コメンテーターのつぶやき

巧妙な語り口でニュースに切り込む、おはようコールのコメンテーター陣。 そんな海千山千の識者が、意外な趣味・趣向で文章をつづる『コメンテーターのつぶやき』。 これを読めば、新たな世界が見えてくるかも!?

コメンテーター comenter中川謙

2014年1月23日(木)

戦犯の末裔たち

政治の世界はたしかに一寸先が闇だ。
見ようによっては、その闇は光なのかもしれない。どちらなのかは、まさに見る人の政治的価値観による。
 都知事選挙に細川護煕さんが名乗り、のサプライズニュースにそれを思う。
 元首相の細川さんを、同じく元首相の、それも自民党の小泉純一郎さんが担ぐ図式は、現在の政治状況が深く影を落としている。戦いの相手は自民党が支援する舛添要一さん。これを混迷といわずにどう言おう。

周知の通り舛添さんは自民党に愛想をつかした、と離党、そして除名されている。
自民党 →(支援)→ かつて除名した政治家 ←(対決)← 元首相 ←(支援) ← 自民党の元首相。
なんとまあ、複雑怪奇な方程式であることよ!

対決の焦点は、原発、なのだそうだ。だが、ここはひとつカメラのズームを引き、歴史の背景を広げて眺めてみよう。そこには別の光景が浮かんでくる。
新たな登場人物、それは安倍晋三さん。ご存知、自民党の、時の首相である。
細川さん、安倍さんの二人には共通点がある。ご両人ともA級戦犯(容疑者を含む)の母方の孫なのだ。
細川さん ← 近衛文麿、安倍さん ← 岸信介、の血族関係。近衛、岸ともに元首相、そしてA級戦犯である、などと説明を始めたら舌をかみそうにややこしい。
近衛は日中開戦の罪を問われ、連合国の占領軍に拘引される寸前、自ら命を絶った。
岸は満州国支配の責を負うとの嫌疑で拘束されるが、訴追は免れ、政界に復帰したばかりか、複雑ないきさつを経て首相の座に上り詰める。平和憲法の改正を悲願とし、安保条約改定の強行で日米同盟の礎を築いた、との評価が定まっている。
細川、舛添対決の構図の遠景には、近衛、岸の両戦犯がまるで亡霊のように影を落としているような気がしてならない。
この亡霊、いや失礼、戦犯たちがあの戦争をどう総括したかは、今となっては知る由もない。だが、その孫たちについてはそれができる。
細川さんは93年、首相になってすぐこう明言した。「(あの戦争は)侵略、間違った戦争だった」。それまでの政府は戦争の性格についてああだ、こうだと、煮え切らない弁を重ねてきた。そこを細川さんはバッサリと断ち切った感じ。
対する安倍さん。去年4月の国会で「戦争の定義は定まっていない」と答弁した。
日本と戦った連合国が、日本の行為を「侵略」と断じ、日本も受け入れた「(あの)戦争の定義」を無視するかのような物言いの意味を、当人は自覚しているのだろうか。
細川さんが断ち切ったはずのものが、またまたぐずぐずと癒着してしまった感じ。
この拙稿をしたためている現時点、都知事選挙はまだ告示されていない。
ただ選挙戦がどんな展開になるにせよ、戦争が侵略であったのかどうか、つまりいわゆるところの歴史認識論争が通奏低音を奏でることは間違いない。
都知事選の一寸先に現れた「闇」の正体は、実は私たちがいつまでもぐずぐずと引きずっている「戦争」の影なのかもしれない。
 さて、その先に「光」が見えることは、あるのかどうか。