月〜金曜日 18時54分〜19時00分


鳥羽市、志摩市 

 志摩半島の東部に位置する鳥羽市と志摩市は、海岸美と新鮮な海の幸で知られるリゾート地が多い。また半島の周辺の離島も俗化されない海辺として人気が高まり、訪れる人が増えている。今回はこうした志摩半島のリゾート地を訪れてみた。


 
潮騒が聞こえる 神島
(鳥羽市) 
放送 8月20日(月)
 鳥羽湾に浮かぶ島のうち、本土から最も遠い神島は周囲4km足らずの小島だが、三島由紀夫が昭和29年(1954)に発表した小説「潮騒」の舞台となった島として有名になり、訪れる人が多い。
 漁師の青年・新治と海女の初江との淡い恋を描いた作品がベストセラーとなり、吉永小百合や山口百恵らが初江役を演じて5回も映画化された。作品の中では歌島となっているが、灯台、八代神社、監的哨跡のほか、神島の描写が随所にあり、今も神島はその作品の描写のままに訪れる人を迎えてくれる。

神島灯台

(写真は 神島灯台)

藍的哨

 映画のクライマックスシーンで新治と初江が、炎を飛び越えて抱擁する舞台となった廃虚の監的哨(かんてきしょう)跡が今も残っている。
 監的哨は旧陸軍が伊良湖から撃つ大砲の試射弾の着弾点を確認するための施設だった。今はむき出しの灰色のコンクリートの3階建ての建物がそのままの形で残っている。旧陸軍が海への着弾点を見るために選んだだけあってその眺望のよさは抜群で、対岸の渥美半島、伊良湖岬、伊勢湾まで見渡せる。眺めのよさでは神島灯台も勝るとも劣らないポイントで、伊良湖崎を望む海はまるで絵はがきのように見える。

(写真は 藍的哨)

 島の東側の監的哨の近くに石灰岩が風化してできたカルスト地形が見られる。島の西側には島内で唯一の砂浜があり夏は海水浴も楽しめる。神島は渡りの通過ポイントになっており、10月ごろにはタカの一種のサシバやチョウのアサギマダラが南へ渡る姿が見られ、野鳥や昆虫の愛好者らの間では有名である。
 神島の町並は港から背後の山へかけて階段状に人家が密集している漁村特有に形態をなし、人びとがお互いに助けあいながら生活している心の温かさが感じられる。

寺田家

(写真は 寺田家)


 
鳥羽湾の美味 答志島
(鳥羽市) 
放送 8月21日(火)
 鳥羽港から鳥羽市営定期船で答志島桃取漁港まで15分、答志漁港までなら35分で着く。鳥羽湾内の島では最大の答志島は和具、答志、桃取の3町それぞれに漁業協同組合があって、漁港ではタイ、スズキ、ハマチ、タコ、アワビ、サザエなど、数えきれないほどの種類の魚介類が水揚げされ船から生け簀に移される。豊富な魚種と漁獲量は志摩一を誇っており、市場では一般の観光客の注文にも応じてくれるところがあるのがうれしい。
 島にはこの新鮮な海の幸を供する食堂、旅館、土産物店も多く、狭い路地での魚介類の運搬には「じんじろ車」と呼ばれる手押し車が活躍する。

答志漁港

(写真は 答志漁港)

海女小屋

 島の必需品「じんじろ車」は、島の鍛冶屋の甚次郎さんが考案した手押し車で、甚次郎さんの名をそのまま取ってこの名になったのだとか。
 島の海の幸をもれなく賞味できるのが「路地裏つまみ食い体験ツアー」。じんじろ車が活躍する大人ふたりがやっと通れる狭い路地裏を歩きながら、サザエの壺焼き、焼きウニ、シラス、ガオ(ヤドカリ)、トコロテンなど盛りだくさんな魚介類がつまみ食いできる。ガオは答志島の隠れた逸品とか言われ、ほかではなかなか口にすることができない美味。

(写真は 海女小屋)

 最近、観光客に喜ばれているのが海女小屋体験。海女さんが漁に出る前後に身支度や休憩、食事などをする小屋を観光客用に再現して、小屋の中で囲炉裏を囲んで炭火で焼いたアツアツのサザエ、タイ、ほら貝、クルマエビなどの海の幸のが味わいえると言う趣向。これにおにぎりとみそ汁がつく。
 この「路地裏つまみ食い体験ツアー」と「海女小屋体験ツアー」は、答志島の「島の旅社」が企画しており、いずれも予約制。両ツアーセットで料金は3500円。海女小屋体験ツアーのみは3000円以上。ツアー催行日が決まっているので予約時に確認が必要。

磯焼き

(写真は 磯焼き)


 
安乗埼灯台(志摩市)  放送 8月23日(木)
 志摩半島のほぼ中央にある天然の良港の的矢湾の入り口にある安乗崎(あのりざき)の周辺は、暗礁が多く昔から海の難所として知られていた。江戸時代に薩摩藩の船が乗り上げて沈没して「薩摩倒し」と名づけられた暗礁や、日本で初めて建造された駆逐艦「春雨」が難破して多数の死傷者を出した所もある。
 江戸時代初めの延宝9年(1681)徳川幕府はこの岬の突端に沖行く船の道しるべとして、高さ3mの燈明堂を建てたのが安乗埼灯台の始まりとされる。初めは油紙でかこった灯籠で菜種油を燃やし、風雨の強い時には薪を燃やしていたと言われている。

安乗埼灯台

(写真は 安乗埼灯台)

旧灯台のミニチュア

 明治6年(1873)イギリス人のリチャード・ヘンリー・ブラントンによって回転式フレネルレンズを使った洋式灯台が建てられた。八角形のこの木造灯台は全国で20番目の灯台で、光源は石油ランプを使用した。その後、灯台のある岬が海食などで地盤が崩れ2度にわたって後退させられ、明治23年(1890)に現在の鉄筋コンクリート造りの高さ13m、四角柱形に建て替えられた。
 現在は無人自動化で運用されており、光の強さは38万カンデラ、31km沖合いまで光が届く。初代の木造灯台は復元され東京・品川の「船の科学館」に展示されており、3分の1の模型木造灯台が安乗埼灯台資料展示館に展示されている。

(写真は 旧灯台のミニチュア)

 無人自動化される前の安乗埼灯台の灯台守夫婦を主人公にした映画「喜びも悲しみも幾歳月」が昭和32年(1957)に制作され、その舞台となって全国にその名が知られた。
 わが国では「のろし」が灯台の始まりで、洋式灯台は幕末の慶応2年(1866)にアメリカ、イギリス、フランス、オランダの4カ国と結んだ「改税約書=別名・江戸協約」によって、全国8ヵ所に灯台の設置が義務づけられた。初めはフランス人のフランソワ・レオンス・ヴェルニーの指導で4ヵ所で建設され、その後はブラントンの指導で建設され、関西では潮岬燈台がブラントンによって建設された。

灯台内部

(写真は 灯台内部)


 
安乗文楽人形芝居(志摩市)  放送 8月24日(金)
 安乗崎の漁師町・安乗(あのり)で400年以上にわたって伝承され、国の重要無形文化財にも指定されている芸能が安乗文楽人形芝居。毎年安乗神社の秋の祭礼の9月15、16日に境内で上演され、お馴染みの演目ながら素朴で情感豊かな文楽人形芝居に観光客を含め大勢の人たちに感動をあたえている。
 安乗文楽人形芝居は文禄の役(1592)の時、国主・九鬼嘉隆が安乗八幡宮に祈願して無事出港でき、戦功を挙げてお礼参りに参拝した時、人形芝居の上演を許したのが始まり。当初は儀礼的な三番叟で海上安全を祈るようなものであったようだ。

安乗神社

(写真は 安乗神社)

「艶容女舞衣」〜酒屋の段〜(安乗文楽人形芝居保存会)

 安乗は古くから大坂と江戸を往復する船の風待港として栄え、大坂の新しい文化が直接伝えられてきた。安乗文楽人形芝居もそのひとつで、地元の人形芝居が大坂の文楽を影響を受けこの地で盛んに演じられるようになり、幕末から明治時代中ごろにかけて最も盛んになった。しかし農業や漁業の不況と太平洋戦争などで大正15年(1926)から昭和24年(1949)まで中断していたが、昭和25年(1950)に復活した。
 安乗文楽人形芝居の継承には、安乗文楽人形芝居保存会の人たちや安乗中学校文楽クラブの生徒たちが力を入れており、今年も9月の上演に向け暑さに負けず稽古に励んでいる。

(写真は 「艶容女舞衣」〜酒屋の段〜
(安乗文楽人形芝居保存会))

 安乗文楽人形芝居の特徴のひとつが人形を3人で操る「3人遣い」で、この3人遣いは文楽だけに見られる特徴である。安乗には文楽人形芝居に用いられるデコ(木偶)の頭(かしら)は約70点、衣姿は約300点のほか、大道具、小道具などがしっかりと保存されている。衣姿は地元の海女さんたちが仕事の合間にせっせと作り、大道具、小道具も漁師たちの手作りである。
 保存会の人たちの高齢化が進んでいるが、安乗中学校文楽クラブの生徒たちの上達ぶりは素晴らしく、安乗小学校人形クラブも発足して稽古に励み、安乗文楽人形芝居の先行きを心配していた大人たちを安心させている。

「傾城阿波の鳴門」〜巡礼歌の段〜(志摩市立 安乗中学校 文楽クラブ)

(写真は 「傾城阿波の鳴門」〜巡礼歌の段〜(志摩市立 安乗中学校 文楽クラブ))


◇あ    し◇
神島鳥羽港(佐田浜桟橋)鳥羽市営定期船で48分。
(佐田浜桟橋へはJR参宮線、近鉄鳥羽線鳥羽駅から徒歩10分)。
答志島鳥羽港(佐田浜桟橋)から鳥羽市営定期船で桃取まで15分、答志まで35分。
(佐田浜桟橋へはJR参宮線、近鉄鳥羽線鳥羽駅から徒歩10分)。
安乗埼灯台近鉄志摩線鵜方駅からバスで安乗中学校前下車
徒歩20分。 
安乗神社近鉄志摩線鵜方駅からバスで安乗下車。 
◇問い合わせ先◇
鳥羽市農水商工観光課0599−25−1157 
鳥羽市観光協会0599−25−3019 
島の旅社(路地裏つまみ食い体験、海女小屋体験)0599−37−3339
志摩市観光協会0599−46−0570 

◆歴史街道とは

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