月〜金曜日 18時54分〜19時00分


岸和田市 

 大阪・泉州の中央部に位置する岸和田市は、堺市に次ぐ泉州第二の都市である。古くから開けた地域で、現在は海岸部の工業地帯から和泉葛城山系までの幅広い市域を持ち、古社寺も多い。岸和田城の城下町の風情も残り、勇壮なだんじり祭でも知られている。


 
岸和田縦断  放送 6月11日(月)
 岸和田市と言えば誰しも「岸和田城とだんじりのまち」をイメージする。初秋の岸和田市街地を勇壮に疾走するだんじり。くっきりとそびえる天守閣、城下町の面影を色濃く残す紀州街道沿いの歴史的な町並などはお馴染みの景色だが、岸和田市はそれだけではない。
 岸和田市は東西7.6km、南北17.3kmと縦に長く、海抜0mの大阪湾から標高865.7mの和泉葛城山の間には、臨海部の工業地帯と海の幸を水揚げする漁港、岸和田城周辺の城下町のたたずまいが残る商業地帯、歴史や文化遺産が点在する田園地帯、豊かな自然にも恵まれた山間部など、さまざまな顔を持っている。

岸和田城

(写真は 岸和田城)

久米田寺

 岸和田城は南北朝時代初期の建武元年(1334)楠木正成の一族の和田氏が、当時「岸」と呼ばれた現在の岸和田城の地に城を築き「岸の和田氏」と呼ばれるようになり、これが岸和田の地名の起こりとなったと言う。
 岸和田城は明治維新まで続いたが、江戸時代の元禄16年(1703)秋、岸和田藩3代藩主・岡部長泰が城内三の丸に京都・伏見稲荷大社から稲荷大神を勧請して祀り、五穀豊穰に感謝する稲荷大社祭を行った。この時、領民が長持に車をつけただけの簡素なだんじりで町内を練り歩き、城内へ練り込み殿様の前で、にわか芸を披露したのがだんじり祭の始まりをされ、以来300年にわって勇壮な祭として続いている。

(写真は 久米田寺)

 山手の代表的な名勝は奈良時代に行基が灌漑用水確保のために造った久米田池と池畔の久米田寺。久米田池は周囲が2.7km、面積は甲子園球場の約31倍の45.6haもある泉州一の大池で、完成した時には聖武天皇と光明皇后が共に百官を率いて行幸したと伝えれている。久米田寺は行基が建立した49院のひとつで、久米田池を維持管理するために建てられた。
 さらに南の和歌山県境に近い牛滝山の大威徳寺は、役行者が開創したと伝わり葛城修験の霊場として崇敬されていた。和泉葛城山の山頂北側には、国の天然記念物に指定されている約8haの緑陰が快い自生ブナ林が広がり、ブナ林の南限とされている。

大威徳寺

(写真は 大威徳寺)


 
岸和田カンカンベイエリア  放送 6月12日(火)
 伝統ある城下町の岸和田市も日々変貌を遂げているが、ここ10年ばかりの間にまったく姿を変えてしまったのが旧岸和田港である。港で積み下ろしされる荷物を量る秤の異名から「カンカン場」の名が生まれ、漁港にもなっていた港は埋め立てられ、大型ショッピングモールに生まれ変わった。
 カンカン場はその昔、岸和田港で扱う地場産業の繊維製品やその他の荷を計量する場所として、計量器機の名前「看貫秤(かんかんばかり)」や、当時の重量の単位として「貫」が使われていたことから名付けられたと言う。カンカン場の名は今は、だんじり祭の遣り回しの見せ場として市民から親しまれている。

岸和田カンカンベイサイドモール

(写真は 岸和田カンカンベイサイドモール)

浪切ホール

 旧岸和田港一帯は21世紀型のウォーターフロントを目指して生まれ変わった。「アクアヴェルデ岸和田」と名づけられたこの街は、暮らしの中にいつも水を感じる空間が創出されている。
 スポーツ施設が整った「スポーツドーム岸和田」、商業施設のショッピングモール「岸和田カンカン」「ベイサイドモール」、独創的な最新設備を整えた「浪切ホール」、最終的には620戸が入る高層住宅「アクアパーク岸和田」のほか、シーサイドプロムナード、アクアパークなどが完成している。さらにシティホテル、オフィス施設なども計画されている。車は地下、人は地上と人と車が完全に分離され、各施設間は地下通路で接続された安全を重視した街である。

(写真は 浪切ホール)

 電線、電話線を地下に埋設して景観を大切にした街は、夕日が美しい欧米のリゾート地のようである。開業10周年を迎えた「ベイサドモール」はリニューアルし、1階は「食」をサポートするフロアに生まれ変わった。浪切ホールの大ホールはオーケストラ仕様、本花道仕様、伝統芸能仕様などに舞台が変えられる最新設備を誇り、一流俳優、芸術家の公演が催される。ほかに特別会議室、小ホール、多目的ホール、交流ホールなどを備えている。
 周囲が大きく変化する中の一角で、だんじり祭にゆかりの深い浪切神社はしっかりとこの地に根をおろし、毎年、だんじり祭の安全祈願祭がこの神社で行われている。

大ホール

(写真は 大ホール)


 
積川神社  放送 6月13日(水)
 旧熊野街道沿い岸和田市小松里町額に立つ鳥居は、東に5km離れた積川(つがわ)神社の遥拝鳥居。この一帯は村人や熊野詣の途にあった皇族、公家たちが、ここから五穀豊穰、家内安全や旅の安全などを積川神社に祈願した所だった。
 遥拝鳥居の扁額には「正一位積川大明神」の文字が書かれているが、この扁額の文字は寛治4年(1090)白河上皇が熊野へ御幸の時にここで遥拝し、鳥居に掲げられている扁額の文字を見てあまりの拙さに、自ら筆を執って扁額に「正一位積川大明神」を書いた。現在の鳥居の扁額は複製で上皇の筆になる扁額は今は神社に保存されている。

積川神社遥拝所

(写真は 積川神社遥拝所)

本殿

 こうした白河上皇による扁額の伝承、人びとがこの地で積川神社に遥拝するために「額(ぬか)づく」ことを合わせて、この付近の地名を「額」と呼ぶようになった。
 積川神社の創建年代は明らかでないが、社伝によれば記紀神話時代の崇神天皇の時代に創建されたと伝わる。平安時代には延喜式内社で歴代天皇の勅願社となっていたほか、武将たちの崇敬も篤かった。森閑とした緑の中に鎮まる本殿(国・重文)の建築年代は不祥だが、慶長7年(1602)豊臣秀頼が大修理を施し、高欄の彫り物などに桃山建築の様式を伝えている。また秀頼の生母・淀殿奉納の神輿も社宝のひとつである。

(写真は 本殿)

 積川神社には男女4組8体の神像が祀られている。神道では本来、偶像崇拝は行わないが、平安時代初期から興った神仏習合思想の影響を受けて、神社でも神像を祀るようになった。積川神社の神像の神名は不明だが、男神像は巾子冠(こじかん)を被り袍(ほう)を着て、笏(しゃく)を持って座している。1組はケヤキ、他の3組はヒノキの一木造りで、鎌倉時代の作と見られている。
 秋の例大祭の時に神霊を乗せた神輿が遥拝鳥居そばのお旅所へ渡御する。この時、お旅所では地元の人びとは無病息災を祈り、神輿の下をくぐり抜ける風習がある。

男女神像

(写真は 男女神像)


 
蜻蛉池公園  放送 6月14日(木)
 南北に長い岸和田市域のちょうど中央の丘陵に位置する蜻蛉(とんぼ)池公園は、125haもの広大な敷地に緑と大小の池が点在している。幼児からお年寄りまで家族そろって楽しめる緑と水のオアシスで、都会の喧騒に疲れた心身をリフレッシュすることができる。
 園内の大池の人気者は20羽の白鳥たち。ほかにカモやアヒルたちも泳いでおり、子供たちから餌をもらったり、陸にあがってきては子供たちと触れ合っている。公園のシンボルであるトンボのほかにチョウの形をしたさまざまな遊具や長いすべり台などがある子供の国には、終日、子供たちの歓声が絶えない。

水辺のステージ

(写真は 水辺のステージ)

ポケット広場

 スポーツを楽しみたい人にはテニスコートやスポーツハウス、球技広場もある。風に運ばれる種子をイメージした展望台からは公園全体が見渡せ、天気に恵まれれば大阪湾から明石海峡大橋まで望むことができる。家族連れでお弁当が広げられる「おべんとう広場」もある。
 水と緑の音楽広場を中心に色とりどりの世界中のバラの品種を集めたバラ園は、春と秋に2000本のバラが咲き競う。特に大池に面した音楽広場の回廊風シェルター付近のバラは、水辺とマッチして西洋宮殿のような雰囲気を醸し出している。展望台そばのあじさい園では40種、1万3000株のアジサイが咲きそろう季節を迎えている。

(写真は ポケット広場)

 岸和田市のこのあたりには昔から多くの池が作られ、農業用水として泉州平野の農業を支え、今はベッドタウン化した住宅地に憩いを与えている。これらの池は人間だけでなく、トンボをはじめ水辺に生息する生き物たちとっても、命を育む大切な場所だった。
 この地方の池は「ダンボ池」とか「ドンボ池」とか呼ばれていたが、江戸時代に語呂のよい「トンボ池」に改められた。トンボ池の名の通り、池の周辺にはオニヤンマ、アカトンボ、シオカラトンボなど、たくさんのトンボが生息しており、こうした美しい自然環境の恩恵を受ける喜びを表して「蜻蛉池公園」と名づけられた。

子供の国

(写真は 子供の国)


 
牛滝温泉・いよやかの郷  放送 6月15日(金)
 「牛滝温泉・いよやかの郷」は岸和田市域最南端に近い、牛滝山の山ふところにある天然温泉の湧く新しいリゾート施設である。「いよやか」とは「森」を意味する中世の言葉で、文字通り緑いっぱいの環境の中で、古人のように自然と遊ぶ楽しみを満喫できる。
 1600mの地下から湧き出す52度の温泉は、ナトリウムなどの成分が濃く、神経痛や筋肉痛、疲労回復に効果があると言う。大浴場、露天風呂、サウナなどの温泉だけを楽しむこともでき、湯上がりにレストランで岸和田港直送の新鮮な海の幸でグーッと一杯ビールを楽しむこともできる。

牛滝川

(写真は 牛滝川)

せせらぎ荘

 牛滝川の清流沿いの「せせらぎ荘」では、宿泊してゆっくりと温泉を楽しむことができる。ほかに昼食のみ、夕食のみ、宴会など、登山や散策でかいた汗を温泉、露天風呂で流した後に、それぞれのニーズに合わせたコースが用意されている。
 いよやかの郷にはほかにキッチン、浴室、トイレ付きのカナダ産ログのコテージやキャンプ場、バーベキュー広場などがあり、春はサクラ、夏は納涼、秋は紅葉、冬は山々の雪景色など、四季折々の自然の変化を楽しみむことができる。

(写真は せせらぎ荘)

 いよやかの郷から牛滝川を遡った所にある牛滝山は、古くから京都の高雄と肩を並べる紅葉の名所として知られている。役行者が開創の大威徳寺周辺の紅葉は、多宝塔(国・重文)の朱色とマッチして素晴らしい眺めを創出する。
 牛滝山付近の牛滝川に点在している大小の滝もハイカーたちの心を癒してくれる。ハイキングコースの山道には1丁(約100m)ごとに丁石地蔵が置かれており、修験道の霊地としての歴史を感じさせる。「岸和田市にこんな豊かな自然があるのか」と驚く人も多く、岸和田市の懐の奥深さを実感させられる場所である。

ログコテージ

(写真は ログコテージ)


◇あ    し◇
岸和田城南海電鉄岸和田駅下車徒歩15分。 
久米田池、久米田寺JR阪和線久米田駅下車徒歩15分。 
大威徳寺南海電鉄岸和田駅前からバスで牛滝山下車すぐ。 
岸和田カンカンベイサイドモール
浪切ホール、浪切神社
南海電鉄岸和田駅下車徒歩10分。
岸和田市内循環「ローズバス」で港緑町下車。
積川神社南海電鉄岸和田駅前からバスで積川神社前
下車すぐ。 
蜻蛉池公園南海電鉄岸和田駅前からバスで蜻蛉池公園前
下車すぐ。
JR紀勢線下松駅下車、駅近くの下松バス停から
バスで蜻蛉池公園前下車すぐ。
牛滝温泉・いよやかの郷南海電鉄岸和田駅前からバスで牛滝温泉せせらぎ荘前下車すぐ。 
◇問い合わせ先◇
岸和田市商工観光課(大威徳寺)072−423−9486
岸和田市観光振興協会(大威徳寺)072−436−0914
岸和田城072−431−3251 
久米田寺072−445−0316 
岸和田カンカンベイサイドモール072−436−9955
浪切ホール072−439−4173 
積川神社072−479−0134 
蜻蛉池公園072−443−9671 
牛滝温泉・いよやかの郷072−479−2641 

◆歴史街道とは

    関西は「歴史・文化の宝庫」として世界に誇れる地域です。歴史街道では、日本の歴史文化の魅力を楽しく体験し、実感できる旅のルートとエリアを設定しました。伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸といった主要歴史都市を時代の流れに沿ってたどる「メインルート」と各地域の特徴をテーマとして活かした3つの「ネットワーク」です。

 

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

    の3つの目標を掲げ、その実現を目指しています。

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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歴史街道推進協議会