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アイコン 2017年2月5日(日)放送

篠原信一

「人生で大事なことは家庭菜園から学んだ」
篠原の柔道人生は、99年に世界選手権で二階級制覇をするなど順風満帆なスタートを切ったが、2000年のシドニー五輪では銀メダルに屈し、監督として日本柔道を率いた2012年は、日本男子史上初の金メダル0個という惨憺たる結果を招いてしまう。失意の篠原は天理大学で柔道の指導を続けていたが、2013年に柔道界から身を引く決意をする。そんな中、妻の言葉をきっかけに出会ったのが『家庭菜園』だった。種を植えて芽が出たときの喜びは何物にも代えがたいと語る篠原が、家庭菜園から学んだ大事なこととは?そして、『家庭菜園』を始めるきっかけとなった妻の一言とは…?
「登りつめた先にだけ幸せがあるんじゃない」
「人生で大事なことは大嫌いな柔道から学んだ」
「柔道は…嫌いですね」と言い切る篠原が、柔道と出会ったのは12歳、中学1年生のとき。学校でいちばん怖いと恐れられていた先生から直々に「体が大きいから入れ!」と勧誘され、断れずに半ば無理矢理に入部したのが柔道部だった。 実はスポーツは苦手で、ビビリの性格だったという篠原。毎日受け身ばかりで「まったくおもしろくなかったんです」と仮病を使ってはズル休みばかり。中学卒業と同時に柔道はやめようと決めていたのだという。だが。篠原の恵まれた体格は強豪高校、日本一の大学の先生の目にとまることになる…。
嫌いだった柔道で、シドニー五輪で銀メダルを獲得し、監督として日本柔道を率いるまでにいたった篠原。嫌いだけど生業になったという点で「私も重なるんですよ」と話す林。「予備校講師の仕事は好きじゃないけれど、僕の授業はビデオで見てみると、惚れ惚れするくらい素晴らしい」と、“好き”と“できること”は決してイコールではないと分析する。
「好き嫌いで道を選ばない」

平田巳登志(塩パン生みの親 「パン・メゾン」店主)

「人生で大事なことは塩パンから学んだ」
もう一人のゲストは、大流行となっている塩パンの生みの親で愛媛県・八幡浜市にある『パンメゾン』の店主・平田巳登志さん。今やお店で1日に8000個以上売り切れてしまうという大人気商品の塩パン。しかし、塩パン誕生までには、壮絶な苦労があったという。
父親の製パン会社に勤めながら、東京のパン作りの専門学校に通い、パンの研究に明け暮れていた平田さん。しかし、製パン会社が大手企業に吸収合併されることに。独立を決意した平田さんは、猛反対した親と大喧嘩。1997年、41歳のときに『パン・メゾン』をオープンしたという。平田さんは東京で学び手応えを感じていた固くて味わいのあるドイツパンで勝負をかける。しかし、ドイツパンを知らない人が多く、客足は遠のくばかり。
1年に100種類以上ものパンを開発しながら全く売れず7年の月日が経ち窮地に陥った平田さん。そんな時にお客さんの“ある一言”から塩パンが生まれたという。
「美味しいかどうかは、食べる人が決める」