺院と変わりないが、右横には和加佐(若狭)比古大神ら土地の神々の神号が祀られ、この奥に衣冠束帯の男神像と十二単姿の女神像(いずれも国・重文)が安置されている。

本堂

(写真は 本堂)

本尊 薬師如来御前立仏

 3月2日に行われる神宮寺のお水送りの行事は、夕方の本堂での修二会の達陀(だったん)の行で火天(かてん)役の行者が、本尊が安置されている内陣を松明を持って3回まわる火祭りでクライマックスに達する。
 境内の閼伽井(あかい)から汲み上げられた清らかなお香水が、大松明、中松明、小松明を手にした白装束の僧侶や行者たち約2000人の守られて、遠敷川を約1.8km遡った鵜の瀬へ向かう。ここで大護摩が焚かれ、遠敷川にお香水が注がれ、地中を通って東大寺二月堂の閼伽井屋の若狭井に届く。10日後の3月13日未明にこのお香水が汲み上げられ二月堂本尊の十一面観音菩薩像に供えられる。

(写真は 本尊 薬師如来御前立仏)

 このお水送りの起源は次のように伝えられている。二月堂が建立された時に行われた修二会に、日本各地の神々が招かれた。ところが若狭国の遠敷明神は魚釣りに夢中になっていてこの修二会に遅刻した。そのお詫びとして二月堂の本尊に供えるお香水を若狭の遠敷川から送ることを約束した。
 神宮寺境内で白黒2羽の鵜が岩を砕いて現れ、そこから清水が湧き出たのが神宮寺の閼伽井。この水をお香水として東大寺二月堂へ送ることになった。関西に春を呼ぶ東大寺二月堂の若狭井からのお水取りが表舞台なら、若狭の神宮寺からのお水送りは表舞台を支える裏方と言える。

女神坐像

(写真は 女神坐像)


 
明通寺  放送 6月8日(金)
 神宮寺から東へ山をひとつ越えた谷あいに建つ明通寺は小浜を代表する古寺で、大同元年(806)坂上田村麻呂の創建と伝わる。130段の石段を登って山門をくぐり、参道を上がって行くと杉木立の間に見えてくる本堂と三重塔(いずれも国宝)の美しい姿にうっとりと見とれる。
 苔むす自然石の基壇の上に建つ本堂は鎌倉時代の正嘉2年(1258)の再建で、重厚な入母屋造の名建築である。三重塔も鎌倉時代の文永7年(1270)に再建された高さ22.1mの名建築で、福井県下の国宝建造物はこの明通寺の本堂と三重塔の2件だけである。

本堂

(写真は 本堂)

本尊 薬師如来坐像

 坂上田村麻呂は山中に住む老居士の命ずるままに堂塔を建立、老居士がユズリの木で本尊の薬師如来像、深沙大将(じんじゃたいしょう)像、降三世明王(ごうざんぜみょうおう)像を彫って安置したと伝えられ、ここから明通寺の山号が棡山(ゆずりさん)となった。
 現在の本尊・薬師如来像(国・重文)は平安時代後期の作で、一般的に薬師如来像は日光、月光両菩薩像を両脇に従えているのだが、ここ明通寺では薬師如来像に向かって右に降三世明王像(国・重文・平安時代後期)、左に神沙大将像(国・重文・平安時代後期)といずれも魁偉な姿の両像が立つ異例の布陣となっている。

(写真は 本尊 薬師如来坐像)

 深沙大将像は仏教の守護神のひとつで、玄奘(三蔵法師)がインドへ旅した時に砂漠で守護したと伝えられる護法神で、多聞天あるいは観音の化身とされる。像は忿怒(ふんぬ) の相をし、頭に髑髏(どくろ)を乗せ、腹部に人面をつけ、左手に蛇をつかむ異形像。
 降三世明王像は五大明王のひとつで、4つの顔と8本の手を持つ四面八臂(よんめんはっぴ)の憤怒の表情で、貪(とん)瞋(じん)痴の三毒を滅ぼし、三界を降伏(ごうぶく) することから降三世の名がある。左足で大自在天、右足でその妃・烏摩(うま)を踏みつけている。

深沙大将立像

(写真は 深沙大将立像)


◇あ    し◇
北前船屋敷、旅館・福喜JR小浜線小浜駅からバスで西津公民館下車すぐ。
福井県立若狭歴史民俗資料館JR小浜線東小浜駅下車徒歩7分。
JR小浜駅前、東小浜駅前のレンタサイクル利用が便利。
岡津製塩遺跡JR小浜線東加斗駅下車徒歩20分。 
御食国若狭おばま食文化館JR小浜線小浜駅下車徒歩20分。
JR小浜駅前のレンタサイクル利用が便利。
神宮寺JR小浜線小浜駅から観光巡りバスで神宮寺下車(但し土、日、祝日のみ運転)。
JR小浜駅前、東小浜駅前のレンタサイクル利用が便利。 
明通寺JR小浜線小浜駅から観光巡りバスで明通寺下車(但し土、日、祝日のみ運転)。
JR小浜駅前、東小浜駅前のレンタサイクル利用が便利。 
◇問い合わせ先◇
小浜市観光交流課0770−53−1111 
若狭おばま観光協会
若狭おばま観光案内所
0770−52−2082
福井県立若狭歴史民俗資料館0770−56−0525
御食国若狭おばま食文化館0770−53−1000
旅館・福喜0770−52−3077 
神宮寺0770−56−1911 
明通寺0770−57−1355 

◆歴史街道とは

    関西は「歴史・文化の宝庫」として世界に誇れる地域です。歴史街道では、日本の歴史文化の魅力を楽しく体験し、実感できる旅のルートとエリアを設定しました。伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸といった主要歴史都市を時代の流れに沿ってたどる「メインルート」と各地域の特徴をテーマとして活かした3つの「ネットワーク」です。

 

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

    の3つの目標を掲げ、その実現を目指しています。

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

    あなたも「関西の歴史や文化を楽しみながら探求する」歴史街道倶楽部に参加しませんか?
    歴史街道倶楽部では、関西各地の様々な情報のご提供や、ウォーキング、歴史講演会など楽しいイベントを企画しています。
   倶楽部入会の資料をご希望の方は、
 ハガキにあなたのご住所、お名前を明記の上、
          郵便番号 530−6691
          大阪市北区中之島センタービル内郵便局私書箱19号
                  「 A係 」
へお送り下さい。
   歴史街道倶楽部の概要を解説したパンフレットと申込み用紙をご送付いたします。
       FAXでも受け付けております。FAX番号:06−6448−8698   

歴史街道推進協議会