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”光の魔術師”フェルメールと交友があった?微生物を発見した科学者レーウェンフック 福岡伸一さんが関係を考察
07/20 18:00 配信
「光の魔術師」と呼ばれるフェルメール。
「牛乳を注ぐ女」や「手紙を書く女」など、外光が差し込む静かな部屋に、女性がたたずむ情景を描いた作品を数多く残している。
フェルメールは”カメラの原型”を使っていた?
復元されたカメラ・オブスクーラ=オランダ・デルフトのフェルメールセンター
繊細な光の表現が際立つこれらの作品。制作にあたっては、フェルメールがカメラ・オブスクーラと呼ばれる箱形の光学機器を使っていた可能性が研究者らによって指摘されている。
現在のカメラの原型となったこの機器を使うと、ピンホールの原理で目の前の情景を投影し、ありのままに描くことができた。
側面のレンズを通して投影される情景は一眼レフで撮った写真のように、焦点が合っている箇所はくっきりと、それ以外はぼんやりと映し出された。フェルメールはそんな微妙な光の加減を作品で表現している。
フェルメールと同時代のデルフトに生きた科学者
レーウェンフックの肖像画=オランダ・ライデンのブールハーフェ博物館
一方で、フェルメールが活躍した17世紀のオランダ・デルフトにはレンズを使って科学史に残る大発見をした人物がいた。
アントニ・レーウェンフック。
史上初めて、顕微鏡を使って微生物を発見した科学者だ。フェルメールと同じ年に生まれ、洗礼の日付は4日しか離れていなかった。
織物商人だったレーウェンフックにとって、生地の品質を調べるために使う拡大鏡は商売道具だった。本業の傍らで、極小のレンズをはめ込んだ顕微鏡を自作し、身の回りのものを観察することにのめりこんでいく。
レーウェンフックの顕微鏡。中央にはめ込んだ極小のレンズで針先の標本を観察した=オランダ・ライデンのブールハーフェ博物館
「水の中の生き物は縦横無尽に素早く動き回り、ぐるぐると回るものもいました。ただただ驚くばかりでした」。
1674年、デルフト近郊の湖で採取した標本を顕微鏡でのぞき込んだレーウェンフックは、無数の微生物がうごめいているのを発見する。
その後も顕微鏡で赤血球や精子などの観察を続け、記録をイギリス・ロンドンの王立協会へ送っていた。
レーウェンフックが生涯で製作した顕微鏡は500以上と言われている。最高倍率は当時の水準を大きく上回る300倍近くに達していた。
フェルメールとレーウェンフックの関係は
レーウェンフックの観察記録にある精巧なスケッチ=小林廉宜さん撮影
レンズを通して、世界を正確に捉えようとした2人。レーウェンフックは、フェルメールの死後、その遺産管財人に指定されているが、生前の交友を示す証拠は見つかっていない。
ただ、フェルメールの大ファンだという分子生物学者の福岡伸一さんは、2人は親しい間柄だったと考えている。その根拠は、福岡さんがロンドンの王立協会で実物を確認したレーウェンフックの観察記録にあった。
リポートに描かれていたのは、まるで石膏(せっこう)デッサンのような精密なスケッチ。レーウェンフックは「熟達の画家に依頼した」と書き残していた。
フェルメールの死後にスケッチの描き方が変わったという=小林廉宜さん撮影
福岡さんは、フェルメールの自宅兼アトリエから徒歩で数分の距離に住んでいたレーウェンフックが、フェルメールにスケッチを頼んだのではないかと推測する。
スケッチの描き方は、フェルメールがこの世を去った1675年ごろを境に大きく変化していたことから、福岡さんは「フェルメールが急死してしまって、絵が変わらざるを得なかったという推論が成り立つ」と話す。
同じ町に生まれ、同じ時代を生きた画家と科学者。フェルメールの名作は、レーウェンフックから刺激を受けて生まれたのかもしれない。
ABCテレビなどが主催する「フェルメール《真珠の耳飾りの少女》展」(大阪中之島美術館、8月21日〜9月27日)の通常券の抽選販売は、7月21日正午までです。
最終更新:07/20 18:00


