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小田実さん 『上沢マル井パン』 神戸市兵庫区

2025222日(土) 午前11時

91歳のパン職人

小田実さん 『上沢マル井パン』 神戸市兵庫区

いつも夜明け前から活動を始める小田実さんは、御年91歳。毎日、自宅から10分歩いて仕事場に向かいます。実さんの職業は、この道75年になるパン職人。お客さんが求めるのは、美味しいパンと元気に働く実さんの姿。あの大震災も乗り越えました。自転車にも乗るし、趣味の海釣りにも出かけるという91歳のパン職人。そのパワーの源に迫ります。

神戸市兵庫区の閑静な住宅街にある『上沢マル井パン』。朝4時にやって来て、すぐ総菜パンを揚げ始めます。実さんの息子・卓生さんも出勤。主にパンを焼く作業の担当です。生地を作るのは実さん。『上沢マル井パン』の最大の特徴は、パン生地の長時間発酵。生地の水分量は、実さんが長年の経験で培った感覚が頼り。他にも実さんの技が光ります。一番人気は食パンですが、焼きあがったパンは、100種類以上になるでしょうか。実さんの娘・眞由美さんは、レジや品出しを担当。そして朝6時、開店と共にお客さんが来店。

お店は創業65年。102歳の常連さんから、ユーチューブチャンネルを見てインドネシアから来たご家族まで、幅広い人々に愛されているのです。実さんは91歳の今もエネルギッシュ。自転車に乗って買い物に出かけます。近所の商店街で、総菜パンに使うキャベツや、大好物のお刺身も購入。お店の方から「スーパー爺ちゃん」と呼ばれています。実さんは「仕事が楽しい。しかも皆さんが喜んでくれる」とパン職人をやめるつもりはさらさらないそうです。

お店が休みの日、実さんは息子さんと和歌山県の印南で海釣りに出かけます。4時間ほど釣りを楽しみましたが、釣り船に乗っている間、実さんが絶対にしないこと、それは「絶対に座らない」というから驚きです。さて、この日の釣果は?

終戦後すぐ、故郷の山口から神戸にきた実さん。パン屋さんを営んでいた叔父の元で技術を学び、1960年に独立。しかし1995年、阪神淡路大震災で店舗は全焼しました。一時は廃業も考えましたが、「いつ復活するの?」という周りの声に応えるべく、半年後にはプレハブを建て、営業を再開しました。

『上沢マル井パン』の小田実さんのパワーの源がもう一つ。もうすぐ一歳になるひ孫のりおちゃんです。りおちゃんのお誕生日に、家族みんなでバースデーケーキを作ります。スポンジケーキは食パンです。

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上沢マル井パン
概要職人歴75年の小田実さんが営む町のパン屋さん。長時間発酵によるふっくらもちもちのパンは時間が経っても硬くなりにくいと評判。
住所兵庫県神戸市兵庫区松本通4-1-12
営業時間6:00~19:00
定休日火曜
備考特上食(食パン)1斤260円

ホームページ
https://marui-pan.com/

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浅田晶久さん 『浅田製瓦工場』 京都市伏見区

2025524日(土) 午前11時

最後の京瓦職人

浅田晶久さん 『浅田製瓦工場』 京都市伏見区

京都市伏見区。この地で110年以上、瓦を作り続けている『浅田製瓦工場』。現在、京都でただ一人、「京瓦」を製造しているのが、三代目の浅田晶久さん。「京瓦」の神髄は「磨き」と呼ばれる技法。金属のヘラで丁寧に磨き上げ、重厚な光沢と深い鈍色の風合いを持たせる伝統の技術です。浅田さんの手掛けた瓦は、歴史ある寺社や建物の屋根を飾っています。

そんな「京瓦」も、時代と共に需要が激減。かつて京都に十数軒あった瓦工場は、今やここだけ。後継者もおらず、厳しい状況が続いています。「それでも後に残していかなあかん」。伝統を次の世代へ繋げたい。喜寿を目前にしても、休むことなく「京瓦」の可能性と未来への道を追求する浅田さん。しかし今、ある大きな決断を迫られていました。

先月、開幕した大阪・関西万博。「関西パビリオン」の中の京都ゾーンの床と壁を覆う素材として使われたのが「京瓦」です。瓦製作を監修したのが、浅田さん。オファーしたのは、空間デザインを担当した彫刻家の名和晃平さんです。「京瓦のおかげで、ここは静謐な空間になりました」。

浅田さん、屋根がダメなら床や壁にと、京瓦の未来のために、新たな可能性に挑みます。「これ、アインシュタイン・タイルといって、床に敷く」。不思議な形の13角形。早速、デザイン会社から発注がありました。その枚数、1840枚。一枚一枚、想いを込めて仕上げていきます。納品するのは東京都内のオフィス。さて、どんな空間になったでしょう。

切なる思いで、京瓦を残す道と、後継者を探し続けてきた浅田さん。しかし経営は厳しく、人材の採用すらままならないのが現実です。そこで昨年12月、大きな決断に踏み切りました。それは114年の歴史を持つ『浅田製瓦工場』の経営権の譲渡。

同じ未来を見据え、経営権の譲渡にむけて共に歩んできたのは、息子の憲和さんです。憲和さんが2年以上かけて探したのが、京都指定伝統工芸品の「事業再生と企画運営」を行う会社でした。しかし新体制に向けての大切なミーティングで、親子は激突します。心の整理がつかない父親の姿勢を見て、憲和さんがぶち切れました。「何が残したいや!全部自分で潰してるやんけ!必死やねんこっちは!」

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