月〜金曜日 18時54分〜19時00分


和歌山・串本町 

 串本節の「ここは串本 向かいは大島…」で知られる串本町は本州最南端の町。平成17年(2005)4月東隣り古座町と合併して町域はやや広がった。黒潮洗う海岸には自然の造形美の海岸美が連なり、海中には珍しい魚が泳ぎ、テーブルサンゴが群生し、本州最南端の町ならではの景観が満喫できる。町には古刹や海と山に因んだ祭もあり、観光客を飽きさせない町である。


 
本州最南端の町  放送 8月6日(月)
 紀伊半島の南端からクジラの尻尾のような形で、太平洋に突き出た串本町は本州最南端の町。さらにその南端、熊野灘を見下ろす潮岬の30mの断崖の上に高さ22.5mの白亜の潮岬灯台が立つ。
 潮岬のシンボルとも言えるこの灯台は、幕末の慶応2年(1866)にアメリカ、イギリス、フランス、オランダの4カ国と結んだ「改税約書=別名・江戸協約」によって、日本が建設を約束した8ヵ所の灯台のうちのひとつ。「日本の灯台の父」と言われたイギリス人のリチャード・ヘンリー・ブラントンが設計、指導して建設された。

潮岬灯台

(写真は 潮岬灯台)

潮御崎神社

 明治3年(1870)に仮点灯された潮岬燈台は、わが国で初めての八角型洋式木造灯台で、仮点灯から3年後に本点灯され、明治11年(1878)現在の石造灯台になった。潮岬沖合いは潮の流れが速く、風も強いため航海の難所とされていた。現在の潮岬灯台の光は97万カンデラで沖合い35kmまで到達する1等灯台で、この光は暗夜の潮岬沖の航海の安全に欠かせないものである。
 狭くて急な68段の螺旋階段を登って台上に出ると、眼下の岩礁に打ち寄せる波が白く砕け散り、遥か彼方の水平線が180度に広がり「地球が丸い」と実感させられる。

(写真は 潮御崎神社)

 夏には灯台敷地内にハマユウが咲き乱れ、訪れる人を迎えてくれる。また冬至のころに訪れると水平線から昇った太陽が同じ水平線に沈む珍しい光景に出会える。灯台に併設された資料展示室には潮岬灯台の歴史、機能、役割などの資料や2代目の灯台レンズなどが展示されている。
 灯台の足元には航海の安全を祈るかのように潮御崎神社が鎮座して航海の守護神を祀っている。神社入口には高浜虚子が満開の桜の梢越しに白亜の灯台を見上げて詠んだ「燈台を 花の梢に 見上げたり」の句碑がある。

高浜虚子の句碑

(写真は 高浜虚子の句碑)


 
波打際の奇観  放送 8月7日(火)
 串本町の長い海岸線沿いには、大自然の力と技による見事な自然の造形物がいくつも見られる。橋杭岩は串本町の東海岸から南の大島に向かって大小40余りの奇岩群が、850mにわたって海中に一直線に並ぶ。直立した石柱が橋杭のように見えるところからこの名がついた。
 橋杭岩の出現には次のような伝説がある。弘法大師と天邪鬼が、一晩のうちに大島までの橋の架け競べをした。負けそうになった天邪鬼が夜明けを告げる鶏の鳴き声のまねをして大師を欺いた。鶏の声を聞いた大師は「約束の時間だ」と作業を中止したので橋脚となる橋杭岩が残った。

橋杭岩

(写真は 橋杭岩)

海金剛

 こうした伝説が嘘とは思えないほど、見事な自然の造形の橋杭岩は南紀屈指の奇勝であり、学術的にも貴重な資料で国の天然記念物に指定されている。
 橋杭岩の生成は地震で亀裂ができた頁岩(けつがん)の割れ目に、噴出した石英粗面岩が入り込んで岩脈となった岩が隆起、柔らかい頁岩が波に洗われて侵食され、硬い石英粗面岩が残ったもので、地殻変動、岩脈、海食など地質学上の貴重な資料である。この橋杭岩から昇る朝日、沈む夕日の素晴らしさは定評があり、アマチュアカメラマンらの格好の撮影ポイントとなっている。

(写真は 海金剛)

 橋杭岩の南に浮かぶ大島の南岸には入り組んだ断崖絶壁が続いている。その中でも海金剛と呼ばれるピラミッド型の巨岩や鋭く切り立った奇岩群の岩礁に荒波が砕け散る様子には、身がすくむほどの凄みと迫力、近寄りがたい神秘さを感じる。海金剛の名は朝鮮半島の名勝・金剛山からとった。
 串本町と合併して今は串本町の東端となった旧古座町の荒船海岸には、約3kmにわたって奇岩怪岩が続いている。この変化に富んだ海岸にキャンプ場、テニスコートなどのアウトドアスポーツ施設があるほか、岩のトンネル、ヤブツバキの花を楽しみながらのハイキングコースも整備されている。

荒船海岸

(写真は 荒船海岸)


 
魚はともだち・串本海中公園  放送 8月8日(水)
 串本の海は、すぐ沖合いを黒潮が流れているため1年中暖かく保たれている。こうした恵まれた環境の海中では、温帯と熱帯の生物が入り交じり、豊富なサンゴ類の間を色鮮やかな熱帯魚たちが泳ぎ回る本州沿岸とは思えない光景が展開されている。
 潮岬の付け根の西側一帯の海域が、昭和45年(1970)にわが国初の海中公園に指定された。この一帯は世界的に重要な水辺の生態系の保全を目的としたラムサール条約に登録さている地域で、テーブルサンゴをはじめ多くのサンゴが群生している世界最北のサンゴの海である。

テーブルサンゴ

(写真は テーブルサンゴ)

串本海中公園 水族館

 こんな楽しい海の中が間近に手に取るように見られるのが串本海中公園。長さ24m、幅2.5m、約1250トンの海水が入った水族館の大水槽は、足元もまで透明なアクリル製チューブ式水中トンネルで、大きなサメやエイ、マグロ、ウミガメたちがゆうゆうと頭上を泳いで通過する。
 沖合い140mの海中展望塔へ渡ると、水深6.3m、透明度9〜20mの海底の様子が観察できる。紺碧の海中を泳ぐ熱帯、亜熱帯のさまざまな魚たちやテーブルサンゴなどが、ガラス窓越しに見られる。半潜水型観光船「ステラマリス」に乗船すると、水中窓から同じように海中の魚やサンゴを眺める海底散歩も楽しめる。

(写真は 串本海中公園 水族館)

 マリンアートギャラリー&ウミガメ広場もある。水中写真や海の生き物たちをモチーフにしたさまざまな写真が展示されており、さながら海中生物図鑑のようだ。ウミガメ広場には水族館生まれのかわいい赤ちゃんウミガメから体重100kgを超す親ウミガメまで、たくさんのウミガメに出会え、餌をやることもできる。
 海中公園ではいろいろな体験ができる。きれいな串本の海に潜り、海中散歩をする初心者向けの体験ダイビングやスノーケリング体験、半日飼育係になって水族館の生き物に餌をやる飼育体験、潮の引いた磯での磯観察体験、海藻を紙に広げて作る海藻おしば体験、漁師体験など、普段の生活ではできない貴重な体験コーナがある。

海中観光船 ステラマリス

(写真は 海中観光船 ステラマリス)


 
古座神社・河内祭  放送 8月9日(木)
 市町村合併で串本町となった旧古座町の古座神社では、毎年7月24、25日に例大祭「河内祭」が行われる。御舟祭とも呼ばれる河内祭は、素朴な水神信仰から発したと思われるが、源平合戦の時、源氏方として参戦した古座水軍の戦勝を祝ったことが現在の祭につながっているとも伝えられている。
 古座は漁業を中心とした海岸沿いの集落、林業を中心とした山間部の集落が、それぞれの生活圏を形成している。性格の異なる二つの地域が年に一度の河内祭の時に、独自のやり方で祭に参加すると言う他にあまり例を見ない形式の祭礼でもある。

御舟祭礼

(写真は 御舟祭礼)

櫂伝馬競漕

 河内祭は紀伊続風土記に「日置浦より新宮までの間にこの祭に次ぐ祭なし」と記されているほどの伝統的な祭で、その御舟行事と古座獅子舞は、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 この祭のハイライトは何と言っても古式捕鯨の3隻の鯨舟を、華麗な幔幕で飾り立てた「御舟」による水上渡御の御舟祭礼。宵宮の24日、古座神社に合祀されている河内神社の祭神・河内大明神の神額を御舟に遷座し、河口から約3km上流の「河内様(こおったま)」と呼ばれる御神体の小島へ遷すもので、哀愁漂う御舟謡にのせて御舟が遡る。河内様は自然崇拝の原始的形態を取るもので、拝殿や社殿はなく島の中央に聖なる石がある。

(写真は 櫂伝馬競漕)

 河内様の小島周辺では宵宮から櫂伝馬競漕や熊野地方の獅子舞のルーツと言われる古座獅子のほか3地区の獅子による獅子舞が奉納される。日没から3隻の御舟が1隻ずつ小島を3周する夜籠もり神事がある。25日の本祭の日は河内様の小島を中心に盛りだくさんな神事やイベント催され、夜の花火大会で祭が終わる。
 河内祭で生き神様の役を担うのが「上臈(しゅうろう)」と呼ばれる小学生の女子1人、男子2人の児童。祭前日に古座神社に宮入りし、本祭の日に神官とともに御座船に乗り河内様へ向かう。生き神の上臈は人間の通る橋の下をくぐってはならない。橋の手前で陸にあがるが地面に足をつけられないので、背負われて橋を迂回するなど厳しい慣習が守られている。

古座獅子舞

(写真は 古座獅子舞)


 
無量寺・応挙芦雪館  放送 8月10日(金)
 臨済宗の古刹・無量寺は俗に「絵の寺」とも「芦雪(ろせつ)寺」とも呼ばれる。芦雪とは江戸時代中期の水墨画家・円山応挙の弟子・長沢芦雪のこと。
 無量寺は現在地から西へ山をひとつ越えた袋港近くにあった。江戸時代中期の宝永4年(1707)の大津波で寺は流失、長らく仮寺であった。約80年後の天明6年(1786)本山の京都・東福寺から派遣された愚海和尚が現在地に再建したもので、現在の庫裡は再建当時のもので、棟札に愚海和尚が「苦難40年、ここに天与を得てこの堂を建つ」と記しており、再建の難事業がしのばれる。

方丈障壁画(円山応拳)

(写真は 方丈障壁画(円山応拳))

虎図(長沢芦雪)

 愚海和尚は苦労の末に再建した本堂完成を祝い、京都在住時代に親交のあった円山応挙に障壁画の制作を依頼した。応挙は友人の愚海和尚が苦心して再建した寺の完成を祝って筆を振るい、襖絵の「波上群仙図」など12面を描いた。老齢のため紀南への旅が困難で自ら持参できず、弟子の芦雪に託した。
 画家として力をつけはじめていた壮年期の芦雪は、無量寺へ来て自らも多くの作品を描いた。無量寺での作品の代表作のひとつ「龍虎図」は、獲物を狙う虎と前足の爪と頭部のみの龍を、それぞれ襖3面いっぱいに豪快な筆使いで描いている。この「龍虎図」は豪快な半面、表情に素朴さやユーモアが満ちあふれており、見る人の心を和ませてくれる。

(写真は 虎図(長沢芦雪))

 芦雪は無量寺のほか近くの寺や旧家でも襖絵などを描いており、わずか1年未満の間に270点を超す作品を残し、その画風や画才が南紀で一気に開花したとも言える。
 無量寺境内の応挙芦雪館は「寺に伝わる宝物を大切にする」と言う発想から、地元の人たちの全面的な協力を得て、昭和36年(1961)に開館した日本で一番小さな美術館。円山応挙・長沢芦雪師弟の作品を中心に、近世絵画、墨蹟や近代絵画、書などを所蔵、展示している。またこの地方の遺跡から出土した縄文、弥生時代の出土品なども展示するなど、地域文化発信源のミュージアムでもある。

龍図(長沢芦雪)

(写真は 龍図(長沢芦雪))


◇あ    し◇
潮岬灯台JR紀勢線串本駅からバスで潮岬灯台前下車徒歩2分。 
橋杭岩JR紀勢線串本駅からバスで橋杭岩下車すぐ。 
海金剛JR紀勢線串本駅からバスで樫野下車徒歩10分。 
荒船海岸JR紀勢線紀伊田原駅下車徒歩30分。 
串本海中公園JR紀勢線串本駅からバスで海中公園センター下車すぐ。 
古座神社JR紀勢線古座駅からバスで古座川病院前下車徒歩5分。 
JR紀勢線古座駅下車徒歩20分。
無量寺・応挙芦雪館JR紀勢線串本駅下車徒歩10分。 
◇問い合わせ先◇
串本町役場・観光課0735−62−0555 
串本町観光協会0735−62−3171 
古座観光協会0735−72−0645 
潮岬灯台0735−62−0514 
串本海中公園センター0735−62−1122 
無量寺・応挙芦雪館0735−62−6670 

◆歴史街道とは

    関西は「歴史・文化の宝庫」として世界に誇れる地域です。歴史街道では、日本の歴史文化の魅力を楽しく体験し、実感できる旅のルートとエリアを設定しました。伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸といった主要歴史都市を時代の流れに沿ってたどる「メインルート」と各地域の特徴をテーマとして活かした3つの「ネットワーク」です。

 

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

    の3つの目標を掲げ、その実現を目指しています。

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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