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バックナンバー

放送日
2017年4月18日(火) 2時間SP
旅人
櫻井淳子
アメリカ合衆国(アラスカ州)

「アラスカ 最北端 先住民族の町に住む日本人」を探す旅に出たのは女優・櫻井淳子。アラスカへはアメリカ・シアトルを経由して14時間半、テッド・スティーブンス・アンカレッジ国際空港へ降り立つ。あたり一面凍った海にのぞむ町アンカレッジは、昼3時でマイナス2度という気温で、地元の人にとっては「暖かな気候」らしいが、寒がりの櫻井にとっては「風が冷たい!」と縮み上がる寒さだ。
タクシーで市街地へと向かい地元の人に話を聞くと、日本人が暮らしている町バローは、北極海を臨む「アメリカ最北端の町」だという。さらに、アンカレッジからさらに北へ1200キロ先にあると聞くや、櫻井は「ここ(アンカレッジ)よりも寒いですよね? 体がもつかな!?」と不安顔に。
バローまでは陸続きだが、通ずる道路や鉄道は一切なく唯一の交通手段は飛行機という陸の孤島。しかも、バローへの直行便は少なく、翌朝のフライトでプルドーベイを経由して行くのが最も早いという。そこで、翌朝7時45分の飛行機に乗り、プルドーベイへと到着したのは朝9時30分。しかし、そこからバロー行きの便は夕方までなく、その待ち時間は8時間。長い一日となりそうだ。
プルドーベイは油田の町で、話を聞くと、町は関係者ばかりのため、公共交通機関はなくタクシーさえないのだという。
試しに空港から外へと出てみると、そこは北極圏で、あまりの寒さに咳き込んでしまうほど! この日の気温はマイナス26度、北極海が近く風が強いため体感気温はなんとマイナス42度にまで下がるという……。

到着までの行程到着までの行程

    • 1日目
    • 日本
    • 2日目
    • アメリカ合衆国  
      アンカレッジ
    •  
    • プルドーベイ
    • 3日目
    • バロー
放送日
2017年4月18日(火) 2時間SP
旅人
篠原信一
インドネシア共和国

赤道直下の「インドネシア 手つかずの大自然 秘境の島に住むたった1人の日本人」を探す旅に出たのは、シドニー五輪銀メダリストの柔道家、篠原信一。 家族全員が番組のファンで、篠原自らが旅人としての出演依頼をしてきたのだ。
しかし、ジャカルタの空港へ着くやいなや「暑ッ! とにかく暑いわ!」と愚痴をこぼす。そして、巨体で豪快なイメージとは裏腹に、「家で虫が出ても奥さんに捕まえてもらう」と語るほど、虫が大の苦手な篠原は、向かう場所が秘境の島と聞くや「見たことのない虫もおるんちゃうん!?」とさらに愚痴が止まらない。
日本人が暮しているのはスンバワ島にあるラブアンララル村だと聞いた篠原は、「あっそうか! 自分で聞かなアカンのか!」と地図を片手にリサーチを開始。すると、スンバワ島へは、まずは飛行機でバリ島へと向かい、そこからフェリーを乗り継いでロンボク島を経由してようやく到着できるのだという。最初のうちは、バリ島と聞くや、余裕をたたえた表情で「観光しちゃおうかな! バリで海にいっちゃおうかな?」と目論んでいた篠原。だが、体の大きな篠原には小さすぎる小型のオンボロ乗り合いバスでの長時間移動や、インドネシア名物のゴム時間(まるでゴムのように伸びるかのように時間にルーズ)で時間通りに進まない長旅、そして気温41度もの灼熱の気候に、「このロケってホントきついですよね! マジきつい! 体(が)重いもん!!」と弱音を吐き続ける。さらには、ホテルのお風呂にいた白いヤモリに悲鳴を上げては放心状態に陥るなど、弱さをさらけ出しての日本人探しの旅となった……。

到着までの行程到着までの行程

    • 1日目
    • 日本
    •  
    • インドネシア共和国  
      ジャカルタ
    • 2日目
    • ラブアンララル村
    •  
放送日
2017年4月18日(火) 2時間SP
旅人
千原せいじ
シエラレオネ共和国

千原せいじは、アフリカ25カ国目となるシエラレオネで日本人探しの旅を。これまで40回もアフリカへいっているというせいじだが、最初に行ったケニアのことを今でも鮮明に覚えていて、アフリカの印象も、原住民族が裸で生活をしているモノから「高層ビルがバンバン建っていたり、とても文化的だったり」と大きく変化したという。また、アフリカ旅では、初めのころと比べて荷物が劇的に減り、今ではスニーカーとビーチサンダルでアフリカへ行っているという。しかし、そんなせいじでさえ、今回のシエラレオネの旅は、「きつかった」と一言…。
シエラレオネは、ダイヤモンドの産出国で、1991年に政府軍とRUF(革命統一戦線)がダイヤモンドの利権を巡り内戦が勃発。2001年に収束はしたものの、大きな被害が出た。さらに2014年にはエボラウイルスの流行によって約4000人が犠牲となるなど、入国できない状況だったが、2016年10月に日本の外務省の海外安全情報(危険情報)のレベルが引き下げられたことで入国可能になったのだ。
「今回は家族にも行き先を言わずに行った」(せいじ)と強い警戒をしての旅となった。激烈な内戦の傷跡を残すシエラレオネは「これまでのアフリカの旅とはテイストが違うと思って見てください」とせいじ自ら語るほど。果たして、エボラウイルスの流行下でも帰国することなく、シエラレオネで暮してきたという日本人女性とは、その地で何をしているのか……!?

到着までの行程到着までの行程

    • 1日目
    • 日本
    • 2日目
    • シエラレオネ共和国
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