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福知山線脱線事故から21年 記者が見た「事故車両保存施設」 一瞬で奪われた日常・・・その“瞬間”が保存・再現される 見学や今後のあり方は

04/24 16:30 配信

 2005年4月25日、兵庫県尼崎市のJR福知山線を走る快速列車が、塚口駅から尼崎駅に向かう間、制限速度70キロのカーブに時速116キロで進入し、脱線。
 乗客106人と運転士が死亡、562人が重軽傷を負う、未曾有の大事故となりました。

 JR西日本は脱線した車両などを、これまで兵庫県姫路市や大阪市で分けて保存してきましたが、事故の凄惨さを風化させないために、役員ら幹部や一般社員が見学・研修できる場所をと考え、去年10月、大阪府吹田市に車両保存施設を建設しました。
 施設は、事故の被害者や遺族だけでなく、当時救助に携わった救助関係者や鉄道事業者などが希望した場合にも案内しているということです。

 保存施設はJR西日本の社員研修センターの隣に建設され、当初は役員・管理職社員を優先的して見学が始まり、3月末時点ですでにJR西日本の社員約2000人が研修を受けたということです。
 またJR西日本は、遺族の約4割が、被害者の約1割がすでに見学していることも明らかにしました。

 こうした中、4月中旬、JR西日本が報道関係者にも、事故車両保存施設を案内しました。
 報道関係者に保存施設を案内するのは去年12月に案内した以降、今回で2回目となります。
 このタイミングで案内することを決定した理由について、JR西日本は、鉄道関係を取材する担当の記者クラブ、「青灯クラブ」に所属する記者が人事異動などで変わったことなどを挙げていて、今回は、加盟する各社からそれぞれ1名ずつが参加しました。

【以下、小橋亮記者による報告】
 4月中旬、記者が参加した案内は、所要時間がおよそ1時間半と限られた時間でのものでした。
 中に入ると、施設は地下1階と地上1階の2階建て2フロア。
 1階には当該の事故車両そのものが保存されていて、車両の原型をとどめていない1両目から4両目は車両の部品を縦三つに区分けし、屋根部分、側面部分、下部にある機器などの部分を分けて展示。
 区分けされた状態でも、車両の構造そのものを想像できるように設置されていました。

 また、当時の客席を想起できるようにと、当該車両の座席やつり革などが「当時客室内でもともとあったとみられる場所」に置かれている展示もありました。
 保存のためガラスなどで囲まれていて、室内は機器や客席の長期保存のため空調管理がされていました。

 記者が案内を受けた際に見たのは…
 乗客が乗っていた座席部分の椅子は、中のクッションが飛び出すなどしていて、事故当時の衝撃を物語っているようでした。また白いはずのつり革も、事故の際に付着した土なのか、衝突した際に漏れ出た油が付いたものなのか…、薄黒く変色していました。

 また、5両目~7両目は車両そのものが展示されていて、特に目に入ってきたのは、5両目の進行方向の先頭部分。
 先頭部分の右側が当時脱線した際に4両目最後尾の左側と衝突したとされていて、割れたガラスや、車体のへこんだ部分などがそのままの状態で保存されていました。

 地下1階は5つの部屋に別れていて、JR西日本によりますと、社員らは研修の際、1つ目の部屋から4つ目の部屋を巡ってから、1階の車両保存室を見学し、5つめの部屋でJR西日本のこれまでの安全への取り組みを学ぶということです。

 まず案内された部屋には複数のテーブルが設置され、企業理念と安全憲章が書かれたパネルが置かれていました。社員が脱線事故に関して理解する場として利用するといい、ここで社員らは「事故を心に刻み、心構えを整える」のだということです。

 2つ目の部屋に案内されると、目に飛び込んできたのは当時の新聞各紙と報道で使用された写真でした。
 その展示の中を進んでいくと、当時の事故発生当時の現場を再現した、実寸大の20分の1の模型があり、そこに当時救助活動に当たった人たちの活動記録の冊子も展示されていました。
 実際の社員らの見学の際には、救助に携わった人々や、被害者の方が当時を振り返る映像が上映されるということです。(※今回の案内では時間の都合上上映はなし)

 3つ目の部屋に入ると、まず脱線事故当時のレールや枕木、列車が追突したマンション付近にあった電柱など当時のものが展示されていました。
 枕木やレールには、脱線した際に通ったであろう車輪の痕跡が残っているのがわかりました。
 部屋の中を進むと・・・事故当時の“1両目・2両目”の状況が実寸大の模型で再現された展示が。
 脱線した車両がマンションに衝突した際、機械式駐車場に侵入した1両目、2両目の車両がマンションを覆うようにして曲がっている様子が再現されていて、見学した人に対して事故の凄惨さが胸に突き刺さるような衝撃を受けました。

 特に、マンションの地下駐車場に侵入した1両目の模型は、初見では駐車場に停まっていた車と、車両の見分けがつかず、JRの担当者から説明を受けながら見ないと、状況が理解できないほどでした。

 地下1階の4つ目の部屋では当時、救助に携わった方や遺族の声がスクリーンで紹介され、その横には、亡くなられた方々の遺留品が。
 衣服やバッグ、血の付着した紙幣、画面が割れた電子辞書など、様々な人たちの日常が一瞬にして奪われたことを物語っているようでした。

 最後に案内された部屋には、JRが安全に関わる取り組みがパネルで展示され、当時の事故調査委員会による最終報告書やJRが事故後に策定した安全性向上計画についてなど、たくさんの文章が記されたパネルが部屋にぎっしりと詰めて展示されいました。

 記者が事故車両保存施設の見学を通じて感じたのは、改めてあの脱線事故がどれだけ異常事態だったことか身に染みて感じました。

 特に原型を留めていない1両目、被害者の救助のために切断された2両目は当時の事故の大きさそのもので、記者も日々通勤でJR沿線を利用していますが、展示されているものが列車の一部と言われても理解できないほどでした。

 中でも印象的だったのは、遺族の講話の展示で、「事故の風化」を懸念する声。
 2005年の事故以降に生まれ、「事故を知らない」という世代が増えていく中で、研修を受ける社員や関係者に、事故の悲惨さを突きつけて“風化させない”という思いを強く感じるものでした。

 施設の見学を通じて、施設のあり方の今後も含め、この「福知山脱線事故」について取材を続けていかなければならないと強く感じました。
(報告:小橋 亮記者)

最終更新:04/24 16:30

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