月〜金曜日 18時54分〜19時00分


福井・越前町、南越前町 

 冬の越前海岸は冷たい季節風によって打ち寄せる荒波が、奇岩、奇石の岩礁に砕ける独特の風景を描き出す。この荒々しい海とは対照的に海岸沿いの斜面には可憐な水仙の花が咲き競っており、荒海を見た観光客の心をホッとさせる。また冬の味覚の王者・越前ガニのシーズンでもある。清楚な水仙の花を愛で、カニづくしの料理に舌鼓を打てるのが冬の越前海岸。今回はこうした願いをかなえてくれる越前町と南越前町の越前海岸を訪れた。


 
冬を彩る水仙の里(越前町)  放送 2月11日(月)
 日本海の荒波に洗われる奇岩、怪石が多い越前海岸の眺めは、冬場に訪れるとその凄みをいっそ感じさせられる。高さ100mの断崖の越前岬は、福井県を代表する東尋坊の海岸美とは異なる美しさを秘め、越前海岸を訪れる人たちを楽しませている。
 越前岬のすぐ北の呼鳥門(こちょうもん)は、越前海岸を代表する奇勝として知られている。長年にわたって風と波で侵食され、大岩に穴を開けて貫通させた自然のトンネル。以前はこの自然のトンネルを国道が通っていたが、現在は国道は別ルートを通り遊歩道が整備され、ゆっくりと自然の造形美が観賞できる。

越前岬

(写真は 越前岬)

水仙

 奇岩、怪石など荒々しい海岸美とは対照的な冬の越前海岸の景観が福井の県花でもある水仙。12月から3月ごろにかけて海岸に迫る斜面一面に白い清楚な花が咲き競っている。作家・水上勉が「黒い断崖に風が吹きすさび、その丘に、なぜ、あのような花が咲くのだろう」と「負籠の細道」に記しているように、荒々しい海岸と対照的な可憐な美しさが、旅人の心を引きつける。
 越前岬と呼鳥門の海岸美を堪能したら、その背後の丘に登り、越前岬水仙ランドや梨子ヶ平の水仙畑で咲き乱れる水仙の花と雄大な日本海の眺望が楽しめる。

(写真は 水仙)

 越前岬水仙ランドからは眼下に越前岬や越前岬灯台、日本海が展望できる。水仙ランド内の「水仙の館」は、水仙のことなら何でもわかる水仙博物館で、パネルをなどで水仙の種類などを詳しく説明している。ほかにランド内に越前町自然文学資料館があり、越前海岸の絶景や越前水仙を題材にした文学作品を展示している。
 呼鳥門の真上にある梨子ヶ平の水仙畑には、おびただしい水仙の花が一面に咲き誇っている。畑の中を巡る遊歩道を歩きながら、水仙の花と雄大な日本海が同時に楽しめる。梨子ヶ平では越前水仙棚田オーナー制度があり、日本棚田百選にも選ばれた棚田の水仙畑が持てる。

梨子ヶ平

(写真は 梨子ヶ平)


 
北前船主の館・右近家
(南越前町) 
放送 2月12日(火)
 江戸時代中期から明治30年代にかけて、北海道や東北の物資を日本海から瀬戸内海回りで天下の台所・大阪へ運んでいたのが北前船である。北前船の船主たちは単に物資の輸送のみならず、寄港先の各地で交易を行って莫大な利益を上げた。
 敦賀湾の入口にあたる合併前の旧河野村は、北前船の拠点として栄えた。この地の北前船の有力船主の右近家は、幕末には日本海5大船主のひとりで、全盛期には八幡丸など30余隻を所有したいた。現在、右近家の邸宅は北前船の資料館として公開されており、その繁栄ぶりがうかがえる。

北前船 八幡丸(1/20模型)

(写真は 北前船 八幡丸(1/20模型))

西洋館

 右近家の邸宅は背後に山が迫った狭い土地に建てられており、かつては敷地内を村道が通っていた。この道を挟んで山側に主屋、土蔵3棟、茶室などがあり、海側には海に向かって開く長屋門、土蔵4棟がある。海に向かって開く門は、海への敬虔な心を表す河野地区の北前船主独特の構えと言う。
 主屋は江戸時代の天保年間に建てられた建物を踏襲して、明治34年(1901)に建て替えられた切妻造瓦葺き2階建。内部のケヤキやヒノキなどの建築材は、すべて北前船で産地から直接運んできたもので、大阪から招いた大工による上方風の豪勢なたたずまいの中に繊細な造作が見られる。

(写真は 西洋館)

 主屋背後の山の中腹には昭和10年(1935)に建てられたスペイン風の鉄筋コンクリート造2階建の西洋館と庭園がある。内部は和洋折衷で1階は暖炉のあるホールや寝室が中心。2階はスイス・シャレー風の和洋折衷の和室で、2階への階段はバロック様式で、踊り場のステンドグラスには右近家の船の旗印が描かれている。
 右近邸は旧河野村に管理が委ねられ、北前船の資料館「北前船主の館・右近邸」として一般公開されている。館内には右近家のシンボル船「八幡丸」の模型や航海用具の和磁石、望遠鏡や船箪笥、仕切り帳、道中秤、船のぼり、船額、船絵馬などが展示され、北前船の活躍ぶりを知ることができる。

航海用具

(写真は 航海用具)


 
越前瓦の家並(越前町)  放送 2月13日(水)
 越前町宮崎地区には積雪に備えた銀ネズミ色の本瓦葺きの切妻屋根に、白壁と壁面の黒い柱が美しいコントラストを描いている民家が建ち並んでいる。こうした家並の家々が集落を形成し、屋根の上の煙出し部分が独特の景観と情緒をかもし出している美しい農村風景が、美しい日本の村景観コンテストで農林水産大臣賞を受賞した。
 瓦の歴史ははるか昔の6世紀、仏教が日本に伝来した飛鳥時代に蘇我馬子が、百済から瓦博士と呼ばれる技術者を日本へ招き、飛鳥寺の瓦を焼かせがのが始まりとされている。最近は釉薬を塗った色物の瓦が出回っているが、銀ネズミ色やグレーの日本瓦が日本の風土にマッチした建材であることには変わりはない。

越前町 宮崎地区

(写真は 越前町 宮崎地区)

江戸初期の越前瓦(織田文化歴史館 蔵)

 日本六古窯(瀬戸、常滑、信楽、備前、丹波、越前)のひとつ、越前焼が盛んなだった旧宮崎村では、平安時代末期からこの土地で産する粘土で壺、大型の甕(かめ)、すり鉢などの生活用品を中心に生産していた。その粘土と技術を生かして優れた越前瓦が作られてきた。
 越前瓦は焼成の最終工程で酸素を不充分にした還元炎で処理され、表面が滑らかで強度が高く、中心部は柔らかい銀ネズミ色に焼きあがる。この越前瓦は堅牢で衝撃に強く、吸水率が低いため寒さや凍害に強い。冬は室内の暖かな空気を逃さず、夏は直射日光を遮ってくれる雪国が生んだ知恵で、家を美しく堅固に守っている。

(写真は 江戸初期の越前瓦
(織田文化歴史館 蔵))

 還元炎処理をする越前瓦は、福井県と新潟県で生産されている。新潟県も福井県と同じように寒冷地の雪国だったので、古い歴史を誇る越前瓦の製法が越後にも伝わったのであろう。
 奈良時代以降の寺院建築は瓦葺きが多くなり、その後、城や大名屋敷などにも取り入れられた。庶民の家が瓦葺きになるのは、江戸時代中期の8代将軍・徳川吉宗の時代に江戸の町で大火があり、防火対策として瓦屋根を奨励するようになってからだと言う。社寺や伝統的な日本建築に採り入れられる本瓦葺きは重量感があるが、一般住宅では屋根が重くなる本瓦葺きを避けて、耐震性を高める桟瓦葺きが多くなっている。

武藤窯業

(写真は 武藤窯業)


 
信長の氏神・劔神社(越前町)  放送 2月14日(木)
 劔(つるぎ)神社は敦賀の越前一の宮・気比神宮に次ぐ越前二の宮で、記紀神話時代の神功皇后の時代に創建されたと伝えられる古社。
 盗賊征伐のためこの地に来た神功皇后の夫・仲哀天皇の皇子・忍熊王(おしくまのみこ)は、賊退治に悪戦苦闘して傷つき危機にひんした時、夢枕に立った素戔嗚尊(すさのおのみこと)に霊劔を授けられ、この劔で賊を征伐した。これに感謝した忍熊王が、その霊劔を奉納して祀ったのがこの劔神社の始まりとされ、その劔は今も御神体として祀られている。

劔神社古絵図復元模型(織田文化歴史館)

(写真は 劔神社古絵図復元模型
(織田文化歴史館))

織田信長安堵状(劔神社 蔵)

 織田信長の祖先はこの劔神社に代々仕えていた神官で、室町時代の応永年間(1394〜1428)に越前国の守護職・斯波義重が、劔神社の神官・常昌を家臣に取り立て尾張へ派遣した。常昌は故郷の村の織田を姓として名乗り、織田氏は次第に尾張で勢力を伸ばし守護代にまでなった。
 信長の時代になって尾張一円を掌握し、さらに越前の朝倉氏を討って越前も掌握した。この時、劔神社に安堵状を出し、織田の村人びとの安全を保証した。同時に信長は氏神として深く崇敬し、神領を寄進したり社殿を建立するなど格別に庇護し、出陣の際には武運を祈願した。

(写真は 織田信長安堵状(劔神社 蔵))

 天正10年(1582)本能寺であえない最期を遂げた信長の霊は、劔神社境内の摂社・小松建勲神社に祀られている。劔神社に伝わる梵鐘(国宝)は奈良時代の光仁天皇の奉納と伝えられ、この鐘によって土地の人びとが何度も火災からまぬがれたので「火伏せ鐘」とも呼ばれている。梵鐘には神護景雲4年(770)と記された梵鐘銘があり、本地垂迹説による神宮寺・劔御子寺(つるぎみこでら)が境内にあったとされている。
 劔神社北側の越前町歴史資料館(織田文化歴史館)には信長署名の書状や神社に伝わる文化財や資料のほか、越前焼の歴史がわかる資料や作品が展示されている。

越前国二の宮 劔神社

(写真は 越前国二の宮 劔神社)


 
冬の味覚の王者(越前町)  放送 2月15日(金)
 福井で冬の味覚の王者とされるのが越前ガニ。福井の越前海岸沖で獲れるズワイガニを越前ガニ、山陰から丹後にかけて獲れるのを松葉ガニと言う。カニの種類は同じでも、暖流と寒流がせめぎ合い栄養豊富な若狭湾の冬の厳しい環境で育った越前ガニは、自然の甘みがギュッと詰め込まれた最高のカニを成長していると、福井の漁業関係者は自慢する。
 福井ではカニの漁場まで近いので、越前町では40隻もの漁船が日帰りで漁ができ、冷凍することなくすぐセリにかけられ、その新鮮さが一段とおいしい越前ガニの味の秘訣だと言うのが越前町の自慢。

越前漁港・大樟

(写真は 越前漁港・大樟)

越前ガニ

 冬の日本海の荒海へ出漁した漁船が、カニをいっぱい積んで港に帰ってきて水揚げし、威勢のよいセリの声とともに次々にセリ落とされ、越前ガニのブランドを証明する黄色のタグが爪につけられ出荷される。
 越前ガニの雄をズワイガニ、雌をセイゴガニと言う。ズワイガニは足を広げると70〜80cmもあり、料亭や旅館、レストランの高級カニ料理に使われる。セイゴガニは20cmほどで値段は安いが、卵巣やミソの味が格別だとセイゴガニを好む食通もいる。カニの味を決めるのがゆで方だと言う。ゆでる時間、温度、塩加減が決め手になり、各店でそれぞれ秘伝があるそうだ。

(写真は 越前ガニ)

 越前ガニが水揚げされる越前海岸沿いには温泉旅館や民宿が点在し、冬はカニ料理を売り物に観光客の誘致を図っている。その中の1軒の越前くりや温泉の「あらき」では、日本海の海を眺めながらの露天風呂で旅の疲れを癒した後に、カニづくしの料理が待っている。ズワイガニ1匹、セイゴガニ1匹のほかにカニ刺、焼きガニ、カニすき、さらに新鮮な魚介類の舟盛などが食卓いっぱいに並び、越前ガニの本場ならではの味が堪能できる。
 冬の越前町の目抜き通りには「カニ直売」の看板が目立ち、通りすがりマイカーのドライバーらが買い求めたり、旅行会社のカニツアーで訪れるツアー客らが越前ガニ直売店で買い求める姿が目立つ。

越前厨温泉 あらき

(写真は 越前厨温泉 あらき)


◇あ    し◇
越前岬JR北陸線武生駅からバスで灯台下下車徒歩3分。 
呼鳥門JR北陸線武生駅からバスで呼鳥門下車。 
越前水仙ランドJR北陸線武生駅からバスで水仙ランド入り口下車徒歩3分。 
越前海岸水仙郷梨子ヶ平JR北陸線武生駅からバスで呼鳥門下車徒歩10分。 
北前船主の館・右近家JR北陸線武生駅からバスで河野総合事務所前下車すぐ。 
武藤窯業福井鉄道神明駅からバスで新樫津下車徒歩10分。 
劔神社、越前町歴史資料館(織田文化歴史館)
JR北陸線武生駅からバスで明神前下車すぐ。
越前くりや温泉・あらき(カニの宿)
JR北陸線武生駅からバスで厨下車徒歩5分。
◇問い合わせ先◇
越前町観光協会0778−37−1234 
北前船主の館・右近家0778−48−2196 
南越前町商工観光課0778−47−8002 
武藤窯業0778−32−2027 
劔神社0778−36−0404 
越前町歴史資料館0778−36−2288 
越前くりや温泉・あらき0778−37−1421 

◆歴史街道とは

    関西は「歴史・文化の宝庫」として世界に誇れる地域です。歴史街道では、日本の歴史文化の魅力を楽しく体験し、実感できる旅のルートとエリアを設定しました。伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸といった主要歴史都市を時代の流れに沿ってたどる「メインルート」と各地域の特徴をテーマとして活かした3つの「ネットワーク」です。

 

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

    の3つの目標を掲げ、その実現を目指しています。

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

    あなたも「関西の歴史や文化を楽しみながら探求する」歴史街道倶楽部に参加しませんか?
    歴史街道倶楽部では、関西各地の様々な情報のご提供や、ウォーキング、歴史講演会など楽しいイベントを企画しています。
   倶楽部入会の資料をご希望の方は、
 ハガキにあなたのご住所、お名前を明記の上、
          郵便番号 530−6691
          大阪市北区中之島センタービル内郵便局私書箱19号
                  「 A係 」
へお送り下さい。
   歴史街道倶楽部の概要を解説したパンフレットと申込み用紙をご送付いたします。
       FAXでも受け付けております。FAX番号:06−6448−8698   

歴史街道推進協議会