月〜金曜日 18時54分〜19時00分


京都市・京の夏 

 京都の夏は祇園祭で始まる。祇園祭は厳密には7月1日から始まり31日まで続き、17日の山鉾巡行がクライマックス。このため7月の京都市中心部では毎日のように祭の諸行事が見られ、浮き立つような空気の中、都の夏ならではの情緒が堪能ができる京の夏を点描してみた。


 
夏のもてなし 納涼床  放送 7月30日(月)
 鴨川の納涼床と言えば夏の京都の風物詩の代表格。鴨の河原に席をしつらえ、川風で涼を取り、客をもてなすのは、京都では風流で最高のもてなしとされてきた。昔はぜいたくな納涼床だったが、現在は手ごろな値段で気軽に納涼床が楽しめ、会社のグループや若い人たちのグループが、鴨川の涼風に吹かれながら京料理やビールを楽しむようになってきた。
 鴨川両岸の灯りを映す川面、さんざめきの向こうから流れてくる祇園囃子、それぞれの店が出す自慢の京懐石に舌鼓を打ち、冷えたビールののど越しの味は、この納涼床に極まると言う人が多い。

神輿洗神事

(写真は 神輿洗神事)

ちもと

 現在の鴨川の納涼床は二条から五条までの鴨川の右岸に料亭や旅館が床をしつらえ、5月から9月までの夜(5月と9月は昼間も営業)に、京料理やビールなどの飲み物を提供する。
 鴨川の納涼床の歴史は、400年余り昔、豊臣秀吉の時代にまで遡ると言う。この時代、裕福な商人が五条あたりの鴨川の浅瀬に床几(しょうぎ)を置き、遠来の客を川で涼を取りながらもてなしたのが始まりを伝えられている。江戸時代に入ってますます盛んになり「四条の河原の水陸、寸地を漏らさず床を並べ、席を置く」と記されており、江戸時代後期には茶屋や茶店が提灯や行灯を掲げ、一層華やかになった。

(写真は ちもと)

 現在のような形になったのは、鴨川の治水のために護岸工事が進み、戦後に右岸に高床式の納涼床の営業が認められてからで、昨今は90軒を越える店が納涼床を出している。
 その中で四条大橋西詰め南の「京料理・ちもと」は享保3年(1718)西陣の地で創業した老舗。千本通に面していたところから「ちもと」と呼び親しまれてきたが、明治時代初めに現在地に移った。数寄屋の粋を集めた木造3階建ての建物、東山を借景に鴨川の水面を眺めながらの納涼床で、京料理の氷を敷き詰めた八寸や鱧(はも)料理などを、祇園囃子を聞きながらいただく京の一夜は、ぜいたくの極みと言える。

鱧なます『「料理物語」(寛永20年)より』

(写真は 鱧なます
『「料理物語」(寛永20年)より』)


 
夏のしつらえ 町家の知恵  放送 7月31日(火)
 京都市の古い町家では季節の変わり目や正月、節分、節句、お盆、お彼岸などに合わせたしきたりや行事が、今もきっちり守られている。そのひとつが6月末に行われるは建具替えで、住まいが夏模様になる。
 盆地の京都市の夏は暑い。この暑さを少しでも和らげ涼しく過ごそうと、市街地の町家では昔から住まいの中の調度品や建具にさまざまな工夫を凝らしてきた。そのひとつが6月と9月の建具替えで、もうすぐ祇園囃子が聞こえてくる6月に夏に模様替えし、朝夕に涼しさを感じるようになる9月になると夏向きの建具を取り外して冬向きに衣替えする。

菊水鉾

(写真は 菊水鉾)

秦家

 京都市の登録有形文化財に指定されている京都市下京区太子山町で12代にわたって薬屋を営んできた秦家でも年々歳々、同じように建具替えを行い、祇園祭に訪れる客を迎えてきた。
 秦家の現在の建物は幕末の元治元年(1864)の「蛤門の変」で焼失した後、明治2年(1869)に再建された伝統的な京町家。虫籠窓(むしこまど)のそばには薬の屋根付き看板やレトロなガス灯、1階庇の下にも薬の吊り看板があり、明治時代の商家の雰囲気がそのまま残っている。こうした町家の風情を色濃く残した秦家で、伝統の夏へのしつらえを見せてもらった。

(写真は 秦家)

 障子、ふすまが取り払われて御簾(みす)と呼ばれる簾(すだれ)や簾戸になり、畳表は飴色の籐筵(とうむしろ)でおおわれる。衝立も葦の節を模様状に並べたり、水の流れや水鳥の透かし彫りを施したものなど夏向きのものに代わる。住宅の奥には坪庭があり、手水鉢を置いて打ち水をしておくと、簾戸で木陰のように薄暗く沈んだ座敷を涼風が吹き抜けて行く。
 秦家ではこの町家を一般公開し、女主人の秦めぐみさんが四季折々の京の食材を使った秦家に伝わる京料理を一日一組、予約を受けて提供している。「伝統的な京町家を見てもらい、わが家に伝わる料理を賞味してもらうのが私流のもてなしです」とめぐみさんは言っている。

中庭

(写真は 中庭)


 
夏をいただく 京和菓子  放送 8月1日(水)
 和菓子は季節の風物を美しく形に表している。夏場はどこの和菓子店も涼を呼ぶ菓子作りに工夫を凝らすが、際立って人気が高いのが、京都市役所北の中京区新烏丸通に暖簾を出す京生菓子司・松彌(まつや)の「金魚」と名づけられた涼しげな色合いをした菓子。
 寒天を一層づつ固めては色羊羹の水草や金魚を置きながら、7回繰り返して寒天を固める大変手間のかかる作業で、一日に100個ほどしか作れない。底が青く上が透明にできていて、見る角度によって全体が青く見えたり、透明になったりする立体的な仕掛けになっている。

松彌

(写真は 松彌)

「金魚」

 松彌で独創的な菓子作りに取り組んでいるのは、4代目当主の國枝治一郎さんと純次さん兄弟。この可愛らしいお菓子「金魚」が誕生したのは約25年前。夏場に売れる菓子を創作しなければと兄弟が頭をひねっていた。弟の純次さんが、地元の下御霊神社の祭の夜店での金魚すくいの思い出をヒントに、この菓子のデザインを考案した。
 寒天に寒色系の色をつけることに抵抗があったが、兄の治一郎さんがOKを出した。試行錯誤を重ねながら今の形にたどり着いた。初めは大きな四角な型に流し込み切り分けていたが、金魚の尻尾が切れたり、頭だけが残ったりしてなかなか思い通りに仕上がらなかった。

(写真は 「金魚」)

 やっと丸形の型に何層にも分けて寒天を流し込み、そのつど中に浮かべる水草や金魚を置き、最後にブルーの寒天を流し込むことで、全体が涼しい青色に仕上がり、立体的に見える菓子に仕上がった。さらに母親が作っていた自家製の梅酒を加えたところ、さわやかな酸味が夏の菓子にぴったりで隠し味に使うようになった。
 兄弟はほかにも京菓子の季節感を大切にした、松彌ならでは独創的な菓子をいくつも創作している。「金魚」を含め商標登録を考えたが、菓子業界全体の発展を考え登録はしなかった。似たような菓子が作られることを意に介さず、店にわざわざ買いに来てくれるお客さんを大切にしている。

「金魚」の製作

(写真は 「金魚」の製作)


 
夏に涼風 京うちわ  放送 8月2日(木)
 祇園祭の見物に出かける時、納涼床で一献傾ける時、家庭の縁側で夕涼みをする時、蒸し暑い京都の夏に欠かせないのがうちわ。それも単に風を送るだけでなく、見た目にも涼やかなものがほしい。この望みをかなえてくれるのが、元禄2年(1689)の創業以来、京うちわの技術を受け継いでいる「阿以波(あいば)」の透かしうちわ。これぞ手元の芸術品と言える。
 阿以波の代名詞ともなっている透かしうちわは先代当主が考案したもので、涼を取るだけでなく、インテリアとして室内に飾られ、伝統工芸品として雅な涼しさを送っている。

阿以波

(写真は 阿以波)

京うちわ

 平成14年(2006)に10代目当主を襲名した饗庭長兵衞さんは、6人の職人さんを率いて京うちわを作り出している。京うちわは竹の骨作りから骨を放射状に並べて片側に紙を張る仮張り、裏張り、表張り、最後のへり取りまで、すべて手作業で16工程を踏む。
 うちわ面と柄を別々に作って合体させる「差し柄」の手法が京うちわの特徴で、古くからの御所うちわの伝統を引き継いでいる。柄には漆を塗ったり金泥や金箔をほどこすなど優美に仕上げた高級品もあり、こうした高度な技術がそれぞれの職人によって受け継がれている。

(写真は 京うちわ)

 伝統的な技術と製法を守りながら、現代にマッチする斬新なデザインの工夫が日々積み重ねられている。当主の饗庭長兵衞さんは「エアコンが普及した現代では、目で涼を取る京うちわへの比重が強まっており、これに応えるような絵柄、デザインなどに工夫を凝らさなければならない」と言っている。
 うちわの起源は古く紀元前3世紀の中国・周の時代に遡る。このころから涼を取るだけでなく、祭礼に用いたり、貴人や女性が顔を隠すための道具でもあった。日本には6、7世紀ころに伝わり、京都・太秦の広隆寺、奈良・東大寺正倉院の御物にも見られる。奈良・明日香村の高松塚古墳の壁画の人物もうちわを手にしている。

鉾曳初め

(写真は 鉾曳初め)


 
夏を彩る しば漬の里  放送 8月3日(金)
 祇園祭の山鉾巡行で都大路がわき返るころ、京都市北部の大原の里ではシソ畑が一面の紫に染まる。そのシソは大原だけに育つチリメンシソで、大原特産のしば漬の原料となる。
 しば漬は千枚漬、すぐきと並ぶ京都の三大伝統漬物のひとつ。大原で言うしば漬とは生しば漬のことで、調味料を一切使わず、ナスと赤シソを塩で漬け込み、自然の気温で乳酸発酵させた自然食品。キュウリなどを赤くしたしば漬は着色、味付けしたもので、生しば漬とは異なる。大原のしば漬はヨーグルトと同じように乳酸菌がたっぷりで、シソに含まれるポリフェノールが摂取でき、健康保持にもよい食品である。

紫蘇畑

(写真は 紫蘇畑)

辻しば漬本舗

 大原のしば漬は7月から8月にかけて1年分が漬け込まれる。原料のシソとスライスしたナス、そして塩のみで色素、調味料などは一切加えず、夏の外気温で乳酸発酵させる。大原のしば漬は、元は大原の村人たちが夏野菜を保存するために、地元で育ったシソを活用して編み出した保存食品。
 昔の大原は交通の便も悪く、冬は雪で閉ざされるため、冬期の保存食品が欠かせなかった。さらに大原の気候が香り豊かなシソやナスを育て、三千院や寂光院と言った古刹の存在が俗世との隔絶の雰囲気を作り、こうした気候、風土、文化が、しば漬誕生の背景にあるようだ。

(写真は 辻しば漬本舗)

 京都の街に祇園囃子が聞こえるようになると、今年漬け込んだ新漬の樽出しが始まる。しば漬ヌーヴォーである。新漬けの樽をあけるとさんぱりしたシソの香りと鮮やかな赤紫色に染まったナスが顔を出す。口に入れると酸っぱ〜い。この酸っぱさは乳酸発酵によるもので、ヨーグルトのプレーン、ワインの酸味と同じである。
 おいしくいただくには、細かく刻んで醤油を少しさし、土ショウガ、すりゴマなどを振りかけるとまろやかな味に仕上がると言う。食べ方は人によってそれぞれ異なり、平たいままのナスに醤油をつけ、ノリのように白ごはんを巻いて食べるのが最高だと言う人もいる。

しば漬

(写真は しば漬)


◇あ    し◇
ちもと
(料亭・納涼川床)
 阪急電鉄京都線河原町駅、京阪電鉄四条駅下車徒歩3分。
京都市バス四条河原町下車3分。
町家・秦家阪急電鉄大宮駅、京都市地下鉄烏丸線四条駅下車徒歩10分。 
松彌(京和菓子)  京都市地下鉄東西線京都市役所前下車徒歩5分。
京阪電鉄三条駅下車徒歩15分。
阿以波(京うちわ) 阿以波(京うちわ) 阪急電鉄京都線烏丸駅、京都市地下鉄烏丸線
四条駅、京都市バス四条烏丸下車徒歩10分。
辻しば漬本舗JR京都駅、京阪電鉄三条駅、出町柳駅、阪急電鉄京都線河原駅から京都バスで野村別れ下車すぐ。
◇問い合わせ先◇
ちもと075−351−1846 
秦家075−351−2565 
松彌075−231−2743 
阿以波075−221−1460 
辻しば漬本舗075−744−2839 

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