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久岡寛平さん 奈良市・ならまち 「LA PIE(ラピ)」

202399日(土) 午前11時

有名店から独立し、奈良にこだわるビストロをオープン

久岡寛平さん 奈良市・ならまち 「LA PIE(ラピ)」

世界遺産元興寺のかつての境内で、古い町屋が並ぶ、ならまち。ここにまもなく、新しいビストロが誕生します。オーナーシェフの久岡寛平さんは、フランスで16年腕をふるい、ミシュランの星を獲得した実力派。その後、パークハイアット京都からオファーを受け帰国。今年の6月まで、レストラン「八坂」で料理長を務めました。そんな久岡さんが、生まれ故郷の奈良で独立しようと決意します。開店までの日々を追いました。

奈良にこだわった店づくり。食材も奈良で探します。天理市で個人農園を営む飯田さんご夫婦からは、トランぺットズッキーニという珍しい作物をはじめ、みずみずしくて新鮮な野菜を仕入れます。しかし、仕入れ先が見つからないある食材が。奈良県の川魚、鮎です。実は専門の漁師さんがいないため、天然の鮎は手に入れるのが困難。そこで久岡さんは、釣り人たちが集まる吉野川へと向かいました。吉野川の天然鮎は「桜鮎」と呼ばれ、万葉集にも詠われた特別な存在です。さて、どうやって仕入れるのか?

1978年、奈良で生れた久岡さん。高校卒業後は、陶芸家の父のもとで、焼き物の修業を始めますが、19歳のころ、旅行で訪れたパリのビストロでの食事に感動し、フランス料理の道へ。息子の人生の選択に、黙って背中を押してくれた今は亡き父。工房は今もそのままに、作品も多く残っています。父の陶器を店の器に使うだけでなく、久岡さんは、父が残してくれた素晴らしいテーブルを、店のカウンターにしようと考えていました。

店の工事も奈良の大工さん。椅子も、奈良の職人による吉野檜。空間も食材も準備完了し、内装工事も終了。いよいよ新たなビストロが誕生します。新鮮な食材でフランス伝統の料理に仕上げる久岡シェフですが、気軽に来てもらえるよう、コースの値段はかなり抑えめ。オープン当日には、お世話になった人たちを招待しました。さて、あのトランペットズッキーニや天然鮎は、どんな料理になったのでしょう?また、夫の残した器が、息子の料理を盛り立てる様をみた、久岡さんの母の感想は?

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LA PIE
概要フランスで16年間腕をふるい、パークハイアット京都のレストラン「八坂」で料理長も務めていた久岡寛平シェフが独立、オープンさせたならまちのビストロ。
住所奈良県奈良市鵲町15-3
営業時間ランチ 12:00-13:30(L.O.)
ディナー 17:30-20:00(L.O.)
定休日火曜・水曜(不定休あり)
備考ランチコース 3,800円(税込)~
ディナーコース 6,000円(税込)~

インスタグラム
https://www.instagram.com/lapie_naramachi/

各ページに掲載している内容は、取材・放送時点のものです。消費税率移行に伴う価格変更等についてご留意下さい。

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浅田晶久さん 『浅田製瓦工場』 京都市伏見区

2025524日(土) 午前11時

最後の京瓦職人

浅田晶久さん 『浅田製瓦工場』 京都市伏見区

京都市伏見区。この地で110年以上、瓦を作り続けている『浅田製瓦工場』。現在、京都でただ一人、「京瓦」を製造しているのが、三代目の浅田晶久さん。「京瓦」の神髄は「磨き」と呼ばれる技法。金属のヘラで丁寧に磨き上げ、重厚な光沢と深い鈍色の風合いを持たせる伝統の技術です。浅田さんの手掛けた瓦は、歴史ある寺社や建物の屋根を飾っています。

そんな「京瓦」も、時代と共に需要が激減。かつて京都に十数軒あった瓦工場は、今やここだけ。後継者もおらず、厳しい状況が続いています。「それでも後に残していかなあかん」。伝統を次の世代へ繋げたい。喜寿を目前にしても、休むことなく「京瓦」の可能性と未来への道を追求する浅田さん。しかし今、ある大きな決断を迫られていました。

先月、開幕した大阪・関西万博。「関西パビリオン」の中の京都ゾーンの床と壁を覆う素材として使われたのが「京瓦」です。瓦製作を監修したのが、浅田さん。オファーしたのは、空間デザインを担当した彫刻家の名和晃平さんです。「京瓦のおかげで、ここは静謐な空間になりました」。

浅田さん、屋根がダメなら床や壁にと、京瓦の未来のために、新たな可能性に挑みます。「これ、アインシュタイン・タイルといって、床に敷く」。不思議な形の13角形。早速、デザイン会社から発注がありました。その枚数、1840枚。一枚一枚、想いを込めて仕上げていきます。納品するのは東京都内のオフィス。さて、どんな空間になったでしょう。

切なる思いで、京瓦を残す道と、後継者を探し続けてきた浅田さん。しかし経営は厳しく、人材の採用すらままならないのが現実です。そこで昨年12月、大きな決断に踏み切りました。それは114年の歴史を持つ『浅田製瓦工場』の経営権の譲渡。

同じ未来を見据え、経営権の譲渡にむけて共に歩んできたのは、息子の憲和さんです。憲和さんが2年以上かけて探したのが、京都指定伝統工芸品の「事業再生と企画運営」を行う会社でした。しかし新体制に向けての大切なミーティングで、親子は激突します。心の整理がつかない父親の姿勢を見て、憲和さんがぶち切れました。「何が残したいや!全部自分で潰してるやんけ!必死やねんこっちは!」

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