月〜金曜日 18時54分〜19時00分


京都市・北野界隈 

 北野天満宮境内に梅の花の香が漂うようになると、京都に春が訪れる。さらに桜花爛漫の春となり、京都は春の観光シーズンたけなわとなる。今回は梅見物や合格祈願でにぎわう北野天満宮やその界隈の早春の風景をスケッチした。


 
梅香る北野天満宮  放送 3月3日(月)
 北野天満宮は全国1万2000の菅原道真を祀る天神さんの総本社で創祀は天暦元年(947)。その44年前、無実の罪の晴れぬまま非業の死を遂げた菅原道真の霊を慰め、王城鎮護の神として祀ったのが創祀のきっかけで、皇室から庶民まで広く信仰を集めて今日に至っている。
 道真は学識、人格ともに優れた平安時代前期の公卿、文人で、宇多、醍醐両天皇に重用され54歳で右大臣にまで昇った。切れ者の道真の権勢拡大を藤原一族は恐れ、左大臣・藤原時平の「クーデターを企てている」との讒言によって、昌泰4年(901)九州・太宰府に左遷され、2年後にその地で没した。

中門

(写真は 中門)

本殿

 江戸時代には道真は学問、詩歌の神様として信仰され、寺子屋の精神的なより所とされ篤く崇敬された。受験シーズンの今、合格を祈願する受験生やその父母らの参拝者が多く、合格祈願の絵馬にはその願いが込められており、お守りや鉢巻き、鉛筆などを買い求める参拝者も多い。
 道真は「東風(こち)吹かば 匂いおこせよ梅の花 主(あるじ)なしとて 春を忘るな」と詠んだように、ことのほか梅の花を愛していた。こうしたことから道真を祀る全国の天満宮や天神社の境内には梅の木が多いが、ここ北野天満宮の2万坪の境内にも、50種約2000本の梅の木が植えられている。

(写真は 本殿)

 早咲きの梅は正月明けからつぼみを膨らませ、ぼつぼつ咲き始める。2月に入ると境内の梅苑が公開され、2月下旬から3月中旬までが最も美しく咲きそろう見ごろの時期となり、毎年2月25日の道真の命日には梅花祭が行われる。
 梅苑には照水梅(しょうすいばい)、和魂梅(わこんばい)、黒梅(こくばい)、座論梅(ざろんばい)、緋の司(ひのつかさ)などの珍種の梅もある。本殿や拝殿など8棟が国宝に指定されている北野天満宮の社殿が、優雅に映えるのは梅の香が漂うこの時期で、合格祈願の参拝者も梅の香にひととき心を和ませている。

梅苑

(写真は 梅苑)


 
北野名物粟餅所  放送 3月4日(火)
 徳川5代将軍・綱吉の時代の江戸時代初期の天和2年(1682)創業と言うから、330年にわたって北野天満宮の門前で、粟餅を作り参拝者を中心に商っているのが粟餅所・澤屋。
 毎朝、早くから粟ともち米で餅をつき、客の注文と同時に餅を小さくちぎって器に投げ入れ、こしあんでくるみ、きな粉をまぶすと言う作業が、12代目当主・藤森與八郎さんと奥さん、息子さんの3人の連係プレーで、5個一人前の一皿がアッと言う間にでき上がり、客の待つテーブルに出される。まるで機械のように動く手さばきには見とれてしまう。

粟餅所 澤屋

(写真は 粟餅所 澤屋)

「都の魁」(明治16年)

 あん餅3個ときなこ餅2個がセットでふたつの味が楽しめる。ふわっとやわらかな餅、あっさりとした甘味がほうじ茶とよく合い、天神さんの参拝客ばかりでなく、近隣にも根強い粟餅ファンが多い。澤屋一家の家庭的な雰囲気が、客の気持ちをくつろがせ、お客にかける「おいでやす」「おおきに」の声が耳に心地よく響く。
 北野天満宮の梅見物と受験シーズンの合格祈願の時期、毎月25日の天神さんの縁日の日は大忙しで、親類の人にも手伝ってもらい、終日、餅をつき通しになると言う。粟餅はすぐ固くなるので作り置きができないのと、餅はつき立てが一番おいしいので少しずつついた餅を客に出すのが澤屋の信条。

(写真は 「都の魁」(明治16年))

 餅と言えばもち米を使って作るものとほとんどの人が思っているが、もち米が貴重だった時代の庶民たちは、雑穀の粟を混ぜてもちを作った。こうした素朴な味が天神さんの参拝者の心をつかんだのであろう。粟は全国から集めているが、最近は粟を作る農家が少なくなり手に入れるのに苦労する。「品薄で値段も値上がりしているが、昔からの定番の商品だけに値上げもできず困っている」と藤森さんは言う。
 藤森さんの祖先は河内の出身で、楠木正行(まさつら)の首塚を守護するため、現在の嵯峨野に移り住んだ。室町幕府の探索の目を逃れるため、粟餅を作って天神さん境内で参拝者に売ったのが澤屋の起源だと言う。

粟餅

(写真は 粟餅)


 
伝統が生きる上七軒  放送 3月5日(水)
 北野天満宮の東門から今出川通まで東南に延びる上七軒の約350mの通りは、お茶屋や小粋な料理屋などが建ち並び、何やら艶いた雰囲気が漂う。
 上七軒は京都で最も古い花街で、室町時代に北野天満宮の造営に用いた材木の残りで、七軒の茶屋を建てたことに始まり、それが「七軒茶屋」の名前の由来ともなった。天正15年(1587)豊臣秀吉が北野茶会を催した時、七軒茶屋は秀吉の休憩所となり、御手洗(みたらし)団子を出したところ大変喜び、その褒美として御手洗団子を商う特権と茶屋株の特許を与えた。上七軒の紋章「五つ団子」はこの故事に由来している。

北野天満宮 東門

(写真は 北野天満宮 東門)

上七軒 くろすけ

 上七軒は近くの西陣織の織り元の繁栄と相まって花街として隆盛を見るようになり、最盛期の大正時代から昭和時代初めにかけては茶屋が約40〜70軒、舞妓、芸妓は合わせて100人を超えていたと言う。
 その後、戦後になって西陣織の衰退や遊興の多様化などで、お茶屋で芸妓さんを呼んで遊興する客が少なくなり、お茶屋や芸妓の数も減少した。現在、上七軒ではお茶屋が10軒、舞妓、芸妓、地方(じかた)合わせて26人になっている。こうした中で一般の人には敷居の高いお茶屋の存在や、花街の歴史、文化を広く知ってもらおうと、平成13年(2001)にオープンした店が豆腐料理の「くろすけ」である。

(写真は 上七軒 くろすけ)

 「くろすけ」の建物は上七軒で4代続いたお茶屋・吉田屋の建物をそのまま利用しており、よき時代の雰囲気とともにアイデアを凝らした豆腐料理が味わえる。
 3階建の建物の玄関の暖簾をくぐると帳場、階段たんす、中庭が望める部屋のほか、お茶屋時代に使われていた三味線などの道具類がそのまま配置され、明治、大正時代のお茶屋の雰囲気を再現している。料理は京都・清水の老舗豆腐屋の手作り豆腐を使い、先付けからデザートまで豆腐尽くしのコースが中心。四季折々の旬の食材も使われ、昼食と夕食に分かれている。今は春限定の「春朧(はるおぼろ)」がお勧めとか。

季節の昼食 春朧

(写真は 季節の昼食 春朧)


 
上七軒春色  放送 3月6日(木)
 上七軒の花街には現在26人の舞妓、芸妓、地方がいる。今も上七軒通りを歩いていると舞妓、芸妓さんと行き合うこともあり、4月に上七軒歌舞練場で行われる「北野をどり」の稽古の音曲も漏れ聞こえてくる。
 北野天満宮に古くから存在した巫女は少女に限られ、成人した女性は茶立て女になったのが上七軒の芸妓の起源と言われる。現在は15、6歳で舞妓見習いとなり、半年ほどでだらりの帯で知られる舞妓としてデビューし、そして成人すると芸妓になる。舞妓の髪は地毛で結い、寝る時もそのままの髪形なので箱枕を使い、休みの日も髪形はそのままだそうだ。芸妓の日本髪はかつらを使う人が多い。

上七軒

(写真は 上七軒)

上七軒芸妓組合

 華やかなのは舞妓だが、反対に唄や踊り、三味線などの鳴り物の腕は芸妓の方が数段上で、花街の主役でお客を楽しませることでは舞妓は歯が立たない。売れっ子の芸妓になろうとすれば踊りや唄、三味線、お茶、お花などの稽古事が毎日続く。ほかにソムリエの資格を取るなど、現代っ子らしい勉強をしている芸妓もいる。
 結婚すると芸妓をやめなければならない定めになっているので最近は芸妓不足。芸妓組合ではインターネットなどで舞妓や芸妓募集をしており、全国各地から高校、短大、大学を卒業した女性が応募して、初めから芸妓として修業するケースもあり、熱心に稽古事に精進してしっかりした芸妓になるそうだ。

(写真は 上七軒芸妓組合)

 上七軒の舞妓、芸妓にとって最大のイベントは毎年春の「北野をどり」。第56回を迎えた2008年も4月15日から25日まで上七軒歌舞練場で幕を開けるので、今は総仕上げの稽古に舞妓、芸妓たちは余念がない。このほか6月の京都5花街合同歌舞大会、秋のおさらい会の温習会がある。毎年、菅原道真の命日の2月25日に北野天満宮で行われる「梅花祭」にはお点前を披露するなど、お座敷に出るほか多忙な毎日を送っている。
 上七軒花街の出色は上七軒歌舞練場の日本庭園で7月からオープンするビアガーデンに毎日、5人の舞妓、芸妓さんが出向き、話し相手などになってくれるサービス。気軽に舞妓さんと話ができるとなかなかの人気。

上七軒 歌舞練場

(写真は 上七軒 歌舞練場)


 
京のぶぶづけ  放送 3月7日(金)
 北野天満宮の東方、千本通に面して千枚漬にする蕪(かぶら)を象った大きな看板をぶら下げているのが、明治12年(1879)創業の京漬物の老舗・近為(きんため)。
 四季折々の自然の素材を昔ながらの重石を使い、京漬物独特の塩加減で手塩にかけ、手間暇を惜しまず漬けあげた京漬物の味が全国的に人気を呼ぶようになった。数々の京野菜などを使った京漬物の中でも、大根を柚(ゆず)で漬けた「柚こぼし」は、現当主が創作した近為の名物漬物である。このほか店内には京漬物の代表格ともいえる千枚漬のほかにみぶな漬、しば漬などの京漬物がずらりと並んでいる。

京漬物 近為

(写真は 京漬物 近為)

京漬物

 京都ではお茶のことを「おぶ」とか「ぶぶ」とか言い、お茶漬けのことを「ぶぶづけ」と言う。「京のぶぶづけ」と言う言葉もあるように、質素倹約を旨としている京都人にお茶漬けは昼食などに欠かせないメニューのひとつである。
 近為へ買い物に来たお客さんのひとりが「ここのお漬物でお茶漬けが食べたいわ」と口にした。これを聞いた店主が、ゆっくりとくつろぎ「京のぶぶづけ」を召し上がってもらおうと奥座敷を開放して、お茶漬け席をオープンしてからすでに20年が過ぎた。

(写真は 京漬物)

 昼食時、近為の奥座敷で坪庭を眺めながら、美しく盛られた10種以上の漬物で、ご飯をいただくお茶漬け席はまさしく京の味と言える。最初に先付けとして漬物で巻いた一口大のすしがテーブルに。巻く漬物は季節によって変わり、漬物の香りと味がすし飯にほどよく移り上品な味となっている。続いて出るこの店の名物の柚こぼしやキュウリのシソ漬などは番茶によく合う。丸餅の京風雑煮は柚の香りがよい。
 最後は10種類の漬物の盛り合わせでお茶漬けをいただく。1膳目はちりめん山椒をかけて、2膳目は玄米茶のお茶漬けでいろいろな漬物を味わう。ご飯はおひつで出てくるので心置きなくお代わりができるのご安心を。

お茶漬席

(写真は お茶漬席)


◇あ    し◇
北野天満宮、粟餅所澤屋JR京都駅、京阪電鉄出町柳駅、阪急電鉄京都線四条大宮駅
から京都市バスで北野天満宮前下車すぐ。
京福電鉄北野線北野白梅町下車徒歩5分。
上七軒、上七軒歌舞練場、豆腐料理・くろすけ
JR京都駅、京阪電鉄出町柳駅、阪急電鉄京都線四条大宮駅
から京都市バスで上七軒下車5分。
京福電鉄北野線北野白梅町下車徒歩10分。
京漬物・近為JR京都駅、阪急電鉄京都線四条大宮駅から京都市バスで
千本今出川下車徒歩5分。 
◇問い合わせ先◇
北野天満宮075−461−0005 
粟餅所澤屋075−461−4517 
上七軒歌舞会075−461−0148 
上七軒芸妓組合075−463−5858 
豆腐料理・くろすけ075−466−4889 
京漬物・近為075−461−4072 

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