月〜金曜日 18時54分〜19時00分


香芝市 

 大阪府に接する香芝市は、近鉄大阪線、近鉄南大阪線、JR和歌山線、西名阪自動車道、国道165号などが通る交通の便の良さから大規模な住宅団地が形成され、大阪のベッドタウンとして発展している。古代では大和と難波を結ぶ交通の要衝であり、市内には多くの史跡や社寺が残っている。


二上山  放送 9月1日(月)
 大阪府と奈良県の境に位置する二上山は、標高約517mの雄岳と474mの雌岳が、ラクダの背のような双峰からなる美しい山容を見せている。

 現在は「にじょうざん」と呼ばれているが、古くは「ふたかみやま」または「ふたかみ」と呼んだ。雄岳の頂上に墓がある大津皇子の非業の死を悲しんで大泊(おおく)皇女が詠んだ「現身(うつせみ)の 人なる吾や 明日よりは 二上山(ふたかみやま)を 弟背(いろせ)と吾がみむ」のほかに「大坂を わが越え来れば  二上(ふたかみ)に 黄(もみち)葉流る 時雨降りつつ」など、万葉集にも多くの歌がある。

屯鶴峰

(写真は 屯鶴峰)

サヌカイト(二上山博物館)


 二上山は千数百万年前の大噴火によってできた火山で、活発な火山活動の際に多くの火成岩ができた。その中でサヌカイト、凝灰岩、金剛砂は石器時代から人類の発展や文化に大きく関わってきた岩石、鉱物と言える。

 二上山の北西に広がる屯鶴峯(どんづるぼう)は凝灰岩の奇勝。二上山の噴火による火山灰が火砕流によって押し流され、水底で堆積して凝灰岩となった後に隆起したもので、遠くから眺めると松林に鶴が屯(たむろ)しているように見えることから屯鶴峯の名がつけられた。凝灰岩は古墳時代には石棺に用いられ、高松塚古墳や藤ノ木古墳の石棺がよく知られている。後には寺院の建物の礎石、十三重塔、石燈籠、五輪塔、建築用材などに使われている。

(写真は サヌカイト(二上山博物館))


 サヌカイトはガラス質の安山岩で、貝殻状に割れると鋭利な刃物のようになり、旧石器時代から弥生時代まで石斧や石剣、矢じり、石匙、石錐など、いろいろな道具として使われた。金剛砂は「大坂砂」とも呼ばれ、古代では玉石を磨くために使われ、現代ではサンドペーパーの材料になった。

 二上山から産出したサヌカイト、凝灰岩、金剛砂にスポットを当て、古代の人たちとの関わりを展示しているのが「香芝市二上山博物館」。石器の狩猟用具を使っての象狩りをする古代人のジオラマやサヌカイトを利用した石器、凝灰岩を使った家形石棺や骨蔵器(複製)、二上山の岩石の標本などが展示されている。

家形石棺(二上山博物館)

(写真は 家形石棺(二上山博物館))


古墳群を巡る  放送 9月2日(火)
 二上山の東麓に広がる香芝市は現在、大阪近郊の住宅地として発展しているが、市内には数多くの史跡や名所、旧跡が残っている。

 市の南東部に市内最古の古墳である別所城山第1号墳と第2号墳がある。1号墳は全長約44m、後円部直径約40m、前方部幅約18mの帆立貝式古墳で、5世紀前半の築造。2号墳は東西約19m、南北約21mの円墳で、4世紀末の築造で、鉄刀、鉄剣、鉄鏃などの武器や武具が出土している。中でも古代の甲冑(かっちゅう)の札甲(さねよろい)の一部が出土して注目された。

狐井塚穴山古墳

(写真は 狐井塚穴山古墳)

平野塚穴山古墳


 狐井城山古墳は全長約140m、後円部直径約90m、前方部幅110mの古墳を、幅約18mの濠が取り囲んでいる市内最大の前方後円墳で、5世紀末から6世紀前半にかけての築造。

 この古墳のすぐそばから凝灰岩をくり抜いた「刳抜式長持形石棺蓋石(くりぬきしきながもちがたせっかんふたいし)」が見つかっている。この蓋石はすぐそばの二上山に凝灰岩があるにもかかわらず、兵庫県の竜山石が使われていることから、当時の政治的動向がうかがえる。被葬者は大和政権成立時代にこの地方に勢力を誇っていた葛城氏一族の人物ではないかと見られている。

(写真は 平野塚穴山古墳)


 市の北部に位置する平野塚穴山古墳は、7世紀後半から7世紀末にかけて築造された一辺約21m、高さ4mの方墳と推定されている。高松塚と同じ切石組み合わせ式の石室構造の横口式石槨には、二上山の凝灰岩の切石が使用され、長さは3.05m、幅1.5m、高さ1.8mの玄室がある。

 平野塚穴山古墳のすぐ近くの正楽寺に、高さ2.3m、幅95cm、厚さ15.5cmの凝灰岩に線刻された阿弥陀如来座像が祀られている。この像が刻まれた凝灰岩は石棺の棺台を転用したものと推定され、この付近には消滅した古墳も含め6基の古墳あったことから、これらの古墳の石棺台が転用されたのではないかと見られている。

石造線刻阿弥陀如来像(正楽寺)

(写真は 石造線刻阿弥陀如来像(正楽寺))


大坂山口神社  放送 9月3日(水)
 二上山付近は古くから大和と河内、難波を結ぶ交通の要衝で、竹ノ内越え、岩屋越え、穴虫越え、田尻越えなどの交通路があった。また二上山から北東に延びる丘陵地帯を大坂山と言い、神聖な二上山に通じる大坂山への登山口を「大坂山の口」と呼んでいたようだ。

 この「大坂山の口」と呼ばれていた地域の近鉄大阪線二上駅をはさんで「大坂山口神社」二社鎮座している。両社の祭神三柱のうち二神までが同じで、日本書紀には記紀神話時代の崇神天皇の時代に、黒盾8枚、黒矛8竿をもって大坂神を祀ったとある。どちらの神社が延喜式内社とされた大坂山口神社かは定かでない。

大坂山口神社(穴虫)

(写真は 大坂山口神社(穴虫))

大坂山口神社(逢坂)


 二上駅から南西へ約400mの穴虫に「大坂山口神社」があり、崇神天皇の時代に黒い盾と矛をもって大坂神を祀ったのが創祀と伝わる。祭神は本殿に山の神である大山祇命(おおやまづみのみこと)、相殿に素戔嗚命(すさのおのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)の三神。

 本殿は江戸時代初期の寛永2年(1625)と寛文12年(1672)の棟札がある建物。古くは相撲神社として知られ「馬場(東穴虫)のお宮さんの相撲」と呼ばれ、秋の例祭には奉納相撲が盛大に行われ、拝殿前に土俵があったが現在は取り払われ、奉納相撲も中止された。

(写真は 大坂山口神社(逢坂))


 二上駅から東へ約500mの逢坂にも「大坂山口神社」がある。祭神は大山祇命、素戔嗚命までは穴虫の大坂山口神社と同じで、残りの神は神大市比売命(かむおおいちひめのみこと)の三神。本殿は三間社流造の桧皮葺きで、寛永15年(1638)造営の棟札があり、室町時代後半の様式を伝えているとされている。

 宝物には鎌倉時代の木造男神座像、女神座像の2体のほかに室町時代、江戸時代の9体の神像がある。ほかに平安時代末期から鎌倉時代、江戸時代にかけての木造狛犬、瓦製狛犬8体がある。これらの狛犬は本殿の補修、改修のたびに奉納されたと見られ、この神社の歴史の古さがうかがえる。

木造女神坐像

(写真は 木造女神坐像)


恵心僧都生誕の地  放送 9月4日(木)
 香芝市は天台宗の高僧・恵心僧都・源信の生誕地と伝えられ、JR和歌山線五位堂駅の西に「源信生誕地」の石碑が立っている。源信は平安時代中期の天慶5年(942)生まれ、9歳で比叡山に登り、天台宗中興の祖・良源の弟子となった。 香芝市にあみだ橋と呼ばれる橋がある。この橋の上で幼少の源信と出会った旅の僧が、この子は将来大成すると感じ、出家するように勧めたとの伝えがある。

 この僧の予言通り「行の僧・空也上人、知の僧・源信」と言われたほどの高僧になって浄土教の発展に大きく貢献し、後に浄土宗を開いた法然、浄土真宗を開いた親鸞にも大きな影響を与えた。

阿弥陀橋

(写真は 阿弥陀橋)

福應寺


 香芝市の東部、近鉄大阪線五位堂駅から西へ1kmのところにある福應寺の本尊・阿弥陀三尊来迎図は、恵心僧都・源信が阿弥陀仏、観音菩薩、勢至菩薩の三尊を板の上に描いたものと伝えられ、霊験あらたかな三尊として篤く信仰されている。

 この阿弥陀三尊来迎図はヒノキの板3枚をつないだ高さ133.8cm、幅69.5cm、厚さ4.5cmの板に薄紙を貼り、絵の具を使って極彩色に描かれている。板に描かれた阿弥陀三尊来迎図は珍しいもので、秘仏の本尊となっており毎年7月9日に開扉され拝観することができる。

(写真は 福應寺)


 この阿弥陀三尊来迎図にはエピソードが伝わっている。源信が故郷の津川のほとりを通りかかった時、川で念仏を唱えながら洗濯をしていた女性のようすに阿弥陀三尊を感得し、その洗濯板に三尊の姿を描きその女性に授けたと伝わっている。これが應福寺の三尊板仏の由来とされている。

 源信は44歳の永観3年(985)に「往生要集」3巻を著している。その中で「穢土(えど)を厭(いと)い離れ、浄土を欣(ねが)い求めよ」とする「厭離穢土(えんりえど)」「欣求浄土(ごんぐじょうど)」を説き、極楽往生のために念仏すべきことを教えた。この思想は藤原道長、紫式部、鴨長明、西行をはじめ多くの人に影響を与え、中国・宋の国でも高い評価を得た。

板地紙貼彩色阿弥陀三尊来迎図

(写真は 板地紙貼彩色阿弥陀三尊来迎図)


阿日寺  放送 9月5日(金)
 香芝市南部にある阿日寺は、極楽浄土へ往生するために念仏を唱え、その功徳にあずかることで救われると説いて浄土思想を広め、さらにこの教えをまとめた「往生要集」を著した平安時代の僧の恵心僧都・源信生誕の地と伝えられている。

 本堂に恵心僧都が母の忌中に刻んだ阿弥陀如来像、父のために刻んだ大日如来像が祀られ、寺名の「阿日寺」は、この二仏から「阿」と「日」を1字ずつ採ってつけられたと言う。本堂の欄間には楽器を奏でる菩薩が刻まれ、極楽の世界を思わせる。

恵心僧都源信木造

(写真は 恵心僧都源信木造)

大日如来坐像

 恵心僧都は母の臨終に際し、浄衣(新しい着物)を着せて除魔の法を修し、母とともに念仏を唱えた。母はその翌日に安らかな死を迎え、安楽往生して生涯を閉じた。阿日寺には恵心僧都の父母の墓がある。

 恵心僧都は母の忌中に阿弥陀仏像を刻み、母の身代わり仏として朝夕に念仏を唱えた。この阿弥陀仏像は無病息災で長寿をまっとうし、一切の苦しみと災厄を払いのけ、しもの世話もかけずに安楽往生できる霊験があると阿日寺の本尊として祀られてきた。

(写真は 大日如来坐像)

 恵心僧都の母の安楽往生が、臨終苦からの解放や極楽往生を願う信仰につながり、阿日寺が通称「ポックリ寺」と呼ばれ、ポックリさん信仰として関西一円に広まった。

 恵心僧都が母のために行った除魔の修法は今日に伝えられており、毎年7月10日の恵心僧都遠忌大法要の日に、参詣者のための祈願がこの修法によって行われている。この日には寺に伝わる「地獄絵図」が特別公開され、参詣者たちはこの絵図を拝観して極楽往生の念を一層強くする。

恵心僧都両親の

(写真は 恵心僧都両親の墓)


◇あ    し◇
二上山(雄岳)  近鉄南大阪線二上山駅下車徒歩約1時間10分(個人差あり)。

屯鶴峯近鉄南大阪線二上山駅下車徒歩30分。 
近鉄大阪線関屋駅下車徒歩40分。

香芝市二上山博物館近鉄大阪線下田駅下車徒歩7分。 
JR和歌山線香芝駅下車徒歩10分。

別所城山第2号墳近鉄大阪線五位堂駅下車徒歩15分。 

狐井城山古墳近鉄大阪線五位堂駅下車徒歩15分。 

平野塚穴山古墳、正楽寺JR和歌山線志都美駅下車徒歩15分。 
大坂山口神社(穴虫) 近鉄大阪線二上駅下車徒歩5分。
大坂山口神社(逢坂) 近鉄大阪線二上駅下車徒歩7分。

福應寺近鉄大阪線五位堂駅下車徒歩15分。 

阿日寺近鉄大阪線五位堂駅下車徒歩20分。 



◇問い合わせ先◇
香芝市商工農産課 0745-76-2001 

香芝市二上山博物館 0745-77-1700 

正楽寺 0745-77-8401 

大坂山口神社(穴虫) 0745-77-7629

大坂山口神社(逢坂) 0745-77-3306

福應寺 0745-79-5570 

阿日寺 0745-76-5561 


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