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【独自】辺野古ボート転覆事故から2カ月  命の安全はなぜ置き去りにされたのか 新たな映像・証言が示す“悲劇の背景”

05/13 20:00 配信

 沖縄県・辺野古沖で、同志社国際高校の生徒らを乗せた小型船が転覆し、2人が死亡した事故からまもなく2カ月。

 新しい映像と証言から見えてきた、安全対策の不備とは。

【動画で見る】「あまりに異質すぎて唖然」 新映像と新証言で浮き彫りになった安全対策の不備

一瞬にして悲劇と化した平和学習旅行 沖縄・辺野古沖でボート転覆し生徒ら2人亡くなる

 沖縄本島の北部に位置する名護市辺野古。街には70年近く前からアメリカ軍海兵隊の基地「キャンプシュワブ」が置かれ、エメラルドグリーンに染まる海の一角では、現在も軍の新たな飛行場の建設が進められています。事故が起きたのは、そのすぐそばでした。

「乗っていた船が大きな波にのまれて全員が船から落ちた」との通報を受け、救助活動が始まりました。船底をあらわにしたまま曳航される小型船。転覆したのは「不屈」そして「平和丸」と名付けられた、新基地建設に反対する“抗議船”でした。

 乗船していたのは、抗議団体「ヘリ基地反対協議会」所属の船員3人と、京都にある同志社国際高校の生徒18人。生徒の目的は抗議活動ではなく、基地建設の現場を見学し平和について学ぶ「平和学習」でした。

 この事故で、「不屈」の船長で牧師の金井創さん(71)と、「平和丸」に乗っていた同志社国際高校の武石知華さん(17)が亡くなりました。

 一瞬にして悲劇と化した平和学習旅行。ほかにも生徒12人がけがをしました。知華さんは転覆から約1時間後、身につけていた救命胴衣が船に引っかかった状態で見つかり、死因は溺死でした。

 事故から2日後、知華さんの母親は娘の洋服と帽子を身につけて辺野古漁港を訪れました。

 転覆した船を前に「ともちゃん ママ来たよ」「どこに引っかかっちゃってた?」「怖かったね ともちゃん」と涙ながらに語りかけました。

友人ときれいなサンゴ礁を見るのを楽しみにしていた知華さん

 4人家族の次女として生まれた武石知華さん。遺族によると、沖縄では抗議活動をする意図など微塵もなく、友人らと綺麗なサンゴ礁を見るのを楽しみにしていたといいます。

 事故後、遺族が綴ったSNSの投稿には、あの日からの出来事が記録されています。

【発生当日 第一報】
「妻が、一緒に船に乗っていた友人の母親から電話を受ける。『乗っていた船が転覆して、知華ちゃんが意識不明で救急車で運ばれたみたい』」

【発生当日 訃報】
「校長先生含む2名から『武石知華さんが意識不明で病院に運ばれ、先ほど病院から連絡があり、12:29、死亡が確認されました』と伝えられる」

 知華さんは飛行機で家族とともに家路につきました。

 家族は「おかえり」「1人でさみしかったね、一緒に乗ってきてくれて」「みんなに会おうね、ともちゃん。友達会いに来てくれるから」と語りかけます。

突然訪れた娘との別れ…遺族がSNSで指摘した研修旅行の“異質さ”

 遺族はSNSで「知華の名前が書かれている死体検案書、死亡届を直視できない」「子を失った親は皆こんな思いをしてきたのか」と悲痛な思いを吐露。

 さらに、今回の研修旅行そのものの異質さについても疑問を投げかけています。

遺族の「note」より
「知華が『抗議船』に乗ることなど全く知りませんでした。『これに乗っているはずがない。心肺停止で運ばれたのは人違いだろう』とさえ思ったのです」
「定員ぎりぎりの生徒を乗せ、海上保安庁の船が監視する中、抗議活動の場を通り抜ける。それを第三者がどう見るかは、火を見るより明らかです」

 学校や抗議団体に募る不信感…。事故はなぜ起きたのか。

なぜ波浪注意報が発表されている中で… 出航の基準は「船長に一任」

 事故後、船の運航を担う「ヘリ基地反対協議会」と同志社国際高校がそれぞれ会見を開きました。そこで明らかになったのは、杜撰ともいえる安全管理の実態でした。

 これは、事故の約3時間後に撮影された現場海域の映像。海上保安庁の発表によれば、白波が立っている辺りで船は転覆しました。

 サンゴ礁が広がる浅瀬。その外側は、水深が急激に深くなり、強い波が発生することで知られています。

 亡くなった金井船長とともに一時期、抗議船に乗っていたという仲宗根和成さんは「事故が起きた現場は通るような場所ではないことは金井さんもわかっていたと思うので、なぜそこへ近づいたのかもわからない」と疑問を呈しています。

 20年近い操船経験を持つ金井船長は、波浪注意報が発表されている中、船を出しました。

 ヘリ基地反対協議会の浦島悦子共同代表は「海況は悪くなかったと、それで船長も大丈夫だと出航の判断をしたと思うが、突然高波がきて最初の船が転覆して、それを助けようとして次の船も高波に襲われて転覆したと聞いている」と説明しました。

 運航団体は出航の基準を「船長に一任」しており、学校側も「最終的に教員と話し合った上で船長の判断にお任せした」と説明。

 しかし、教師らは波浪注意報が出ていることすら知らず、船にも乗船していませんでした。転覆後、海上保安庁に通報したのは海に投げ出された生徒たちでした。

船の運航体制にも不備があった可能性も

 船の運航体制にも不備があった可能性も指摘されています。

 海上運送法では、他人の求めに応じ運航する場合、有償・無償にかかわらず国の事業登録を受け、出航判断の基準などを定めた規定を作成する必要があります。しかし、今回転覆した「不屈」と「平和丸」の2隻は、どちらも未登録でした。

 元海上保安官で日本水難救済会の遠山純司理事長は「明らかに海上運送法の一般不定期航路事業、これを構成する要件である『他人の需要に応じて人を運送する事業』に該当する」と指摘。「したがって今回の登録なしで運航をしていた船の団体については、海上運送法違反である可能性が極めて高い」と述べました。

 波浪注意報が出る中、明確な出航基準も持たず海へと出た“抗議船”。海上保安庁は業務上過失致死傷などの疑いも視野に捜査を進めています。

生徒らが語った“転覆の一部始終” 「急に海の色濃く変わり、波が荒く…」

 さらに、船に乗っていた生徒らが事故後に関係者へ語った驚きの証言が明らかになりました。

 生徒らの証言によると、出航後、海上保安庁と並走し「かなりのスピードが出ていて少し怖かった」といいます。また、当初は波が穏やかで、サンゴ礁でできた島をぐるっと回り、「船長さんと船の操縦について話していた流れで『操縦してみる?』と提案してくださったので、操縦しても大丈夫なところに移動してから操縦することになりました」と生徒が操縦を体験したことが語られました。

 その後、金井船長に操縦が代わり港へ戻る途中に状況は一変。「急に海の色濃く変わり、波が荒くなってきました」「船のスピードもかなり上がり、横から大きな波が来てそのまま転覆しました」といいます。

 さらに「横から大きな波が来ているのを見て私たちは叫びましたが、船長さんはまっすぐ前を向いたまま何も言わずに操縦していました」と船長の様子についても語られ、気づいた頃には生徒たちは海へと投げ出されていたといいます。

 辺野古区長の徳田真一さんによると、付近の岸壁は漁業関係者の船しか係留できないため、抗議船への乗り込みは無造作に岩が積まれた防波堤から行われていたといいます。

 記者が現場に立つと、足場の悪さと防波堤の高さに恐怖を感じるほどでした。

 乗船前の写真には、高い防波堤から岩場に下り、船に乗り込む生徒らの姿が収められていました。

 徳田さんは、今回の平和学習のあり方に疑問を呈しました。

「反対活動家の皆さんと反対活動してる場所に行って見たという話ですが、平和学習とはちょっとかけ離れているのかなと思っております。今後また引き続き活動、思想いろいろあると思うんですけど、活動のやり方は考えるべきじゃないのかなと思ってます」

学校側の主張と食い違い 船長は「抗議船」と明言 去年発行のレポートに記載

 同志社国際高校の西田喜久夫校長は平和学習の重要性を強調しつつも、船が「抗議船」であるとは認識していなかったと主張。

 ところが、この主張と食い違うような記述が、学校側の資料から見つかりました。

 取材班が入手したのは、同志社国際高校が去年8月に発行した研修旅行のレポート。そこには、亡くなった金井船長のメッセージも掲載されていました。

 「基地があるから、そこに戦争がやってくる」「沖縄戦が、それを実証しています」と新基地建設に抗う思いが語られ、そのメッセージでは船が『抗議船』であると明言されていました。

 さらに「海は危険な場所でもあるんですね」「実際に仲間の船長が抗議活動にいって海で亡くなっています」と、船に乗っての抗議活動が命に関わることだと学校側に語っていたのです。

 学校側は、ABCテレビからの、船の危険性や抗議船であることを認識していたかなどの質問に対し、「文部科学省の調査中のため回答は控える」と回答しています。

 ヘリ基地反対協議会の共同代表らは、生徒らを乗船させたことについて「海上活動を担うチームに任せていて、事故が起きるまで把握していなかった」と説明。
 亡くなった武石さんや遺族、ケガをした生徒への思いを尋ねると、「私たちの行動の中でこういう悲しい事故が起きてしまったということは、ほんとにもう悔いています」と後悔の念を語りました。

 事故後、協議会は一切の抗議活動を自粛し、遺族への直接謝罪の意向を弁護士を通じて伝えているといいます。

「なぜ我が子が」癒えぬ遺族の心

 亡くなった武石知華さんは幼いころから、両親の仕事の都合で海外の学校に通い、様々な国の人々と触れ合ってきました。

 日本に帰国し、中学校から通い始めたという「同志社国際」での日々は、国外での経験が長かった知華さんにとって、まさに憧れの時間だったそうです。高校では「積極性」を磨いて新たなチャレンジに踏み出したい、そう語っていたといいます。

 なぜ、わが子が…原因究明を待つ、遺族の心は癒やされぬままです。

遺族の「note」より
「初めて会った取引先の人にも、2人の娘の自慢をしてしまうくらい、明るく優しく聡明な子でした。家族想いで、家族で出かけるのをいつも楽しみにしてる子でした。家族4人で過ごせる幸せな時間はずっと続くものと思っていました。本当に、どうしてこうなってしまったのか。言葉が続けられません」

(「newsおかえり」2026年5月12日放送分より)

最終更新:05/13 20:05

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