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「今度は僕らが助ける番」灯籠で描かれた“ともに”の文字 能登半島地震の被災地に寄り添う思い 阪神淡路大震災から29年

01/17 17:28 配信

 6434人が亡くなり、今も3人が行方不明となっている阪神淡路大震災から17日で29年です。
 神戸市中央区の東遊園地では、多くの人が鎮魂の祈りを捧げています。

(息子を亡くした女性)「一緒に初めて来てくれて、きのうから(灯籠に)名前を書いて、そこにろうそくを付けようと思って…」
(女性の孫)「悲しいことは変わらないけど、一緒に行くことで乗り越えるじゃないけど、一緒に想いを寄せたくて来ました」

 1995年1月17日、早朝に発生した阪神淡路大震災。街は一瞬にして変わり果て、6434人の尊い命が奪われました。

(大阪から来た女性)「初めてここに来ました。1日にあった能登での地震を見て、自分にできないことないかなと考えたときに、石川に行くのは難しいので、ここに来て力になれたらなと」

 今年、灯籠で描かれた文字は「ともに」。若い世代とともに、震災の記憶を継承するという決意と能登半島地震の被災者に“寄り添う”・・・そんな思いが込められています。

(石川・輪島市から来た男性)「一番最初に感じたのは若い人がいるのにびっくりした。信頼とか信用とか、優しさが。やっていることそのものが根底にあったかい血がながれているなと」

(大阪で被災した人)「僕らも阪神の時に石川の人にもお世話になったし、僕らも恩返しせなあかんなと思いますね。やっぱりお互い様やから、今度は僕らが助ける番やから(石川の人を)助けなあかんなと思いますね」

 児童8人が亡くなった芦屋市の精道小学校では、毎年この日に追悼式が営まれています。全校児童で折った千羽鶴も供えられました。

(児童代表)「震災学習で命の大切さを忘れず、今を大切に生きるということと言葉の大切さを学びました」

 震災から復興した街並みを歩き、防災意識を高めようという催しが今年もありました。
「1.17ひょうごメモリアルウォーク」。参加者は、神戸市内約4キロを歩きました。

(尼崎市から参加した人)「震災当時のことを歩くことによって思い出して、忘れないように。忘れることはないと思うんやけど」

 兵庫県の追悼式典では、地元の小学生らが「しあわせ運べるように」を歌い上げました。この曲は震災からわずか2週間で生まれて以来、”復興のシンボル”として、たくさんの人に歌い継がれてきました。

最終更新:01/17 17:28

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