月〜金曜日 18時54分〜19時00分


世界遺産にお参り

 1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」と「姫路城」がユネスコの世界文化遺産に登録されたのに続いて、1994年には「古都京都の文化財」が、そして1998年には「古都奈良の文化財」が登録されている。「古都京都の文化財」として登録されているのは二条城のほか、上賀茂神社など3社、東寺など13寺の計17ヶ所となっている。また「古都奈良の文化財」では平城宮跡や春日山原始林をはじめ1社5寺の計8ヶ所が登録されている。
今回は京都、奈良で世界遺産として登録されている古寺のうち4ヶ所を訪ね、その歴史と文化遺産に触れてみたい。


天龍寺 放送 8月11日(月)
 毎日大勢の観光客や修学旅行生が、門前をにぎわす京都五山第一位の臨済宗天龍寺派大本山の天龍寺。吉野に南朝を興し勢力回復をはかろうとしたが、その願いもかなわず暦応2年(1339)失意のうちの崩じた後醍醐天皇の菩提を弔うために、足利尊氏が夢窓国師を開山として創建した。

 後醍醐天皇は亡くなる際に「玉骨は吉野山の苔に埋もれようとも、魂魄(こんぱく)は北闕(ほっけつ=宮城)を望まん」と言い残したが、その言葉に無念さが表れている。夢窓国師は敵味方の別なく、南北両朝の戦死者の霊を慰めることを天龍寺開創の目的とした。

後醍醐天皇像

(写真は 後醍醐天皇像)

夢窓国師像


 天龍寺が創建されたこの地は嵯峨天皇の離宮があった所で、のちに檀林皇后が檀林寺に改めた。建長年間(1249〜56)に後嵯峨天皇が離宮・亀山殿を造営、その後も大覚寺統(南朝系)の離宮として使われ、後醍醐天皇も幼少期をここで過ごしたことがあった。

 堂塔建立にあたって夢窓国師は、長らく途絶えていた中国・元との貿易船「天龍寺船」を再開し、この貿易による利益を天龍寺建立の資金とした。夢窓国師は建立資金を南北両勢力のどちらからも仰がないことで、南北両朝の融和をはかり、天下に太平をもたらそうとした。 

(写真は 夢窓国師像)


 天龍寺建立には6年の歳月が費やされ、康永2年(1343)にほぼ七堂伽藍が整い、貞和元年(1345)落慶法要が営まれた。その後、広大な境内に150余の塔頭、子院を数えるになった。創建以来、天龍寺は延文元年(1356)を最初に、元治元年(1864)の禁門の変まで、8回の兵火などに見舞われ堂塔を焼失した。その度に諸堂は再建され、現在の建物の多くは明治時代に再建されたものである。

 亀山を背に法堂(はっとう)、方丈などの七堂伽藍が建ち並び、境内には国の特別名勝・史跡に指定されている夢窓国師が作庭した池泉回遊式の庭園・曹源池(そうげんち)を中心とした庭園が広がり、禅寺らしい静かな雰囲気が漂っている。また、後嵯峨天皇、亀山天皇陵が境内にある。

多宝殿

(写真は 多宝殿)


龍安寺 放送 8月12日(火)
 衣笠山の西に位置し、きぬかけの路のほぼ中央にある龍安寺(りょうあんじ)は、宝徳2年(1450)室町幕府の管領・細川勝元が、徳大寺家の別荘を譲り受けて創建した禅刹。堂塔伽藍(がらん)は応仁の乱で焼失、長享2年(1488)勝元の子・政元が再興して以来、細川家の菩提寺として寺運も隆盛となった。

 現在の堂宇は江戸時代中期の寛政9年(1797)の火災で焼失後に再建されたもので、方丈は慶長11年(1606)に建築された塔頭・西源院の方丈を移築したものである。大規模な禅宗寺院の方丈の典型として貴重な建物とされている。方丈中央の仏間には釈迦如来像と細川勝元の木像が安置され、方丈正面広間のふすまには上り龍、下り龍が描かれている。
細川勝元像

(写真は 細川勝元像)

下り龍(方丈正面の襖絵)


 方丈前の枯山水庭園の石庭は世界的に有名である。三方を築地塀に囲まれた東西約30m、南北10m余の長方形の庭に東から西へ7・5・3、見方によっては5・2・3・2・3と15個の石が配され、敷き詰められた白砂にほうき目で波紋が描かれている。境内の樹木を借景にし、石庭には草木は一本もなく、石と砂だけで構成された珍しい枯山水の庭である。

 15個の石は目の高さではどこから見ても微妙に重なり合い、どうしても14個しか見えず、これを「虎の子渡しの庭」とも言う。虎が子供を連れて川を渡る時、必ずその子を隠すことから隠れた石を虎の子に見立ててこう呼んだ。

(写真は 下り龍(方丈正面の襖絵))


 この石庭は禅の悟りの境地を表現したもので、無限の教えを語りかけており、この庭を静かに見る人たちがそれぞれ何かを感じ取ってくれることを期待している。

 この有名な石庭の陰に隠れて見落としがちなのが、苔むす庭園など龍安寺十勝と呼ばれる境内の景勝地。山門を入るとすぐ目に入る鏡容池もそのひとつで、この池は徳大寺家の別荘だったころのままの姿を残している。

 方丈の北東にある銭形の手水鉢の蹲踞(つくばい)は、中央の口の形と合わせて「吾唯知足(われただたるをしる)」と読むことができる。禅の格言を謎解きに図案化したもので、水戸黄門でおなじみの徳川光圀が寄進したと言われている。この庭の蹲踞は複製品で本物は非公開の茶室「蔵六庵」に保存されている。

写真は 吾唯足知(ワレ タダ タルヲ シル)

(写真は 写真は 吾唯足知
(ワレ タダ タルヲ シル))


比叡山延暦寺 放送 8月14日(木)
 京都府と滋賀県の府県境にそびえる比叡山の全山に、天台宗の総本山・比叡山延暦寺の堂塔伽藍が点在する。山内最大の仏堂で延暦寺の総本堂でもある根本中堂の内陣の厨子には、本尊で秘仏の薬師如来像が安置されている。その厨子の前の三つの釣燈籠に1200年以上にわたって灯り続けているのが不滅の法灯。

 伝教大師・最澄は延暦4年(785)19歳の時、奈良・東大寺で具足戒を受け、国家公認の僧となるが、一部の人間しか救われないとする、奈良の南都仏教の教えに疑問を抱き、比叡山に入って修行を始めた。入山3年後の延暦7年(788)自刻の薬師如来像を安置する草庵・一乗止観院を結び、不滅の法灯もこの時に灯された。
伝教大師最澄

(写真は 伝教大師最澄)

不滅の法灯


 この草庵・一乗止観院が発展して根本中堂となる。織田信長の比叡山焼き討ちなど幾度もの災禍に遭って諸堂は焼失してきたが、この法灯は今日まで連綿と守り継がれてきた。大師の教え「一隅を照らす」のように、参拝した人びとの心に希望の灯りを灯す不思議な力を持つ灯明である。

 信長の焼き討ち後の延暦寺は、豊臣秀吉が再興を手がけ、徳川3代将軍・家光の時代にほぼ復興した。現在の根本中堂も江戸時代初期の寛永19年(1642)に9年の歳月をかけて完成した。観光客の姿もない毎朝6時半から勤行が始まり、僧たちの読経の声が朝のしじまに響き渡る。

(写真は 不滅の法灯)


 根本中堂は左右に延長約90mの回廊があり、回廊のくぐり戸から中に入ると天台様式の大建築がそびえている。堂内は外陣、中陣、内陣に分かれ、内陣は中陣より3m低く、石畳の床は夏でも冷気が漂っている。

 内陣の厨子には伝教大師が刻んだ秘仏の本尊・薬師如来像が奥深く祀られ、その前にお前立ちの像が安置されている。内陣が低く作られていることで、本尊の目線と参拝者の目線が同じ高さにあり、仏も人間もひとつとの仏教を教えを示している。堂内の正面には日本最初の大師号「伝教」の額が掲げられ、中陣の格子天井には諸大名から寄進された草花の絵200枚が描かれている。

根本中堂

(写真は 根本中堂)


東大寺 放送 8月15日(金)
 平成11年(1999)から始まり、2008年で10年目を迎えた「なら燈花会(とうかえ)」は、古都・奈良の夏のイベントとしてすっかり定着してきた。この「なら燈花会」の灯りに誘われて、奈良の夏の夜のひとときを楽しむ観光客や地元の人たちが多い。「なら燈花会」の中でもひときわ人気を呼んでいるのが、5000もの灯りが幻想的な光景を現出する「浮雲園地」。このほかに「猿沢池」、「五十二段」、「興福寺」、「奈良国立博物館前」、「浅茅ヶ原」、「浮見堂」、「春日野園地」、「東大寺鏡池(13日・14日のみ)」、「春日大社参道(14日のみ)」で灯りの花が咲く。2008年は8月5日から8月14日まで、午後7時から9時45分まで灯りがともされる。

東大寺

(写真は 東大寺)

南大門(国宝)


 「なら燈火会」の灯りがゆらぐ浮雲園地を右手に見て、夕刻の東大寺参道を進むとライトアップされた東大寺南大門(国宝)が眼前に迫ってくる。古都・奈良の顔でもある東大寺は「ライトアッププロムナード・なら」のひとつとして、10月31日まで南大門、中門(国・重文)、大仏殿(国宝)がライトアップされる。

 ライトアップされた南大門の両脇を守る仁王像(国宝)も、夜の参詣者をいつもと変わらぬ「あ」「うん」の表情で迎えてくれる。しかし夜の仁王さんはちょっとばかり怖いようにも見える。南大門をくぐり参道を進むと朱色と白の中門(国・重文)が夜の幻想的な美しさを鏡池に映している。

(写真は 南大門(国宝))


 中門をくぐると木造建築として世界最大の大仏殿がその威容を示している。大仏殿、そしてその中に安置されている大仏さまは、昼間に訪れても夜に訪れても日本人の心に安らぎの気持ちを与えてくれるように思える。

 8月15日は大仏殿へ続く中庭の石畳の上が約2500基の灯籠で埋めつくされる「東大寺万灯供養会」がある。大仏さまに灯籠を供え、もろもろの霊を供養するのがこの万灯供養会。この日の夜は大仏さまの顔が大仏殿の外から拝める。大仏殿正面の窓が開かれ、その窓に夜の大仏さまの顔がくっきりと浮かぶ。その大仏さまの顔は幻想的とも、荘厳的とも、威厳的とも言える雰囲気である。東大寺の代表的な行事の万灯供養会で先祖を供養し、大仏殿の窓から大仏さまを拝観してお願いごとをすれば霊験があるのでは…。

大仏殿(国宝

(写真は 大仏殿(国宝)


◇あ    し◇
天龍寺JR嵯峨野線嵯峨嵐山駅下車徒歩5分。 
京福電鉄嵐山線嵐山駅下車徒歩2分。
京都市バス嵐山天龍寺前下車徒歩2分。

龍安寺京福電鉄北野線龍安寺道駅下車徒歩10分。
京都市バス龍安寺前下車。

比叡山延暦寺JR湖西線比叡山坂本駅、又は京阪電鉄石山坂本線坂本駅からバスで比叡山坂本ケーブルのケーブル坂本駅へ。
ケーブル比叡山駅下車、山内シャトルバスで山内目的地へ。
叡山電鉄叡山線八瀬比叡山口駅から京福電鉄の叡山ケーブル、叡山ロープウエイを乗り継ぎ比叡山山頂駅下車、山内シャトルバスで山内目的地へ。
いずれもシャトルバス一日フリー乗車券が便利。

東大寺JR大和路線奈良駅、近鉄奈良線奈良駅から市内循環バスで
大仏殿・春日大社前下車。
近鉄奈良線奈良駅下車徒歩15分。
JR関西線奈良駅下車徒歩20分。

◇問い合わせ先◇
天龍寺075−881−1235 
龍安寺075−463−2216 
比叡山延暦寺077−578−0001 
奈良市役所観光課0742−34−1111 
奈良県庁文化観光課0742−22−1101 
東大寺0742−22−5511 

◆歴史街道とは

    関西は「歴史・文化の宝庫」として世界に誇れる地域です。歴史街道では、日本の歴史文化の魅力を楽しく体験し、実感できる旅のルートとエリアを設定しました。伊勢・飛鳥・奈良・京都・大阪・神戸といった主要歴史都市を時代の流れに沿ってたどる「メインルート」と各地域の特徴をテーマとして活かした3つの「ネットワーク」です。

 

    歴史街道計画では、これらのルートを舞台に
  「日本文化の発信基地づくり」
  「新しい余暇ゾーンづくり」
  「歴史文化を活かした地域づくり」

    の3つの目標を掲げ、その実現を目指しています。

 

◆歴史街道倶楽部のご紹介

    あなたも「関西の歴史や文化を楽しみながら探求する」歴史街道倶楽部に参加しませんか?
    歴史街道倶楽部では、関西各地の様々な情報のご提供や、ウォーキング、歴史講演会など楽しいイベントを企画しています。
   倶楽部入会の資料をご希望の方は、
 ハガキにあなたのご住所、お名前を明記の上、
          郵便番号 530−6691
          大阪市北区中之島センタービル内郵便局私書箱19号
                  「 A係 」
へお送り下さい。
   歴史街道倶楽部の概要を解説したパンフレットと申込み用紙をご送付いたします。
       FAXでも受け付けております。FAX番号:06−6448−8698   

歴史街道推進協議会