月〜金曜日 18時54分〜19時00分


北近畿の旅 


 
成相寺への道  放送 7月21日(月)
 天橋立の南側、智恩寺そばの文殊地区の観光船乗り場から観光船に乗船、天橋立を右に見ながら10分余りの海上の旅を楽しむと北側対岸の府中地区の一の宮観光船乗り場に着く。船着場のすぐ北に鎮座するのが丹後国一の宮の籠(この)神社。
 神代の時代にこの地に豊受大神を祀り、崇神天皇の時代に大和国笠縫邑から天照大神が遷して祀っていた。その後、両大神が伊勢神宮に祀られたことから、元伊勢と称されるようになり、主祭神に彦火明命(ひこほあかりのみこと)を祀り社名を籠神社と改めた丹後随一の古社である。

元伊勢籠神社

(写真は 元伊勢籠神社)

ケーブル

 元伊勢と呼ばれる籠神社の社殿の様式は伊勢神宮と同じ神明造りで、高欄の赤、白、青、黄、黒の五色の座玉(すえたま)の飾りも伊勢神宮と籠神社にだけ許されている高い格式を表すものである。
 籠神社の宮司は丹波国造(たんばのくにのみやつこ)としての伝統を持つ海部氏で、現在の宮司・海部光彦氏は82代目に当たる。海部氏の系図は現存する日本最古の系図であり、丹波国造の推移や古代の豪族の変遷を知る貴重な資料として国宝に指定されている。このほか石造狛犬、木造扁額、経塚出土の銅製経筒(いずれも国・重文)など、古社らしい社宝が多い。

(写真は ケーブル)

 籠神社の境内を通り抜け、ケーブルカーで山の中腹まで登ると天橋立見物の名所・傘松公園に出る。笠松公園から眺める天橋立は女性的な趣を見せており、特にここからの「股のぞき」は天橋立が天地逆に見える天下の絶景と言われている。
 ここからさらに急カーブの坂道をヒヤヒヤしながら登山バスに揺られて、ようやく西国三十三カ所第28番札所の成相寺の山門前のバス停に着く。参道の右に「撞かずの鐘」の鐘楼、左に五重塔を見ながら長い石段の参道を登り詰めると秘仏の本尊・聖観世音菩薩像のおわす本堂にたどり着く。

成相寺

(写真は 成相寺)


 
天女伝説(峰山エリア) 放送 7月22日(火)
 羽衣天女の伝説は静岡県の三保の松原、滋賀県の余呉をはじめ全国に分布しているが、峰山エリアに伝わる天女伝説が最も古く、羽衣伝説の原型と言われている。峰山エリアの磯砂(いさなご)山の頂上のてんてん広場には「日本最古の羽衣伝説発祥の地」のモニュメントがあり“本家”を強調している。
 峰山エリアに伝わる羽衣伝説は二つある。そのひとつは磯砂山の天女伝説、もうひとつは安達家に伝わる七夕伝説である。いずれも早くから開けた丹後地方の古代史と密接な関係がある伝説で、丹後王国の信仰の象徴が天女伝説に変化したようだ。

磯砂山

(写真は 磯砂山)

安達家家紋

 磯砂山の頂上近くの女池で8人の天女が水浴びをして楽しんでいた。通りかかった比治の里の若い狩人・三右衛門が木にかけられていた羽衣のひとつを持ち帰り、大黒柱に穴を開けその中に隠した。羽衣を持ち去られ天に帰れなくなった天女は、三右衛門を訪ね「羽衣を返して欲しい」と頼みましたが断られ、三右衛門と結婚し3人の美しい娘を生んだ。
 天女は農業、養蚕、機織り、酒造りなどの優れた技を持ち、その技術を里人たちにも教え比治の里は豊になった。ある日天女は、隠されていた羽衣を見つけ天へ帰ることができた。天女の娘のひとりを祀ったのが乙女神社で、この神社にお参りすると美しい女の子を授かると言われている。

(写真は 安達家家紋)

 もうひとつの七夕伝説は、天女の子孫と言われる安達家に伝わるものである。安達家の家紋は○に七夕の二字が入った日本唯一のもので、安達家は代々三右衛門を襲名している。七夕の日に安達家に伝わる「牽牛・織女の図」の掛軸や古い猟具の矢筒、矢尻などを床の間に飾り、近在の人たちがお参りする。
 この地方では古くから七夕の日には、サトイモの葉の露を集め、その露で墨をすって色紙や短冊に歌や願いごとを書いて竹の枝に結びつけ、手習や手芸の上達を願った。この竹は翌日、川に流されるが、これを「七夕送り」と言う。この風習が全国に広まり、現代の七夕飾りに発展した。

乙女神社

(写真は 乙女神社)


 
舟屋の里(伊根町) 放送 7月23日(水)
 伊根名物の舟屋。海に向かって妻入の建物が口を開け、1階が海面から傾斜をつけて舟を引き上げやすくした舟の格納庫兼作業場、2階が住居になっている漁師町ならではの建物。伊根湾沿いに230軒の舟屋が並び、近年は映画やテレビのロケも頻繁に行われて「伊根の舟屋」はすっかり有名になり、観光資源にもなっている。
 伊根湾は波静かで潮の干満差が小さいので舟屋に最適。こうした舟屋が今も数多く残っているのは珍しく、平成17年(2005)に全国の漁村で始めて国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。舟屋の2階の居住部分を民宿にしている所もあり、波の音を聴きながら一夜を過ごす民宿が観光客に人気がある。

伊根湾

(写真は 伊根湾)

伊根湾めぐり遊覧船

 昔の舟屋は小屋に風を入れるため板壁を張らず、ワラや古綱をつるしたワラ葺きの平屋だった。明治時代中ごろから瓦葺きになり、昭和時代初めに寝泊まりして、いつでも舟が出せるように大部分が2階建てになった。また漁師町の若者が寝泊まりする交流の場の「若衆宿」と呼ばれる舟屋もあった。
 昭和時代初めに行われた府道の拡張工事で、主屋と隣接していた舟屋が道路で切り離された。主屋は舟屋の山側に建っており、ほとんどが道路側に出入り口を持ち、広間型三間取りの丹後型と呼ばれる平入造りの建て方となっている。漁具などを保管する土蔵は耐火性の優れた造りで、江戸、明治時代に建てられたものが多い。

(写真は 伊根湾めぐり遊覧船)

 伊根湾の湾岸沿いにずらりと並ぶ舟屋を伊根湾巡りの遊覧船から眺めるのも面白い。海上から眺める舟屋は漁師町独特の景観を成しており、陸地からの眺めとは趣を異にした感動を与えてくれる。また、遊覧船上から船に群がるカモメにエサを投げ与えるあまりできない体験に、観光客は歓声をあげ大喜びしている。この伊根湾巡りはクジラの供養塔がある青島などを巡る30分のコース。
 この舟屋の里がある伊根町の中心地から北上した海岸沿いに奥伊根温泉があり、露天風呂につかりながら雄大な日本海を眺め、風呂上がりには豊富な日本海の海の幸に舌鼓を打って至福のひとときが過ごせる。

「奥伊根の賑」(奥伊根温泉 油屋)

(写真は 「奥伊根の賑」(奥伊根温泉 油屋))


 
三方五湖(若狭町・美浜町) 放送 7月24日(木)
 若狭町と美浜町の両町にまたがる三方五湖は、それぞれの湖が水質と深さで水のいろが異なることから「五色の湖」とも言われている。万葉集にも「若狭なる 三方の海の 浜清み いゆきかえらひ 見れどあかぬかも」と、その美しさを讚える歌が残されている。
 三方五湖のうち久々子(くぐし)湖は、砂州によって海とさえぎられた潟湖(せきこ)で、他の4湖は三方断層の沈降部にできた湖。久々子湖、日向(ひるが)湖は美浜町、後の三方湖、水月湖、菅(すが)湖は三方町にある。景観が素晴らしい三方五湖は、海水湖、汽水湖、淡水湖とそれぞれ水質が違い、棲息する魚種も豊富で釣り人たちの人気が高い。

浦見川

(写真は 浦見川)

宇波西神社

 三方五湖はその素晴らしい景観と裏腹に、湖水の排水が悪く大雨が降ると水位が上がり、湖水が氾濫し湖岸の村や田畑に大きな被害を与えていた。
 寛文2年(1662)5月の琵琶湖西岸の大地震で、三方五湖の地盤が2.5mも隆起し、五湖の湖岸の11村で住宅や田畑が水没する大被害が出た。小浜藩主・酒井忠直は久々子湖と水月湖を結ぶ水路の開削を決断、この難工事に取りかからせた。2年の歳月とのべ22万5000人の労力を費やした難工事の結果、この二つの湖は浦見川と呼ぶ水路で結ばれた。水月、三方、菅の3湖の水は久々子湖を通じて海へ流れ、水没した村は元に戻り、湖畔に新しい水田も生まれた。後に水月湖と日向湖が嵯峨トンネルで結ばれ、三方五湖の水はすべてがつながった。

(写真は 宇波西神社)

 この浦見川開削の難工事に当たっていた郡奉行・行方久兵衛が、大岩盤に突き当り進退きわまった時、宇波西神社に毎夜、参籠して祈願した。その時「少し北を掘れ」との神のお告げによって、この難工事を突破することができたとの伝えがある。浦見川は長さ324m、幅8mで両側から断崖が迫り、岩壁にはサクラやフジの花が咲き乱れるころは、三方五湖の中で最高の景色となる。
 三方五湖の素晴らしい景色を楽しむには五湖巡りの遊覧船がある。久々子湖の三方五湖レークセンターからは日向湖を除く4湖を巡航するジェット船が出ており、水月湖の海山桟橋からは水月、菅湖を巡るクルーズ船が出ている。また三方五湖レインボーラインをドライブしながら、山の上から眺める雄大な三方五湖や日本海の景観はまた違った趣が楽しめる。

ジェットクルーズ「コメット」

(写真は ジェットクルーズ「コメット」)


 
大自然の芸術・東尋坊(三国町) 放送 7月25日(金)
 三国港の北をスタートして東尋坊にいたる荒磯遊歩道は、奇岩、奇礁、断崖を眺めながら歩け、越前海岸の大自然の造形を満喫することができる。遊歩道沿いにある三国ゆかりの高見順、三好達治、高浜虚子らの文学碑や変化に富んだ海と岩の風景を眺めながら歩を進めると、やがて国の天然記念物に指定されている天下の奇勝・東尋坊に出る。
 東尋坊はマグマが冷却して固まる時にできる柱状の割れ目の柱状節理が隆起した高さ70mの岩の絶壁が、約1kmにわたってそそり立っている。この雄大な自然の造形美の断崖に、日本海の荒波が打ち寄せる豪快な眺めは、ここ東尋坊でならではの景観である。

三好達治文学碑

(写真は 三好達治文学碑)

ライオン岩

 雄大な断崖絶壁の先端が海に没するあたりには奇岩、奇礁が連なっている。ロウソク岩、ライオン岩、舟着岩、千畳敷などの名前がつけられ、その名の通りの大自然が創造した芸術作品が人びとの目を楽しませてくれる。断崖の下からは遊覧船も出ており、海から眺めるこの大自然の造形美はまた違った迫力で迫ってくる。この荒々しくも美しい人知を越えた自然の景観に、訪れた観光客らは驚嘆し、満足する。
 この雄大な自然の造形美の東尋坊の名が、1300年前の悪名高い僧兵の名に由来すると言う伝説がもっともらしく感じられる。

(写真は ライオン岩)

 現在の勝山市にあった平泉寺は、数千の寺坊を持つ大寺で数多くの僧兵を抱えていた。僧兵の一部は非道の限りをつくし、近郷の民、百姓を苦しめる悪僧兵たちだった。その悪僧兵の旗頭とも言えるのが東尋坊と言う名の僧兵で、手を焼いていた寺は何とか追い出そうと策をめぐらし、これも強力で知られる寺侍の真柄覚念に頼んだ。
 覚念は東尋坊を三国見物に誘い、酒盛りをして東尋坊を前後不覚に酔いつぶし、断崖から海に突き落としてしまった。ところが毎年、突き落とされた日なると海が荒れたので、東尋坊の亡霊のたたりだと言われるようになった。僧侶が絶壁の上で東尋坊の供養をしたところ海の荒れるのは収まったことから、このあたりの海岸を東尋坊と呼ぶようになったとの伝えが残っている。

東尋坊観光遊覧船

(写真は 東尋坊観光遊覧船)


◇あ    し◇
成相寺北近畿タンゴ鉄道天橋立駅下車、観光船乗り場で観光船に乗り換え一の宮観光船乗り場で下船、ケーブルカーに乗り換え傘松駅下車、さらに登山バスに乗り換え成相寺下車。
北近畿タンゴ鉄道天橋立駅からバスで籠神社前下車、ケーブルカーに乗り換え傘松駅下車、さらに登山バスに乗り換え成相寺下車。
磯砂山(日本最古の天女伝説発祥の地)
北近畿タンゴ鉄道峰山駅からバスで大師口下車徒歩1時間。
乙女神社、天女の里北近畿タンゴ鉄道峰山駅からバスで大呂口下車徒歩30分。
伊根の舟屋の里北近畿タンゴ鉄道宮津線宮津駅又は天橋立駅からバスで
舟屋の里公園前下車。 
奥伊根温泉・油屋北近畿タンゴ鉄道宮津線宮津駅又は天橋立駅からバスで伊根診療所前で乗り換え津母下車(便数少なく土、日、祝日運休)。 
三方五湖レークセンター(遊覧船のりば)
JR小浜線美浜駅からバスでレークセンター下車。
若狭町観光船(レイククルーズのりば)
JR小浜線三方駅からバスで海山下車。
東尋坊えちぜん鉄道三国芦原線三国港駅からバスで東尋坊下車。
◇問い合わせ先◇
天橋立観光協会0772−22−0670 
成相寺0772−27−0018 
京丹後市役所観光振興課
0772−69−0450 
峰山町観光協会0772−62−0342 
伊根町観光協会0772−32−0277 
伊根町商工会0772−32−0302 
伊根浦漁業株式会社0772−32−0018 
伊根湾めぐり遊覧船0772−32−0323 
奥伊根温泉・油屋0772−32−0972
若狭町商工観光課0770−45−9111
若狭三方五湖観光協会0770−45−0113
若狭町観光船レイククルーズ
0770−47−1127
三方五湖レークセンター0770−32−1161
三国町役場商工観光課0776−82−3111
三国町観光協会0776−82−5515

◆歴史街道とは

    関西は「歴史・文化の宝庫」として世界に誇れる地域です。歴史街道では、日本の歴史文化の魅力を楽しく体験し、実感できる旅のルートとエリアを設定しました。伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸といった主要歴史都市を時代の流れに沿ってたどる「メインルート」と各地域の特徴をテーマとして活かした3つの「ネットワーク」です。

 

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

    の3つの目標を掲げ、その実現を目指しています。

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

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