月〜金曜日 18時54分〜19時00分


奈良市・万葉の春日野 秋 

 古都・奈良の東、春日山の裾野に広がる春日野は、平城京に住む宮廷人や貴族たちが自然を愛でながら遊び、歌を詠んで恋を語り合った所だった。1300年後の今も、あちこちに万葉歌に歌われた風景が残っており、天平の風情を彷彿とさせる。


 
佐保風は  放送 12月10日(月)
 「我が背子が 着る衣(きぬ)薄し 佐保風は いたくな吹きそ 家に至るまで」(大伴坂上郎女)。
 平城京の北に広がる地域のうち、その東側の地を佐保、西側の地を佐紀と言った。佐保の地には貴族たちが多く住み、大伴旅人の邸宅もあった。大伴旅人の異母妹である大伴坂上郎女の家へ旅人の子、すなわち甥の家持が訪ねてきた。その帰り際にこの甥に叔母が「我が背子が着ている衣は薄い、だから風よきつく吹かないでおくれ、甥が家に帰り着くまでは」との歌を与えた。
 「我が背子」とは「私の夫」とか「私のいい人」と言った意味だが、この歌は甥にユーモラスな意味を含めて歌っている。一夜を共にした恋人を見送るような表現には、甥を気遣う叔母の愛情が読み取れる。

佐保川

(写真は 佐保川)

海龍王寺

 東大寺・転害門から佐保の地を真っすぐに西に延びる道を佐保路(一条通り)と言い、さらに佐紀の地を西へ伸びる道を佐紀路と呼んでいた。佐保路の沿道には古刹が点在し、北の平城山の麓には天皇陵が多い。そのひとつが聖武天皇の后・光明皇后が発願して建立された海龍王寺である。
 海龍王寺は光明皇后宮の東北隅にあったことから建立当時は「隅寺(すみでら)」とも呼ばれていた。遣唐使の一行に加わって中国・唐に渡り、18年間法相の教学を極めた僧・玄ム(げんぼう)が、天平6年(734)帰国の途中、船が暴風雨に見舞われ、海龍王経を唱え九死に一生を得て帰国、隅寺に入って海龍王寺と寺号を改め、十一面観世音菩薩像を本尊として祀った。

(写真は 海龍王寺)

 玄ムが中国から持ち帰った経本の写経を始めたのがわが国で初めての写経だったので、写経発祥の寺とされている。光明皇后も般若心経千巻を写経、弘法大師・空海も唐に渡る前に千日間海龍王寺に参籠して般若心経千巻を写経、航海の安全を祈願しており「隅寺心経」として伝わっている。
 奈良時代に建立された西金堂(国・重文)に安置されている高さ4mの朱色も鮮やかな五重小塔(国宝)は、薬師寺の東塔と様式が類似していることから、天平時代の建築技法を伝える貴重なものとされている。西金堂解体修理の時の発掘調査で、飛鳥時代末期の古式瓦が出土したことから、飛鳥時代からあった寺に光明皇后が新たに隅寺を建立したと見られる。

「隅寺心経」伝 弘法大師 筆

(写真は 「隅寺心経」伝 弘法大師 筆)


 
尾花が末を  放送 12月11日(火)
 「人皆は 萩を秋と言ふ よし我は 尾花(おばな)が末(うれ)を 秋とは言はう」(作者不詳)。「みんなが萩が秋を代表する花だと言う。ならば私は尾花だ。秋の花はと言おう」との意。
 花の形が獣の尾に似ていることからススキの花穂またはススキのことを尾花と言った。秋の花と言えば多くの人が萩を連想し萩を好む。万葉集にも萩を詠んだ歌が多く、万葉人たちの中には庭に萩を植えて楽しんだりしていた。もちろん秋風に揺れるススキも人気があったが、やはり萩にはかなわなかったようだ。

若草山

(写真は 若草山)

浮見堂

 いつの世にも少々へそ曲がりな人物はいるものだ。この歌も周囲の人たちに同調せず「私は尾花の方が秋の花としては好きです」と、少数意見を堂々と主張し「多数意見には負けないぞ」と言う意気込みが伝わってくるところが面白い。
 晩秋の若草山には銀色のススキの穂が風に揺れ、周囲の紅葉と相まって古都の秋の風情を現出している。秋色の若草山も年明けの1月13日の山焼きで黒く変色するが、春には萌えるような若草が芽吹き春の装いになる。奈良公園の木々も秋色を濃くするにつれ、公園内に群れ遊ぶシカたちの斑点も次第に薄れ、灰色の冬毛に変化してゆく。

(写真は 浮見堂)

 奈良公園は東大寺、興福寺、春日大社の境内や奈良国立博物館などを含めると660haにおよぶわが国でも最大級の都市公園。その一角、春日大社の一の鳥居の南の鷺池に高円山をバックに浮かぶ浮見堂は、水面に映る六角形の美しい姿が観光客の人気スポットとなっている。
 春日大社の一の鳥居のすぐ右手、浅茅ヶ原の片岡梅林内に建つ宝形造りの円窓(まるまど)亭(国・重文)は、茅葺きの屋根に大きな丸い窓がある高床式の木造建築。元は春日大社の経庫だったものを、明治時代初めに板壁に円形の窓をくりぬき、遊園地施設として開放したもので、大変珍しいデザインの建物として、こちらも人気が高い。

円窓亭

(写真は 円窓亭)


 
春日の山は  放送 12月12日(水)
 「物思ふと 隠(こも)らひ居りて 今日見れば 春日の山は 色付きにけり」(作者不詳)。「もの思いをして引きこもっていて、今日ふと外に出て見ると、春日の山は色付いていた」との意で、恋する人の時間は止まっていると言うことである。
 この歌の山は春日野の東の御蓋(みかさ)山のことで春日山とも呼んでいる。その頂は春日大社の祭神・武甕槌命(たけみかづちのみこと)が、白鹿に乗って天降ったところとされ摂社の本宮神社がある。

飛火野

(写真は 飛火野)

歌仙堂

 春日野の東には御蓋山を含めて3峰の山があり、若草山、そして最高峰の花山(498m)が連なる。これらの山を総称して春日山とも呼び、その山麓にはユネスコの世界遺産に登録されている春日原始林が広がっている。
 春日大社神苑には万葉集に歌われた万葉植物約300種が植えられ、それぞれに歌も添えられており、万葉歌人の季節感、自然観がうかがえる。この万葉植物園は昭和7年(1932)歌人・佐々木信綱らの尽力で開園されたもので、今は万葉ゆかりの草木をシカやイノシシの害から守りながら、訪れる人を楽しませている。

(写真は 歌仙堂)

 神苑の中央には約2ha(約600坪)の池があり、池の中央に浮かぶ神域の中ノ島にはイチイガシの老巨樹の幹が地に臥すようにして茂っており、すぐそばに本殿遥拝石がそびている。神苑北東隅には歌聖と崇められた柿本人麻呂を祀った歌仙堂がある。
 春日大社一の鳥居を抜け、石燈籠が続く参道を進み春日大社神苑入り口脇の春日荷(にない)茶屋の名物が万葉粥(かゆ)。この粥には万葉集に因んだ四季折々の野草の緑があしらわれ、夏は抹茶を入れた冷やし粥で、心地よい涼しさを味わいながら、春日大社参拝の疲れを癒す人が多い。

万葉粥(春日荷茶屋)

(写真は 万葉粥(春日荷茶屋))


 
三笠の山の秋黄葉  放送 12月13日(木)
「大君の 三笠の山の 秋黄葉(あきもみじ) 今日のしぐれに 散りか過ぎなむ」(大伴家持)。「三笠山の紅葉は今日降る時雨で散ってしまうのだろうか。紅葉のためには雨は降ってほしい、だが降り過ぎると散ってしまう」と、御蓋(みかさ)山の紅葉に対する思いを歌に込めている。
 御蓋(三笠)山は春日大社の祭神・武甕槌命(たけみかづちのみこと)が、白鹿に乗って天降った神の山であったが、万葉人にとって月の出を待つ山だった。この情景を詠んだ阿倍仲麻呂のあまりにも有名な望郷の歌に「あまの原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」(古今集)がある。

御蓋山

(写真は 御蓋山)

首切地蔵

 遣唐使として19歳で中国へ渡った阿倍仲麻呂は、中国の高級官吏として玄宗皇帝に重用され、なかなか帰国できなかった。ようやく帰国が許されたが、船が途中で暴風に遭ってベトナムに漂着、長安へ戻り帰国の夢は消えて中国で生涯を終えた。御蓋山に昇る月を死ぬまでにもう一度見たいとの望郷の思いが込められている。
 万葉人はまた御蓋山からの昇る月の光で、夜桜を愛でた歌もある。現代人はライトアップされる桜や紅葉を楽しんでいるが、月光に浮かぶ桜や紅葉を楽しむ万葉人たちの優雅で余裕のある感性がうかがえ、すでに奈良時代には夜桜を楽しむ習慣があったようだ。

(写真は 首切地蔵)

 御蓋山や花山などの春日山の麓に広がる春日原始林はユネスコの世界遺産に登録されている自然の宝庫で、今は燃えるような紅葉が静寂な自然の中で堪能できる。
 春日大社の南から春日山原始林の中を通って柳生の里へ通じる柳生街道は、四季を通じてうっそうとした自然が楽しめるコースでハイカーに人気が高い。柳生十兵衛や宮本武蔵らの剣豪も歩いた道でもある。原始林の中には荒木又右衛門に試し切りされて首が切られたようになっている首切り地蔵、石材を取った跡に20体の石仏が彫られた春日山石窟仏、6体の仏像が線刻された地獄谷聖人窟、朝日観音、夕日観音などの石仏群、落ちる水滴の氷を叩くような音が、ウグイスの鳴き声に聞こえる鴬滝や175種の樹木、598種の草花や昆虫類などが楽しめる。

鶯ノ滝

(写真は 鶯ノ滝)


 
衣かすがの吉城川  放送 12月14日(金)
 「我妹子(わぎもこ)に 衣かすがの 宜寸(よしき)川 よしもあらぬか 妹(いも)が目を見む」(作者不詳)。「好きな人に衣を貸すと言う春日ではないが、その春日の宜寸川、その宜寸川ではないけれど、縁(よし)はないのかなあ、恋人に逢う…」との意で、恋人に逢う何かよい方法はないのかなあと思案している歌。「縁(よし)」とは方法のこと、「目を見む」はチラッと見るのではなく、逢瀬の時間を持つことを意味する。
 吉城川は春日山(御蓋山)と若草山の間に源を発して西へ流れ、東大寺南大門の南を通って佐保川へ注ぎ込んでおり、この吉城川に寄せて恋心を歌った。

吉城川

(写真は 吉城川)

池の庭(吉城園)

 東大寺の西、吉城川沿いの吉城園は四季の中でもとりわけ秋の紅葉が美しい。園内には池の庭、苔の庭、茶花の庭が広がり奈良県内でも有数の観賞庭園。総面積約8970平方mのうち日本庭園が約4000平方m、野草園(茶花園)が約2200平方mを占めている。
 池の庭は地形の起伏、曲線を巧みに取り入れ、建物と一体化するように作庭されている。苔の庭は飛火野と同じ地下水系が園内を流れていることから苔の生育に適し、全面が杉苔に覆われ、茅葺きの「離れ茶屋」と調和した閑静なたたずまいで、紅葉の季節には杉苔とのコントラストが素晴らしい。茶花の庭は茶席に添える草花が植えられている。

(写真は 池の庭(吉城園))

 離れ茶屋は茅葺きの田舎風のたたずまいで、広間を開け放てば広々とした座敷の茶室となり、小規模な茶会から大茶会まで催すことができ、釣燈籠のある縁側からは春日山、若草山を借景にした苔の庭が眺められる。この茶室は有料で一般に貸し出されている。
 吉城園は興福寺古絵図によると、興福寺の子院・摩尼殊院(まにしゅいん)だったが、明治維新の時の排仏毀釈の後で民間人の所有となり、戦後は進駐軍に接収され高級将校の宿舎となったこともあった。その後、民間企業の迎賓館として使われ、昭和58年(1983)に奈良県の所有となり、整備されて平成元年(1989)から一般公開されるようになった。

離れ茶屋(吉城園)

(写真は 離れ茶屋(吉城園))


◇あ    し◇
海龍王寺近鉄西大寺駅、奈良線奈良駅からバスで法華寺前下車すぐ。
近鉄奈良線新大宮駅から徒歩15分。 
浮見堂、円窓亭近鉄奈良線奈良駅下車徒歩20分。
JR関西線奈良駅下車徒歩25分。
近鉄奈良線奈良駅、JR関西線奈良駅から市内循環バスで
春日大社表参道下車徒歩5分。 
春日大社近鉄奈良線奈良駅、JR関西線奈良駅から市内循環バスで
春日大社表参道下車徒歩10分。
近鉄奈良線奈良駅下車徒歩30分。           
春日原始林近鉄奈良線奈良駅、JR関西線奈良駅から
春日大社境内を通って柳生街道へ。
近鉄奈良線奈良駅、JR関西線奈良駅から
市内循環バスで春日大社表参道下車徒歩で柳生街道へ。 
吉城園近鉄奈良線奈良駅、JR関西線奈良駅から
市内循環バスで県庁東下車徒歩10分。
近鉄奈良線奈良駅下車徒歩10分。
JR関西線奈良駅下車徒歩15分。 
◇問い合わせ先◇
奈良市観光センター0742−22−3900 
東大寺0742−22−5511 
海龍王寺0742−33−5765 
奈良公園管理事務所0742−22−0375 
春日大社0742−22−7788 
吉城園0742−22−5911 

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