月〜金曜日 18時54分〜19時00分


御所市 

 記紀神話時代の伝承が残る御所市には古代からの遺跡や古社寺が多い。大和と河内を隔てる葛城山系の山並は、桜井市の大神神社の御神体・三輪山とともに神の山として崇められてきた。その山麓の葛城古道は山辺の道より歴史が古いとされる。御所市東部の巨勢の道沿いには飛鳥時代の古寺跡がある。今回は神話時代からのロマンを秘めた御所市を探訪した。


 
葛城古道・九品寺  放送 10月1日(月)
 近鉄御所駅から葛城山ロープウエイ登山口駅行きのバスに乗り猿目橋で下車すると、巨大な自然石に6体の地蔵尊が刻まれた六地蔵がある。ここが葛城古道の北の起点で、南の五條市との境の風の森まで約13kmの葛城古道沿いには神話時代のロマンを秘めた古社寺や史跡が点在している。
 山麓に広がる水田には秋の実りを迎えた稲穂が色づき始め刈り取りを待っている。こうしたのどかな田園地帯の細い葛城古道からの眺めは素晴らしい。西には葛城山、金剛山の山並が迫り、東には御所市の市街地、その向こうには大和盆地が広がり畝傍山、天香久山、耳成山の大和三山が視界にすっぽりはいる。

九品寺

(写真は 九品寺)

行基像

 葛城古道の出発地点にある六地蔵は室町時代に作られたもので、地元の人たちの篤い信仰を集め、花や供え物が絶えたことがない。六地蔵は仏教の六道輪廻の教えに基づき、衆生が善悪の業によって赴いて住む、六つの冥界から救うとされる六種の地蔵のことで、全国各地に見られる。
 六地蔵から約1kmほど葛城古道を南へ歩くと九品寺(くほんじ)に着く。聖武天皇の勅願で行基が開き、弘法大師・空海が再興した。この地の豪族・楢原氏の菩提寺で、室町時代の兵火を免れて今に伝わっている。本尊・阿弥陀如来座像(国・重文)は平安時代後期の作。

(写真は 行基像)

 九品寺境内から裏山にかけて千体仏と呼ばれている多くの石仏が並んでいることで有名。南北朝時代の争乱の時、この土地の豪族・楢原氏が南朝方の楠木正成に味方して戦った時、戦死した兵士の身代わりとして奉納されたと言われている。
 約200年ほど前の江戸時代中期に竹薮を開墾した時、土中から出土した多くの石仏を並べて安置した。現在もときどき新たな石仏が出土しており、その数は1700体にもおよび、長年の風雪によって目鼻もはっきりしないが、その表情にはどこか温かみを感じる。

千体地蔵

(写真は 千体地蔵)


 
葛城古道・名柄の里  放送 10月2日(火)
 九品寺(くほんじ)から南へ足を運んだところの名柄の集落は、南北に走る旧名柄街道と東西に走る水越街道が交差する所で、古くから人や物資が往来する所として開けていた。近くにはこの地区の歴史の古さを示す銅鐸や銅鏡が出土した名柄遺跡がある。古くは長江と言われていたものがいつしか転じて長柄になり、さらに名柄となった。
 旧名柄街道沿いには大和棟の切り立った屋根、白壁、格子、虫籠窓(むしこまど)など、江戸時代の雰囲気を色濃く残す古い民家が軒を連ねている。

名柄

(写真は 名柄)

中村家住宅

 これらの民家には酒造、醤油醸造などで発展した町家があり、今もこれらの家業を引き継いでいる所の軒先には、酒造業のシンボルともいえる杉玉がぶら下げられている。
 こうした建物群の中で室町時代末期から代官を務めた家柄の中村家住宅は、御所市内最古の建物で慶長年間(1596〜1615)に代官屋敷として建築されたと推定されている。江戸時代初期の農家に近い町家として貴重な遺構とされ国の重要文化財に指定されている。

(写真は 中村家住宅)

 中村家住宅の北の名柄街道沿いに醸造蔵が並ぶ片上醤油では、精選された大豆、小麦の原料を昔から伝わる吉野杉の大きな桶に仕込んでいる。杉桶に住み着いている酵母菌や乳酸菌によって発酵させ、1年半もの間じっくりと熟成させる伝統的な本醸造による醤油を生み出している。
  近代的な醤油造りは同一の品質の醤油が生産されるが、よりおいしい醤油は手間ひまをかけなければ生まれないと言うのが片上醤油の醸造信条で、今も昔ながらの製法をかたくなに守り続けている。ここから生まれる醤油はコクがあり、刺し身、冷や奴などに使うつけ醤油、かけ醤油には最適だと言う。

片上醤油

(写真は 片上醤油)


 
葛城古道・高天原伝説  放送 10月3日(水)
 葛城の道を南へ足を伸ばし、北窪の集落から西の金剛山の山頂に向かう急な坂道を登って行くと、高天(たかま)の里の広々とした台地に出る。ここは天孫降臨の神話の舞台と伝えられ、太古から日本の神々が住んだ高天原(たかまがはら)の実在地で、天照大神の孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は、日本の国土を統治するためここから日向の高千穂峰に降臨したとされている。
 高天の里から杉の大木がうっそうと茂る参道を登ると小さな社殿を構えた高天彦(たかまひこ)神社が鎮座し、天孫降臨の舞台にふさわしい神さびた雰囲気を漂わせている。

高天

(写真は 高天)

高天彦神社

 高天彦神社の祭神はこの地域で葛城王朝を築いた葛城一族の祖神・高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)で別名・高天彦とも言った。創建時期は明らかでないが奈良時代の宝亀10年(779)の記録に神社の名がある。
 参道の杉並木の端にある梅を鶯宿梅(おうしゅくばい)と言う。この梅は高天彦神社の神宮寺・高天寺の小僧が、梅の古木を大切に育てていたが急死した。翌年の春、ウグイスがこの梅の木に来て「初春の あしたごとには来れども あはでぞかへる もとのすみか(初春の毎朝来るけど、あの若い僧にはあわずに帰る。自分の住み家に)」と鳴いたと伝えれている。現在の梅は二代目である。

(写真は 高天彦神社)

 葛城の道をさらに南へたどると古代の豪族・鴨氏の氏神で京都市の上賀茂、下鴨両神社をはじめ全国の賀茂社の発祥である高鴨(たかかも)神社にいたる。御所市内には「かも」と名のつく地名や神社が多いが、高鴨神社はこの地の鴨神を本拠としていた古代の豪族・鴨一族が、守護神として祀った日本最古の神社で、両脇に杉の大木がうっそうと茂る参道を進むと室町時代の代表的な神社建築の本殿(国・重文)がある。
 境内には宮司さんが大切に育てている日本サクラソウが2000鉢以上あり、毎年4月下旬から5月初旬にかけて咲き競い、参拝者の目を楽しませてくれる。

高鴨神社

(写真は 高鴨神社)


 
巨勢の道・幻の廃寺跡  放送 10月4日(木)
 御所市の東部には古代豪族・巨勢氏の本拠地である巨勢山一帯を通る古道・巨勢の道がある。明日香村から高取町、御所市の戸毛(とうげ)、古瀬(こせ)地区を南下して、重阪(へいさか)峠を越え、五條、紀伊へと入り、高野山や熊野三山へ通じる。また吉野口と言うJR、近鉄の統合駅があるように、南東に道をとれば吉野山へと通じているのが巨勢の道である。
 この道は古くは天皇や貴族、あるいは僧侶や兵士らが往来し、悲喜こもごもな歴史を秘めた道でもある。戸毛の街道沿いには往時のにぎわいがしのばれる民家が建ち並んでいる。

巨勢寺跡

(写真は 巨勢寺跡)

玉椿山巨勢寺古図(江戸初期・正福寺 蔵)

 懐かしい風情を見せる戸毛の町並の南、JR和歌山線と近鉄吉野線の線路に挟まれたような小高い丘に巨勢寺跡がある。巨勢寺は飛鳥時代創建の巨勢氏の氏寺で、法隆寺式伽藍配置の大寺であったと言うが、今は土壇跡に塔の心礎だけが残っている。
 この心礎は花崗岩の自然石で、概観は奈良・薬師寺西塔の心礎によく似ている。しかしつぶさに見ると円柱孔と舎利納孔の周囲に三重の円の溝があり、さらにこの溝を貫いて外へ放射状の細い溝が彫られているなど、他にあまり例を見ない心礎である。

(写真は 玉椿山巨勢寺古図
(江戸初期・正福寺 蔵))

 巨勢寺の支院であった正福寺が巨勢寺跡のすぐ近くにある。元は北ノ坊勝福寺と称していたが、後に正福寺と改めた。正福寺に残る「玉椿山巨勢寺古図」(江戸時代初期)によって、かつての伽藍の様子がしのばれる。古図によると大門、中門、食堂、五重塔、薬師堂、宝蔵、経堂、阿弥陀堂、大日堂など、寺院が持つべき堂塔のすべてが描かれている大寺院となっている。しかし巨勢寺跡の土地をみると、このような大寺院の伽藍を建立するスペースがないので、理想の巨勢寺を描いた想像図ではないとの見方もある。
 近くにはやはり巨勢寺の支院だった阿吽(あうん)寺があり、万葉集の歌にも詠まれたヤブツバキが有名である。

正福寺

(写真は 正福寺)


 
御所町今昔  放送 10月5日(金)
 御所は戦国時代から城下町として発展、関ヶ原の戦の後、桑山基晴が御所に領地を与えられ、大和御所藩の藩主として東御所町に陣屋を構え、城下町として現在の御所の町の基礎を作りあげた。現在も一部の道路や水路は当時のまま使われている。
 江戸時代には大坂や伊勢、紀伊、吉野へ通じる高野街道、伊勢街道、大和街道などの街道が縦横に通り、さまざまな物資の中継地となり商業都市として栄え、西国巡礼や伊勢参宮など旅人が行き交う宿場町としても大変にぎわった。

御所町検地絵図(寛保2年 中井陽一氏 蔵)

(写真は 御所町検地絵図
(寛保2年 中井陽一氏 蔵))

圓照寺

 江戸時代の大和には町と呼ばれる所は少なく、御所町のほかに奈良町、郡山町、今井町(橿原市)だけで、あとはほとんど村で、今に残る「御所町(ごせまち)」の呼び名は、御所の繁栄の証しと言える。
 JR和歌山線御所駅の東側、東西約750m、南北約300mの範囲が御所町で、今も往時のままに白壁や卯建(うだつ)、虫籠窓(むしこまど)、凝った細工をした瓦など備えた豪壮な町家が軒を連ねている。町内の道筋も江戸時代中期に描かれた「御所町検地絵図」そのままで、町の中央を流れる葛城川を境に寺内町の東御所と商家が多い西御所に分かれている。

(写真は 圓照寺)

 寺内町と言われる東御所の浄土真宗圓照寺は大和五御坊のひとつで、天文年間(1532〜55)に創建され、江戸時代に圓照寺を中心に町作りが進められ、寺内町として今もその姿を伝えている。境内には高さ3mの鬼瓦が展示されており、本堂の屋根にあがっている鬼瓦はこれより大きいと言う。
 江戸時代の商家が軒を連ねる西御所町で「御所町検地絵図」を所蔵している中井家は、国の有形登録文化財に指定されている町家。江戸時代中期の寛政4年(1792)の建築の商家で、屋号を「茶売屋」と言っていたが、茶のほかにもさまざな商品を扱い、江戸時代後期には庄屋も務めていた。

中井邸

(写真は 中井邸)


◇あ    し◇
九品寺近鉄御所線御所駅からバスで猿目橋下車徒歩20分。
近鉄御所線御所駅から御所市コミュニティバスで楢原下車
徒歩5分。 
中村家住宅近鉄御所線御所駅からバスで寺田橋下車徒歩15分。
近鉄御所線御所駅から御所市コミュニティバスで名柄下車すぐ。
片上醤油近鉄御所線御所駅からバスで宮戸橋下車徒歩15分。
近鉄御所線御所駅から御所市コミュニティバスで森脇下車
徒歩5分。 
高天彦神社近鉄御所線御所駅からバスで鳥井戸下車徒歩40分。
近鉄御所線御所駅から御所市コミュニティバスで高天口下車
徒歩5分。 
高鴨神社近鉄御所線御所駅からバスで風の森下車徒歩15分。
近鉄御所線御所駅から御所市コミュニティバスで鴨神下車
徒歩5分。 
巨勢寺跡、正福寺JR和歌山線、近鉄吉野線吉野口駅下車徒歩5分。 
圓照寺近鉄御所線御所駅下車徒歩20分。
JR和歌山線御所駅下車徒歩15分。 
中井家(見学不可)  JR和歌山線、近鉄御所線御所駅下車徒歩10分。 
◇問い合わせ先◇
御所市観光課0745−62−3001 
御所市観光協会0745−62−3346 
九品寺0745−62−3133 
中村家住宅0745−66−0361 
片上醤油0745−66−0033 
高鴨神社0745−66−0609 
正福寺0745−67−0216 
圓照寺0745−62−2833
ごせまちネットワーク・創0745−65−1201

◆歴史街道とは

    関西は「歴史・文化の宝庫」として世界に誇れる地域です。歴史街道では、日本の歴史文化の魅力を楽しく体験し、実感できる旅のルートとエリアを設定しました。伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸といった主要歴史都市を時代の流れに沿ってたどる「メインルート」と各地域の特徴をテーマとして活かした3つの「ネットワーク」です。

 

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

    の3つの目標を掲げ、その実現を目指しています。

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

    あなたも「関西の歴史や文化を楽しみながら探求する」歴史街道倶楽部に参加しませんか?
    歴史街道倶楽部では、関西各地の様々な情報のご提供や、ウォーキング、歴史講演会など楽しいイベントを企画しています。
   倶楽部入会の資料をご希望の方は、
 ハガキにあなたのご住所、お名前を明記の上、
          郵便番号 530−6691
          大阪市北区中之島センタービル内郵便局私書箱19号
                  「 A係 」
へお送り下さい。
   歴史街道倶楽部の概要を解説したパンフレットと申込み用紙をご送付いたします。
       FAXでも受け付けております。FAX番号:06−6448−8698   

歴史街道推進協議会