月〜金曜日 18時54分〜19時00分


源氏物語(大津市、神戸市、明石市、宇治市) 

 前回は源氏物語千年紀を迎えた京都市の源氏物語ゆかりの地を訪ねたが、今回は京から湖国の大津市、神戸市須磨、明石市、さらに最後の舞台の「宇治十帖」の宇治市へと舞台を移し、これらの地を訪ねた。


石山寺・ロマンの始まり
(大津市) 
放送 6月9日(月)
 大津市瀬田川河畔の石山寺は、奈良時代後期の天平19年(747)東大寺の建立を進めていた聖武天皇の勅願で、良弁僧正が如意輪観世音菩薩像を祀って開創した古刹。東大寺完成後の天平宝字5年(761)堂塔の拡張、伽藍の整備が行われ寺観を整えた。自然の岩盤の上に安置されている本堂の本尊・如意輪観世音菩薩像(国・重文)は秘仏で、33年に一度開帳される。

 京に近い湖国の観音霊場の石山寺は、平安時代には琵琶湖の風情を楽しむ船遊びや物見遊山を兼ねて観音霊場を巡拝する「石山詣」が天皇や皇族、貴族の間に流行した。

「紫式部図」(土佐光起筆・石山寺蔵)

(写真は 「紫式部図」(土佐光起筆・石山寺蔵))

源氏の間


 村上天皇の皇女・選子(せんし)内親王から珍しい物語を所望された一条天皇の中宮の上東門院(藤原彰子)は、女房の紫式部に物語を書くように命じた。紫式部は物語の構想を練るため石山寺に7日間参籠していた時、琵琶湖に映る8月15日の中秋の名月を見て物語の着想が思い浮かび、傍らにあった写経用の紙に「今宵は十五夜なりけりと思し出でて、殿上の御遊恋ひしく…」と罪で流された貴人が都を思う場面を書いた。

 これが源氏物語第12帖「須磨」の巻で、光源氏が須磨に隠棲していた時、十五夜の夜に都での管弦の遊びを回想する場面となり、世界最古の長編大恋愛小説へと物語が展開して行った。

(写真は 源氏の間)


 本堂には紫式部が参籠して源氏物語を書いたとされる「源氏の間」が伝わっており、十二単(じゅうにひとえ)姿の式部の人形が置かれ、式部が物語執筆の際に使ったとされる中国産の「石山形源氏の硯石」が伝わっている。寺には源氏物語や紫式部にゆかりの品が数多くあり、紫式部直筆の大般若経の写経も伝わっている。これらの品々を目にすると源氏物語の大作が、この石山寺で生まれたことを実感し、感慨を深くする。

 源氏物語千年紀に因んで石山寺を中心にさまざまなイベントが2008年いっぱい開催されている。石山寺の塔頭・世尊院、明王院、密蔵院を主会場にした「源氏夢回廊」もそのひとつで、趣向を凝らしたさまざまな展示が行われている。

紫式部使用の古硯(石山寺蔵)

(写真は 紫式部使用の古硯(石山寺蔵))


須磨・光源氏の詫び住まい
(神戸市) 
放送 6月10日(火)
 紫式部が石山寺に隠り源氏物語の構想を練った時、琵琶湖に映る8月15日の中秋の名月を目にして得た着想が、源氏物語第12帖「須磨」の舞台となった。

 異母兄の朱雀帝のもとへ入内する朧月夜との逢瀬が見つかった光源氏は、謀反の罪、不義の罪などによる流刑を恐れ、自ら地位を捨て、愛する妻・紫の上や藤壷、六条御息所らと別れて須磨の地に隠棲した。源氏が住んだ須磨の地を紫式部は「おはすべき所は、行平の中納言の『藻塩垂れつつ』侘びける家居近きわたりなりけり。海づらはやや入りて、あはれにすごげなる山中なり」と寂しい地であることを表現している。


「石山寺縁起絵巻」(谷文晁筆・石山寺蔵)

(写真は 「石山寺縁起絵巻」(谷文晁筆・石山寺蔵))

神戸・須磨海岸


 須磨の地は北に山、南に海の広がる景勝の地で、平安時代には在原行平や、光源氏のモデルのひとりとされた源高明ら貴族の隠棲の地でもあった。

 須磨は月の名所としても有名で、式部は「月のいとはなやかにさし出でたるに、『今宵は十五夜なりけり』と思し出でて、殿上の御遊び恋しく…」と光源氏が、都の生活を恋しく思い浮かべる様子を描いている。こうした源氏の須磨での詫び住まいの地であったとされるのが、永正11年(1514)浄教上人の開基になる現光寺で源氏寺とも呼ばれている。

(写真は 神戸・須磨海岸)


 平安時代の公家で左大臣だった源高明が流されたのが須磨の地であったとされ、紫式部は光源氏と源高明をダブらせ、須磨を源氏の隠棲の地としたのであろう。現光寺は阪神淡路大震災で本堂が倒壊し、平成14年(2002)に再建された。本堂の襖には橋本龍邨(りゅうそん)画伯が源氏物語絵巻を模写した絵が描かれ、天井にも橋本画伯が再建を記念して鳳凰の絵を描いている。

 源氏物語と月の名所の須磨に感銘を受けた松尾芭蕉と正岡子規がこの地を訪れ「見渡せば ながむれば見れば 須磨の秋 芭蕉」「読みさして 月が出るなり 須磨の巻 子規」と詠み、その句碑が境内に立っている。

現光寺

(写真は 現光寺)


浜の恋路(明石市)  放送 6月11日(水)
 須磨で詫び住まいをしていた光源氏は、3月のある日、海辺での禊(みそぎ)に出かけた。禊が終わらないうちに天候が急変、風雨が強まり雷鳴がとどろくほどの大荒れになった。源氏は家の中で悪天候を避けていたところへ、明石入道が舟で迎えに来た。

 光源氏が明石入道の浜の館へ迎え入れられ源氏物語は第13帖「明石」へと舞台は移る。明石は明石海峡を挟んで南に淡路島を望み、古くから風光明媚な地として知られていた。現代も明石海峡大橋が本州と淡路島を結ぶ観光名所のひとつで、源氏物語の明石の浦の景色を目に浮かべながら眺めると感慨がわいてくる。


明石入道の碑(善楽寺)

(写真は 明石入道の碑(善楽寺))

光源氏明石之浦の松(善楽寺)


 光源氏が明石で過ごした明石入道の浜の館があった所が善楽寺。戒光院、円珠院を総称して善楽寺と呼んでおり、飛鳥時代の大化年間(645〜49)に法道仙人が開創した明石市で最も古い寺で、天台宗延暦寺座主を出すほどの大寺院だった。

 江戸時代に入って源氏物語をこよなく愛した第5代明石藩主・松平忠国が善楽寺境内に明石入道の碑を建てたり、境内の美しい松を「光源氏明石之浦之松」との名をつけるなど、源氏物語ゆかりの寺として有名にした。円珠院には明石の町割りをした剣豪・宮本武蔵が作庭したと伝わる枯山水の庭もある。

(写真は 光源氏明石之浦の松(善楽寺))


 浜の館の近くの岡部の館にそれほど美人ではなかったが、教養があり琴の名手でもあった明石入道の娘が住んでいた。この娘が源氏物語の明石の君で、光源氏は一人暮らしの寂しさから何度も娘に文を出すが、色よい返事がなかった。だがいつしか源氏と結ばれ懐妊するが、異母兄の朱雀帝が病気なり、京へ戻れとの宣旨が届く。明石の君と生まれくる子に心を残しながら明石を去るが、産まれきた女児は朱雀帝の後の帝の中宮となる。

 善楽寺の南に源氏が月を愛でたとされる無量光寺があり、境内には源氏稲荷大明神が祀られている。寺の前には明石の君のもとへ源氏が通ったされる蔦の細道があり、物語を思い浮かべながら散策が楽しめる。

蔦の細道

(写真は 蔦の細道)


宇治十帖の世界(宇治市)  放送 6月12日(木)
 源氏物語の終章は光源氏の没後の「宇治十帖」。舞台は貴族たちの別荘地だった宇治へ移り、登場人物も光源氏の子・薫(実際は柏木と女三宮の子)や孫・匂宮(におうのみや)を中心に物語が展開する。

 第46帖「椎本(しいのもと)」の冒頭に登場する宿は、六条院が光源氏から相続した宇治川左岸にある別荘で、広々とした邸宅であると描かれている。これは現在の平等院のある所で、この地には光源氏のモデルとされた左大臣・源融(みなもとのとおる)の別荘・宇治院があった。この別荘を時の権力者・藤原道長が買い取り、道長没後に長男の関白・頼通が寺院に改め平等院となった。


平等院鳳凰堂

(写真は 平等院鳳凰堂)

朝霧橋


 平等院と共に水が滔々と流れる宇治川は宇治市のシンボルで、その川沿いには美しい景色が展開する。宇治川は宇治十帖のヒロインのひとり、浮舟(うきふね)に思いを寄せる匂宮が、浮舟を連れ出し舟で宇治川を渡り、橘の小島と言う中洲で変わらぬ愛を誓い合う舞台となり、宇治川の河川敷の公園には匂宮と浮舟の像がある。

 第45帖「橋姫」に始まり第54帖「夢浮橋」で終わる宇治十帖は、宇治川が主舞台でもある。橋のなかった宇治川に大化2年(646)に僧・道登が始めて橋を架けた時、橋の守護神として橋の中央に張り出した「三の間」に女神を祀り、これが現在の橋姫神社となった。

(写真は 朝霧橋)


 宇治10帖に登場する光源氏の異母弟・八宮(はちのみや)は政権争いに敗れ、2人の娘たちと宇治の山荘に隠棲するが、この山荘の設定場所が宇治上神社付近とされる。この地は応神天皇の皇子・菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の桐原日桁宮(きりはらひけたのみや)があったとされる所。宇治上神社は平安時代に建立されたと推定され、現存する神社建築で最古のもので、国宝の本殿は特徴のある建築物として有名である。

 八宮の美人の娘・大君、中の君、さらに異母妹の浮舟も加わり、薫と匂宮との恋愛ドラマが交錯する。この付近には第47帖「総角(あげまき)」、第48帖「早蕨(さわらび)」などの源氏物語の古跡がある。

宇治上神社

(写真は 宇治上神社)


宇治市源氏物語ミュージアム
(宇治市) 
放送 6月13日(金)

 宇治市は源氏物語「宇治十帖」のロマンあふれる地である。宇治市は紫式部文学賞を設けたり、源氏物語散策の道を整備したり、宇治十帖の舞台となったところに「宇治十帖古跡」を知らせる石碑や案内板を立てるなど、源氏物語をテーマにした町づくりを進めている。

 その中で源氏物語をよく理解してもらおうと平成10年(1998)にオープンしたのが「宇治市源氏物語ミュージアム」。寝殿造をイメージした外観のミュージアムの展示室は、源氏物語の筋書きを知らせるのではなく、源氏物語の雰囲気を紹介することによって、世界最古の長編大恋愛物語を身近に感じ取ってもらおうとしている。
「四十五帖橋姫/源氏物語手鑑」(土佐光起筆・和泉市久保惣記念美術館蔵)

(写真は 「四十五帖橋姫/源氏物語手鑑」(土佐光起筆・和泉市久保惣記念美術館蔵))

宇治市源氏物語ミュージアム


 常設展示室は光源氏が都で華やかな人生を送った世界を表現した「春の部屋」。舞台を宇治に移し光源氏の子・薫と孫の匂宮(におうのみや)が主人公となる宇治十帖の世界を表現した「秋の部屋」。そして宇治十帖の最後のヒロイン・浮舟の物語を展開する「映像展示室」の3つに別れている。

 春の部屋には光源氏が女性たちと華やかな時を過ごした六条院の百分の一の模型のほかに、平安時代の貴族が使っていた牛車(ぎっしゃ)が目を引く。牛車は身分によって材質や飾りに制限があり、すべて注文生産なので持ち主のセンスが牛車に表れると言う。乗り方は普通は向かい合わせに4人が座るが、正面を向いて乗る仁王乗りもあった。

(写真は 宇治市源氏物語ミュージアム)


 平安時代を華やかに彩ったのが女性の衣装。当時の女性の正装だった十二単(じゅうにひとえ)などの装束が展示されており、展示室を一層華やかにしている。貴族や女房たちが寝殿造の部屋を飾っていた屏風、鏡、鏡台、几帳などの調度品を復元して展示しているが、これらの品にも当時の工芸技術の高さがうかがえる。32面のマルチ画面の映像では、源氏物語の華麗な世界を映像で描き出し、春の部屋のムードを盛り上げている。

 秋の部屋では宇治を訪れた薫が八宮の娘の大君と中の君を垣間見て見染める第45帖「橋姫」の一場面を再現している。映像展示室では篠田正浩監督が人形を使って制作した幻想的な映画「浮舟」が上映されている。

六条院模

(写真は 六条院模型)


◇あ    し◇
石山寺京阪電鉄石山坂本線石山寺駅下車徒歩10分。 
JR東海道線石山駅からバスで石山寺山門前下車すぐ。
現光寺山陽電鉄須磨寺駅下車徒歩3分。 
善楽寺、無量光寺JR山陽線、山陽電鉄明石駅からバスで大観橋下車徒歩10分。 
JR山陽線、山陽電鉄明石駅下車徒歩20分。
平等院JR奈良線、京阪電鉄宇治線宇治駅下車徒歩15分。 
宇治上神社京阪電鉄宇治線宇治駅下車徒歩10分。 
JR奈良線宇治駅下車徒歩20分。
宇治市源氏物語ミュージアム
京阪電鉄宇治線宇治駅下車徒歩5分。
JR奈良線宇治駅下車徒歩15分。
◇問い合わせ先◇
石山寺077-537-0013 
源氏物語千年紀in湖都大津実行委員会
077-528-2772
現光寺078-731-9090 
善楽寺078-917-5070 
無量光寺078-912-8839 
宇治市観光協会0774-23-3334 
宇治上神社075-213-7312 
宇治市源氏物語ミュージアム
0774-39-9300

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